第35話 業火の夢想 影と法王と
白の景色は、終わりの世界。
普通の虫ならば、雪に動くことも叶わず命を散らしていく。
だが、女王アリはやはり普通ではなかった。ゾウを倒したのち、皮を一部はいで運んでいるので何かと思ったら、アリ達を密集態勢にしてゾウの皮を防寒具としてゆっくりと雪山を登っていく。
だが、それでも多くのアリ達が力尽きた。小さい体の虫としては、どうしても仕方がないことだ。この白い道は歩くだけで命を奪う。光る玉が話していた、四つの障害その最後に相応しい難関だ。
出口の付近まで来ると、瀕死の狼とドーシと呼ばれるゴリラが距離を取りながら倒れていた。
「あの二匹に話がある。クモの弟よ、あの傷を縫ってくるがいい。ゴリラがより深手ゆえ、ゴリラから縫うのだ」
アリに囲まれている自分としては、従うほかない。幸い今は吹雪は止んでいて、疑似太陽が照ってきているので少しくらいなら体は動かせる。
しかし、何故こんな危なそうな奴を助けようというのか。
残っていたサボテンの棘でゴリラの傷を縫う。ゴリラはこちらを睨みつけているようだが、とりあえずはおとなしくしているようだ。
しかし、女王アリの行動が読めない。そもそも何で、ゾウの皮を持ってきたのだろうか。これは用心深いとか、慎重であるとかという段階の話ではない気がする。
「なんのつもりか」
息も絶え絶えに、ゴリラは女王アリを睨みつける。
自分としてもゴリラと同じく、女王の真意は知っておきたい。
ゴリラの傷は軽く縫っておいたくらいだから傷口は完全には塞がっていないが、自分は次の狼の所で治療をすることにした。
「憐れみだとでも思え。……我は、其の方の主とするものの正体を知っている」
何の表情も見せない女王は、ドーシと呼ばれた死にかけているゴリラに淡々と告げた。
「なにをいいだすとおもえば」
女王と、ゴリラが会話をしている。内容が気にはなりはしたが、狼の傷口を縫うのでいっぱいいっぱいで、特に会話は聞ける状態ではない。
だが、ゴリラには内容が衝撃的だったのか、驚きに目を丸くしている。
そして両目を強く瞑り、どすどすと雪を両手で叩いた。一体何の話をしたのだろうか。
「わがかみは、われらにてんごくをやくそくした」
「それが履行されると、どうして思い込む」
女王アリの言葉に、ゴリラは押し黙った。
「本当は気づいているのだろう。其の方らを束ねるものは、決して善たる存在ではないと」
「かみには、ふかきおかんがえがある。それをりかいできないのは、わがかいしゃくがふそくしているのみだ」
女王アリは、じろりとゴリラを睨んだ。
「其の方は、神を信じているのではない。強き力を持つ者を、神として崇めて考えるのをやめているだけだ」
「……」
「沈黙は、一つの答えだ」
なんだかよく分からないが、自分は自分に出来ることをしよう。
そして自分は、狼の傷を縫うことに集中した。縫っても零れる血は止まらない。これまで命があったのは、雪で傷口が凍っていたからなのかもしれない。
「助かるんだぜ。これでまだ走れる」
「ぎぎ……走れば傷が開く。そうなると、助からない」
いや、傷を縫ったとしても所詮は一時的なものだ。それはゴリラも狼も同じことで、自分がやったことはただの延命に過ぎないだろう。
今、狼に息があるのは寒さで傷口がたまたま閉じていたからだ。暖かい場所に行けば血は再びあふれ出すだろう。
「女にゃ、行かなきゃならない場所があるんだぜ」
「……命は本人のものだ。好きにさせるがよい」
女王は俺にそう命令する。
そんなこと言っても、この前は女王は狼と殺しあおうとしていただろうに。
俺はそう思ったが、女王が怖かったので黙っていることにした。
狼はよろめきながらも、キョウダイの後を追ってふらふらと先に進んでいった。
「さて、我らも行くぞ」
さも当然のように、俺は親衛隊の羽アリに体を持ち上げられた。
「ぎぎ……この先一本道なら、もう別行動でもいいんじゃないか?」
「我が其の方を殺さぬのは、其の方がこのレースの優勝に関わらぬ者というだけではない。我の切り札になりえるからだ」
自分の立場が辛くなるような、過大評価には抗議したい。
「お前の存在は、この先にいる悪魔にとって最後の一手になりえる」
「ぎぎ……女王。あんたは予知でもできるのか?」
女王は前から誰も知りえないような事の発言をしている。
「その認識は異なる。ただ、いくつかの情報を知っていて、少しばかりの推論をしているにすぎぬ」
「どんな推論だ?」
聞いておかなくてはならない。自分にとっては先にいる悪魔とやらも恐ろしいが、隣にいる女王だって脅威だ。
「一つ目、ドーシは操られている。そして操る者は、人間である」
人間。たしか、スタート地点にいたような。近くにいるだけで体が腐りそうになる、とても嫌な気配を持つ者だった。
だが、自分の覚えている限り人間に追い越された覚えはないのだが。
「二つ目、ドーシの部下が各所に杭を打っていたが、おそらくはコースそのものを壊す可能性もあろう。どうなるかまでは分からぬがな」
そうなるとドーシを操る者は、よほど地形に詳しいものなのだろうか。
「三つ目、この道の先にいる者は、コースを逆に進んで罠を張って待ち構えているだろう」
「そう思う理由は?」
「……我が直感である」
どう考えても嘘だろうが、女王アリは教えてくれる気はないようだ。
「ぎぎ……直感でも何でもいいが、さっさと奥に進もう」
ここは寒くてかなわない。油断していると手足が固まりそうだ。
「残すところはあと僅か、行くぞ」
そして、自分たちは背中の方で打ちひしがれているゴリラを置いて、先に進むことにした。
あとはもう障害は一人だけ。キョウダイたちはそいつに辿り着いているだろうか。狼がいればなんとかなるだろうか。
自分は横にいる女王アリを見る。
特に身体に優れている親衛隊を数十匹を除いて、アリの軍勢は壊滅状態にあった。ただ道を進んだだけでこれだ。
むしろ、雪山を超えてよくここまでこれたものだ。
さて進もうと思ったところで、自分は体が固まりつつあった。
寒いからだけじゃない。この先に進むのが怖いからだ。
何故だろうか。土蜘蛛に遭遇した時以上の『何か』を自分の身体と心が恐怖している。
理由はない。それこそ直感だ。
「ああ、行こう」
自分一匹ならば、確実に足は止まっていた。だが、キョウダイならばそれでも行くのだろう。
人が星を見て歩くように、虫は光を見つけて集う。自分にとってキョウダイは光だ。だが、その光はどんどん小さくなっているような気がする。この光が生命力であるなら、死にかけているのかもしれない。
キョウダイは一体どうなっているのだろう、不安が募る。
暗闇の中のかすかな星光に導かれるように、自分は道を進むことにした。
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