第33話 渇きの海 影と月と
「自分はこのレースの優勝に関係しない生き物だ!」
必死で目の前のアリの群れに語り掛けた。うぞうぞと蠢くこの数は、まさに絶望。正気でいるのも辛いくらいだ。
砂漠で狼とはぐれてしまったから、こんな目にあっている。
狼の奴はかなり短気だから、鳥にちょっと挑発されたくらいでどこまでも追いかけて行ってしまった。
はぐれた自分は砂漠で水を求めてうろついていたが、真っ黒いアリの壁に囲まれてしまっていた。
「詳しく聞こう」
アリの柱から女王アリが顔を出す。
自分はキョウダイと争って敗北したので、このレースでの優勝はキョウダイに譲りたいこと。そして、キョウダイを追っている事を話す。
「ふむ。其の方、あのクモの弟であるか?」
「ああキョウダイで……まあ、自分の方が後に生まれたと言えばそうかもしれない」
女王は無表情で動かず、じっとこちらを眺めている。沈黙が重い。
「特技はあるか?」
その問いかけに自分は頭を捻らせ、考えてみる。
「勘の良さには定評がある。あと、キョウダイの場所がなんとなく分かる」
女王の目が、色味を帯びた気がした。
「ほう。それが偽りなければ、其の方の命は永らえよう」
どうにも女王はキョウダイに用件があるようだ。さもありなん、キョウダイの生存能力は異常だ。これほど環境が厳しければ厳しい程、キョウダイの力を必要とするものは増えるだろう。
しかし、この女王。どこかでキョウダイの事を知ったのだろうか?
ずっとキョウダイとともに生きてきた自分は、この女王アリには見覚えがないのだが何故だろうな。
「して、あのクモはどこにいる?」
この恐ろしい女王め。仮にどんなに状況が悪いと言っても、自分がキョウダイを売ると思うな。
キョウダイの位置を適当な場所で言ったうえで、自分は女王アリの隙をついて逃げる。それがいいだろう。
自分は意識を集中すると、キョウダイはおそらくここから768メートル東北東にいる。
「キョウダイは今、ここから北西北に323メートルの距離にいる。ここからだとギリギリ見えるあっちにある緑の木のあたりだ」
自分はキョウダイから離れた位置を伝えた。
まあ女王に後でどういわれようと、キョウダイはそこにいたが、移動したとでも言えばいい。
「ぎぎ……では、自分はこれで」
さりげなく立ち去ろうとしたが、ざざっとアリの群れが立ちふさがった。
「我が道を阻まぬというなら、客人としての待遇を与えよう」
「いや、さすがに悪い。遠慮させてもらいたい」
自分は即座に断った。冗談じゃなく、この女王は怖い。
「客人としての待遇を与えよう」
女王の言葉には変化がないものの、女王の親衛隊はぎちぎちと歯を鳴らした。
「ぎぎ……ありがたく」
自分はつい、数の暴力に屈してしまった。
時折、周囲を確認しているが逃げる隙が一瞬もない。
「我は其の方をとって喰いはせぬ。安心するがいい」
「ぎぎ……いや、女王アリは強そうだからな。多少、緊張もする」
「……ふむ。なるほど」
女王アリは何故だか自分の言葉に沈思する。
そうこうして、しばらく経った。太陽に焼かれながら、じりじりとしている。そうすると緑の木に向けて旅立ったアリの一団が戻ってきた。
そいつらは、緑色の亀を担いで持ってきていた。あの緑の木のあたりの場所にいたとは、なんという運の悪い亀だろう。
「さて、亀。我はあのクモを探しておるのだが、どこに居るのだ?」
「答えないよ」
亀はこれから喰い殺されるだろうに、何故かきりりと正面にいる女王アリを見据えていた。
「人が行う処刑方法の中で、最も残虐と言われる凌遅刑というものがある。人を少しずつ切り落とし苦痛を与えて殺すことのようだが」
じわり、じわりとアリの群れが亀を囲んでいく。
そして数十匹のアリが亀の足元を噛み始めた。
「其の方を、徐々に喰い殺すこともできるのだが、どうする?」
「言わないもん」
亀は歯を食いしばりながら答えた。
すると、亀に取り付いていたアリがふと動きを止めた。
「ふむ……」
何を思ったか、女王アリはじっと亀の様子を観察している。
しかしどうしたものか。自分はこの亀ことは嫌いなのだが、今回の事は罪悪感もある。自分が適当な位置を言わなければ、亀は見つかることもなかっただろう。
それにキョウダイが、大事にしていた亀でもあるわけだしな。
「ぎぎ……女王アリ。提案があるんだが……」
「聞こう」
正直、どんな提案にするか思いついていない。何か話さなくてはと思っただけだ。
何となくだが、この亀が死んだらキョウダイが悲しむような気がする。
「……ここは熱い。辛いし、大変だ。……出口もないし」
思ったことをぽつりぽつりという。どうしたものか、何を言えばいい。
「要領を得んな。つまりはこのレース場ではあまりにも情報が少ないから、情報交換をするべきだと?」
「そう、それだ! 自分が言いたかったのはそれだ!」
とりあえず、女王アリが勝手に出してくれた答えに自分は飛びつくことにした。
「カメよ。其の方の口が開いている間は命は保証されよう。有用無用はこちらで判断するうえ、これまでの旅を語るがいい」
途中で口を出した自分に、カメ子は首をひねった。
「あれ? くーちゃんの兄弟さん?」
「自分のことは気にしないでくれ。まずは女王の問いに答えた方がいい」
カメ子は女王にとつとつとキョウダイとの旅を語り始めた。
ゴリラのドーシのあたりの話で、女王アリはカメ子に尋ねた。
「その前に、聞いておかねばならぬな。カメよ、お主は神を信じるか?」
一体何を言い出すんだ、この女王は。神なんてニンゲンのものじゃないか。
俺達のような虫には、何の関係のない存在だろうに。
「ううん。わたしが信じているのは神様じゃないよ」
カメ子は静かに首を振る。
「では、何を信じてここまできた」
「なんだろう。くーちゃんが進む姿を見るとね、身体の奥がすこしあったかくなるんだ。それがあるから頑張れるのかな」
カメ子はふわっとした言い方をした。何のことを言っているのか自分には分からなかったが女王は噛みしめるように頷いた。
「それもよかろう。其の方も歩き出したのだな」
「うん。わたし、もう止まらないよ」
「よかろう。では再び、其の方らの旅を聞かせるがいい」
亀はここまでの旅の話をした。自分が倒される話は聞いていて微妙な気分にもなったが、まあいい。
それにしても、亀は楽しそうに話すものだな。
「……それで、くーちゃんはね、ゾウの足元に、えいって出てきて……」
亀の話はとりとめがない。思いつくままに話しているのだが、時系列も考えなければバラバラだ。
普通に考えれば時間稼ぎなのだろうが、亀は随分と楽しそうに話すものだ。
それに、なぜだろうか。女王は遮るでもなく静かにそれを聞いている。むしろ機嫌がよいような気さえする。
おそらく、キョウダイと同じで情報を極めて重要視するタイプなのだろう。
そうしてしばらくしていると、キョウダイが近づいてくる気がしてきた。
ふと、砂漠の端を見ると狼がすごい勢いでこちらに近づいてきている。
自分は、蟻の集団に身を隠すことにした。
「ふむ? 何故隠れる」
「ぎぎ……合わせる顔がないというか、なんというか」
キョウダイとはやりあったばかりだ。あそこまでやるつもりもなかったのだが、結構な迷惑をかけてしまった。
そして、キョウダイをみると女王アリと堂々と交渉して、休戦協定を結ぶこととなった。
自分はアリの群れに隠れながら、キョウダイの様子をじっと眺めていた。
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空に照るのは人工の太陽ということだが、時間が経過すると月のような穏やかな明かりになる。
偽物の月とはいえ、随分と風情があるものだ。
そんな水場で、自分はキョウダイに近づいた。キョウダイは疲労のあまり、気を失っていた。
近づいてよく見てみると、キョウダイの身体は痛ましい程ボロボロだった。
「ぎぎ……何故、ここまで……」
「私を庇って、大鷲と戦ってきたんだぜ」
狼が悲痛をこらえる様に奥歯を噛みしめている。
自分がキョウダイに近づこうとすると、狼に軽く警戒した。
「今更、攻撃しない」
身体に糸を巻き付けて少しでも固定する。殺すための糸じゃない、命を繋ぐための糸だ。
キョウダイが狼を縫っている時に初めて、糸にはこんな使い方があると知った。
だが、自分の糸は自分にはまきつけられないだろう。
自分は静かに糸を吐いて、すこしでも体が楽になる様に固定していく。
キョウダイは、意識が半分戻ったのか。虚ろな目でこちらを見ている。
「兄弟。……すまなかった」
「悪かったのは、ジブンの方だ」
キョウダイに謝るべきなのはこちらなのに、そんなことを言われる。
体が小さく震えている。今日が命の峠かもしれないのにだ。
何かを言わなければならない。しかし、自分にキョウダイに対して何を言えるだろうか。
優勝まで頑張れとでも? 頑張っていない生き物はいないし、キョウダイが全力であることはもう知っている。
それに、亀をおいてけなんていう気ももうない。キョウダイは誰かを抱えているから強いのだから。
「誰にも負けるな」
自分にはそんな言い方しかできなかった。何にだろうか。自分でも分からないがキョウダイは大きいものと戦っている。それは自分自身というものなのかもしれないし、運命という名がつくものなのかもしれない。
「約束する」
「ぎぎ……それなら、仲直りだ」
自分とキョウダイは前脚を合わせた。震えている前脚にちょこんと自分の前脚を合わせてやる。
すると、安心したように再びキョウダイは気を失った。
その様子をしばらく眺めていると、しゅるしゅるとヘビが近づいてきた。
「ねえ、君。これからどうするの?」
「顔も合わせづらい。こっそり後ろから付いていく」
「その方が生き残りやすいと思うよ。今や、結構大した集団だからね」
確かに、亀や蛇はともかく、この女王アリの集団と狼と共に進めるなら当面の脅威はないだろう。
「ぎぎ……それもあるけど、それだけでもない」
「ふうん?」
「光る玉と同じで、キョウダイがどうなっていくか見てみたい」
「ボクは別に! ……いや、君にならいいか。まあ、認めるよ。こんな生き物はじめてみたよ」
そのまま、自分たちは黙ってキョウダイが目を覚ますのを待った。
キョウダイの目が覚めそうな頃に、自分はまたアリの集団の中に隠れることにした。
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