閉幕
第30話 夜空の花火
Dear My Friend
やあ、親友。久しぶりだね。
例え届かない手紙だったとしても、書きたくなる時はあるのさ。
独り言に近いのかもしれないけど、心の整理は誰にだって必要だろう。
だから少しばかり、そんなボクのわがままに付き合ってくれよ。
ボクはね、あの時花火のように消えていった、君の事をいつも思い出すよ。
もっと沢山、君と話したかったし、ずっと一緒にいたかったんだよ。
だからボクは、まだ君に怒ってるんだからね。
そりゃあボクだってカメ子にも生き残って欲しかったし、その為にはああするしかなかった。
でも、なんていうか腹がたった。ボクはレースの管理側だし、ボクが言うなよって話なんだろうけどさ。
ほんとにもう、ボクどんだけ怒って怒って、涙が出るくらい悲しくなったかなんて君は知らないんだ。
許せなくって、頭の中がぐるぐるになってさ。あれから十数年も経った、今だってもう大変なんだよ。
僕が怒ったら怖いよ。何が起こるか分からないくらい怖いよ。
だからさ。
だから、謝りにくるといいよ。
もし来てくれたら、全部許してあげるからさ。会いに来てよ。
なんてね。
そうそう報告だけど、カメ子はちゃんと無事に人間に転生したよ。
ついでだから、花火を見ることができる国に転生させたよ。
それと、転生前の事は覚えていないはずだから、心配しなくていい。
カメ子もすくすく育って、まあ性格は変わらなくって誰にだって優しいさ。
人間の中には悪い奴らもいて、そんなカメ子の優しさを利用しようとするやつだっているけどさ。
そん時はボクが、えいえいって止めに入るからさ。大丈夫だね。
ついでに言うとボクも色々と思うところがあって、今は人間になっている。
カメ子の近くに生まれたものだから、いつも様子を見に行ってるよ。
さすがボク、アフターケアも万全だね。
別に君の為なんかじゃないんだからね。
……なんて強がってもしょうがないからさ、正直に言うけど、ボクは君らが好きだからね。
君は心配性だったし、カメ子はのほほんとしてるけどボクがしっかりと守ってる。
だから安心して。それじゃあ、また次に手紙を書くまで。
君の親友、ヘビ子より
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夜の帳が下りても、空気がまだ暑い季節。
ヘビ子は漆下駄を鳴らしながらゆっくりと歩き、額の汗ををぬぐった。
「カメ子ー、そろそろ準備できたー?」
ヘビ子は辿り着いた家の先で、ぽちりとインターホンを鳴らした。
「あ、うん。今行くねー」
インターフォン越しに声が響いてきて、玄関先をパタパタと走る音が聞こえる。
そしてドアを開けて出てきたのは、浴衣を着たカメ子だった。
全体的に青い基調で、所々に亀の絵がちりばめられている。
カメ子の人間としての名前は『カメ子』ではなかったが、普段からこうして亀の衣装を着ているものだから、彼女に親しい者はみんなカメ子と呼ぶようになった。
「カメ子、浴衣かわいいね。似合ってるよ」
「うん、ありがとう。ヘビ子ちゃんもばっちり決まってるよ」
ヘビ子は蛇柄の浴衣だ。可愛さというよりもカッコよさを重視しているデザインだ。
「よし、じゃあ。あげてこー。みんなー、花火に行きたいかー」
「いえすー」
この場にいるのはたった二人だが、ぺちりとハイタッチをする。
「さあ、移動しよう。花火見れるとこまで歩いていけるのはいいよね」
「ほんとだねー」
ヘビ子とカメ子は、子供の頃からの幼馴染みなので、どんな時でも一緒にいる。
二人は、とてとてと道を歩いていく。
暗くなってきた空を見上げると、幸いなことに今日は雲一つないようだ。
「今日は花火もよく見えそうだね」
「うんうん、そうだね」
道を進むと、どこから集まってきたのかどんどん人が多くなる。
夏の暑さと人の熱気に蒸されながら、二人は人の波ををかき分けて進んだ。
「ほら、ここが絶好の隠れスポットだね。ここからなら花火がよく見える」
「おおっ、すごい。よく見つけたね!」
普段より明るく振舞っているカメ子に、ヘビ子はそっと声を掛けた。
「ねえ、カメ子。……ひょっとして、落ち込んでる?」
ヘビ子は明るい声のカメ子に、そう気づかわしげに尋ねてみた。
「えぇ、何で? 楽しいよ!」
「……ボクの目には、何でもお見通しさ。何かあったならさ、話してみなよ」
ヘビ子がそう言うと、カメ子は少しだけうつむいた。
「うん。でもね……」
「君の面倒ならいくらでも見るさ。例えば、他の人間が聞いたらバカみたいな話でもさ、君の話ならいくらでも聞くよ」
カメ子がぽつりぽつりと話す。
「……前からね。夢を見るんだ」
「どんな夢なのかな?」
「たくさんの生き物と、人間に転生するためのレースをする夢なんだ。ヘビ子ちゃんも仲間として出てくるよ」
「へえ。それでカメ子が勝ったのかな」
「ある人に、勝たせてもらったんだ」
それが誰であるのかカメ子は口にしなかった。
「辛い夢だったかい?」
「ううん。楽しかったよ、……とても」
ヘビ子は静かにカメ子に語り掛ける。
「命の夢ってね、泡みたいなものなんだよ。溶けてははじけて消えるものさ。そこに意味なんて本当はないのかもしれない」
「そんなこと……」
「そんなことないって思うならさ。思いたいならさ、それがカメ子の答えなんだよ。今、感じている心の隙間の部分だけ、カメ子は幸せだったのさ」
ぽん、とヘビ子はカメ子の背を優しく叩いた。
「あ、そうだ。ちょっとだけ、ここで待っててね」
「どうしたの? わたしも付いてくよ」
「すぐ戻るから」
カメ子は大人しく待っていたが、ヘビ子は一向に帰ってこなかった。
花火があがる。
ひゅー、と空に光が昇り。
弾けるような音とともに、空に光が現われる。
暗闇を割いては、暗闇に飲まれていく光景を見ながらカメ子は涙を流していた。
カメ子は手の甲で涙を抑えて笑おうとする。
うまく笑えないでいる。
「何で泣いているんだよ」
ふと、カメ子の背後から男の声がした。
カメ子は目を見開いてゆっくりと振り向いた。
その声にも姿にも覚えはなかったが、カメ子はそれが誰なのか一瞬で分かった。
「だって、わたし亀だよ」
ぼろぼろと涙が溢れる。
ただ今までの涙とは違う。とても熱い涙だった。
「それがどうした。お前が亀な事は、お前が生まれた時からわかり切っている事だろ……う」
男が言いかけている途中で、カメ子は耐えられなくなって飛びついた。
「くーちゃん!? くーちゃんなの?」
カメ子は確かめるように、男の頬をぺたぺたと触った。
「手足の数は減ったがな。……いや、最後の状態からは増えたのか。それとカメ子の体当たりを受けても潰れなくなったけどな」
男は遠い目をして自分の手足を見た。
そこには一人のニンゲンがいた。
「泣いているって聞いてな。そんなお前も泣き止む物を持ってきた」
カメ子は首を傾げた。
男は手に持っていた綿あめをカメ子に渡す。
「ほら、いつかの約束だ」
カメ子は泣きながら、にっこりと笑う。
「くーちゃんだ。ここに、くーちゃんがいるよ」
「しかし、よく俺だって分かったな」
「だってくーちゃんは、くーちゃんだもん」
ぐいぐいとカメ子は自身の頭を俺に押し付けた。
ああ、なんだかどこかで見たことがある亀の親愛の行動だった。
「でも、どうして人間になれたの?」
「これはただの推測なんだが、女王のおかげだろうな」
「女王ちゃんの?」
「ああ、ヘビ子の奴は一億の命で『にんげんレース』をするって言ったろう。でも女王アリはそれ以上の命を生み出していた。それで俺は死にかけていたけど、正規のコースを通って転生の優勝台にいた。そんなところじゃないか。……ただあの時、……台から落ちた気もしたんだけどな?」
男は考えながら推測を口にした。
カメ子はその推測に納得したように深く頷いた。
「あ、じゃあ狼ちゃんとか、虎さんとか女王ちゃんとかもいるのかな?」
その時、茂みからがさりと音がした。
そこにはヘビ子と背の高い女性が、ライダースーツを着込んだ人物を取り押さえていた。
ライダースーツはだぶついているし、フルフェイスのヘルメットをしているため、その人物の顔も体格が分からない。
「みんな……!」
「よう、久しぶりなんだぜ。カメ子」
背の高い女性が軽く片手をあげて挨拶する。
「狼ちゃん!」
「ほら、今は二人にさせてやろうって話したじゃん。ボクらは先にクーに再会できたわけだしさ。だから、君もちょっと落ち着きなよ」
ヘビ子がライダースーツの人物に話しかけている。
ライダースーツの人は、しぶしぶといったように頷いた。
「それにやっぱり、ヘビ子ちゃんって、あのヘビ子ちゃんだよね。どうして黙ってたの!」
普段温厚なカメ子であっても、このことにはさすがに怒った。
「いや、ごめんね。サプライズ、的な?」
ヘビ子は口ごもる。
「少し理由があるんだ。俺も色々理由があって、ここに辿り着くまでに時間がかかったんだ。あるいは、たどり着けなかったかもしれなかった」
カメ子は男の喉元を見直したら、深い傷があった。
昔からそうであるように、男は今でも傷だらけのようだった。
「ここに来るまでも、色んな奴に助けてもらったよ。ここまで来れて花火も見れたのは、本当に運がよかったんだ」
「……ううん。それはね、運じゃないよ。くーちゃんが色んな人と、優しい糸を繋いできたからじゃないかな。だからね、この結末はくーちゃんが引き寄せたものだよ」
男はきまりが悪いのか、数度頬をかいたと思ったら大きめの声を上げた。
「折角の花火だ。みんなで見よう」
気を取り直すように男が言う。
狼もヘビ子も、ライダースーツの人も空を見上げる。
カメ子は、男の横顔を眺めた。
男は静かに花火を眺めて、ほんの少しだけ笑みをにじませている。
例え姿が変われども、変わらぬ眼差しの男を見てカメ子は頬を赤らめた。
そっと男の手をとると、一瞬だけカメ子をみて手を握り返した。
空に咲く花は一瞬で消える。
消えてしまうなら意味がないのだろうか。ただし、カメ子はそうは思わない。
つないだ手の熱さを逃がさないように、カメ子はしっかりと握り返した。
空には次々と花火が上がる。赤い花も、青い花も、大きな花も。どれもこれも輝いて見えた。
彼らの旅路の祝福のように。
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