第28話 無間地獄と最後の審判

「虎は左に、狼は右から展開してくれ」


 狼だけでなく虎も俺の指示に従い、人間を挟み込むようにぐるりと左右に別れた。


「カメ子はまっすぐ前、優勝台に向かって走れ。そうすれば、人間はお前を無視できない。追いかけてくるが、必ずそこに隙ができる。後は俺達が何とかする」


 そして、あとは女王だが、女王の様子を見ると俺が何も言わないでもカメ子とは反対方向に布陣している。

 戦闘能力も今はほとんどないだろうが、それでも最適に動いてくれている。

 人間は四方に囲まれて、余裕は崩してはいないが、虎と狼を警戒している。

 そして、その二匹に背を向けないためか、女王アリを正面に、亀を背に後ずさりながら移動する。

 しかし、それでも人間は強い。手負いの狼と、毒でふらつく虎を寄せ付けない。

 女王が姿を現したということは、戦うための何かの手段があるはず。

 そうでなければ姿を隠したまま優勝台に向かっていただろう。

 今は一番無力であるはずの女王が人間を呼び止めた。

 

「人間よ、詰みチェックだ」

「オレがこれ以上、お前に何かさせると思うか」


 人間は女王アリを警戒している。

 俺は何故か女王アリに向け駆け出していた。

 多分、あいつなら何かをするはず。

 女王に向かって俺が駆け出していると、急に人間は、片目を抑えた。

 そして人間は、毒のナイフを取り落とした。


「ぐっ」


 何をしたか俺の角度からは見えなかったが、何かしらの手段で動いていないあの場所から人間を攻撃したのだろう。


「我が切り札は一枚だけではないぞ。とくと、味わうがいい」

「ちっ」

「そして、次が貴様への最後の一手だ」


 女王のその言葉に一瞬、人間が立ち止まった。

 そして俺は直感的に理解する。もう、女王には武器がない。

 だからこうしてハッタリをきかせているのだろう。

 俺は落とされたナイフに飛びつき残された前脚の一本に、毒を擦り付ける。それだけでも全身が痺れそうになる。

 俺は再び人間に飛び乗った。

 この小さい体だと、人間に気づかれないように移動することができる。

 人間の足元から頭上に走りこんだ。

 人間のもう一つの目さえ潰せば戦況は変わる。

 俺を援護するように、狼と虎が同時に人間に飛び掛かる。

 人間は狼を蹴り飛ばし、虎に大剣を向ける。

 だが、虎は大剣を避けずにむしろ突進し、前足を大剣に押し付けた。

 ごきり、と骨が折れる音がしたが、虎は腕に力をこめて筋肉で大剣を抜けないようにした。

 俺はこの隙に人間の頭部にわたり、頭頂部から滑り込むように人間の目に毒の足を突き入れる。

 人間は舌打ちしながら、俺を弾き飛ばした。

 俺は、体の一部が潰れながら地に落ちた。だが人間は、目がやられてもなお立っている。

 こっちは虎も狼も、もう動けない状態だ。


「アリ。残念だが、もう少し足らなかったな」

「ふむ、そうか。……人間よ。最後に聞いておきたいことがある」


 人間はにやりと笑い、女王の声がした方にゆっくりと歩み寄った。

 女王は、何故人間に声をかけたのか。

 このままでは音で場所を理解した人間にふみつぶされてしまうだろう。

 普段なら、そんなことが分からない女王ではないはずだが、どうしても聞きたいことがあるのだろうか。


「まあいい。何でも聞いてみろ」

「人間は、ドーシたちを利用したのか?」

「ああ、頭の悪い奴らだったろ。すべての生き物は利用されるためにある。騙される奴が悪い」


 女王アリは先ほどから一歩も動いていない。

 あるいは、もはや動けないのだろうか。

 誰もかれも動けない。

 誰だ、他に誰が動くことができる。


「命の意地をみせるがよいっ!」


 女王がそう言った途端、先ほどまで吊るされていた白い山羊が立ち上がり人間に向けて突撃した。

 だが、人間はそれでも冷静だ。

 気配を感じたのか山羊の方に向き直り、ついでとばかりに女王を踏みつぶそうとする。

 だが、そこにカメ子が駆け寄り割って入った。

 そして人間は、亀を踏みつけぐらりと態勢を崩す。

 山羊の勢いに押されて

 

「この、愚図の亀がっ!」


 初めて人間の声に焦燥の色が出る。

 まさか、亀に足元をすくわれるという予想はしていなかったのだろう。

 溶岩の方向に向けて、山羊は突撃していく。

 正面から倒せない人間でも、あの赤い地獄なら殺しきれるかもしれない。

 だが、人間は山羊に押されながらも態勢を整えて、ベルトに挟んでいた別の武器である鈍器を山羊の頭蓋に叩き込んだ。

 山羊は頭蓋を割らればったりと地に伏せる。

 溶岩のぎりぎりの位置で、人間は立ち止まった。


「あやうく死ぬところだったな」


 ここまでしても、人間に届かないか。

 その時、何者かが溶岩の道から手を伸ばして、人間の足首を掴んだ。

 

「おお、かみよ」


 そこにいたのは体の半分が燃え尽きている、ドーシだった。

 何故動ける。そう疑問に思えるほどにボロボロの姿だった。


「放せっ!」

かみよ。あなたをうたがう、このをゆるしたまえ」


 先ほど人間はドーシたちを利用したと言った。いや、女王に言わされたとでもいうべきか。

 それを聞いてドーシはどう思ったのだろうか。


かみよ。われらをみちびきたまえ。かみはぜったいなれば、じごく地獄ごうか業火にもえうるのでしょう。このかみがなんといおうと、かみをしんじておりますれば、かみをためすわがみをゆるしたまえ」


 それでもドーシは人間を信じようとしていた。

 ここまでくると、敵ではあるがいっそ哀れだ。


「このサルがっ!」


 人間は掴まれていない方の足で、何度も強くドーシを踏みつけるもドーシには堪えた様子がない。


「ともにじごく地獄ごうか業火にやかれましょうぞ。さあかみしょうめい証明を」


 ずるり、と人間は溶岩の道にひきずり降ろされていく。

 じゅっと、足が焼ける音がしたと思ったら、人間の全身に火が付いた。

 大地に爪痕を立てて抵抗するも、徐々に姿が見えなくなっていく。


「あああ、ああ、あああ」


 誰の叫びか、人間は溶岩にて燃え尽きていった。


「自らの業によって滅ぶか……そこが悪の終着よ」


 女王は人間にそう言葉をかけた。

 虎が体を引きずりながら、地に伏している山羊の元に近づいた。


「山羊よ。よくやったのである。お主はつがいの仇を、見事にその手で討ち果たしたのである」

「……めぇぇ」


 山羊はほんの少しだけ微笑んで、力尽きた。

 少しの間、沈黙が流れる。

 無理もない。ここにいるすべての生き物は瀕死だ。

 こうして戦いも終わったが、しばらく誰一匹動くことができなかった。

 けれどカメ子がやっと我にかえったようで震える手足で、俺のところに近づいてきた。


「くーちゃん。もうちょっとでゴールだよ。さあ、乗って」


 カメ子が笑みを作って、俺を促した。

 傷だらけで今にも死にそうなのはこいつも同じだろうに、どこまでも俺の為に力を尽くそうとしてくる。

 

「……カメ子。ここまでよく付いてきてくれたな」

「うん」


 最初からここまで、こいつと出会った場所だってこの辺りなものだ。

 こいつがいなければ俺は先に進むことすらできなかった。

 俺と同じ夢を持っている奴で、俺の為に夢を捨てようとするやつだ。

 ニンゲンになりたい。俺の願いは今でも変わってはいない。

 ただただ殺し合い消耗しあう生き方ではなく、誰かと助け合い繋がって生きていきたい。


「最後に何か言うことはあるか」

「……あのね。わたしは、くーちゃんと一緒にいて楽しかったよ」


 カメ子はどこまでも屈託のない笑みを浮かべる。

 俺は暗い世界を生きてきたものだから、眩しいと感じてしまう。


「そうか、俺もだ。お前らに会えたことは、本当に良かったと思っている」


 俺はずっと暗い世界で生きてきた。これまでもそうだったように、これからもそうだと思っていた。

 色んな奴に会った。溶岩に消えた人間のような悪い奴もいたし、こいつらのように気持ちのいい奴らもいる。

 ここまでずっと苦労する旅だったが、決して悪いだけのものではなかったかもしれない。

 俺はカメ子ではなく、狼に声をかけることにした


「なあ、狼。……いつかの俺の借り、返してくれるんだろう」


 狼はかつて俺に約束をした。

 助けた借りは必ず返す。どんなことでもだ、と。


「その為に来たんだぜ。……本当に、いいんだな」


 それなら、俺が狼に頼みたいことは一つだ。

 狼は俺を見て、深く頷いた。


「ああ、頼む」


 狼はやはり、俺の事をよくわかってくれている。

 俺の願いが何なのか、こいつにはお見通しの様だ。

 狼は寂しい顔を一瞬したが、カメ子をくわえて立ち上がった。


「え、何? 狼ちゃん、どういうこと?」

「お前が優勝して、ニンゲンに転生するんだぜ」


 狼はこともなげに言う。

 念のため、俺の顔を見て確認する。

 俺は頷くだけだ。


「何で? 狼ちゃん。どうして、……一緒にくーちゃんを人間にしようって約束したよね」

「私が言ったのは、『クモの願いを叶える』なんだぜ、だから嘘じゃない。私は最初からスタートの場所でお前が心配で声をかけたクモならこうするって、思ってたんだぜ」

「くーちゃん。……だめだよ」


 カメ子は狼が意見を変えない様子なので、俺を制止する。


「お前は怒るかもな、俺を嫌うかもな」


 俺の行動は、これまでのカメ子の意思を踏みにじる行為だ。


「でもな、最初から決めていたんだ。お前を最後で裏切ると」


 裏切りの意味は、最初とは違う。

 最初の頃の俺は、ただ一人でも生き残るつもりだった。それは本当だ。

 でも、……それでもだ。


「くーちゃんは、ニンゲンになりたいんじゃなかったの? あんなに必死だったよね」

「そうだな。……ニンゲンのように生きたかった。命としてだけじゃなくって、生き方としてだ」


 ニンゲンだって悪に偏るものはいるだろう。先ほど燃え尽きた奴がいい例だ。

 だが、俺はそうありたいわけではない。


「生きろ」

「くーちゃん!」


 カメ子は叫びながら、狼に連れられて行った。


「やっぱり、君はそうするんだね」


 未だに横たわっているヘビ子は、悲しげにつぶやいた。


「すまん」


 勝つところを見せると言っておいて、自分から勝利に遠ざかる。

 こいつにばかりは申し訳がたたん。

 ヘビ子はしばらく押し黙ったあとで、静かな声で尋ねた。


「この結末に後悔しない?」

「……するに決まってるだろ。俺だって生きたいさ。安全で幸せで楽しく生きれたらどれだけいいか……でもな、これでいいんだよ」


 俺の言葉にヘビ子は口元を震わせた。


「こんな気もしてたさ。でもボクはさ、君に勝って欲しいって言ったよね」


 ヘビ子は最初から、そう言っていた。


「すまないと思っている」

「考え直しなよ。ボクは納得できないよ。ボクは狼みたいに物分かり良くないからね。クーは、ボクとカメ子の気持ちを考えていない」


 それも事実だ。

 結局、どちらかの我儘を優先するかという話なのだ。

 どこまで走っても、最後は一匹になるはどの生き物だって変わりはしない。


「……ところで紳士」

「なんであるか?」


 俺は近くにいた白い虎に話しかけることにした。

 白い虎は自身に話が振られると思っていなかったのか、目を丸くした。


「優勝台までヘビ子のエスコートを頼む。こいつは、俺の大事な友達だからな」

「クー!」


 ヘビ子は叫んだが、虎はそれを気にせずヘビ子を体の上に乗せた。


「うむ。任せるのである。……クモよ。お主はこれからどうするのであるか。吾輩も余力は少ないが、アリを叩き潰すくらいはできるのである」


 虎は最後に残った敵である女王を睨んだ。

 だが、女王はその視線にも動じることなく泰然としている。


「いや、ずっと前から指名されてるんだよ。あいつと最後に向き合うのは俺じゃないとな。紳士とは、女性との約束を果たすものだろう」


 俺の言葉に頷きながら、虎は快活に笑う。


しかり。まさにそうであるな。……よき戦いを。お主の武運を祈る」


 虎は大きく笑みを浮かべる。


「クー。優勝台はゆっくり上がっていく。頂上に着いたら、人間への転生が始まるんだ。だからまだ時間はある。……ボクは優勝台で待ってるからね! 君はそこに来るべきだ、いいね!」


 ヘビ子の叫びとともに虎はその場を立ち去った。

 さあ、俺には最後の約束がある。

 俺が振り向くと、そこには女王が静かに佇んでいた。

 あれだけいたアリの群れも、残すところ女王一匹。

 だが、このレースに置いて誰より油断ができない相手だと思う。


「すまんな。待っててくれたのか」

「我らの決着を、他の誰にも邪魔をされたくなかっただけだ」

「そうか、今は俺達だけだな。……さあ、決着をつけよう」


 俺の周りにも誰もいない。女王の周りにもアリの一匹すらない。

 ここで女王と決着をつけよう。

 不思議なことに、俺はそうせねばならないと感じている。


「それに力も溜める必要もあった。……羽化という言葉を知っておるか、クモよ」

「確か、芋虫が蝶になるようなものか?」


 幼生の状態から全く別の生き物になる。俺達のような虫にはよくあることだ。


「そうだ。これが正真正銘、このレースにおける最後の切り札よ」


 思えば女王は俺に一度も嘘をついたことがない。

 この一手さえしのげば、おそらくは俺が勝利できるのだろう。


「さあ、我が最後の姿。しかとその目に焼き付けるがいい」


 どくん、と女王の体が鳴動する。

 新たな姿に生まれ変わろうとしている。

 女王の体の中央に亀裂が入る。そして指のようなものが亀裂から這い出て、古い体を脱ぎ捨てる。

 俺は女王の新たな姿を見て、息をのむことになった。

 その姿は、俺がこれまで一度だって見たことがないほど美しく、そしてとても悲しかった。

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