第27話 叫喚地獄と最後の聖戦
「殺せ」
ぱちり、と人間が指を鳴らして命令すると、色々な生き物が一斉に俺に襲い掛かってくる。
俺は、瞬時に全ての生き物の動きを予測する。
生き物の数は多いが、同時に攻めてこれる数は限りがある。
こうなってくると、走りこんでくる生き物の内側の方がむしろ安全だ。
一番近くにいた水牛の踏みつけをむしろ蹄の隙間に潜り込んでやり過ごし、向かってくる獅子の爪は風圧を利用して寸前でかわす。
「滑稽だよ、クモ。お前がどれだけ抵抗したところで、何にもならない」
人間がそう言っている間にも他の生き物の攻撃は続く。
今度は鷹が嘴で俺を引き裂こうとする。俺は糸を吐いて軌道を変え鷹の攻撃も躱す。
前に乾いた海で持っていたようなサボテンの棘はもうないから、こちらから攻撃はできない。
だが、生きて機会を待つ。
しぶとく、めげず、諦めず。ただ俺は生き延び続けることに力を尽くす。
しばらく様子を眺めてた人間も焦れたのか、あるいは飽きたのかカメ子に手に取り、俺に声を掛けた。
「クモ、それ以上動いたら、この亀を殺すぞ」
人間の言葉を聞いてはならないと、俺は直感的に理解する。
ここで俺が立ち止まって死んだら、カメ子はこの人間に無残に殺されるだけだ。
壁に打ち付けられている山羊と同じような運命になるだろう。
ならば言うべきことは一つだ。
「カメ子! 一緒に戦えっ!」
「うんっ」
カメ子は首を伸ばしてがぶりと、人間の手に嚙みついた。
人間は舌打ちをして、腕を振ってカメ子を振り払おうとするが、カメ子はがっちりと噛みついている。
今度はナイフでカメ子の首を斬り落とそうとする。
「カメ子っ、一度放せっ」
カメ子は言葉の通りに、自身の噛みつきをほどいた。
重力の落下で、そのまま着地する。
「……どうでもいい生き物でも、歯向かわれると腹も立つな」
人間はしかめ面になり、カメ子を甲羅をつまむように持ち上げた。
そして俺の方向にカメ子を叩きつけるように投げつけてきた。
俺はカメ子に潰されない位置にギリギリ躱す。
カメ子は俺の近くでふらりと力なく立ち上がると、もうろうとしている意識で俺をかばおうとして覆いかぶさる。
「くーちゃんは、わたしが守るよ」
カメ子は甲羅で俺を最後まで、守るつもりだ。
だが最後まで戦うと決めたなら、俺達にできることは立ち止まることではないはずだ。
「カメ子っ。これからは守りではなく、動き続けるんだ」
動きを止めて、人間に捕まったら終わりだ。
勝つと決めたなら、立ち止まる時間も諦める暇も俺たちにはない。
カメ子は、俺がやっていたように生き物達の足元に入り込むように走っている。
人間は今、大きい剣を構えているからそれに当たらないようにする為だ。
カメ子も考えて行動できるようになっている。
俺は人間の方向に駆け出した。
人間はあれほど大きい体をしているというのに、俺に対して嫌悪という意味での隙を持っているようだ。
ならば、それを利用しない手はない。
俺は人間の振り下ろす剣に、糸を使いながら飛び乗った。
「気持ち悪いんだよっ」
人間はどうにも、俺の姿が触れたくもない程に嫌らしい。
わざわざ大剣を手放して、俺から距離をとった。
そして俺が剣から飛び降りて、近づこうとすると迂回する。
これだけの大きさの差があるというのに、不思議なものだ。
カメ子の速さでは人間と敵対するのに致命的だが、俺が人間と対決していれば人間は俺にかかりきりになりカメ子に注意は向かない。
すぐさまに人間を倒す方法など見つかりはしないが、戦い続ける。
地形は相手も熟知しているようだし、他の生き物たちも人間には近づかないようにしているから利用できない。
人間は靴を履いていて俺を踏みつけようとしたが、振り下ろされる角度を計算して靴の溝に入り込んで避ける。
ぐるり、ぐるりと俺と人間は距離を取り合う。
俺が視線を周囲に走らすと、カメ子もまだ無事の様だった。
もう俺の指示がなくても、生き物の隙を見つけて生き延びる術を身に着けたようだ。
「埒があかんな……」
人間は俺から大きく距離をとると、再び大剣を手にした。
そして、俺でなくカメ子に向き直り、近くの生き物どもを下がらせる。
「お前から死ね」
人間はそのまま剣を振り下ろそうとして、何かに気づいた様子で後方に飛んだ。
吹き抜ける風の音とともに、見覚えのある大きい白い影が駆け込んできた。
「虎さん!」
そこに現れたのは、かつて別れた白い虎だった。
カメ子は驚きで目を丸くした。俺だってまさかこんなところに来るとは思いもしなかった。
虎は入口の方から現れなかったか?
そういえば逆走すると言っていたが、ここまで来たのだろうか。
「うむ。吾輩、虎である。真打は遅れてやってくるものであるな」
カメ子を安心させるためだろうか、虎は軽くおどけた口調で言った。
「……虎か。お前には関係がないだろう。それとも一緒にこいつらをいたぶるか」
「否」
人間に向けて、虎は低くうなった。
近くで磔になっている山羊に近づき、爪で縄を断ち切った。
どさりと、山羊は地に倒れる。虎はそれを自身の肉球でそっと撫でた。
「吾輩は紳士。故に、善なる者の味方であり悪たる者の敵である」
そう堂々と白い虎は叫ぶと、強い瞳で人間を見据える。
「予定外の客だが、想定から外れて過ぎているわけでもない。それに狩りは抵抗があった方が面白い……かかれ」
人間が指示をすると、動物たちが一斉に虎に飛び掛かる。
牛が虎に突撃する。
前足で喰いとどめようとするが、牛は目を赤くして虎を押し込む。
「なかなかの力であるな!」
洞窟の一部が崩れる。
痛みを感じていないのか、ぐるりと虎をみた。
「この力、普通の牛とは思えぬ。何か仕込まれているのであるな」
「そりゃあそうだ。脳をいじれば限界を超えた力を発揮できるんだよ。まあ、肉体は壊れていくけどな」
人間がこともなげに言う。
「どこまでも腐り果てた奴であるな」
「賢いと言えよ。さあ、喰い殺せ」
虎であっても、すべての生き物を敵に回すことはできないだろう。
人間に命令された生き物たちは、こぞって虎に牙をむいた。
素早い虎なら、それでも避けられるだろうとおもっていたのだが、虎は避けなかった。
鈍い音がいくつか聞こえたと思ったら、虎は血まみれになる。
「お前たちよ目を覚ませ。覚めぬというなら、そのまま聞けっ」
虎は喰いつかれたまま、生き物たちに向かって声をかける。
「お前たちには、大事な者がいたのだろう。つがいであったり、親子や兄弟であったり、友であったりしたのだろう」
この人間によって引き裂かれたのだろう。
「吾輩もかつて、大事な者を失ったものである。身を割かれるような心になるのは分かる。体を裂かれる痛みなどより、それは遥かに痛いのだ」
虎はずっと共に旅をするものがいたと言っていた。
そしてそれを失ったとも。
土蜘蛛が原因であり、その元締めが人間であった。
だとすると、この人間こそ虎の仇と言えるだろう。
「だがな、今、こうしてお互いに助け合おうとしている生き物を見て、何も感じぬのか。あるいは、お前たちから全てを奪った者に怒りは感じぬか」
虎は俺達と人間を見た。虎は自分自身とその相棒を、俺とカメ子に見ているのだろう。
「ほんの少しでいい、できる限りでいい。お前たちの大事であった者たちのため、お前たちの意地を見せてみろ」
生き物たちは虎に喰いつきながらも、目から血を流した。
「何と言おうと、俺に逆らうことなどできん。そういう仕組みを作った」
改造された生き物たちは、人間の言葉に反応する。
その言葉の通りに、立ち向かうことはできないのだろう。
だが、生き物たちは虎の言葉に一旦動くことを止めて天を仰いだ。
「あああ、あああ、あああああ」
そうして、生き物たちは意味もなさない声をあげた。
「どうした? さっさと殺してこい」
人間の言葉に、生き物たちは震えながらも動かないでいる。
あるいは、命令に抵抗しているのだろうか。
「あああ、あああ、あああああ」
生き物たちは次々と溶岩に飛び込んでいった。
そして溶岩の皮には、白い骨がぽつりぽつりと浮かんでいく。
「みんな……」
カメ子は、敵であったが彼らの結末に驚きの声を上げた。
俺もまさか連中がこんなことをするとは思わなかった。
「お主たちの心、忘れぬのである。吾輩に出来ることがあるとするなら、お主たちの仇を討つことであるな」
虎はぎろりと、人間を睨んだ。
人間はつまらなそうに首を振った。
「さあ、人間。お主を守るものは、もうない。覚悟するがいいのである」
「は。これから死ぬお前が、俺にどんな覚悟をさせると?」
「虎は傷ついてからが本物なのである!」
虎は人間に飛び掛かり、爪で薙ぎ払おうとしたところ人間に紙一重で躱される。
人間は持っていナイフで軽く虎を切りつける。
そしてそのまま虎の懐に一足で入って、虎を投げ飛ばす。
「何だと、お主は本当に人間か?」
虎は目を見開いて驚いた。
「人間だとも。人間は他の生き物と違って、戦うための技術を数千年にわたって磨き上げているんだよ。今更、強く生まれただけの虎なんかに負けるわけがない」
人間はそう言い切って、虎を挑発する。
まさか人間がこれほどまでに強かったとは。
「それに、お前の前足を見てみろよ」
「ふむ。……こんなものはかすり傷である。そもそも、虎は傷ついてからが本物なのである」
ただのかすっただけの傷に、白い虎は気にする様子を見せない。
「オレが普通の動物で、これが普通の武器だったら、そうだったろうな」
虎は前足をがくんと落とした。
ふらりと体を倒す。
「……む? 立てぬ? 人間、何をした……」
力ない虎の様子に、人間はくつくつと笑う。
「毒だよ」
白い虎は、軽く血を吐いた。
人間の言う通り、刃に毒が塗ってあるのだろう。
このままでは虎が力尽きてしまう。
どうすればいい。毒は血を伝っていって体をめぐるのなら。
「虎っ、傷口を開けっ!」
俺は虎に向かって叫んだ。
虎も理解したのか、自らの前脚の一部を嚙みちぎった。
どくどくと血と毒が流れ、ふらつきながらも虎は立ち上がる。
「……うむ。まだ戦えるのである」
脂汗を流しながら、虎は冷静を装う。
最悪の事態は避けられたが、依然として人間の有利は変わらない。
この人間の速度は、野生の虎を上回る。
「しぶとい連中だ。そろそろ、くたばれ」
人間は大きく剣を振り上げかけて、急に溶岩の方向を見た。
溶岩の向こうに見慣れた生き物が駆け込んできた。
そして対岸まで来ると、ためらうことなく宙を跳び溶岩で白骨化した生き物を乗り越えて、こちらまで跳んできた。
「狼ちゃん!」
「狼!」
いつもこいつはこうだ。
ここぞというところでやってきてくれる。
とはいえ、立っているのもやっとの様子である。
溶岩ほどではないだろうが、白骨も相当に熱されていたのだろう。
「おう、あそこでお別れでも良かったが、一つ思い出したこともあってな。……クモに借りを返すってやつだ」
そういえば、渇きの海で狼はそんなことも言っていたな。
「ただ、そんなに長くは持たねえぜ」
狼の腹には軽く傷を縫ったような跡があったが、今走りこんできたせいか、傷口が開いて血が流れ落ちている。
誰が縫った? 糸自体は以前の糸を流用したのかもしれないが、もしそんなことができるとしたらアリくらいの小さな生き物しかできまい。
俺はふと感じるものがあって、上を見上げた。
すると、そこには数十匹の羽アリの集団がいた。
そしてその中央には、ただ黙ってこちらを見下ろしている女王アリがいて、少し薄暗い場所だが、何となく目が合っているのが分かった。
まさか、女王たちはあの雪山を乗り越えたのか。
残っているアリの数を称するのには、たったこれだけという言葉は正しくはないだろう。
よくぞ、あの雪山を超えてこれだけの数を残したものだと、俺は素直に感嘆した。
女王たちは音もなく、天上の付近を移動して人間の頭上に近づこうとしている。
「死にぞこないの犬が余計な真似を。どの面を下げて、飼い主に牙を向けている」
「こんな面なんだぜ」
狼と人間は互いに睨みあった。
ああ、なるほど。狼は人この間に連なる生き物だったのか。
「犬として散々かわいがってやったものを、役目を忘れ、恩を忘れるとはな。とんだ駄犬だ」
「恩なんざ一つもねえ。あれをかわいがるってんなら、てめえは無限に死んどけよ」
そういえば狼は人間が嫌いだと、最初から言っていた。
「ふん、いいのかクモ。そいつは俺の奴隷だぞ」
人間は口を歪めて嘲りながら、狼を指さした。
「……人間は目が悪いんだな。俺はここにいるのは、狼にしか見えない。過去の事など俺は知らんが、今、目の前にいる狼は誇り高くて強い生き物だぞ」
狼にも人間にも色々あったのかもしれない。だが、一旦それはおいておこう。
俺にとっての狼は、強く優しく親切で、少し怒りっぽいところもあるが、誰より頼もしい。少なくともこの狼は、俺の前ではそう生きている。
「……クモがそんな奴だから、私はここに来たんだぜ、いや来れたんだぜ」
「馬鹿な奴だ。お前は使える奴だったから、このまま大人しくしていれば、せっかく長生きできただろうにな」
「私は犬として生きるより、狼として死ぬんだぜ」
俺は狼の言葉を、何となく理解した。
こいつは死に場所を求めていたんじゃない。命をただ存続させるという意味ではなく、狼は生きたいと願ったのだろう。
「しかし、ここにきて助けが来るとはどこまでも運のいい奴だ」
人間は、俺と狼を見据えている。
まだ、女王アリには気づいていないようだ。
「運なんて簡単な言葉で括るんじゃないんだぜ。そもそもお前の行いが悪いんだぜ。だから仲間も減るし、俺が通れる道ができるんだぜ」
「うむ。確かにそうである。吾輩はクモは嫌いではあるが、この者は紳士である。故に、こうなるのも必然なのである」
二人はそう人間に言い合っている。
なるほど、特に狼は人間の注意を引いているのか。今残っているアリ達は、女王アリの親衛隊の連中だろう。奴らは特別に大きいアリだったし、強いアリの毒は人をも相当の激痛を与えるとも聞く。
アリ達は人間の頭上まで到達すると、降下を始めた。
「はは。お前は来ると思ってたよ」
人間は頭上に向けてナイフを数度振るった。
落下中のアリ達は、空中で真っ二つに裂かれて落ちていった。
飛んでくるアリをナイフで切り落とすというのは、人間の本来の器用さを考えるとあり得ないほどのものだろう。
斬られたアリの一匹の裏側にもう一匹いて、人間の小指に取り付いてかみついた。
人間は一瞬だけ顔をしかめたがすぐにそのアリも叩き潰した。
「ちっ、まあいい。これでお前は蟻の群れの最後の一匹だ、女王蟻」
女王アリは本当に全軍を投入したのか、今は地に落ちて一匹だけになっていた。
「よくもまあ、ここに揃ったもんだな」
人間は感慨深そうに俺達を見渡した。
「オレに対抗できるとしたら、このレースに参加している中の四匹程度のもんだと思っていたが……まあ一匹はここに辿り着けなかったようだがな」
今はそれどころではないと思いつつも、この人間の発言に若干の不自然さを感じた。
四匹とはどの生き物を指すのか? 少なくとも俺やカメ子ではあるまい。
女王アリと狼は優勝候補だったようだが、虎は優勝候補とは言われてはいなかった。
しかし人間の言い方は、まるでどんな生き物がいるか最初から知っていたかのような口ぶりだ。
あるいは人間だから、何かが特別なのだろうか。
いや、今はどうでもいい。
もっとも今大事なのは、ここまで強く見える人間にも警戒する動物がいるという事。
それならば戦いの組み立て方によっては、人間と戦いうるということだ。
「瀕死の生き物がたったのそれしきしかいない。それで、何ができる?」
「お前に勝って先に進む!」
俺が言うと、人間に抗するそれぞれが応えるように吠えた。
最後に現れたとんでもない障害物だが、乗り越えさせてもらおうか。
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