第26話 焦熱地獄と最後の冒険
地面は先ほどから揺れ続けていて、止まる様子を見せない。
目の前には、音を立てて赤く煮えたぎる川が流れていく。
ヘビ子は呟きによると、溶岩というらしい。
炎どころの話ではない、この赤いものには触れるどころか近づくだけで蒸発しそうだ。
俺達がこの様子に呆然としていると、赤い川の向こうで人間が髑髏の椅子に座りなおしてクツクツと笑っている。
「仕込みはそれなりに苦労したんだ。楽しんでくれよ」
思えばドーシと呼ばれるゴリラたち多くの生き物が、地面を叩いていた。
この人間は、レースの最初からこんな事を考えていたのか。
だが、そうなると疑問もある。こんな真似ができるということは、この人間はレースのコースを熟知していたのではないだろうか。
溶岩の幅は2メートル、向こう岸にわたる手段がない。
この赤い海を越えらる生物はいまい。あるいは天井や壁を伝うといいのだろうか。
無理だ。俺の今の足は三本だけだ。これでは壁に張り付いて移動することができない。
俺が手をこまねいていると、人間は俺を眺めながら懐からナイフを取り出した。
そして、手にしたカメ子の甲羅の隙間にナイフを軽く突き刺した。
カメ子の甲羅はびくりと動いたが、声を上げることはなかった。
「おいおい、こういう時は助けを叫ぶものだぞ。早く助けに来てってな」
人間は、カメ子の甲羅を指で叩いた。
カメ子は今、声を上げないように必死で耐えているんだろう。
「あの人間めっ」
俺は自分の牙を無力感とともに噛みしめることになった。
悔しがったところで、向こう側にわたる手段がない。
「なあ、為す術がないって、どんな気分だよ」
最悪の気分だ。
だが、そう言えばこの人間を喜ばせるだけだ。
結果、俺は沈黙するしかない。
「本当はもっとしっかりいたぶってやりたいところだが、オレはクモが嫌いでね。触りたくもないから、その場で燃え尽きろ。この亀を傷つけられたくなったら、こっちにこいよ」
明確な挑発。だが従わざるを得ない。
そもそもゴールも向こう側であり、ここで立ち止まっても事態は好転しない。
「……分かった行こう」
俺が溶岩の方に踏み出すと、ヘビ子がしゅるりと近づいてきた。
「どうするのさ、クー」
「跳ぶ、……しかない。熱気の風を掴めれば、あるいは……」
俺は赤い川を観察する。
ぐつぐつに煮えたぎった泡が、もうもうと蒸気を発している。
向こう岸までおよそ2メートルほどはある。
こうしてみると、それなりの幅だ。体が大きい生き物が勢いをつけたところで、ここを超えることができないだろう。
「行けるの?」
「……風が読み切れていない」
砂漠では風の流れ、間欠泉では水の流れが読めたのは、そうするだけの時間があったからだ。
「それなら少し観察を……」
「する時間がない。確率は低いがやるしかない」
待っていたら、カメ子が死んでしまう。
どのみち何とかわたって合流するほかない。
「……ボクに策がある。時間がないから、説明はしないよ。とにかくボクに乗るんだ。体が動かなくても糸は吐けるだろう」
どんな手段か予想もつかなかったが、他に手段がない。
ヘビ子は頭を差し出してきて俺は糸を吐いて何とか張り付いた。
前脚が未だに動かないのがどうにもならない。
「おい、お前。司会がレースの参加者に肩入れするのは違反だろう」
人間もヘビ子の正体に気づいているようで、そんなことを話してきた。
そういえば、ヘビ子はこれまで直接俺に力を貸すことはなかったから、俺も疑問ではある。
「ボクは公平にレースを進行する責任があるからね。この溶岩は管理者としての落ち度さ。だから、このレースの参加者を向こう岸に送り届けるのは、レースの規範に抵触しないよ」
「屁理屈だな」
「じゃあ、言い方を変えよう。君に面白いものを見せてやるよ」
ヘビ子は人間にそういいながら、目を細めた。
「ほう」
「これからボクは、ここを渡り切る。この体は特別製のボディだからね……どうだい、楽しそうな催しだろう」
「はっ、やれるものならな」
人間は鼻で笑った。
「おい! ヘビ子」
俺はたまらず声をかけた。
まさか、策とは正面から熔岩を渡るなどとは思っていなかった。
そんなものは策でもなく、ただの暴挙だ。
確かにヘビ子はかつて、特別製の体をしているとは言ったことがある。
ただし痛みがあると言っていたし、むしろ生き物としてヘビ子は痛がりの方だ。
「クー。色々思うところはあるだろうけど、聞いてほしい」
溶岩に向かいながら、ヘビ子は俺に語り掛けてくる。
「ボクだけが君を向こう側に送ることができる。そして向こうには傷ついてる仲間がいる」
放っておけば、あの人間によってカメ子は殺されてしまうだろう。
「君がボクの立場なら、どうする? ちょっと痛いくらいで助けることを諦めるのかい? そうじゃないならそれが答えだよ」
「けどな……」
「君の友達は強いよ。信じてよ、ちょっとくらいは頼ってくれよ」
ヘビ子に重ねて言われて、俺は頷くことにする。
「……分かった。……ありがとう」
「どういたしまして」
溶岩の焼き尽くすような赤い流れに、ヘビ子は涼しい顔で近づいた。
そして、溶岩に触れる。びくりと、体が痙攣したが俺は何とか糸でしがみつくことができる。
「……あ、ははは。こんなの大したことないね」
ヘビ子はそう言いながら、音が聞こえる程に歯を食いしばった。
そして俺を頭にのせたまま、焼けただれる音を立てながら熔岩の道を進んだ。
ヘビ子の皮が即座に炭化するが、それでも進みを止めない。
仕組みとしては、瞬時に体の一部だけ脱皮を繰り返しているのだろうか。
ゆっくりと確実に溶岩の道を行く。
「ボクが気を失わないように、少しだけ話を聞いてくれるかい」
「もちろんだ」
ヘビ子はそう言いながら、笑った顔が硬直したまま前に進んでいく。
「ずっと君に付いてきて、旅ももう終わるけど、ちょっと悔いの残りそうなことがあってね」
「悔い?」
ヘビ子の悔いとは何なのか、俺には予想もつかなかった。
「ボクは公平な立場だったからさ、君を助けてやることができなかった。友達なんて言いながら、ずっと、見ていることしかできなかったんだ」
「そんなことはない! お前にはいつも助けられている。例え直接的ではなくても、俺を見ていてくれる奴がいるって知っているからこそ、頑張れたことなどいくらでもある」
もし俺が一人だけだったら、立ち止まっていたかもしれない。
だから本当に俺がここに立っているのは、ヘビ子のおかげでもあるのだと、つた
「でもさ、ボクも、もうちょっと欲が出てきてさ。ボクはさ見ているだけじゃなくって、君と一緒に走りたくなったんだ。お互いの立場は勿論ある。やっとさ、そんな機会ができたんだ。それは今なんだ」
ヘビ子がそんな事を思っていたとは。
「それに渡った先は、ボクはもう何も力になれない。……だから今だけ、この一瞬だけでも友達の力にならせてくれよ。それに君の力になれると思うとさ、力が沸くんだ。だからさ、こんなもの全然熱くないよ」
溶岩の海を半分ほども渡ったヘビ子の速さが、徐々に遅くなっている。
さもありなん、この熱量ならば一瞬だって普通は動けない。
「ああ、きっとカメ子とか狼とかはこんな気持ちだったんだな。それに君と手を繋いだ時の事を覚えてるんだ。それはね、こんな熔岩なんかより、ずっとずっと熱かった」
ヘビには確かに手はない。だけど、俺だって同感だ。
「ボクは星の寿命くらいの長い時間を生きてきてさ。ずっとずっと、一人で冷たく生きていたんだ。だから、これだけ走ったのもさ、君らと笑いあったのもさ、全部が全部初めてで、体の真ん中が熱くなったのだって初めてなんだ。……これが、ボクの最期の冒険。最後の旅。だから後悔だけはしたくないんだ、友達を助けたいんだ。助けさせてくれよ」
溶岩を渡り切るあと少しの所で、ヘビ子の力が尽きかけている。
目に見える程、進む速度が低下している。
ヘビ子はつながりというのが欲しかったのかもしれない。
俺自身、友達というのは初めてなもので、どうしていいか分からなかったんだ。
そういえば、俺から誰かを助けることがあっても、助けられたこともあっても。
俺が誰かに、助けを求めたことはなかったな。
だが、こいつなら、こいつだけは良いのかもしれない。
だから、俺は叫んだ。
「ヘビ子、俺を助けてくれ。お前の力が必要なんだ!」
俺がそう言った直後、ヘビ子は目を見開いた。
「ボクに任せてっ!」
ぎりぎりと、牙が砕けそうなほど力んでヘビ子は最後の数十センチを渡り切った。
俺は地面に降り立つことができた。
「さあ、おまちどう。君の友達は中々やるものだろ」
地獄を渡り切ったヘビ子は明るく俺に声をかけた。
「ああ、お前は最高だよ」
ヘビ子は痙攣することもできず、身動き一つしない。
けれども俺の方をただじっと見ている。
こいつがこれだけの事をしてくれたのだ、俺だってこれから先、情けない姿は見せられない。
生きるためだけでなく、勝つために俺は周囲の状況を確認する。
溶岩を渡り切ったところからは、スタート地点にあった台座が見える。
ゴールは本当に目前だ。
問題なのは、性格が破綻している人間が目の前にいること。
カメ子も敵に囚われているし、状況は引き続き最悪である。
今のところ人間を倒す策はない。
だが、負けるつもりはない。
「はははははは。よく乗り越えてきたな。地獄へようこそ」
人間は山羊の仮面を熔岩に投げ捨てた。
随分と端正な顔の男だった。人間の間隔で言うなら美形とでもいうのだろうか。
ただ、その口を大きく歪めて笑う表情は醜悪であった。
こんな人間が最後の障害だった。
「いやいや、仲間の力も馬鹿にしたものじゃないな」
そう言いながら人間は腹を抱えて笑っている。
ヘビ子の行いを笑うのは許せないが、怒りながらも冷静でいなくてはならない。
ゴールにはこの人間を乗り越えなくてはならないからだ。
「それじゃあ、俺も仲間の力を使うとするか」
人間はパチリ、と指を鳴らした。
道の隙間からぞろぞろと隠れていた生き物が現れた。
数にして21。大小様々な生き物たちだ。
特に目立つのは、大型の牛と巨大な蛇、そして大鷲だ。
ただ気になるのは、みな目が死んでいるようにうろんげだ。
「あああー、あー、あ」
度の生き物も口元がだらりとあいていて、よだれが垂れ流しになっている。
どうみてもまともな状態じゃない。
「この生き物達は、いったいなんだ?」
人間はにたり、と笑みを深くした。
「人類の技術にな、ロボトミーといって脳をいじるものがあるんだよ。すると、どんなやつでも何でも俺の言うことを聞いてくれるんだ。オレにもオレの為に命を投げ捨ててくれるそんな仲間がいる……ノーリスクでな」
人間は、こともなげにそんなことを口にした。
残酷を塗り固めたような人間だ。そんなものを仲間と呼べる神経は、俺には存在しない。
「残念だな、お前はこちら側に渡った時点で逃げ場もないし、他に仲間がいたところで助けも得られない。それに体も動かないんだろう」
人間の言う通りである。他の助力は見込めない。
普段のようにカメ子もいない。ヘビ子もいないし、最後の最後で本当に一匹だ。
けれど、俺も体の奥から熱が生まれる気がした。
雪の山で体は確かに凍り付いた。
だが、今、ヘビ子から熱をもらった。
体が温まっただけではない、今、体の奥が火が付いたように熱い。
繋いだ手に、熱を感じるのはお前だけじゃないんだぞ。
だから、俺は動ける。
ゆっくりと俺は立ち上がった。
「なんだ。諦めないのか? この状況を見てか」
人間は、自身の前に配下の生き物を展開した。
一匹一匹がとてつもなく強い生き物だろう。
「お前に奇跡はおこらない」
人間はそう断言する。
ここまで来たのもどれくらいの確率なのだろうな。
「奇跡はあったさ。……俺は、みんなに出会えた」
それだけが、俺の奇跡だった。
俺の言葉に、人間は不愉快そうに眉をひそめた。
「お前が死ぬのは運命だ。打つ手はもう一つもない。……だから、ここで死ねよ」
人間は俺にそう命じた。
確かに言う通り、万に一つの勝ち目もあるまい。
味方がいない? だから何だ。
絶対勝てない? それがどうした。
そんなのはいつもの事だ。
生きることを諦めてたまるか。
俺は守りたい者がいる。
俺を信じてくれた友がいる。
俺と同じ悲しみを持つ兄弟がいる。
俺に手を差し伸べてくれた味方がいる。
そして決着をつけねばならない相手がいる。
だから俺は立ち上がれる理由しか持っていない。
「知るか、馬鹿が! 俺の運命を、お前が決めるな!」
俺は叫んだ。
そして死ぬ覚悟ではなく、戦う覚悟を決め前脚を振り上げた。
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