第25話 炎熱地獄と最後の悪魔

 狼と別れてからのカメ子は、休むことなく走り続けている。

 雪の通路からそれなりの距離を踏破しているだろう。

 周囲には何の生き物の気配もない。

 俺はカメ子の隙間にいるが、さっきから体が全く動いてくれない。

 ただ、視線だけ周囲に走らせてみるとスタート地点の地形と似てきている。

 そろそろゴールが近いのかもしれない。

 長かったこの旅も、あとほんの少しで終わる。

 思い返せば色々な奴に出会った。

 ヘビ子や兄弟。女王や白い虎。

 走馬灯のように色々な景色が俺の脳裏に浮かんでは消えていく。

 体にも大分無理させてここまで来た。だから俺も瀕死なのかもしれない。

 砂漠に大河、雪山とどこで命が尽きていてもおかしくはなかった。

 そして最後に別れた生き物の事を思い出す。


「狼……」


 呟くつもりはなかったが、つい口にしてしまっていた。


「くーちゃん、起きた?」

「……ああ。意識が少し遠くなってたな」


 意識を保っていたつもりだったが、カメ子が時折こちらをうかがっていた事にも気づけなかった。


「良かったー」

「ほら、だからボクは言ったじゃないか。こんなところでクーは死なないって」


 カメ子とヘビ子が走りながら話している。


「狼ちゃんの為にも、わたし頑張るからね」


 ふんす、とカメ子は勢いをつけて声を上げる。

 俺はそんなカメ子に、かねてからの疑問をぶつけることにした。


「なあ、狼とどんな約束をしていたんだ」


 カメ子はしばらく黙した後、とつとつと語り始めた。


「狼ちゃんと出会ったのは地獄の道のあたりだよね。その時に話してたんだ。一緒に、くーちゃんの願い事をかなえようって。人間になりたいのがくーちゃんの夢だったら、優勝させようって」


 俺にとっては都合がよすぎる話だ。

 だが、何故そんな結論になったのだ。

 それに何より……


「お前はそれでいいのか? 優勝の席は一つだといっても、お前にだって夢があるんじゃないのか」

「うん。でもわたしは、くーちゃんの夢が続く方が嬉しいもん」

「だがな……」


 何と言おう。そう思いながら、俺は言葉を詰まらせた。

 何故俺は、こいつを思いとどまらせようとしているのか。

 自分の気持ちが分からない。

 俺はもやもやした気持ちを抱えたが、カメ子はそれに気づいていないのか、気づいていても気づいていないふりをしているのか。

 黙々とカメ子は足を進めていく。

 しばらくはカメ子の足音だけが続いた、そうしてしばらくすると奥の方から何かの声が聞こえた。

 声にしては意味のある言葉には聞こえない。

 この先に、何かがいる。

 俺は思わずヘビ子を見た。


「……ここまで来たから言ってしまうけど、優勝の権利に一番近い位置にいるのは君たちだよ」


 ヘビ子の言葉から類推されるのは、優勝の権利を持たずに近い位置にいるものがいるということ。

 それは一体どんな奴で、どうやってそこにいるのか。

 ここに至った以上、ヘビ子も何も言わないなら、近づいてみて確認するしかないか。

 更にカメ子が進むと、さっきから聞こえていた声は悲鳴であることが分かり、更に奥には何かの生き物の影があった。

 遠くから見ると、その生き物は白い椅子のようなものに座っている。

 その生き物の頭を見た時には、山羊かと思った。

 だが、体が違う。

 正確には首から下が別の生き物に見える。

 ああ、そうか。別の動物の頭を剥いで、被っているのだ。

 人間が呼ぶところの、仮面とでもいうべきか。

 その生き物は俺たちに気づいたからかだろうか、二足で立ち上がった。

 かつて出会ったドーシと同じように、服を着ているサル型の生き物だ。

 服はところどころが破れているのか少し穴が開いている。

 より近づいてみたらその服は動物の顔の皮を縫い合わせて作られているようだった。

 気味が悪いどころではない。俺はその生き物をよく観察することにした。

 服を着ているが、立ち姿から考えてこの生き物は……人間だろうか。

 そして椅子に見えていたものは、多くの生き物の骨を集められてつくられたものだった。


「……て」


 そして悲鳴が意味のある声として聞こえてくる。

  悲鳴の先を視線でおうと、人間が座っている近くの壁に白い山羊が磔のように打ち付けられていた。


「……ころして。もう、ころして……」


 その山羊の顔立ちを見ると、人間がかぶっている山羊の面と同じ種類の山羊のようだ。

 体中が傷だらけで、体には無数の穴が開いていた。

 そして人間は、磔の山羊に向かって小さい針のようなものを投げつける。

 どすっ、と鈍い音がするとともに、山羊のか細い声が響いた。

 それを聞きながら人間は、くつくつと笑った。

 これほど傷つけられている山羊が生きているのは、おそらくはわざとなのかもしれない。

 痛めつけるために止めをささないぎりぎりのところで生かしているのかもしれない。

 人間は椅子のひじ掛けで頬杖を突きながら、俺達を眺めている。

 隠れて通り過ぎれない以上、一旦会話を試みてみるほかはないだろう。

 少し離れた所から、カメ子に立ち止まってもらって、人間に声をかけた。


「あんたは、一体何をしているんだ」

「暇つぶし」


 俺の問いに、人間はこともなげに答えた。


「そうそう、ここまでたどり付いたお前たちにも、苦しみの限りを尽くして死んでもらうつもりだ。だが、すぐにそうするのも味気ない。料理には調味料が必要だ。恐怖でもいい、苦悶でもいい、悲嘆でも構わない。だから、少し話でもしようか」


 人間は不吉な笑みを浮かべる。


「何で……何でそんなひどいことするの?」


 カメ子は磔にされている山羊を見て、人間に問いかけた。


「楽しいからに決まっているだろう。人間は快楽を求める生き物で、そこにこそ幸福を感じられるのだ」

「そんなの幸せじゃないよ。何かもっとこう、違うものだよ。誰かといて幸せになれるとか」


 カメ子の言葉には賛同したい。何か幸福かなどと理解はできてはいない。だが、遊んで殺すのに幸福を感じるのこの男には嫌悪を感じてしまう。


「違わない。ただ、お前の意見も一つだけ正しい。幸福の為には他者がいる。幸福とは、他者との比較だからだ。皆が幸福であるならば、それと比較して不幸な人間ができる。逆を言えば、誰かが俺より不幸なら、俺は満足だ。それが人間だ」


 幸福とは絶対的な物差しで測れるものではない、とこの人間は言う。

 俺は、この人間の理論は好きではない。不幸な人間をあえて作っているようでは、気分がよくない。


「でも、そうじゃない人間だっているもん」

「それは単に、頭が悪くなる教育をされた人間の末路だろう。分かるか? 頭が悪い奴が多い方が、賢い奴は生きやすいから、そんな教育を進めるんだ」


 人間は椅子の後ろからギラリとした白い大剣を引き抜いた。

 骨を削りだして作ったのだろうか。剣を肩に乗せて立ち上がった。


「人間の皮の一枚でも剥いでみろ、誰一人変わりはしない。肉の中に詰まっているは欲望だけだ。だったら、正直になればいい。虐げるのも犯すのも殺すのも、どんな甘味よりも旨いものだぞ」

「わたしは、いい人間も知ってるもん」

「お前にとって都合がいいだけだろ。それにもし善人というのがいるとしたら、取り繕うのが上手い性格の悪い奴か、自身の欲望に死ぬまで気づくことのない頭の弱い人間のどちらかだろうよ」


 人間が数歩歩いた先に杭があった。

 大河で見かけたサルたちが自ら討たれていった杭と同じものだろう。


「……その杭は何だ?」

「まあ、待て。順番がある。オレは楽しむ時は楽しむクチでな。強い快感を得るためには、順序は必要だぞ。……そこの亀。俺が人間の素晴しさを教えてやろう」


 この人間は危険だ。

 話をしていると、この人間自身の悪意を他の生き物にまき散らそうとしている。


「人間は、いいぞ。猪をブタにして喰い物にし、狼を皆殺しにても犬として愛玩できる。次々と色々な生き物を絶滅させることもできるし、新しい生き物だって人為的に作り上げることだってできる」


 上げればきりがない、と言いながらも嬉々として人間の悪行をつらつらと述べていく。


「オレはな、そんな人間が大好きなんだ」


 顔は山羊の面だから表情は変わらないはず。

 なのだが、にやりと大きく笑みを浮かべたように見える。


「まあ社会で生きていくなら、こうして皮を被る必要もあるがな」

「人間はそれだけじゃないよ。優しさがあるもん」

「さっきも言ったがな、それを愚かしさと言うんだ。そもそもお前らは人間ですらないだろうに、よくも人間を語れるものだな。それにオレは間違いなく人間だ。お前たちとは違うんだよ」


 山羊の皮を被った人間は、カメ子の反論に何ら感慨も抱かないようだ。


「そもそもなんで、人間がこんなところにいるんだ?」

「決まっているだろう。遊ぶためだよ」


 俺は磔になっている息も絶え絶えな山羊を見た。

 遊び、そんな言葉でこういったことができるものなのか。

 俺はふと、思いついたことがあったので、人間に尋ねてみる。


「ところで、あんたがドーシに命令していた神か?」

「そうだよ」


 人間はあっさりと肯定した。


「とてもそうは見えないな……」

「クー。こいつの姿は、人間で言うところの悪魔だよ」


 ヘビ子の憎悪を込めたような視線に俺は驚いた。


「ははは。面白い事を言うな。蛇こそ人間が言うところの悪魔だろう。人間を唆して堕落させた楽園の蛇。随分と皮肉が効いてるな。そんな事をいうなら、オレもお前もさしてかわらんだろ」


 人間は大げさに手を開いて首を竦めた。


「君、スタート地点から逆走したね。だからここに誰より早くにいることができたんだ」


 ああ、確かにスタート地点で光る玉だった頃のヘビ子がそんな事を言っていた。

 そういう戦略も取りえる。……だが。


「当然のことだと思うけど、コースを一周しなければ優勝の権利はないよ」

「そんなことは、もちろん承知だ」

「じゃあ、君はなんでここにいるのさ。勝てないと諦めたなら他の生き物の邪魔をするのは止めなよ」


 全くヘビ子の言う通りだ。


「このレース、勝つのはオレだ」


 だが人間は何の自信があるのか、そう言い切った。


「どうやってさ」

「簡単だ。おい、そこのクモ。このレースの一番簡単な攻略法は、なんだと思う?」


 この精神が歪んだ人間の発想では、何をするだろう。

 こうして考えると、土蜘蛛などもこいつの手下だったのだろう。

 あいつらがしていたことは、他の生き物の排斥。

 つまり。


「……皆殺し」

「正解」


 ぱちぱちと小馬鹿にするように拍手をする。

 

「一番楽な道は、ここで罠を張ることだ。皆殺しにしてからゆっくりと道を進んでいけばいいだけだ。進む道は屍で舗装されているものだしな」


 男は軽い声で答えた。

 ああ、確かに今なら地獄の道は舗装され、渇きの海なら屍がない方向に進めば先に進める。水の剣も屍が蓋となり塞がり、雪山も雪崩はすでに起きた後。


「それでも誰かに通り抜けられる可能性もあるだろう。そのやり方はリスクが高い」


 俺がそういうと、山羊覆面の男は、楽しそうな声を上げた。


「俺は効率より、楽しみを優先する方でな。楽しいぞ、勝ったと喜ぶ奴を叩き落とすのは」

「……お前は、俺の知る人間と程遠いな」

「何を言ってるんだよ。オレほど人間らしい奴はいないさ」


 さらりと人間はそんなことを言う。


「人間が、他の生き物より優れているのは何だと思う」

「賢さか?」


 俺がそういうと、呆れたように人間は首を振った。


「その答えは、近いが足らない。賢さの正体は、悪意だよ」


 少し離れていた場所にいたはずの人間は、一瞬でカメ子に近づいて無造作にその甲羅を掴み持ち上げた。

 体の動かない俺はカメ子の甲羅から転げてしまった。

 そして、再び俺と距離をとる。

 この人間はこの前に出会った虎と同じくらいには早いかもしれない。

 人間の性能は個体差が激しいと言うが、そうとう危険な生き物だ。


「くーちゃんっ」


 こんな時でも、カメ子は俺の心配をする。


「黙れ亀、クモも動くなよ。俺が話している所だ」


 人間は懐から石を削ったようなナイフを取り出す。

 両手を器用に動かせる人間は、亀の甲羅の隙間にナイフを差し込むことも容易にできるだろう。

 俺たちは沈黙せざるを得なかった。


「誰かのより上に立ちたい、弱い者をほしいままにしたい。自由にやりたい、そして自分だけは平和でいたい……人間はな、そういう悪意があるから他の生き物より進化したんだよ」


 人間は片手にした大剣を持ちながら、近くに半分くらいまで地面に埋まっている杭の近くで立ち止まった。

 これまでドーシたちが様々な場所で杭を打っていたことに関係するのだろうか。


「そろそろ、実際に味わってもらわないとな。……オレの悪意を、存分に味わってくれ」


 そういって、人間は大剣を杭に叩きつけた。

 ずぶり、と杭が地に沈む。

 一瞬の空白の後、地面が激しく鳴動した。

 洞窟も目に見える程に震えて、カメ子も思わず手足を引っ込める。

 がりがりと、地の割ける音がする。


「人間、何をした!」

 

 俺はたまらずに聞いてしまう。

 人間は俺の反応を噛みしめるように、ゆっくりと言葉をつづけた。


「このレース会場は山中にある。むりやり山をくりぬいて作ったんだ。人間を壊せば血が流れるように、山を壊せば何が出ると思う」


 ドーシたちがしていたことは、杭を打つ。

 地から間欠泉をも超える熱量が沸き上がる。

 

「溶岩……」


 ヘビ子は、ぼそりとつぶやいた。

 こんなもの見たことも聞いたこともない。

 触れるどころか近づくだけで蒸発しそうだ。

 血よりも悍ましく赤い世界が現れ、そこに人間の哄笑が響いた。

 

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