第24話 寒冷地獄と最後の咆哮
……世界が少し暖かくなったように感じる。
おかしいな、俺は確か雪崩に巻き込まれたはず。
そして何故か目の前には火があり、その近くには俺と同じ姿をした兄弟がいた。
地獄の道で戦いあった兄弟であるが、今は気づかわしげにこちらを見ている。
これは、夢か?
「どうした? キョウダイ」
「ああ、少し眠っていたようだ」
ぼんやりとした意識の中、俺の口が勝手に動いた。
俺の姿をぼんやりと見ると、失くした手足がついている。
やはり夢か。
「キョウダイ……悩み事なら聞くぞ」
「……天国って言い出す奴は何なんだろうな。正しいことをすると、天国に行けるだと。……やるせない気持ちになったよ」
うっすらとした火を眺めながら、俺はそうつぶやいていた。
「キョウダイは、天国とかってどう思うんだ」
「考えても分からないことは、考えても仕方がない」
そんなものは、仮に事実が何であれ誰一人証明ができないのだ。
「ぎぎ……それはそうだ。だったら悩むこともないだろう」
あの世だとか、来世だとか、無だとか、命の終わりの場所からは誰一人戻ってくることはない。
だったら何故、それを語れる者がいるのか。語る者の中には、騙る者が多かろう。
「そんな事を言う奴に、利用される奴が可哀そうだとな」
夢の中の自分の姿を見ながら、ぼんやりと思い出すのは水場の決戦場でのこと。
ドーシと叫んで命を投げ捨てていった連中は、とても幸福そうでだからこそ憐れだった。
「……同情は、キョウダイの悪い癖だ。言うまでもないが、世の中は弱肉強食だ」
当然の道理を兄弟は口にする。もちろん理解はしているとも。
「ぎぎ……不満そうだな。だが、別にそれならそれでもいい。結局、世の中は我の張り合いだ。誰かの優しさを利用する奴の我儘が許せないんだとしたら、キョウダイがそいつ以上に強くなるしかないな」
結論としては、やはりそうか。
とりあえず、ドーシは雪崩に飲み込まれた。
一旦はそれでよしとして、次にそんな奴と出会った時どうするかは別で考えようか。
「ぎぎ……とにかく天国を目指す奴は、命も惜しまぬという意味で敵としては手ごわい。十分注意したほうがいいな。では、そろそろ、もう少し進もう」
俺は兄弟の言葉に頷いた。
すると徐々に意識が覚醒していった。
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遠くから声が聞こえる。
「おい、生きてるか? 返事をするんだぜ」
気が付くと、俺はカメ子ごと狼に掘り起こされていた。
「……ああ、助かった。ありがとう。……みんなは無事か?」
俺が近くを見渡すと、カメ子もヘビ子も寒さに震えながらもまだ生きているようだ。
「うん。大丈夫だよ」
「ボクは死ぬかと思ったけどね。でも、何とかなるもんだね」
「くーちゃん、目が……」
俺は雪の重みで、目のほとんどが潰れてしまった。
「問題ない。むしろよく生き残ったものだろ」
それを思えば、こんなものは安いものだ。
とはいえ残る目は一つしかない。大分視界が狭くなり戦闘もより困難になるだろうな。
腕の数は残り三本。体の凍り付きが何とかなれば、まだ動けるだろう。
俺は周囲を見渡すと、そこには白い斜面しか見えなかった。
「ったく、やべえな。雪崩。つうか、出口はどこなんだぜ?」
狼も白いため息をつきながら、困った様子である。
道に置かれていた灯篭も、出口も雪で埋まってしまっている。
「おそらくだが、ここから32度の方向に83メートルだ」
「お、なかなかやるもんなんだぜ」
動けない以上、それくらいしかできないからな。
「おし、お前らももうちょっとだけ頑張れ」
「うん。頑張るよ」
カメ子とヘビ子が再び狼にしがみつく。
再び、山頂方向にある出口方向へ狼は歩き出した。
どうにも狼は足を捻ったのだろう。前足の片方が上手く動いていない。
「なあ、狼。どうして俺達を助けてくれるんだ?」
移動を続ける俺は聞いてみることにした。
「私がそうしたいから、そうしているだけなんだぜ」
狼の答えは単純なものだった。
だが、俺が聞きたいのはその動機なのだが。
俺が不満そうにしているのを見てか、狼はふと表情を緩めた。
「……糸を繋ぐように生きていきたい」
狼がぽつりとつぶやいた。
「いい言葉だな」
「そうだろ」
狼は穏やかにはにかむような笑みを浮かべた。
こいつは笑う顔をよく作っているが、素直な笑顔を見るのは珍しい。
「生き物って、どっかで何かが繋がってるのさ。だから食いあうんじゃなくて、助け合うってのも悪くないかもなんだぜ。……そうやって生きている生き物もいるしな」
狼は俺に視線を合わせてきた。
「私がしているのは、そいつの真似事にすぎないんだぜ。あんまりいい顔して他の生き物を助けているもんだから、楽しいのかなとか思っただけなんだぜ。まあ、最近は少しそいつの気持ちも分からなくもないかもだぜ」
狼はバツの悪い顔で黙々と先に進んだ。
色々と何か思い返すことでもあったのだろう。
出口と思われる地点に辿り着いたので、狼が雪を掘っていく。
俺はその様子を見ながら、狼について考える。
こいつには助けられてばかりだ。こいつがいないと何回死んでいたかも分からない。
例えばカメ子は仲間だし、ヘビ子は友達だ。
けれどこの狼は何だろう。少なくともずっと俺の味方をしてくれている気がする。
どんな嘘を持っていたとしても、こいつなら仕方がないと、そう思う。それにこいつが話したくないことなら、俺は聞かない。
いつか機会があるなら、話をしてくれればいい。
まさにそう考えていたら、狼から声をかけられた。
「なあ、雪山は厄介だからさっさと抜け出るけど、そうしたら、色々と話したいことがあるんだぜ。聞いてくれるか?」
「ああ、もちろんだ」
そう話していると後方からわずかな音がしたと思って振り返ってみる。
すこし離れた場所から雪が盛り上がり、ドーシが雪から這い出てきた。
そうして天に手を差し出すような姿勢で、号泣した。
「おお、おお。やはり
あまりの気持ち悪さにカメ子は、首を少し引っ込めた。
「あの生き物、なんだろう……」
「ほんと。しつこい奴だね!」
ヘビ子は逆に怒りと苛立ちを見せて、舌打ちをした。
「かみよ、かみよ。われにちからをっ」
ドーシが叫び巨体で雪をかき分けて迫ってくる。
足元はしっかりしているし、見たところ傷の一つも負っていない。
さらにその右手には、鈍く光るナイフを構えている。
「くるんだぜ」
それを見ながら狼も低い体勢でドーシを待ち受けた。
攻撃射程までひきつけてから、狼はドーシに飛びついた。
だが狼は普段よりずっと遅い速度だったので、ドーシは軽々と狼を払いのける。
「どうした。こんな
ドーシは両手を広げるように自ら隙を作った。
狼はドーシの喉元に向けて飛びついたが、ドーシは腕で受け止めてそれを防ぐ。
ばきり、と骨を砕く音がしたが、ドーシは痛みに動じる様子もなく、ただ静かに呟く。
「
狼は飛びのくのが一瞬遅れ、ざしっ、と何かが切り開かれる鈍い音がした。
命の煌めきである鮮血が宙を舞う。
狼はよろめきながら、震える足でドーシのナイフを持った手に噛みついた。
ドーシは振り払おうにも、今度は狼がくらいつき放さない。
血がさらに周囲に飛び散るが、狼は力を込めてもう片手をかみ砕いた。
攻撃の手段を失ったドーシは、息を荒くしそれでもこちらに凄惨な笑みを浮かべている。
「
動かぬ両手をだらりと下げたドーシに、狼は声をかけた。
「憐れな野郎だよ。あんたに同情はしないんだぜ」
狼はドーシの無防備な喉元に鋭い爪を放つ。
「がふっ」
ドーシはのど元を裂かれて、周囲に血の花を咲かせて地に伏せた。
「ったく、しつこいやつなんだぜ」
何のこともないように狼は言うが、その胴体からは血が大量に滴り落ちていた。
「おい、傷が……」
「狼ちゃん!」
「問題ねえんだぜ」
俺達の声に狼は首を振った。
以前のように針と糸で傷を縫いたいところだったが、ここに来るまでで針であるサボテンの棘は失ってしまっている。
そもそも、それ以前に体が動かない。
「ちと頼みがあるんだぜ」
いつもの調子で、狼は明るく言った。
「何でも言ってくれ」
「それなら、少し目を瞑ってるんだぜ」
狼がそういうものだから、瞼のない俺は狼から目を逸らした。
狼は再び出口の雪洞を掘り始めた。
しばらくそうしていると、ぽこり、と空洞までたどりついたようで、深く息をついた。
「よし、と。あとは振り返らずに、先に進むんだぜ」
狼はそんなことを言った。
傷ついた自身を見せたくないのだろう。
俺は哺乳類の体には詳しくないのだが、狼の受けた傷はかなりの深手ではないのだろうか。
それでも狼は雪の道をかき分けていく。
「でも……」
「……説明している時間はあまりないんだぜ」
狼が神妙に俺たちに語り掛ける。
俺にできることが話を聞くだけならばそうしよう。
「ああ」
「……まずカメ子、もうちょっとで出口だろうし。クモを連れて、この先に進むのは任せる。ここから先は時間との勝負になる。辛くても走り続けるんだぜ。だから、できれば後を頼むんだぜ」
「うん。任せて」
カメ子は力強く頷いた。
「傷口を冷やせば、少しは血も止まるるもんだぜ。いつものように追いつくから、お前たちは先に行くんだぜ」
「……分かった。何か俺にできることは」
「お前は、……お前の願い事を叶えろよ」
「……ああ」
今のは狼からの激励なのだろう。
俺はカメ子に乗ったまま、連れられて行く。
狼は立ち止まって小さく吠えた。
俺は体も動かずに振り向くことができない。
だから狼がどんな状態かを確認することもできない。
そして気になることがもう一つある。
「何て言ったんだ? 初めてだ、あいつの遠吠えの言葉が分からないのは」
カメ子は目元を凍らせながら、とにかく前に進んでいる。
何かカメ子には伝わるものがあったのだろうか。
「……うん。約束は果たすよ。狼ちゃん。あとはわたしがやるから」
赤く舗装されている雪の中をかき分けて、出口の小さい光を目指してカメ子は進んだ。
「さあ、もう少しでゴールなら、もうわたしは止まらないよ」
カメ子は振り向かずに進んだ。
俺の体は、尚も動かない。
そして一つだけ思い返すことがある。
一体何故、ドーシは天国と言い出したのだろうか。
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