業火の夢想

第23話 凍結地獄と最後の試練

 水の洞窟を抜け出た先には、白銀の世界が広がっていた。

 吹きすさぶ風に飛ばされないように、カメ子の甲羅の内側に身を潜める。

 しかし俺は寒さで体が凍り付いて、ほとんど動けなくなり体が縮こまる。

 ただこの場で生きているだけで、瀕死になってしまう。

 吹雪が視界を覆っていて、先が良く見えない。

 死に色があるなら、このような風景なのだろうか。

 水の世界の次には、雪山が待ち構えていた。

 ただ一応この道には進む先の標のようなものはある。

 灯篭のようなものが所々に点在して、おそらくその先には出口があるのだろう。

 出口に向かうには、山を登っていく形になる。

 狼が雪道を歩き、それにカメ子とヘビ子も狼に必死でしがみついている。

 カメ子達もこの雪山は越えられないだろう。

 ここは俺たちのような虫系にも、カメ子やヘビ子のような爬虫類系にも厳しい。

 俺はこんな場所で、できる事なんてあるんだろうか。


「おう、お前らしっかりするんだぜ」


 狼は努めて明るい声で、俺たちに話しかけてくる。


「すまない」

「ごめんね」

「うう……僕のボディは特別製なのに……」


 カメ子もヘビ子も元気など有るはずもない。

 俺も甲羅の隙間で凍えているが、カメ子の体温も下がってきている。


「眠いよぉ」


 カメ子がぽつりと呟いた。


「うん、寝たらだめだよ。ボクもきついけど。このまま寝たらボクら冬眠するから」

「寝ないように、何か話でもしているんだぜ」


 狼は柔らかい雪の上を慣れた足取りで進んでいく。

 しかし、この雪山は哺乳類系の生き物でしか進むことができないんじゃないだろうか。


「ねえ、ヘビ子ちゃん。女王ちゃんってこの雪山越えられないんじゃないかな」

「うーん、そうだね。厳しいかな」

 

 仮にこの場所を越えられるのだとしたら、他の生き物の中に潜むというやり方はある。

 俺達にとって幸いなことに、狼は今はこちらに協力してくれているから潜むこともなく狼に乗って移動できている。


「……っていうか、あいつって敵だよね」

「うん。そうなんだけど」


 カメ子は言葉を濁した。

 考えてみれば、カメ子は結構女王を気にかけているようだ。

 性格は恐ろしく違うものなのだが。


「そうそう、寝ない為に話をするのはいいけど、大声をだすは止めておくんだぜ」


 微妙な空気になりかけたところで、狼は話題を変えた。


「大声を出すと、どうなるの?」

「雪ってやつは繊細だからな、雪崩っていう、雪の津波ができちまって俺達なんてに飲まれちまう」


 雪の津波か、恐ろしいな。

 海の津波と違って質量に押しつぶされたらどうにも助かる手段がないだろう。


「詳しいな」

「ああ、それは私が雪国の出身だからなんだぜ。狼の他の連中が生きてた頃が懐かしいんだぜ」

「狼ちゃんの家族、どんな人たちだったの?」


 狼は遠い目をした。


「みんなで協力し合わなければ生きていけないくらい自然が厳しかったってのもあるんだが、みんな仲が良かったもんだぜ。どいつもこいつも生真面目な奴らでさ、少ない餌だって平等にってんで分け合って喰ってたもんさ。そもそも狼ってのは、他の動物に比べても仲間意識が……」


 狼がしんみりした声で、放していたかと思えばぴたりと言葉を止めた。


「どうした?」


 狼は雪山の先に目を凝らしている。

 その視線を追って目を凝らすと、雪で作られた洞のようなものがある。


「あれは、カマクラってやつなんだぜ。人間が雪を掘ってそこで家のように吹雪を過ごすために作るものなんだぜ」

「ついでに言うと、あれは運営が造ったものじゃないね」


 ヘビ子がそう言った。

 それなら、誰かがあの場所にいるというのか。

 狼はそのカマクラを警戒するように、迂回しようとしたところで足を止めた。

 地面が金属のように固くなっており、狼が爪を立てても滑り落ちそうになっている。


「嫌な位置にあのカマクラはあるんだぜ。どういう意味か分かるかなんだぜ」


 狼は俺たちに聞いてきた。


「うん。分かんない」

「……ボ、ボクは賢いからね。答えなんて丸わかりさ。でも、先にクーが答えてもいいよ」


 カメ子は素直に答えて、ヘビ子は動揺を隠すように早口になっていた。

 俺もすこし考えてみよう。


「あのカマクラを作った奴は、この辺りの地形を把握している可能性が高い。そして前にあった土蜘蛛と同じく、先に進む者の障害として待ち構えている。さらに言えば人間並みの知性がある、といった所か」


 俺がそういうと、狼は納得したように頷いた。


「あと、ついでに付け加えるとしたら、高い拠点にいる方が、一方的に低い高さにいるものを観察することができる。つまり俺たちからは見えないが、カマクラ側からは俺たちが見えている可能性がある」

「ま、そういうこった。それでどうするかなんだぜ。一気に駆け抜けちまうか。それとも見つかっていないことを信じて音を立てずにゆっくり上がるか」


 俺は狼の言葉に皆の状態を確認してみた。

 カメ子は体温が低下しているし、ヘビ子は寒さのあまりに白目をむいている。

 狼だって俺達を抱えたまま、この雪山での登山しているのだ。疲弊していることだろう。

 一気に駆け抜けれるならそれがよいのだが、途中で体力が尽きるかもしれない。


「……ぎりぎりまで静かに近づいて、カマクラから何かが出てきたらあるいは気づかれたら一気に駆け抜けよう」

「ま、それが建設的ってもんだぜ」


 狼もそれに納得してくれた。

 

「お前らもちょっと静かにな。ただ眠らないようにしろよ」


 狼はそれだけ言って、体を低くしながら差し足で移動した。

 音はほとんどしない。カマクラにもゆっくり近づいていく。

 俺たちはそれぞれがしがみつくので精いっぱいで、何もできはしない。

 ある程度近づいて、狼は足を止めた。

 何を感じたかまでは分からないが、ここは狼の直感を信じるほかない。

 俺は吹雪に目を凝らすと、雪の道にいくつかの穴が開いていた。

 狼は、あれを警戒しているのだろうか。


「……出てこいよ」


 狼が穴に向かって声をかけると、カマクラの近くの雪が盛り上がった。

 そして、雪の下から大きな生き物が現れた。

 大きさが2メートルほどのゴリラだ。

 そして、俺はこのゴリラには見覚えがあった。

 乾いた海の直前で出会ったゴリラのように見える。

 そしてこの生き物の特異なところは、他の生き物の皮を被っていた。

 なるほど、人間と同じように寒さの対策の服として着ているのだろう。

 白い服のように見えるのは、

 

「よくぞ、みやぶったものだ」

「は、くだらねえ猿知恵に引っかかるかよ」


 そのサルの言葉からすると、カマクラは擬態で近くを通りかかった生き物を罠にかけるつもりで雪の中に潜んでいたのだろう。

 そして、服をよく見ると、ベルトのようなものをしており、その腰には尖ったナイフのようなものを装備してあった。

 ナイフをよく見てみると、それは骨だった。骨を削って武器にしているのだ。

 どうにもおぞましさがぬぐえない。


「あんたがドーシか?」

「しかり」


 服を着こんだゴリラは肯定した。


「ほこるがいい。ここにもっともはやくに、たどりついたのはおまえたちだ」

「あんたは何がしたいんだ」

「わがかみのため、なすべきことをなすだけよ」


 ドーシは、神と言った。

 人間にはそんな存在があるという。だが、俺はその存在を感じたことがない。

 いや、強いて言うと『神みたいなものさ』なんていう生き物は見たことはあるが。

 そいつは今、狼の上で寒くて震えているのだが。


「神とは、光る玉の事か」

いなである」


 それなら何を神とするのだろうか。

 ヘビ子を見ても首を振っている、特にこのゴリラに関係はなさそうだ。


「あんたの神に何をすれば、神から何がもらえるんだ?」


 大事なのはそれだろう、生き物は利己的だ。

 神を信じるだなんだというのも、基本的には自分の為だ。

 俺の言葉に、ゴリラは陶然と手を天に伸ばして、拳を握った。


「てんごく」


 天国? 人間の文化に宗教とかいう名前のものがあったのは知ってはいる。

 そして彼らは善行を積む代償に、天国という幸福な場所に行くらしい。


「われら、かみによってえらばれしものは、てんごくへゆけるのだ。そして、そのためのはたらきをせねばならぬ」


 どうすれば天国に行けるのかとか、それは本当に事実なのかという根本原因よりも、目の前でこうして俺たちに害をなそうとしているドーシは危険だ。

 狼はドーシに飛び掛かろうしたが、カメ子がずり落ちそうになったので足を止めた。

 ドーシは動けない狼を見て笑みを深めた。


かみのいわれるよんさいや災厄のひとつをここではいしましょう」


 ドーシの言う四つの災厄とは、優勝候補の事だろうか。

 そしてドーシはじっと狼を見下ろしている。

 充血して目の赤くなっているドーシは、腰元のナイフを引き抜きゆったりとした動作で狼に近づく。

 狼は一瞬、カメ子の様子を見た。動けない様子で今にも狼の体からずり落ちそうだ。

 ドーシは振り上げたナイフを風を切りながら素早く振りぬく。

 狼は胴体を揺らさぬようにしながらも、紙一重でかわす。

 おかげでカメ子もヘビ子も張り付いたままだが、代わりに狼が攻撃に転じることもできない。

 カメ子の体も限界に近いかもしれない。もう一度は狼の体にしがみつけないのかもしれない。

 ドーシは勢いをつけて何度も切りつけているが、狼は躱し続ける。

 狼に攻撃があたらない状態ではあるが、状況は互角ではない。

 ドーシもそれが分かっているのか、穏やかな笑みを崩すこともない。


「さすがはさいやくだ。だが、おまえはここでしぬ」


 ドーシはそういうと狼と距離を取り、背を向けて唐突に雪山の上に登っていった。

 その動きにヘビ子は目を丸くした。


「何だろ、逃げたのかな?」


 いや、それはないだろう。

 何をしようとしているかは分からないが、ろくなことではないだろう。

 あるいは罠でもあるのだろうか。

 俺と同じく狼も逡巡したようだ。ドーシは待ち伏せができる生き物である以上、罠を警戒するのは当然だ。

 けれど、何となく直感として放置している方がまずいような気もする。

 狼に声をかけようとしたところで、少し離れた所からドーシの声が響いた。


「さあ、かみよ。わがいのち、うけとりたまえ」


 ドーシは叫びながら、自身の拳で胸を叩いた。

 音の波が俺達の体を打つほどの大音量だった。


「……まずい」


 狼がぽつりとつぶやいて、山頂の方角を見た。

 雪の塊が、海の波のようにうねりながら大きくなり、俺達に近づいてきた。

 離れた距離からでも分かる圧倒的な速度と質量だ。

 これが雪崩か。


「ど、どうしよう! くーちゃん?」

「駆け降りるかなんだぜ?」

 

 カメ子どころか普段冷静な狼でさえ、声が上ずっている。

 だが、雪の斜面を駆け降りるのはまずい。駆け降りると速度は上がるには違いがないが、雪崩は目測で時速300Kmを超えている。どう考えても速度が足らない。

 雪の波に飲み込まれるだけだ。

 もし万が一、生き残る道があるとしたら。


「雪崩を泳げ! 雪崩の上に向かうんだ」


 それしかない。

 雪崩の少しでも上の位置に向かうことができれば、助かる可能性がわずかにある。


「おう、やってやるんだぜ! お前ら、全力でしがみつけよ」

「うん、くーちゃんは、隙間に」


 その言葉にヘビ子は体を伸ばして、カメ子ごと狼の腹に巻き付いた。

 狼は前足をぐっと固めるように曲げ、カメ子を落とさぬようにしている。

 もし一匹だけなら、より生き残れる可能性が増えるだろうに。

 どうしてこいつはここまでするのか。


「さて、カウント頼むんだぜ」

「ああ、あと7秒、……3、2、1、今だ!」


 狼は勢いよく雪崩に立ち向かった。

 飛び上がる、そんな言葉がふさわしいように狼は雪崩の上を駆け抜ける。

 それでも白い波は、さらなる勢いで世界を塗りつぶすように押し寄せてきた。

 目の前の世界が真っ白になった。

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