第22話 水の出口と黒の切札

「狼ちゃん」


 カメ子は声に喜色をにじませて、狼ににじり寄った。

 川の付近に潜んでいたのは狼だったのだろう。ゾウに一撃を与える隙をじっと待っていたといったところか。


「おう、嬉しいのは分かるが後でな。そんで、状況は」


 狼は俺に短く状況を確認した。


「カメ子は痺れて動きが遅い。土蜘蛛は倒したが、ゾウと女王が牽制しあっている。出口は糸でふさがれているが、アリの一部は穴を掘ってレースの先に進んでいる」

「おう、そいつぁ厄介だぜ」


 狼はそういうが、先ほどまでと違って条件は大分良い。


「おい、そこの虫」

「俺の事か?」


 唐突にゾウに呼び止められた。ゾウが俺の事を見るのは始めてかもしれない。

 ただ俺に向けられている瞳には嫌悪の色があるようだった。


「口だけのうまい、小賢しい奴め。貴様は汚いとは思わんか?」

「何がだ」


 俺はゾウの疑問に、疑問で返してしまった。


「貴様如きがここまできたのは、貴様の力ではない。他人の力を利用するだけの寄生虫が、よくぞのうのうと生きて居られるものだ」


 まあ、ゾウの言い分も確かだと納得する。

 カメ子だけではなく、狼やヘビ子、また敵の連中さえもいなければここまでたどり着けなかった。


「力なきものは生きる資格はない。現実に押しつぶされろ」


 俺はそれに少しばかり反論したい。


「いや、そうだったら何でニンゲンは地上で覇権を握っているんだ。ニンゲンも素手だったら、ゾウとか大きい生き物には勝てないだろう」


 生きるという意志を持ち、負けぬという気概を持つこと。


「勝ちたいと願って武器を取り、必死で生きる。それはどんな生き物でもやっていることだ。それこそあんたの言う現実じゃないのか」


 世界は自分のために存在しているものではないし、誰かのためにあるものでもない。

 ただただ、世界は広がっているだけだ。そこには平等の欠片も存在することはない。

 そういった意味だと、生まれついて力の強いゾウはそういった感覚を経験していないのかもしれない。

 力を持って生まれたからこそ、万能感だけで過ごしてこれたのかもしれない。


「それならば、絶望という現実を受け入れろ」


 ずしんと、俺たちに向けてゾウは踏み込んできた。


「はっ、ウスノロなんだぜっ」


 狼はカメ子をくわえて、場所を即座に移動した。

 俺はカメ子の甲羅に潜みながらもゾウの状態を確認する。

 ゾウの片目に傷はついているものの、体は全く問題なく動いている。


「そんで、これからどうするんだぜ?」

 

 狼が小声で聞いてくる。


「俺達の目的は戦うことじゃない」

「それじゃあ、さっさとおいとまするんだぜ」


 そうしたいが、土蜘蛛の残した糸が厄介だ。

 強靭な糸は打撃に強い。故にゾウでは振り払うことやふみつぶすことは難しい。

 一本の糸自体が巨大だから嚙みちぎるも時間がかかる。切り裂くが最適解になるだろう。

 狼の爪ならいけるかもしれないが、出口の部分には女王アリが陣取っている。

 たやすく先に進ませてはもらえないようだ。

 それに片目を潰したせいで、ゾウもこちらに意識を向けている。

 俺たちが糸を越えようとしたら、邪魔されることは必死だろう。ゾウもいるし、女王アリもいる。

 だが、今度はアリの群れの一部がゾウに向かって突撃していく。


「む。アリ如きが小癪な」


 アリの群れがゾウの体を覆った。

 ゾウは水たまりになっている場所に走って行って、ばしゃりと体に水をかける。

 アリの群れは水により流されていった。

 この水に溢れる地形はアリには不利だ。そんなことも分からない女王でもあるまい。

 しかし、女王の様子を見ると誰かに小声で話しかけているようだった。

 他のアリ達への指示だろうか?

 この状況で女王はどう動くのだろうか。

 そう思って女王を見ていたら、何かに得心が言ったように呟いた。


「なるほど」


 女王は何かに納得したようだった。


「ぎりぎり、といったところか……ならば横着はいかんな。ここでクモと決着をつけるのも良いが、先に路傍の小石から片付けることにしよう」


 女王アリはゾウに向き直った。

 ゾウはそんな女王アリに憎しみを以て睨んだ。


「こんな小虫が同じ舞台に上がることすら不愉快だが、このゾウよりクモの方が優れているかのような口ぶりだな」


 女王アリは静かに頷いた。


「そう言ったつもりだが。……理解は難しかろう。図体が如何に大きかろうが、その力ではクモの命に届かぬよ」

「ふん。馬鹿馬鹿しい」

「我の眼中にあるのは、ただ一つだけよ」


 もちろん、ゾウに対しての挑発でもあるだろうが、それだけでもないような気もする。

 女王は感情が読めぬ表情で俺を見据える。ともかく過大評価は止めて欲しいものだ。

 それとも何か別の理由があるのかもしれない。なぜならばこのレース、おそらくただ走って優勝する以外の何かしらの意図を持つ者がいる。

 聡い女王アリの事だ。何かに気づいているに違いない。ドーシとかいう奴の事、杭の事、楽園の事。分からないことだらけだ。

 

「……ん」

「どうした、カメ子。何か気づいたのか。今は少しでも情報が欲しい。思いついたことがあるなら言ってくれ」


 視点が異なれば、違うものに気づく可能性もある。

 ふんす、と息を荒くしたカメ子が言う。


「くーちゃんに目をつけるとは、女王ちゃんは見る目があるよね」

「……違う。そういう事じゃない」


 ともかく理由が分からないのは後が怖いが、女王がゾウと対峙してくれている今なら先に進めそうな雰囲気である。

 俺は狼と目が合い、小さく頷きあった。


「じゃあ、話もまとまったところで私らは先に進ませてもらうんだぜ」

「狼よ」


 女王は唐突に狼に声をかけた。


「何か用か、なんだぜ」

「其の方は、このまま先に進むと死ぬぞ」


 女王は狼に不吉な予言を語った。


「……それならそれでも本望なんだぜ。私は前に女王に言ったろう、死に場所を探しているのが目的だってな」


 そうか。最後に一匹だけ残った狼の願いとはそれか。

 そうであるならば、確かに今までの言動と一致する。


「狼とは、嘘をつく生き物だな」


 女王は断言した。


「嫌なこと言うなよ、なんだぜ」

「運命は未だに決まってはおらん。だが、我にはお前たちがどうなっていくのか、見えておる」


 女王の目には、何が見えているのだろう。


「いっそ、ここで我に殺されていた方がマシ、そう思うことになるだろう」


 こういわれて、俺たちは押し黙ることになった。


「ありがとう、女王ちゃん。……よく分からないけど、わたしたちの考えていることよりずっと大変なことがあるんだよね」


 カメ子の言葉に、今度は女王アリは押し黙った。

 この様子から考えるに、女王は予知のようなものができるのだろうか。

 いや、そうでもないか。もしそんな力があるなら今のように迷った行動をとらないだろう。


「でもね、大丈夫。大丈夫じゃなくても、大丈夫」


 何の理由にもなっていない。

 だが、カメ子の気持ちは分かる。

 ここまで来て俺たちの結論に変わるわけもない。


「わたし、頑張る。私にも夢だけじゃなくって、願い事ができたんだ」


 カメ子の夢は人間になること。それは前に聞いた。

 だが、願い事とは何だろう。レースに勝つ以上の願い事などありえるのだろうか。


「……そうか、ならばそれもよい」

「うん」


 カメ子は力強く頷いた。


「ふうむ。どう見てもただの小虫にしか見えん。このゾウと比較するのは誰がどう考えてもおこがましいかろう」


 ゾウはじっくりと俺を観察している。

 まあ、俺もゾウの意見には同感だな。俺が仮に一万匹いたところでこのゾウに勝てはしまい。


「よし。こちらのやることは何ら変わらん。貴様らは皆殺し。そろそろ地獄を見せてやろうか」

「……地獄なら、我は何度も見てきたとも」


 女王のとても静かな声がその場に響いた。

 凍り付くかのような威圧感に、臨戦状態のゾウですらも足を止めた。


「そうだ、……クモよ。先ほどは面白いものを見せてもらった」


 女王に急に話をむけられて、俺は何のことだろうと思った。


「土蜘蛛を屠った一撃の事よ。奥の手と呼ぶに相応しいものだった。故に、我も切り札の一つも見せてやろう」

 

 そういうと、女王のアリの元に全てのアリが集まっていく。

 しかし、いつものように柱にはならない。だが、普段より隙間のない黒の塊になっていく。


「見るがいい。我ら夢の形の、理想の結実を」


 アリの群れが柱のような密集体系から、一つの形をかたどっていく。

 何かの動物を模している。頭と手足があり、二足で立ち上がっている。

 人だ。

 黒い人の型の、アリの群れ。

 そこにいたのは、大きな人の姿を持ったアリの塊だった。

 およそ体長は2メートル。

 

「ふん。それがどうした。先ほどより体が小さくなっているではないか」


 ゾウは面倒そうに、鼻を振り回して人型のアリの塊に叩きつけようとしている。

 違う。

 このアリの集団は柱の時より、よりずっと密度が濃い。

 ばりっ、と空気が破裂する音が聞こえたと思ったら黒い人型が、拳でゾウの鼻を弾いていた。


「なん、だと」


 ゾウは驚愕した。狼やヘビ子ですら唖然としている。

 どれだけの密度があれば、ゾウを弾き飛ばせるのだろう。


「馬鹿な……」


 衝撃からまだ戻ってこれないゾウの目の前で、黒い人型は腰だめに構えて、正拳を放った。

 空気がはじけるような音がすると、ゾウはたまらずによろめいた。

 やはり先ほどの攻撃は偶然ではない。女王にはゾウと正面から打ち合える力がある。


「見事だ」


 俺は、つい呟いていた。

 敵ながらある意味、感動すらもした。

 俺達のような小さい虫の力が、ゾウなどという存在自体が暴力であるかのような生き物に届いたのだ。


「そして、人はどこまでも進化するものだ」


 肩の方にアリが集まっていったと思ったら、今度はばさりと翼になった。

 黒い人型はふわりと宙に舞った。


「こ、こんな人間などいるか」


 ゾウは正論を叫んだ。確かに人には翼はない。

 この黒アリの人型は、人間を超えた力を持ったということだ。

 しかし女王アリはどこまで強くなるつもりか。

 ゾウの体力を考えると時間はかかるだろうが、戦いの趨勢は見えてきた。


「ふざけるなよ、虫がぁ。このゾウは強者だ。絶対的な強者だ」


 ずどんと、ゾウが本気で踏み込んで黒アリに突撃していく。

 黒アリの人型は両手を前に突き出して、ゾウの突進を止める。


「強さとは、強く振舞うことである」


 女王は悠々としている。けれどもゾウには余裕がない。


「なあ、クモ。お前はどっちが勝つと思うよ」

「女王だな」


 俺は考えるでもなく答えた。

 もちろん、ゾウにだって勝ち目はまだまだある。

 おそらく黒アリの形態はあの密度だ。長い時間は持たないだろう。だからこそ、女王は正面から打ち合っているんだ。

 だが、怒りに目がくらんだゾウはそれに気づくことはないだろう。

 不利な部分があろうが、堂々としている女王とは、文字通り強さの格が違う。


「じゃあ、さっさと撤退するんだぜ」


 俺と狼は頷きあった。

 この巨大な力に巻き込まれてはかなわない。


「クモよ」


 黒の人型をした女王が、俺に声をかけてきた。


「我が其の方を殺すまで、誰にも殺されるなよ」


 何故、こうまでして女王アリは俺に拘るのか。

 ここまで生き残った、小さい虫としての共感なのだろうか。

 それを聞く時間もなく、狼に土蜘蛛の糸を断ち切ってもらい、先に進むことにした。



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 先行しているアリ達を抜き去り、長い通路を俺たちは進んでいる。

 狼は口でカメ子をくわえて、俺は狼の上に乗っている状態だ。

 ヘビ子も狼の上にだらんと横になって運ばれている。


「しかし、お前もよく女王から無事に逃げられたな」

「ああ、何だか白い虎に助けられたんだぜ。『多勢に無勢を許すは紳士の恥である』とかいっていたんだぜ。そのまま自分探しだがなんだか知らないけど、どっか行ったんだぜ」


 そうか、虎は存外近くにいたものだから合流できたのだろう。


「あ、そうなんだ。虎さんって温泉にいてね……」


 少し安全な場所に来て気が抜けたのだろうカメ子は狼と楽しそうに話している。

 緊張感がとか思わないでもなかったが、まあ、こいつも今回頑張ったからな。

 ただ楽しそうに話している二匹に対して、俺は聞けなかった。

 狼の嘘とは何か、と。

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