第21話 水の墓場と弾ける魔術
土蜘蛛を攻略するためには、俺たちの行動だけではなく多くの条件を乗り越えなくてはならない。
一つ目、ゾウが動かないこと。力が強く不確定要素になりがちだが、これについては幸いなことに俺達には興味がないようで気にされていない。ゾウは今、土蜘蛛と睨みあっているのが大きいだろう。
二つ目はヘビ子。ヘビ子自身は誰の味方にはならないと言っていたし、ルールは公平に守るのだろう。だが、その範囲内で最後の詰めとしてお前の力をあてにさせてもらう。
「光る玉よ」
俺はヘビ子にそう声をかけた。
名前を呼んでやらなかったせいか、寂しそうに目を細める。昔の光る玉だったころから比べて表情がずっと分かりやすくなっている。
ええい。悪いとは思っているが、こんな状況じゃ仕方がないだろう。
「何かな、小さいクモ」
ヘビ子もまた、俺のかつての呼び方をした。
「その位置よりも特等席がある」
「へえ、どこだろう」
言外にヘビ子は、俺の提案に乗ってくれたようだ。
カメ子に小声で指示を出し、とあるポイントまで歩いてもらった。
「ここだ。この位置が特等席だ」
「ふうん。よく分からないけど、そこまで言うならボクはそこに行こうかな」
ヘビ子はしゅるしゅると、地に降りてきた。
「……あと、三センチ左だ」
「細かいね。ここでいいかい」
「ああ」
俺とヘビ子は、ぼそぼそと小声で話した。
そして三つ目の条件、女王アリ。
戦うための状況は厳しく、もはや敵の手すら借りなければならない状況だ。
女王アリには殺意があるし、こちらだって狼の事もある。更に譲れぬ道がある者同士、不倶戴天には違いない。
だが難解だろうが、ここを乗り切るためには交渉をしなくてはならない。
糸口は何だ。どう説得するべきなのだろうか。
まずは女王アリの特徴を考えるなら、何故か俺を自分の手で殺すことに拘っていることだろうか。
「ここがパーティー会場で、この戦いがフルコースというなら、まずは
「ふむ。確かに土蜘蛛は邪魔な生き物ではある」
女王は土蜘蛛を牽制しつつ、じっと俺を見つめた。
普段は果断即決な性格であるようにも見えるのだが、俺を今殺すか、後で殺すか迷っているようでもあった。
本来であれば女王が俺達を殺すのなんて一瞬で済むはずなのだが、俺に何の拘りを感じているのだろうか。
「パーティーの余興のついでに、俺達の奥の手を見せてやるよ」
「……何をする気だ」
「土蜘蛛を討つ」
俺がそう言い切ると、女王は笑うでもなく興味深そうにこちらを見据えた。
「ほう、面白い。聞こうか」
アリの集団は、ゾウや土蜘蛛からの視界から俺達を隠した。
女王が興味を持ってくれたようなので、俺は二匹に作戦を伝えた。
「……というわけだ。役割としては、女王はゾウの足止めだ」
「そう上手くいくものか?」
「やらねば、みんなで仲良く野垂れ死ぬだけだ」
いつもの事だ。
「大丈夫だよ。くーちゃんだもん」
こんな時、カメ子の謎の信頼はありがたい。
「うん。じゃあわたしは移動するよ」
「ああ、俺も付いていく」
「待て」
カメ子の言葉に俺がうなずこうとすると、女王アリに制止された。
「何だよ」
俺は怪訝い思って聞くと、女王アリは仲間に何か指示をしたようだ。
空飛ぶアリの群れの一団が俺に近づいてきた。
「お前の策には、土蜘蛛を追い込むものが必要となろう。……我が兵を貸そう。使いこなして見せよ」
「いいのか?」
「どうあってもこの場では、あの土蜘蛛とやらが最も厄介。これ以上、糸を増やされるわけにもいくまい」
クモの性質をよく知る俺が指揮を執るのは、この場において合理的な判断であるが、例え有効だからと言っても、兵を貸し与える事ができる女王は改めて恐ろしい生き物だ。
「分かった、借りる。……部隊は八つ分ける。指揮できるものは前に」
アリの群れは俺の指示に粛々と従う。どんな状況であれ戦い続けることができるのは、アリの強さだろう。
俺は指揮官アリ達に動き方のサインを伝えていく。基本的には八方から距離を詰めつつ、土蜘蛛を戦いの場へと追い込む。
土蜘蛛の動きを知って指揮する関係上、俺の隊は正面から土蜘蛛を抑えることになるだろう。
「くーちゃん。大丈夫?」
「ああ、問題ない。お前も大変だろうが頼むぞ」
「うん。わたし頑張るだけだから平気だよ」
カメ子はちらりと女王アリの様子を見る。
「それと色々と女王アリに思うこともあるだろうが、今だけは押さえてくれ。決着は後で必ずつける」
「うん、分かった」
女王アリは、こちらの様子を見てから話しかけてきた。
「話は済んだか。では我も我の役目を果たそう。……お前たちの働きに期待している」
女王はゾウに対峙した。ゾウもアリでは仕留められないだろうが、足止めはできるかもしれない。
危険度はみな同じ程度だろう。
「覚悟はできたか」
「いつでも」
「誰に向かって言っておる」
二匹とも気合が入っているようだった。
「作戦を開始するっ」
俺は叫ぶと、羽アリが俺の身を持ち上げてゆっくりと上昇した。
他のアリ達も隊をなして上昇し、土蜘蛛を取り囲むように浮上していく。
地面の様子を見ると、女王アリとゾウが対峙していて、カメ子、ヘビ子も配置についている。
そのままふと川をみると、ぽこりと、空気が泡立っていた。
詳しく見る間もなく、俺は土蜘蛛に接近することになった。
「あらぁ、ここでやりあうきかしらぁ」
甘ったるい声で土蜘蛛が言いながら、油断なく周囲を見回している。
間近で見ると、随分と体が堅そうでもある。
この体であるなら、アリがかみついたくらいではびくともしないだろう。
「まあな。まずは、あんたに消えてもらおうと思ってな」
俺の言葉に、土蜘蛛はくすくすと笑った。
「まさか、あたしに勝てる気でいるのかしらぁ。立場が分かっていないのねぇ。あたしに喰われるために生まれたような、餌があたしにぃ?」
土蜘蛛はそう言っているが、地上で感じたほどの影響を土蜘蛛からは感じなかった。
地上と空中での違いは何かというならば、地面に空気は溜まりやすい。おそらく匂いというか、土蜘蛛の纏う空気が俺の感覚を狂わせていたのだろう。
それでも他のクモたちと違って俺が多少なりと動けていたのは、カメ子のおかげだろう。カメ子とずっといたから亀の匂いというか空気で土蜘蛛の影響が半減していたのだろう。
「さあ、自らの手で自らを命を捧げなさぃ」
だから今の俺は、土蜘蛛に何を指示されても何とも思わない。
特に動く様子のない俺を、土蜘蛛はいら立ったように睨んでくる。
「何故、効かないの?」
俺の推察を、土蜘蛛に馬鹿正直に答えてやる必要がない。
むしろ、俺に集中してもらうために挑発も織り交ぜていかなくてはならないだろう。
「さあな、俺がお前を嫌いだからだろう。そんなことも分からないのか。自分が賢いと思っている愚かな奴を見るのは、滑稽でならないな」
土蜘蛛が賢さにこだわりがあるというなら、賢さを否定されると怒りを感じるはず。
「餌に歯向かわれるのは、不愉快ねぇ」
土蜘蛛は、こんな程度で怒りを感じているようだ。
自制心を持たぬ賢さなど、ただの弱さに過ぎない。真に賢いとは、こういう奴じゃない。
俺は複数ある目の一つで周囲を見る。
女王アリは言葉の通りに、ゾウと対峙している。
そして出口付近を凝視すると、気づかれにくい程度のアリの一団が出口を掘っている。
道がないから、道を作る。とても単純だが、効果的だ。
こんな戦いの最中で、あるいはだからこそだろう。女王は生きるための手を打ち尽くしていく。
女王アリがいつか言っていた通り、自分の命ですら囮なのかもしれない。あるいはそれすらも何かの策なのかもしれない。
自身の姿を見せて堂々と振舞い、そして油断なく目的を達成していく。
俺も負けてはいられない。
だから、こんな程度で負けるわけにはいかない。
土蜘蛛が大きく息を吸い込んだ。
「1隊、下降、30、24」
糸を吐き出す方向を予見し、俺はアリ達に指示を出した。
第一部隊が移動した瞬間に、元居た場所に糸がはかれていた。
「7隊、上昇、22、54」
アリはこちらの指揮に従ってくれるが、これは思った以上に難しいものだ。
土蜘蛛を目標の地点まで誘導しつつ、全ての動きを読み取っていかなければならない。
「3隊、上昇、28、14」
土蜘蛛を追いやっているのだが、追い詰められているのはこちらも同じかも知れない。土蜘蛛の攻撃をかわさせていくと、隊列が乱れてきた。
戦いの最中、観察をするのはお互い様というものだ。土蜘蛛も俺の動きに慣れてきたのかもしれない。
それに土蜘蛛は冷静になったのか、狙いを俺たちの隊だけにつけてきた。こうなると俺は逃げ場がなくなる。
くすくす。一瞬、笑い声が聞こえた。
次の瞬間に、視界が真っ白になったと思ったら、身動きが取れなくなった。
土蜘蛛の吐き出した糸に捕まってしまったようだった。
「さあ、ここまでのよおねぇ」
「……そうだな」
ずるり、ずるりと糸が引き上げられる。
俺が捕まったのを見ると、アリの群れは地面に向かって方に飛び去って行った。
「助けはもう来ないようねえ。ねえぇ、なすすべはないって、今どんな気分?」
「……お前こそ何なんだ? おかしな連中と手を組んで、進むでもなく殺すためにここにいて」
「だってぇ、楽しいじゃない。弱い者いじめってぇ。娯楽を求めるのは知性持つ生き物としての本能よぉ」
土蜘蛛はさらりと答える。
何を言っているのか、俺には理解ができない。したくないのだけなのかもしれないが。
生きるために喰いあうのは悲しいが、やむをえないことでもある。だが、楽しむためにいたぶる為に生きているこいつには、本当に腹の底から怒りを感じる。
「じゃあ、最後に何か言うことあるぅ?」
土蜘蛛は、嘲笑めいた言葉を俺に投げつけてきた。
「さよなら、だ」
その時、ずどん、と地上から雷鳴のような音が鳴り響き、土蜘蛛の体がぐらりと傾いた。
「え? ……う、うそ」
土蜘蛛の体には、亀の甲羅が突き刺さっていた。
水の飛沫が宙に降り注ぐ、間欠泉の勢いでカメ子には宙を跳んでもらったのだ。
本来なら天井に叩きつけられるほどの勢いだが、それこそ土蜘蛛の体がクッションとなって天井への激突が避けられる。
「無事か、カメ子」
「うん。でも、くーちゃん。降りるときどうればいいかな」
甲羅からひょっこり顔を出したカメ子は、おっかなびっくりと地面を見下ろしている。
「ああ、大丈夫だ。そこからまっすぐ下に落ちればヘビ……光る玉が偶然いるから、そいつの体がお前の落ちる衝撃を吸収してくれる」
「うん。じゃあ、後でね」
カメ子は迷うことなく、地面に飛び降りる。
少しすると、ぐえっ、とヘビ子が地上で潰された音を出した。
地面に降りたカメ子は、そそくさとその場を離れた。
「あ、あたしはぁ、こ、こんなもので死にはしないわぁ」
息も絶え絶えに土蜘蛛は俺を睨んだ。
「まあな、多少は耐えるかもとも思ってたよ」
すぐ倒れてしまうなら、カメ子が下敷きになってしまう。多少は耐えてもらわないと計算が狂う。
「土蜘蛛の硬い体に傷口ができた。2から8軍、全方向から傷口を目指せ」
土蜘蛛に目で見える弱点が見えた。それに今なら動きが鈍い。
俺の指示通りに空中で待機していたアリたちは、引き返してきて我先にと土蜘蛛の傷口に向かった。
空飛ぶアリたちは我先にと土蜘蛛の傷口に向かった。
「あ、あ、あああぁああああああ!」
土蜘蛛は叫びながらその場で暴れる。
「1軍は総力をもって、土蜘蛛がぶら下がっている糸を切り落とせ」
命令に忠実なアリ達は糸に取り付いて、がじりがじりと必死で嚙み切ろうとする。
「や、やめ……」
土蜘蛛の制止の声も半ばに、内部から喰われる土蜘蛛は悲鳴を上げる。
そして、ぶちぶちと、糸がちぎれる音がして。
ぐしゃり、と土蜘蛛は墜落した。
俺も地面に降り立ち、土蜘蛛の様子を確認する。
「……こんな、まさか……」
土蜘蛛は呟いたのち、痙攣して動かなくなった。
ひっくり返っている土蜘蛛の巨体は前脚を天に突き出して動かない。人間で言う墓のように見えた。
アリたちは土蜘蛛を倒したので、俺の指揮を離れて土蜘蛛を喰うことで止めをさしている。
俺はするすると、カメ子に近づき再びその背に乗った。
ほんのわずかな時しか離れてはいないが、俺はやっと息が付けた。
「くーちゃん、やったね」
「お前のおかげだ。体は大丈夫か」
「うん。でも、ちょっとだけ痺れてて動けるのにはもう少しかかるかも」
あれだけの衝撃だ。甲羅が割れなかっただけでも重畳だ。
俺が呼吸を整えていると、前脚がまた一本とれていた。おそらく、土蜘蛛の糸にからめとられたときに負傷したのだろう、緊張しすぎて痛みを忘れていたが、思い出したように急に体が痛くなる。
俺は更に動きが遅くなっただろうが、土蜘蛛相手をしてこの程度の被害ならむしろマシな方だろう。
アリも俺たちのそばを離れ、ゾウも睨みあっている。
再びの三竦みの位置になった。ただし俺たちは瀕死でもある。
ゾウがこちらを見下ろした。まずは、弱いところから攻めてくるつもりなのだろう。
「さあ、くーちゃん、次はどうするの?」
カメ子の何気ない一言に俺は感慨深くなる。
これまでのカメ子なら、自分は置いていけだのなんだのというだろうし、俺だってこいつを見捨ててしまおうと思っていたところだった。
だが、俺は今更カメ子を置いていくつもりはないし、カメ子もまた置いていかれるつもりもないようだ。
俺の様子にカメ子は小首をかしげた。
「待機でいい」
「うん」
位置関係を考えるならば、今はここを動かないことが最善だ。
カメ子は、いつでも体を動かせるように力を抜いている。
これは俺ならなんとかできるという信頼なのか、命が尽きても構わないという覚悟なのか、どちらかは分からないがカメ子の気持ちは重くもあるが嬉しくもある。
女王アリとの再びの共闘も終わり、ゾウがこちらに踏み出してきた。
ずしり、ずしりと目前まで迫るゾウ。形を持った死が足音を立てて近づいてくる。
その時、俺たちの真横から一陣の風が駆け抜けた。
「ぐぅっ」
ゾウがのけぞってうめいた。その一瞬で、目に深い傷をつけられたようだ。
それを成した一匹の生き物は、ふわりと宙でひるがえって、俺たちのそば降り立った。
「パーティー会場はこちらかよ、なんだぜ」
川から這い出て、水を滴らせた狼がさっそうと現れた。
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