第20話 水の戦場と理想の剛毅

 ゾウと、土蜘蛛、女王アリ。優勝候補どもが俺達を見下ろしている。

 三竦みによる空気の硬直、俺はそのすきに皆の様子を改めてうかがうことにした。

 しかし、そうそうたる面子だ。かつてヘビ子が優勝候補と言っていた者たちが、ここに集っている。

 どの方角を見ても圧を感じる。

 正面には巨大な灰色のゾウがいて、背後には土蜘蛛がいる。

 そして川の方角には、羽アリを率いた女王アリ。さらに続々とアリの一団が飛んできてその数を増やしている。

 出口は防がれていて、逃げ場がどこにも存在しない。

 どうする。どう計算しても生き残る目がない。

 その時、塞がれている出口付近から高い声が聞こえた。


「やあやあ、優勝候補のみんな。ご機嫌だね。ところで、ボクの声に聞き覚えはあるかな」


 そんな声を出したのはヘビ子だった。

 注目を引くためだろうか、出口付近の糸の上に乗っている。


「あらぁ、その声はスタートにいた光の玉かしらぁ」


 ゾウは首をひねっていたが、土蜘蛛はその声で気が付いたようだ。

 そして女王アリは、多少の沈黙のあと棘のある声でヘビ子を制止した。


「……例え管理者といえど、我らの決着に口出しをするのは許さぬ」


 面識はあるはずだが、その事は口にしなかった。


「そんなつもりはないよ。ボクは公平で平等。誰の味方にもならないし、誰の敵にもならない」


 確かに直接的なことはヘビ子はしない。

 だが、これまでこちらに寄った行動をしていた。だから、この行動にも何か意味があるはず。

 だが、女王アリと土蜘蛛はこちらから目を逸らしていないため、この隙に隠れることもできない。

 ともあれ逆から考えよう。今は皆の動きは、ぴたりと止まっている。

 俺にできることは観察するくらいか。


「この地の名前は大河の決戦場。よくここまでたどり着いたものだよ。ずるをする生き物もいたみたいだけどね。それを差しい引いても流石は優勝候補の三匹だね」


 ずるとは一体何なのか。ともすれば、あるいはこのレース会場には抜け穴のようなものがあったのだろうか。

 俺や女王アリですら気が付かない道があったとは思いにくいが。


「ふふっ、勝てばいいのよぉ勝てば。帳尻は最後に合わせればいいのだし」


 反応から見るに、不正を行ったのは土蜘蛛のようだ。

 ヘビ子は怒りをたたえているようだが、土蜘蛛に対して何をする様子でもない。

 ルールから抵触しない程度の不正だったのだろう。


「まあ、いいさ。君が最後の土蜘蛛だろうし、これ以上のことは出来ないだろうしね」

「そぉねぇ」


 土蜘蛛はひらひらと、前脚を動かした。

 最後の土蜘蛛という言葉が気になりはしたが、それで目の前の土蜘蛛がいなくなるわけでもないから一旦、考えるのは止めておこう。


「さて、管理者よ。ここで我らに話しかけるということは、何かゆえあってのことか」


 女王アリとその群れは、ヘビ子に語り掛けながらも、少しだけ横にずれる。

 足元の部分から、間欠泉が噴出したが女王アリはそれを躱した。

 これに当たっていてくれたら倒せたものをとも思いながら、間欠泉が発生する頻度と場所を再計算しなおす。

 あるいはヘビ子は公平という立場をとりながら、そのための時間をくれたのかもしれなかった。


「うん、まあね。優勝候補がこうして集まるのは、中々見ごたえがあるじゃないか」


 ヘビ子の言う通りだが、見ごたえがあるどころじゃない。どの方角を見ても、形を持った死が待ち構えているかのようだ。


「本来ならね、君等はそれぞれ優勝することなど容易な生き物なんだよ。ただ、このレースはすごく特別でね。そんな君らが一堂に集められているんだ。だからこそ、誰がこの場を勝ち抜けるのか気になるし、それをちょっとこの目で確かめたくてね」


 厳かにヘビ子が言うと、皆がヘビ子に注目する。この戦場の視線を誘導しているかのようだ。

 他の生き物の視線がほんの少し外れたので、俺は前脚でカメ子をつついて少しだけ移動してもらう。

 カメ子も空気を読んでか、何も言わずいる。

 ヘビ子を見ていたゾウがふいに鼻を鳴らした。


「ふん。こんなムシケラ共と一緒にされても困る」


 ゾウはじろりと周囲を睨みつけながら言う。


「あらぁ、そんなムシケラ相手に手も足もでないのは、どなたかしらぁ」


 土蜘蛛は糸を伝って、ゾウの攻撃が届かないぎりぎりの距離まで近づいてから嘲った。

 ゾウは落ちていた石を鼻で巻き付けて、投げつけたが土蜘蛛はそれも難なく躱した。


「さて、レースも残り少ない。ここでほとんどの者は脱落するだろうし、折角の機会だから、君らに聞いておきたくてね」


 優勝候補の三人ともがヘビ子を見つめた。


「このレースに勝つために、人間になるためにはどんなものが必要なのかな。どんなものが人間にとって必要なものだと思う」


 周囲を確認するのを行いながらも、俺はヘビ子の言葉を考える。

 一体何が必要なのだ。


「考えるまでもない。それは力だ。圧倒的な力こそ肝要だ」

「馬鹿ねえ。誰かを出し抜くための、知恵が何より大事じゃない」

「我は、……意志であると考えておる」


 それぞれが答えた。


「ふぅん。あなたたちはどうなのぉ」


 土蜘蛛から問いかけられた。

 折角、注意がそれていたのにやはり厄介な敵だ。

 しかし、なんと答える。人間になるために必要なもの。

 俺が答えあぐねいていると、カメ子が先に答えを出した。


「優しさだよ」


 カメ子は顔を上げて、迷いなく言った。


「くすくす。おかしなことを言うのねえ」

「ふん。まったくだ。亀は頭の回りが遅い」


 それを聞いてゾウと土蜘蛛は大きく笑った。


「……何故、そのような結論になったのだ」


 アリの女王は、無表情で静かにカメ子に問いかける。


「うん。それはね、逆に考えたんだ。わたしの知っている一番強い生き物は、何を大事にしていたかって」


 カメ子は誰の事を言っているのだろうと、俺はふと頭をひねった。

 俺たち共通の知っている奴で強い奴といえば、狼とか虎だろうか?

 あいつらには確かに優しさがあったな。


「その生き物はね、苦しい時でも挫けなかった。悲しい時でも前を向いた。どんな時でも立ち上がった」


 カメ子は言いながら、ちらりと俺の方を見る。


「だから、人間になるべきなのは、……なって欲しいのは、優しい生き物だよ」


 そう言い切るカメ子の体の大きさは変わってなどいないし、力が増えたわけでもない。だが、なんだかカメ子が大きく見えた。


「ふうん、亀って愚かなのねえ。やさしいっていうならぁ、ここに置いてある食料と同じく、あなたはあたしの栄養になってもらえるぅ」


 土蜘蛛はぎちぎちと、天井で牙を鳴らした。

 所々にある繭はやはり食料だったのだろう。


「……ねえ、土蜘蛛さん。この中に狐さんはいる?」


 カメ子はそんなことを土蜘蛛に聞いた。

 狐とは少し前に出会った虎の相棒の生き物だ。この辺りではぐれたと言っていたのだが。


「あぁ、最後まで泣き叫んでいたわぁ。あんまりにもいい声で泣くだから、皮を一枚ずつはいでやったのよ」

「……どうしてそういうことするの? そんなにお腹が空いていたの」

「うぅん。面白いからぁ。生き物は楽しみを味わうために生きているのよぉ」


 何故、ではない。どれだけ言葉を尽くしたとしても、分かりあえない生き物はいる。

 簡単に言うならば、土蜘蛛は性格が悪いのだ。悪を楽しむものは、カメ子とは相容れないだろう。

 俺だって、生きるために他の生き物と命を懸けて戦うのはやむをえないことだとは思う。

 だが、土蜘蛛は殺すという行為を楽しんでいるのには共感できない。


「他の場所なら知らないけどぉ。ここでなら、あなたたちはまとめてあたしの餌よぉ」


 土蜘蛛の言う通りだ。この立体の場所においてはゾウや女王ですら土蜘蛛に勝利することはできないだろう。


「さぁ、ここにあるのは全てご馳走。いただきますをしてから、楽しい楽しいパーティーを始めましょぉ」

 

 空飛ぶ黒い靄、女王アリが俺達の間に入ってきた。


「我は先ほど宣言したとおり、こやつらを屠るのは我だ。他の者に殺させるつもりはない」


 女王の行動に、土蜘蛛はふたたび天井に上っていった。


「あらあら、ご執心ねぇ。でもあなただって、ここまではこれないでしょぉ」


 女王アリは無言になる。確かにアリは垂直な壁を上ることはできても、水気あふれる天井に張り付くことはできない。

 飛んで近づこうにも糸に絡み取られるだけ。女王もそれが分かっているからある程度の距離をとっている。

 ゾウであっても鼻の長く伸ばしたとしても、土蜘蛛に届かない。

 土蜘蛛には圧倒的な地の利がある。この場の者たちを皆殺しにできるほどだ。


「くーちゃん。わたし勝ちたい」


 カメ子は俺に視線を合わせた。

 思えば、カメ子が自分のための我儘を言ったのは初めてかもしれない。


「……、ひとつだけ手段がある」


 勝ち目のまったく見えなかったつい先ほどまでと、今は条件が少しだけ違う。

 土蜘蛛の位置、地形、女王アリにカメ子。


「この場にいる生き物の中で、お前だけが土蜘蛛に勝つことができる。ただし、一手でも間違えれば即死だが。……どうする?」

「やるよ」


 俺の言葉に、カメ子は即座に答えた。

 覚悟ができているのなら、早速、土蜘蛛攻略を始めよう。

 俺は届かぬ先で、こちらを笑う土蜘蛛を睨みつけた。

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