大河の決戦

第16話 水の剣に響く哀歌

 カメ子が通路をとにかくひた走ると、そのうちアリが追いかけてこなくなった


「……撒いたようだな」


 俺は周囲を確認しながら、カメ子にそう声をかけた。

 通路はかなり広くなっており、幅は30メートル程度、高さは20メートルはあるだろう。


「狼ちゃん大丈夫かな」


 狼が心配ではあるが、任せろと言われて戻るわけにはいかない。


「大丈夫だろう。あいつはあとで合流すると言っていたし、あいつは約束を守るだろう。だから、俺たちは進むことに専念しよう」


 あの女王アリと立ち向かって、心配するなという方が無理だが、ここでそれを言っても始まらない。

 カメ子に話すといういうより、むしろ自分に言い聞かせた。


「そうだね」


 カメ子はそう言ってから、しばらく押し黙った。

 しかし、女王か。数え切れぬ数のアリ達の頂点。少し会話を試みたが、女王には隙が無さそうだ。

 そしてまた会おうとは、その女王の言葉でもある。

 あるいは、このまま女王から先行逃げ切りしてしまえばいいのかもしれないが、この先には土蜘蛛もおそらくいる。

 地獄の道や、渇きの海のような罠もまだある事だろう。

 いつの間にかに並走していたヘビ子が、つとめて明るく声をかけてきた。


「いやあ、でも今回は大変だったね。途中までとはいえ、まさか女王アリと一緒に進むことになるとは、ボクは思わなかったよ。よく交渉できたものだよ」


 まったくだ。あれだけ力を持つ生き物ならば、他からの提案など一蹴することもあるだろうに。あるいはアリの女王は、自らの体が小さいからこそ、自身の弱さも知っているのかもしれない。もしそうなら、厄介な敵なのかもしれない。


「あれは女王の強さだ。ああ見えて相当、理性が強い生き物だ。どんな相手であれ冷静に対処することが出来るのは強敵だ」

「……ボクはクーも、そういうとこあると思うよ」

「だって、くーちゃんだもんね」


 二人は頷きあった。

 何となくだが俺と女王は発想が近い気がしないでもない。

 そう考えていると、カメ子の足元から、ぴちゃんと水の撥ねる音がした。


「止まってくれ」


 俺が声をかけると、カメ子はぴたりと制止する。


「どうしたの?」


 暗い通路に目を凝らすと、そこらじゅうが水浸しになっている。

 俺の大きさだと、地面を渡ろうとするとそれだけで溺れるだろう。


「今度は水か」


 砂漠と呼ばれた渇きの海ではあれほど水を求めたというに、今は水が溢れている。

 おそらく次は、水を利用した罠なのだろう。


「……性格悪いな」


 誰に呟くでもなかったが、つい言葉に出てしまっていた。


「コースを作ったのはボクじゃないからね」

「別に、ヘビ子を責めてるわけじゃないぞ」


 ヘビ子の言い訳めいた言葉を俺は否定しておいた。

 ただ作った奴に文句の一つくらいも言いたい。


「ボクだったらこんなに面倒なもの作らないもん。山にだって相当負担をかけてるしさ」


 そうだな。このレースの全貌はどうなっているのだろう。

 これまでだって、結構な距離を進んできた。


「まあいい。カメ子、進んでくれ。何か変わったことがあったら教えてくれ」

「うん。……あ、そういえば水たまりがちょっとあったかいよ」

「暖かい? なんだろうな。だが、そういう感じで何かあったらすぐ教えてくれ」


 水が温かいとは、どういうことだ。何かあるのだろうか?

 ぴちゃん、ぴちゃんと亀は駆け出す。

 しばらく放っておいたら、鼻歌まで歌い始めた。


「元気そうだな」

「うん。だって水場だからね。水は亀の主戦場だよ、今度こそわたし大活躍するんだ」


 カメ子は意気揚々としている。


「何を言っているんだ。お前にはいつも助けられている」

「……うん」


 カメ子は何を思ったのか、頭を甲羅にひっこめた。

 そもそも俺は、亀がいなければこの水の通路を渡る事さえできない。

 前と違って脚の数も半減しているので、容易に壁に張り付き速度を落とさずに進むことができない。

 そしてそのまま進むと、少しだけ地面が揺れた。


「くーちゃん。ちょっとずつ、水があったかくなっているような気がするよ」


 それにわずかに水位が上がってきているようだ。

 ぶくぶくと、道の真ん中が泡を吹いている。しかも熱い水なのか湯気がでている。


「止まるんだ」


 俺は慌てて亀に声をかけた。

 すると、すぐ目の前で水が泡から天井に向かって噴出した。


「カメ子っ。手足をひっこめろっ」


 俺は慌てて指示をしながら、亀と甲羅の隙間に入る。

 隙間から伺うと、水の柱が吹き上がった。湯気が出ていることを見るとかなりの熱いことが予想される。

 それを裏付けるかのように、甲羅を持っていないヘビ子が、落ちてきた熱水を浴びてびちびちとのたうち回っている。


「あっつぁ、熱いって! 誰だよ。間欠泉なんてレースに入れたのは!」


 お前たちだろうが、とはヘビ子に言わずにおいた。

 とりあえず分かったことは、この熱水の柱は間欠泉というらしい。

 俺とカメ子は甲羅に引っ込んでいたので、熱水の直撃は避けられた。


「慎重に進もう。地面が泡立ったら、とりあえず止まってやり過ごそう」

「そうだね」


 カメ子は言われたとおりに立ち止まり、熱水が噴き出てから手足を引っ込める。

 ゆっくりと多少は進むことができるのだが、水が噴き出るタイミングは掴みづらい。

 地面が揺れてからの秒数で判断できるだろうか。

 しかし、危険だ。これほどの熱量を直接浴びれば、俺は一瞬で絶命するだろう。

 そして奥に行けば行くほど、噴き出る熱水が増えてくる。


「くーちゃん、そこかしこから泡が出始めたよ」

「三歩前に進め」

「うん」


 亀には体の構造として、細かい指示ができない。

 だから真横に移動することはできないし、左右に避けるのにも時間がかかる。

 カメ子は通路を駆け抜けているのだが、泡立ちの感覚がどんどん短くなっていった。

 泡を避けながら進んでいたが、そしてついに、カメ子の直下が泡立った。


「前足だけ伸ばせ!」

 

 俺は急いでカメ子に指示を出す。

 その直後、カメ子は間欠泉により、斜めに吹き飛ばされた。


「目を開いて全身を伸ばせ。前転するんだ!」

 

 カメ子は俺の言葉通りに全身を伸ばした。

 そして宙で体がくるりと回って、両手を地につけた。


「おおぉ」


 カメ子はうまく回れたことに喜んだ。


「ほら、やればできるだろう。俺も大体、間欠泉の周期は理解した。このまま進むぞ」

「うん!」


 カメ子の体が半分、温水につかるほどになっている通路をすいすいと進む。

 本当に亀という生き物は大したものだ。

 もし、俺が一人だったら壁を伝って怯えながら移動していただろう。

 この甲羅の安心感ときたら大したものだ。


「いい甲羅だな」

「うん。硬いのはとりえなんだ」

 

 カメ子はにっこりと笑みを浮かべた。


「ところでヘビ子が見えないな」


 つい特別な体を持っているヘビ子だから後回しにしてしまっていたが、つい先ほどまで並走していたはずだ。


「おーい。こっちだよ」


 天井からヘビ子の声が響いてきた。

 見上げると、天井には棘がついておりヘビ子が刺さっている。

 間欠泉に突き上げられて、めり込んでしまったのだろう。

 よく見ると、他にも生き物が何匹か天井に突き刺さっていた。

 ヘビ子は脱皮してぼとりと、地面に落ちてきた。


「うぅ、めっちゃ痛いし、熱いし。泣き叫ぶだけの気力もない……」

 

 しかし、これはかなりの罠だな。

 狼や女王アリでも相当苦戦するのではないだろうか。

 だが、しかしゾウなら。あの体格と重量ならば苦もなく乗り越えてきそうな気がする。


「まるで水の剣だな。こんなものが存在するとは……」


 俺がそういうと、ヘビ子が近づいてきた。


「でも人間はね。こういう熱い水を使って極楽を作るらしいよ」

「極楽。どんなものだそれは?」


 熱水の極楽、とても想像がつかない。

 俺たちの種族にとって、水は天敵そのもの。

 特に、俺くらいの小ささなら例え雨粒だとしても瀕死になれる。


「こういう熱い水。もうちょっと冷やすと、お湯と呼ばれるんだけど。地面を掘ってお湯を入れると、温泉っていうのを作れるらしいよ」

「それからどうするんだ?」

「みんなで入る。終わり」


 ヘビ子は何を言っているんだろう。


「何が楽しいんだ?」

「さあ?」


 温泉もまた、花火と同じく人間の謎の行動なのかもしれない。

 しかし、それもまた良しとする何かが存在するのだろう。


「俺は種族的に泳げないから、溺れるだけだな」

「でも温泉かぁ、楽しそうだね」


 まあ、カメ子は亀だから水が好きなのだろう。


「みんなで入れるといいんだけけどね」

「そうだな」


 俺はそう言う他なかった。

 しかし、こう水に溢れていて良いことが一つだけある。

 こういった場所ではクモの糸は張りにくい。正確に言うならば、クモの巣の粘性は水によって緩和される。

 だからだろうか土蜘蛛が先行しているようだが、まだその姿は微塵も見えない。

 だが、注意はしなくてはいけない。

 罠とは、安心した直後に張るのが最も効率が良いものなのだから。

 その内、水浸しの通路がだんだんと乾いてきた。

 ぺたこん、ぺたこんとカメ子のいつもの足音に変わっていった。


「ねえ、くーちゃん。道が二つに分かれているんだけど」


 俺はカメ子の甲羅の隙間から這い出た。


「また、迷路になっているのか。問題ない、風が強い方向に進めばいいんだが、……少し考える」


 カメ子の上で、微細な風を感じる。

 進む方向は分かる。だが、俺は狼と女王アリの事を思い返した。

 狼とは合流したいが、女王アリが来るかもしれない。

 もし、狼が女王アリを振り切ってきたとして、匂いを伝って俺たちに追いつくかといえば否だ。

 この水の流れはおそらく匂いを消すだろう。それでは狼と合流できないかもしれない。

 次に考えるべきは、この先に待ち受けている土蜘蛛。

 クモは性質上、先に進むことを重視するより、自分の有利な場所で罠を張ることを優先する。

 だが、今の俺たちには土蜘蛛に勝てる要素が一つもない。だったら勝てる要素を持ってくる必要がある。

 俺たちが勝てないなら、勝てそうな奴に戦ってもらおう。

 ゾウ、女王アリ、土蜘蛛。可能な限り、この三者に潰しあってもらいたいところだ。

 もちろん狼と先に合流できて、罠を駆け抜けることが出来るのが最善だ。

 このレースの本質は潰しあいではなく、ゴールへの到達なのだから。


「俺達が進む道に、印を残そう」


 危険を呼び込むのは間違いない。

 それに、そもそもこの印に気づかれないかもしれないし、あるいは悪用されるやもしれない。

 だが、勝つための可能性を一つでもあげよう。


「狼ちゃんの為だね」

「でも女王アリも来るかもよ」


 カメ子とヘビ子は、希望と懸念を同時に言った。


「……あの二匹とは、またどこかで会う事になるだろう」


 女王アリの集団が死に絶えるとは思えないが、地に足がついている狼が負けるとも思えない。

 狼は適度に戦ったら、こちらと合流することを優先してくれる……はずだ。


「ともかく今は、右の通路に進もう。その小石を3つほどこっちに押してきてくれ」

「え、うん」


 カメ子は前足で石を押してきた。


「右の通路の端に、この三つの小石を重ねておこう。これはレースには関係ないだろうから、ヘビ子も手伝ってくれ」

「うん」


 言わばこれは俺達だ。俺達三匹はこちらの道を選ぶという事だ。念のため、糸も巻き付けておこう。

 カメ子も満足そうに石を眺めている。


「狼ちゃんなら、きっと分かってくれるよ。じゃあ、行こう」


 カメ子は勢い込んで、右の道を進んだ。

 その後もいくつかの道が続き、その道の端に石を並べて置いた。

 左、左、右、右、左。

 その間も俺は糸を吐き続ける。距離があるものだから、なかなかの重労働だ。

 風が強い方向に、カメ子に指示しながら進み続ける。

 しかも入り口の形が同じく揃えられており、非常に分かりにくい。

 俺が次の道を選ぼうとすると、道の先から声が聞こえてきた。


「まずいな……」

「どうしたのクーちゃん」

「次の道の先に、何かがいる」


 だが、ここで足を止めるわけにはいかない。

 話し声と言うわけではなく、一匹分の声しかしない。


「ボクの耳にも聞こえるよ。でも、何だろう。……歌ってるのかな?」

「どうしようか?」

「俺一匹なら目立たない。俺が先行する。大丈夫そうなら糸を引くから、それに合わせてついてきてくれ。移動は音がしないように端を歩いてくるんだ。急がず慎重にな」

「うん」


 そして俺はカメ子に糸を括りつけてから、壁を伝う。

 暗がりの通路を覗き見ながら進むと、道の先には大きな虎がいた。

 体毛が黄色ではなく、白い虎。虎としては、珍しい色なのではないだろうか。

 地面にくぼみを作って、その中に熱水をためて浸かっている。ヘビ子が話していた温泉のような状態なのだろうか。

 この道を通らなくては先に進めないが、都合のいいことに虎は静かに目を瞑っている。

 気が付かれぬようにゆっくりと、俺はカメ子を誘導する。

 しかし、虎の歌声を聞いていると、感覚が狂うな。気持ちが落ち込むというか、寂しさや悲しさが伝わってくるようだ。

 ふと歌が止まったので、俺は思わず動きを止めて虎の様子を伺った。

 ぎろり、と白い虎と目があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る