第14話 渇きの海と愚者の夢

 アリに運ばれて、俺は黒の柱の頂上に向かっている。

 地上から10メートル、かつて通った地獄の道と同じくらいの高さだった。

 これほどまでに統制された一族など、見たことがない。

 一族か。……ふと、俺は地獄の道で出会った兄弟を思い出す。

 どうして殺しあってしまったのだろうか。

 もちろんあの時は亀の命を抱えていたから、殺されてやるわけにはいかなかった。

 話し合う隙間だってなかったのだ。だが、未だに欠けた脚を見るたびに、体の中がじくじくと痛むのだ。

 俺は命を抱えることは重いと感じる。

 この女王アリは、この群れを率いるのにどれだけの思いを抱えているのだろうか。

 考え込んでいると柱の頂上に着いて、そこには女王アリがいた。

 俺を運ぶアリは、俺を女王の隣まで運んだ。

 女王の近くに控えるアリどもは親衛隊とでもいうべきものなのだろうか、他のアリ達より一際大きく牙も鋭いように見える。

 俺がおかしな真似をすれば、即座に殺されてしまうだろう。

 女王は俺にちらりと視線を向けると、俺に語り掛けてきた。


其の方そのほうらが空を生きる者どもをほふった故、こうして高き所より地上を眺めることができる。そして、其の方そのほうの話は信ずるに足るようだ。高き所から見下ろせば、水の位置が変わって見えておる」


 俺も高い場所から下を見下ろした。

 遠くに水場も見える、サボテンの場所も見える。やはり計算上の位置は問題なさそうだ。


「それで、何か話でもあるのか?」

「そう、くものではない。水場に着くまで多少の時がある、しばし景色でも楽しむがよい」


 言われて俺は周囲を見渡す。黒の柱が進軍すると、生き物たちは逃げ出している。

 遮るものは何もなく直進している。もしやこの数ならば、ゾウすら殺せるのではと思えるほどだ。

 敵対していない今は、これほど頼りになる集団はいないだろう。

 黒い柱は逃げ遅れた生き物を吸収するように、餌として取り込んでいる。

 更に少し離れたところに、地面を叩く集団がいた。

 あの時のドーシと呼ばれていたゴリラはいないようだが。


「なあ、あれは一体何なんだ」

「知らぬ。だが、不快な連中よ……我が兵どもよ。ほふってまいれ」


 女王の命令によりアリの一団が、集団に襲い掛かる。

 何かを叫びながら、生き物の集団は絶命した。


「ふん。あんなものの話をするだけで、魂が汚れるというものよ。気にするな」

「……ああ」


 なんとなく、黙り込んでしまった。


「そうだ。其の方そのほうは、目は良いか?」

「ああ」

「あれなる場所を、見てみるがよい」


 女王が目を向けた先には、アリジゴクという虫が小さい落とし罠を作っていた。

 アリの天敵の生き物のはずが、今ではアリの大群に押しつぶされていた。


「アリという生き物は、本来あの程度の生き物に殺される。弱き者は喰われ、強き者が生き残る。それは言うまでもなく、何時の時代も変わらぬ自然の摂理と言えよう。それに我は腹を立ててはおらぬがな」


 そういう割には、アリジゴクを怒りをたたきつけるかのように引き裂き、バラバラにしている。

 女王アリは、冷静に振る舞っているだけで激情家なのかもしれない。

 極力、怒らせないように注意しよう。

 そんな女王アリは、ぐるりとこちらに顔を向けた。


「さて、これが世界だ。それなのに何故、其の方そのほうは弱き亀など助けに戻ったのだ? 理由を答えよ。我と協定を結ぼうというなら、嘘偽りは許さぬ」


 何と答えるべきだろう。女王アリはどんな答えを俺に求めているのか。


「役に立つと思ったからだ。亀は俺よりは速い、それに泳げる。このレースにそんな場所があったら有利だからと考えただけだ」

「三度は言わぬぞ。嘘偽りなく、申せ」


 俺は黙り込んでしまった。

 認めたくないことは俺にだってある。


「……放っておけなかったんだ」

「ほう?」


 女王アリは少し身を乗り出して聞いてきた。


「人間になれるかもしれないと聞いて、もし俺が人間だったらどうするかと考えたんだ。人間という生き物は、泣いている奴がいたら手を差し伸べるらしい」

「……すべての人間がそういった生き物ではあるまい。人間の世界もまた争いが絶えぬ。誰かを陥れ、殺し、犯す。憎しみも、差別も、侮辱も無くなることなどない」

「だが、そうじゃない人間もいる。俺はそういう連中が眩しかったんだ」


 光を求めて生きるのは、俺たちのような虫だけではなく、生き物全体としての本能だと思う。


「それとも、人間の真似事をしてみたかっただけなのかもしれん。あるいは、誰かと手を繋いでみたかっただけなのかもしれない」


 人間の手とかけ離れた、とがった前脚を俺は眺める。


「俺と亀……カメ子はどちらも人間になりたい。だから最後は結局、争いになるだろう。あいつを泣かせる事になるは間違いない。でも、それでもぎりぎりまでは、一緒にいてやろうって思ったんだ」


 俺はそこまで言い切ると、深く息をついた。

 

「だから、女王よ。カメ子が弱く見えているとしたら、その分あいつが勇気があるという証左だ。あいつが愚かに見えているならそれはあいつの優しさだ。あいつだって、分かっていてここまで来ているんだ。そしてカメ子はあんな体で、こんなところまでたどり着いた。地獄の道を超え、渇きの海を渡り、あんたの前にだって立ち向かえていただろう」


 カメ子が泣いているままの亀だったら、もうアリの女王にとっくに喰われていたことだろう。

 それでも俺たちがたどり着くまで耐え抜いていた。


「……なるほどな。其の方そのほうというものがよく、分かった」


 品定めをしようとしていたのは、女王アリも同じだったようだ。

 これから協定を結ぼうというのだ、当然のことだ。


「こちらからも聞いておきたい。俺にも女王がどんな生き物なのか、知る権利はあるだろう」

「何を問おうというのだ? 答えるかどうかはさておき、問う事は許そう」


 さて、何を質問しようか。

 相手を知る事は、長所と短所を見極めることに繋がり、交渉方法や戦い方にも関わってくる。

 

「そうだな。女王は人間になったら何をしたい?」

 

 まずは、この女王アリが先を見通して行動するものなのかどうか。

 原始的な願いの本質を知れば、発想方法も理解しやすいだろう。


「うむ。我は人となりしあかつきには、空の果てを目指そうと思うておる。どこまでも広がる暗闇の先に旅立つのだ」


 地球を超え宇宙を行くということだろうか。ずいぶんと壮大な話だ。


「そうか、すごいな」

「ムシケラ如きがと、笑いたければ、笑おうが構わぬ」

「俺が笑うとでも思ったか。そんなことを言ったら、俺がこの体で人間を目指すのは、そもそも馬鹿げた話だろうよ」

 

 むしろ、女王のその言葉には腹が立つ。

 俺を大鷲やら何やらと一緒にしないでほしいものだ。


「たとえ愚者と言われようが、足を止めない奴は未来に進める。人間は海を渡り、空を越え、月にまで手を伸ばした。ならば女王がその先を目指そうとして何が悪いものか」


 俺はそんなことを口にしていた。


「俺にだって叶えたい夢がある。いいや、たどり着くと決めた願いがある」

「聞こう」


 俺は女王に花火の話をした。

 人間だけが行う、生き物からすると最高に無駄な技術と命の使い方。

 この女王はどのような反応をするのだろうか、少しだけ気になった。

 女王の志に比べて、下らぬものだと切って捨てるのだろうか。


「それも悪くない」


 女王は静かに空を見上げた。

 ここは天井のある偽りの空、だがその遥か上をみつめているのだろう。


「……我はアリであるが故か、命を繋いでいくことに意味を感じておる。故に新たな世界を目指し、命をどこまでも、どこまでも縦に続くように紡いでゆくつもりだ」

「いいじゃないか」


 中々、壮大な夢だ。ニンゲンだってここまでの目標を立てている者は多くないだろう。

 そう思っていると、女王アリが俺をじっと見ていることにきがついた。


「……何より、我にはせねばならぬことがある」

「ん? なんだ?」


 女王は押し殺した表情で遠くを眺めている。


「誰より強く生きることだ」

「女王だからか?」

「……そうだ。我が背負いし王冠は、たとえ誰にも見えずとも何より重く誇らしいものだ」


 そう言い切り前を向く女王の姿は、凛として清々しいものだった。


「だが、人間になるのは俺か、カメ子だ」

「そうさな、人間になるための席は一つ。故に、どこまで行っても我らは敵対者よ」

 

 敵だと言い切る割には、女王アリの言葉はほんの少し柔らかく聞こえた。

 俺はそのまま女王アリとその一族を観察する。

 しかし数えるほども馬鹿馬鹿しいほどのアリの群れ。

 このアリの数は狼の力を例え借りることができたとしても、勝てるイメージが全くわかない。

 だが、もうひとつ気付いたこともある。

 アリの女王は今、仲間の数を増やしてはいない。

 俺がここにいて警戒しているからなのだろうか、それとも無限に生き物を生むことはできないのだろうか。

 考えこんでいると、女王アリから声をかけられた。


「……不戦協定の件は了承しよう。条件は、其の方そのほうの言う渇きの海の出口、その場所に我か其の方そのほうのどちらかがたどり着いたところまで有効だ」

「俺もその条件でいい」


 俺はほっと、一安心し女王に気づかれない程度に小さく息を吐いた。


「ちょうど水場についたようだ。其の方そのほうらも補給を済ませておくがよい」


 また送迎用のアリの上に載って、今度は柱を降りて行った。

 カメ子と、ヘビ子、それに狼が俺を待っていた。


「お帰り、くーちゃん。大丈夫?」

「ああ、ここの出口までだが休戦協定を結べた。だが、それよりも水だ」


 俺たちは今度こそ、逃げない水に近づいた。

 カメ子とヘビ子は耐えられないように水に飛び込んだ。

 そして、ぶくぶくと泡立てるように水を飲んだ。

 水は命だ。生き返る、そんな錯覚すらする。

 

「お前ら落ち着くんだぜ」


 狼は苦笑しながらも、水を飲んでいる。

 しばらくそうしていると、アリの親衛隊を率いた女王が近づいてきた。


「さて、実務的な話をしようではないか。出口の探し方に心当たりがあるのであろう」

「ああ」


 俺は女王アリに、出口の探し方を伝えることにした。

 アリの獲物などの探し方は直線だ。何もない平地であればそれでも良い。

 だが、この砂漠でそれは効率が悪い。だからアリの集団をいくつかに分けて、放射状に進ませる。

 ある程度の距離になったら更に放射状に進ませて、全体を網羅していく。

 発想でいうならば、クモの巣と同じだ。


「ただ、この探し方には欠点が二つある」

「さきも言った事ではあるが、我が身が危険になることであろうな」

「ああ、どうしてもこの探索にはアリの数がかなり必要になる」


 この柱でさえも探索のためどれだけいなくなることか。

 この無数とも思える柱のアリの数でさえも、探索のためどれだけいなくなることか。


「だが、その件は了承しよう。狼も其の方そのほうに随分と執心のようだ」


 狼を見ると、いつでも飛び出せるように姿勢を低くして、こちらを伺っている。


「もう一つは俺たちの動きは筒抜けだ。多少知恵の回る生き物ならば、俺たちの後をついてくるはず」

しゃくなことではあるな。だが、止むを得まい。ここで足を止めるわけには行かぬ」


 もうすでに先行している生き物もいる可能性が高いのだ。

 完走することが目標ではなく、誰より早くたどり着く必要があるのだ。

 それならば、俺たちもそろそろ急がなければならない。


「そして出口に入るまでは、お互いがお互いの人質になる。というわけであるな」

「ああ、だから護衛は任せるんだぜ。近づいてくる他の生き物は私が追い払うんだぜ」


 狼が俺たちを見てうなづいた。


「話は相分かった、我が軍の補給が済み次第、行動を開始する。其の方そのほうらは、少し休んでいても構わぬ」


 女王アリは再び黒い柱に戻っていった。

 

 俺をそれを見送って、ふらりと脚から力が抜けて倒れこんだ。


「おい、少し休んでいた方がいいんだぜ」

「いや、すまない。さすがに少し緊張しただけだ。問題ない」


 狼が俺の背中を護るような位置で体を丸める。

 カメ子やヘビ子に俺の弱っている姿を見せないようにしてくれているのだろう。

 確かにあいつらの前ではいつも強く振舞う必要もあるので、狼がこうしてくれることは助かる。


「敵の前で堂々と眠るっていうのは、胆力があると相手も思うんだぜ」


 優しい言い方だ。

 その言葉に甘えて少しだけ眠りたいところだが、先にやっておくことがある。

 俺が狼の体を見ると、大鷲との戦いで負傷している個所の出血が未だに収まっていない。

 傷は早いうちに対処しておいた方が良い。


「後でそうする。その前に……おい、カメ子、ヘビ子もちょっと来てくれ」


 俺は水場に向けて声をかけた。

 カメ子達はざぶざぶと、水から上がってきた。


「どうしたのー?」

「甲羅につけてた、サボテンの棘をもらうぞ」


 カメ子の甲羅に括りつけていたサボテンの棘を二本取り出す。

 一本の棘を地に置いて、もう一本はそれに垂直に立てた。


「ヘビ子。サボテンの棘に穴を作って、人間が使う針のようなものを作りたい」

「ああ、なるほどね。……レースに直接関係ないからいいかな。うん、いいことにしよう」


 ヘビ子はそう言って頷いた。


「わたしたちも手伝う?」


 カメ子が寄ってきて、狼も薄目で俺を見てきたが、俺は断る事にした。


「いや、かなり細かい作業になるかならな。ここはヘビ子に頼もう」


 ヘビ子は非常に器用に尾を動かすことが出来る。

 だが、垂直にした棘で、もう一つの棘に穴を作るのは思っていたよりも難航した。

 何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく針を作ることが出来た。

 そして作った針の穴に糸を吐き、針と糸が完成した。


「それをどうするんだぜ?」

「お前の傷を縫う」

「マジかよ」


 狼は驚いたように目を丸くした。


「多少の痛みはあるが耐えてくれ」

「分かった。有難く治してもらうんだぜ」


 俺は狼に飛び乗って、傷を縫う。

 これは結構な重労働だな。

 くらりと、めまいがする。

 だが俺は狼の毛をかき分けながら、ヘビ子に押してもらいながら針を通して何度も縫う。

 俺の体だと、狼の流れる血だけで押しつぶされそうになる。

 それなりに時間をかけて、なんとか最後の一縫いを終わらせる。


「これでよし、と」

「助かったんだぜ」


 しかし、暑いし疲れた。

 狼の背から降りようと糸を吐こうとしたところで、眩暈がした。

 無理もない。動き続きすぎた。狼の背から降りて少し休もう。

 そのまま、ふらりと糸も吐かずに狼の背から滑り落ちた。

 遠くなる意識の中、みんなの俺を呼ぶ声が聞こえた。

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