第13話 渇きの海と黒の女王

 狼に乗って砂漠を移動していると、更にいくつかのヘビ子の抜け殻が落ちていた。

 ヘビ子は短期間で脱皮を繰り返しているようだ、おそらくは俺達に道を示すためだろう。


「まだ近くから、蛇の匂いがするんだぜ」


 そのまま直線を狼が駆け抜けると、ずっと先に痙攣したヘビ子が横たわっている。

 俺と狼は一瞬顔を見合わせて、その場所に急いだ。

 以前のヘビ子の話だと、脱皮はかなり痛いらしい。だが、そうしてくれたおかけで追いつくことが出来た。


「ヘビ子!」

「ボクの事はいいから、先に行って。後で追いつくから。カメ子はこの先の生き物に捕まってる」


 俺と狼は、ヘビ子の尾が指示した方向を見る。

 その先には黒い柱があった。

 ……嫌な予感しかしない。

 徐々に黒い柱に近づくと、それが黒い蠢く虫の集合体であることが見えた。

 レース開始でも見た黒の女王アリの群れだ。

 そして四方をアリに囲まれた中にカメ子がいた。

 女王アリと正面から対峙している。今は会話をしているようで、未だ五体は満足だ。

 狼は小声で俺に声をかけた。


「結構やべえな。……でもな、お前は私というカードをここで切ることもできるんだぜ」

 

 狼は覚悟を決めたように、目つきを鋭くする。


「……いや。アリの女王と少し会話を試みたい」


 そもそも乾きの海の出口は、俺達の能力だけでは見つけることが出来ない。

 辿り着くためには、アリの女王の力が必要となる。

 最初はアリのあとを隠れ潜んでついていくつもりでもあったが、そもそもアリは索敵に優れるのだ。

 見つかって殺される可能性も高い。ならば、はじめから交渉する方が良いのかもしれない。

 カメ子がこちらを振り向いた。


「あっ、くーちゃん。捕まってごめん」


 カメ子は悄然とばかりに、うつむいた。

 アリの群れに囲まれながらも、まだ無事でいたようだ。


「気にするな。お前と合流して、アリを見つけるというのは計算通りだ。むしろ、よくアリを見つけてくれた。助かるぞ」


 順序が違うだけだし、これからの行動で十分に修正は可能だ。

 俺がそういうと、カメ子はにっこりと笑みを浮かべた。

 俺は黒い柱を見つめる。この柱のどこかに女王アリがいる。 


「女王!」


 俺は声を張り上げて呼び掛ける。

 すると、柱の中から声だけが響いてきた。


「久しいな、クモよ」


 スタート地点であったきりだが、女王アリは俺の事を覚えていたようだ。


「何用か?」

「この砂漠での休戦協定を結びたい」


 俺は本題から伝えることにした。


「ほう?」

「女王。確かに俺たちは敵だ。優勝という一つの席を争う不倶戴天の敵どうしだ」

「相違ない」


 黒の女王アリは静かに同意した。


「だが、レースはまだ続く。ならば、お互いこんなところで損耗するわけにはいかない。違うか」

「ふむ。それもまた、相違ない」


 女王アリは狼を警戒をしているのだろう、狼に対してアリの兵士たちが扇のような陣形を作った。


「黒アリの女王たる我としても、ここで狼の女帝と争うのは利がないと思うておる」

「私の事は女帝なんて呼んでほしくないんだぜ」


 狼は何かしらの思いがあるのだろう。その呼び方を断ってきた。


「ふむ。ならばただの狼よ。其の方そのほうの立ち位置はなんであるか? そのクモとの関係は?」

「私はこのクモには借りがあるんだよ。一度だけ、それを返すつもりだぜ」

「ほう。狼ほどのものに、貸しを作らせることができたか。どうやったのだ?」


 これまで冷静に話していた女王は驚きの声を上げた。


「ああ、ほんと大したもんだぜ、空の上で大鷲のヤロウと大立ち回りをしてなあ」

「いや、あれは狼が……」


 と言いかけたところで、狼と視線があう。

 このまま話をさせろと、視線だけで考えが伝わってきた。

 しかしそうか。交渉するなら多少話を盛っておいた方がよいのかもしれない。

 カメ子は、ふぇぇと感嘆の声を上げている。


「……とまあそんな感じで、とどめこそ私が刺したが、実質あの大鷲相手にタイマンで勝ったようなもんだぜ」

「ほう」


 あの時は余裕など一ミリもなく、必死だっただけだ。


「聞く価値がある話ならば、対話も構わぬと思うておったが」


 俺をじっと睨んでいるようだ。


「だが、其の方そのほうはそれ以上に危険なもののようだ。多少の被害が出たとして、ここで仕留しとめるにくはないやもしれぬな」


 黒アリの柱の目が一斉に赤く光った。強く俺を警戒しているのだろう。

 狼の言葉は逆効果になってしまったのだろうか。

 だがこうなった以上、この路線で押し切る。

 俺は狼から飛び降りて、一匹で黒い柱の前に進む。


「くーちゃん!」


 カメ子が焦ったように声をかけてくる。


「みんな動くな」


 俺は狼とカメ子に向けて言葉を発した。

 もちろん女王アリにも動いてほしくない。

 俺が道を進むと、黒アリの兵士たちが立ちふさがった。


「道を開けよ」


 たった一言で、黒い絨毯のようにも見えたアリの一団が海が割れたかのように道が拓いた。

 そして柱も割れ、その奥に俺よりほんの少しだけ体の大きい一匹のアリがいた。

 女王はアリの柱に隠れていればいいものを、こう危険を晒してまで、俺の前に姿を現した。

 この一匹は他の同じ姿の大勢とは違う。

 舞い散る砂塵が、女王アリの背に光を浴びせると、まるで女王を輝かせて見える。

 そして整然と首を垂れるアリの一軍。

 この体にして、なんという威厳だろうか。圧力のようなものを感じさえする。


「話を聞こうか、我が闘争相手よ」


 女王アリは厳かに声を発した。

 声が波となって俺の体に響くという錯覚を感じるほどだった。

 女王アリは俺をじっと見据えている。敵として認識しているのだ。

 恐ろしく危険でもあるが、多くの生き物から気付かれなかったり嘲られてきたことを考えると、いっそ誇らしいものでもある。

 それならば、俺も強く振舞わなくてはならない。


「アリの女王よ。俺は、このレース優勝するつもりだ」


 優勝宣言は、黒アリの女王に対しての宣戦布告でもある。


「ほう。よくぞ我を前にして言い切った。だがな、勝つのは我だ。我が一族だ。我や、我が命に連なるここにあるものが、このレースの勝者となるのだ」


 少し驚いた事に、女王は自分自身が勝つことに執着をしているわけではないようだ。

 女王アリは俺の様子に気が付いたのか、少し言葉を続けた。


「我が命は全にして一である。個にして群である。我は、ただの司令塔にすぎぬ。ここにあるものが全て我が命である」


 この話を事実とするなら、この群れに勝つのは非常に困難だ。

 女王であるこのアリを倒したところで、別のものが王となり再び立ち上がるということなのだろうか。


「女王に勝つ気があるならば、話は早い。俺の持つ手段と、女王の持つ手段を組み合わせるならば、この渇きの海は越えられる」


 無論、運が良ければ偶然出口にたどり着く生き物もいるだろう。

 だが、俺は幸運に期待はしない。

 だからこそ、今は女王アリの力が必要なのだ。


「女王よ。互いに理のある話だ。検討の余地はあるはずだ。それとも俺を怖れる程、お前は弱いのか? ……違うだろう、女王よ」

「ここまで辿り着いたのだ、其の方はそのほう弱き者のはずがあるまい」


 淡々と女王アリは俺に告げる。


「だが、我もまた弱き者ではない。故に語るがいい。価値あるげんつむぐならば、其の方そのほうは命をながらえる事になるであろう」


 その返答に俺は答える。


「俺は水場の位置を知っている。出口の探し方もだ。だが、出口を見つけるためには女王の力が必要になる」

「ほう。詳しく申してみよ」


 俺は砂漠のどこかに出口が隠されているであろうという推論、女王アリならそれを探せることを伝えた。


其の方そのほうの話には、一つ穴がある」

「何だ?」

「数こそ力である。だが我らが分散すれば、力は激減し我らが全滅することもありえよう」


 確かに黒アリの集団に対しては、そういう仕留め方もある。

 数が多いからこそ減らせばいいとも言える。

 女王の憂慮ももっともだが、俺はここで引くわけには行かなかった。

 俺はちらりと、狼に目を向けると力強く頷いた。

 狼は聡明だから、例えアドリブだったとしても俺の言おうとすることを理解してくれているようだ。


「狼が、この渇きの海の出口までの女王の護衛となる」

「どんな生き物にだって、遅れはとらないんだぜ」


 牙を見せて笑って見せる。

 確かにこの狼は非常に強い。優勝候補の一人ともいわれるほどだ。


「なるほど。探索している最中は我自身が、人の言葉でいうところの『人質』になるということか」

「そうだ。俺達だって当然、安全は確保したい」

「ふむ。しかし、それは其の方そのほうらにとって都合がよすぎるものであろう」

「だから、こちらからも人質を出す。あんたの近くに人質を置こう」


 俺はそう提案してみた。


「じゃあ、ここはわたしの出番だね」


 すると、カメ子は小さい前足を上げた。

 危険性が分かっていないのだろうか、身を乗り出している。


「いいや、俺だ。俺が人質だ」

「ほう」


 女王アリは目を細めるように、じっと俺を見つめた。


「それに女王の一族の主が人質なら、俺たちの一族の主の俺が人質になるのが等価というものだろう」

 

 一見等価に見えるがそうでもない。

 先ほどの女王アリの話を信じるならば、もしここにいる女王アリが死んだとしても別のものが群れを率いるだけの事。

 本当は、こちらが不利な条件ではある。

 だが、交渉事とは互いが得をして、且つ相手がやや有利ではないと納得しないものだ。


「……よかろう。差し引きで考えるならば等価としよう」


 女王アリは、そう決意してくれたようだ。


「だが、条件付きだ。先に水場に案内せよ。それが事実であるならば、渇きの海での不戦協定を認めよう」


 俺は大きく息をついた。

 緊張がどっと解けると、体がズシリと重く感じる。

 少し疲れてしまったようだ。


「くーちゃーん」

 

 カメ子が俺に向かって、とてとてと走り寄ってくる。


「カメ子。無事だったか」

「うん。くーちゃんも、狼ちゃんも無事でよかったよー」

「おう、だぜ」


 狼は自身の肉球をぐいぐいとカメ子に押し付けている。

 カメ子は頭を伸ばして狼を、押し押ししている。

 仲の良いことだ、と微笑ましく見ていたら、カメ子がこちらを見つめてきた。


「潰れるから俺にはやるなよ」


 少し空気が緩んだところで、アリの黒い柱に戻った女王が声をかけてきた。


「ところで、このヘビは喰ろうてもよいものか?」


 アリの群れが、いつの間にかにヘビ子を持ち運んできた。


「やーめーてー。ボクは美味しいと思うけど、やめてよね!」


 食べられたくないなら、美味しいとか言わなければいいのに、ヘビ子はおかしなところにプライドがあるようだった。


「いや、そいつは俺の友達だ。女王の言葉でいうなら、『一族』みたいなものだ」

「……ふむ。残念だ」


 アリたちは、ぼとりとヘビ子を落とした。

 ヘビ子は俺に向かって駆け寄ってきた。


「なんなの? アリって、めっちゃ怖いんだけどさ」

「ああ、ヘビ子。さっきは助かった。皮を残しておいてくれたんだろう、おかげで追いつけた」

「うん、ありがとうね。ヘビ子ちゃん」

「へえ、なかなか根性あるんだぜ」


 ヘビ子は照れ屋だということを知っているので、口々にほめてみた。


「ふん。ボクは別に、そんなんじゃないからね。急に脱皮したくなっただけだし」


 ヘビ子は謎の理由を言い出した。


「さて、なごむのも構わぬが、そろそろ水場に向かおうではないか」


 女王アリが俺に声をかけてきた。


「ああ、今の女王の位置から37度の方向、8732メートル先に水場はある」

「ここから水が見える位置と、ずれているようだが?」

「熱気によって視界が歪んでいる。見えている先には水はないぞ」

「ならば何故、その位置に水場があると判断できるのだ?」


 女王アリの疑問はもっともだ。

 だから俺はもう少し細かく説明することにした。


「俺はこの砂漠だとできることは少ないからな。距離だけはずっと測っていた。道中にサボテンという緑の木があったんだ」

「ふむ。緑色の植物ならば、亀のいたところにあったと報告にある」

 

 女王アリは頷いた。


「そして、狼の上で移動した距離と、大鷲の上で移動した距離。そして、空でサボテンの木が見えて、水場も見えたんだ。高さから割り出していけば、水場がどこにあるかが計算できる」

「ほう。恐ろしい能力だな、それは」

「種族的な問題だろう。距離が測れぬものには、クモの巣を作り上げることができないからな」


 ここまで言い切っておいてなんだが、まだ水場にたどり着いていない以上、安心はできない。


「よし、ならば全軍で前進するとしよう。迎えをよこす、其の方そのほうは我が柱に乗るがいい」


 アリの柱の中から、一匹のアリが進み出た。

 この上に乗れということなのだろうか?


「さすがに、あぶねえんだぜ」

「ボクもどうかな、って思うよ」

「くーちゃん、どうするの?」


 三匹は口々に止めようとする。


「それとも、怖気づくか?」


 競争相手との同盟は、弱気を見せたら即座に喰われる。

 ならば、内心がどうであろうと堂々と振舞うほかない。


「女王よ、その招待に応じよう」


 俺はきっぱりとそう言い切り、迎えに来たアリの上に乗る。

 ゾウの時と同じだ。必ず乗り越えねばならない相手ならば、危険を犯してでも相手を知らなくてはならない。

 とは言ったところで、このアリの群れの中を進むというのは何とも体が凍り付くように厳しいものだ。

 人間が断頭台に上る気分というものは、こういうものなのだろうか。

 そう思いながら、迎えに来たアリの背に俺は乗ることにした。

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