第12話 渇きの海の空に舞う

 大鷲の足に飛びついて、俺は大鷲のつま先からよじ登っていく。

 気を抜くと、すぐさまにでも風圧で吹き飛ばされそうだ。

 風圧に慣れてくると、俺は空の上から周囲を眺めることが出来た。

 俺達の種族は壁を昇るのが得意とはいえ、ここまで高いところに昇ったことはない。

 考えてみるならば、空での情報はこの先進むために役に立つだろう。

 俺はよくよく注意して周囲を確認することにした。

 一面の砂の海が広がっている。だが、道が広がるばかりで出口はどこにも見えない。

 大鷲の高度を考えても道の先は15Kmほど見えるはずなのだが砂ばかりだ。

 足の速そうな生き物たちが、遠くで散り散りの方向を走り回っているのが見える。

 やはり、おそらくこの先は行き止まりなのだろうか。

 視界の端に、小さい緑のサボテンがぽつんと見える。

 おそらくはあのあたりに、隠れているカメ子とヘビ子がいることだろう。

 そしてそこからさらに離れた場所に、水があった。

 間違いなく水場だ。何匹かの生き物が集まっている。

 だが、俺がサボテンの木のあたりで見えた水場とは位置が異なっている。

 水場では水が熱気で揺らめている。あるいは、あれで視界が歪んだのかもしれない。

 ここで見た水場の位置は覚えておこう。こんなところに来るつもりはなかったが、来たかいがあった。

 ……生きて帰れればだが。

 あとは、このサボテンの棘をこいつの目に突き刺してしまえばいい。

 そうすれば、狼はこの大鷲を殺せるはずだ。

 俺はゆっくりと、大鷲に気付かれないように進んだ。

 背中を伝って顔の近くまで行こうとすると、風圧がさらに強くなる。

 ふと、大鷲が空中で静止した。俺はその隙に大鷲の目に近づく。

 ぎょろり、と。大鷲の黒目が俺を見つけた。


「ほう、気色の悪いムシケラごときが、よくも儂の上に乗ってくれたものだな。何をしにここまできた」


 静かに怒りをにじませた声で、大鷲は俺を威嚇する。

 

「あんたを倒すために、ここに来た」

「かかか。愉快な事を言ってくれるものだ。そんな体でどうすると?」

 

 大鷲はさらに上空高く舞い上がると、一瞬体を止めて急降下する。

 俺は吹き飛ばされないように、大鷲に必死でしがみつくことしか出来なかった。

 大鷲がにやりと笑いながら、再び上空に高く舞い上がる。

 もう一度、同じことをされたら間違いなく吹き飛ばされる。

 まだ目の部分にたどり着いてはいないが……ここで使うしかない。

 俺は背中からサボテンの棘を引き出し、大鷲の顔の部分につきだした。

 大鷲はぐわっ、と悲鳴をあげた。


「ぐぬ、ムシケラごときがっ。儂の顔に傷をつけおったな」


 大鷲は上昇と急降下を何度も繰り返す。

 俺は気を失いかけるが、それでも何とか棘にしがみついて耐える。

 このままでは大鷲も埒が明かないと思ったのか、こんどは地面すれすれを急降下した。

 自身が風を巻き起こして、砂を巻き上げる。

 そして、翼の方向を変えてその砂粒の中に突撃した。

 舞い散る砂粒が俺にいくつもぶつかるり、強い痛みを感じる。

 その内の一粒が俺の目を一つ潰してしまったようだ。

 こんな砂粒にも負けるほど、俺の体は柔らかい。

 大鷲はそんな俺の様子をぎょろりと瞳を回してから冷笑した。


「脆いなムシケラめ。だが、先ほどは見えておらんかったが、お主があの狼の目になっておったのか」

「だとしたら何だ」

「かかか。あの狼も愚かだと思ったまでよ。ムシケラとつるむ連中も、所詮はムシケラよ」


 俺は黙り込んだ。確かに俺は虫ではある。

 だが、何故狼がこの大鷲に笑われねばならないのだろうか。


「かかか。ムシケラよ、お主の行動は無駄であったな。お主はここで死ぬ。あの狼も儂が泣き叫ぶまでいたぶってから、はらわたを引きずり出してやろう」


 俺は体の奥が怒りで熱くなるのを感じた。

 だが、こいつを許さぬと決めたなら、冷静に腹を立てなければならない。

 どうすれば勝てる、どうすればこの大鷲を倒せるのだろう。

 俺は周囲を瞬時に確認する。

 とはいえ周囲には何もなく、使えそうな武器もない。

 空を見ると、何処までも青く明るい空が広がっているように見えている。

 だがヘビ子が以前話していたことによると、ここは山をくり抜いて造られたレース会場だと言っていた。

 見えている太陽はも大空も偽物。

 空があるように絵で描かれているのだろう。つまるところ、天井が存在する。

 これは使えるかもしれない。


「俺が死ぬだって? 空の彼方から落ちるならともかく、こんな程度の高さで落ちたところで、俺は痛くもかゆくもない。それともあれか、ほんの少し他の生き物より空に浮いている程度の事で、自分が偉くなったように勘違いでもしているのか?」


 俺はとりあえず大鷲を挑発してみた。


「おうおう。言うてくれるではないか。ならば、その身をもって確かめてみるがいい」


 大鷲はぐんぐんと高度を上げる。

 空が描かれた天井が、もう目前に近づいてくる。

 だが、天井にぶつかる直前で、ぴたりと大鷲は止まった。


「なぁんてなあ。ムシケラ如きの稚拙な企みなんぞ、儂にはお見通しよ。空を知る鳥が、天井に気づかぬとでも思うたか?」

 

 にやりと大鷲は笑みを浮かべた。


「さあ、どうするムシケラ」


 大鷲は勝ち誇って、羽を大きく広げた。

 ……あんたは絶対に油断すると信じてたよ。

 ムシケラの知恵だと、この程度だと油断したな。

 あんたは高く舞い上がって、降下する前に一瞬動きを止める。

 俺が欲しかったのは、この空白の一瞬だ。

 風に吹き飛ばされない今の一瞬に、大鷲の瞳に向けて駆け出した。

 大鷲は空を飛べる翼がある代わりに、俺を振り払える腕がない。

 俺にはもう武器はない。だがまだ、この脚がある。

 俺は体ごと大鷲の瞳に突撃し、脚を突き立てた。

 ぐわっ、と大鷲は鈍い悲鳴を上げた。

 そして、ばちりと瞬きをした。

 体が砕け散るような痛みと共に脚を一つ失い、俺は宙に投げ出された。

 俺の全身は痛みで痺れる。文字通り瞬き一つで死ねるほどに俺は脆い。

 俺はゆっくりと落下をしながら大鷲の様子を見る。

 未だに大鷲が痛がっているところを見ると、俺の脚の一本は大鷲の瞳に残ったようだ。

 俺は軽いから、落ちても死なないだろう。

 落ちる先に敵がいるわけでもない。押しつぶされる状況でもない。

 だが、目を赤くした大鷲が俺を睨んでいる。


「殺す。お主は引き裂いて殺す。そして踏みつぶして塵にしてくれよう」

 

 空中では身動きができない。

 このままでは言う通りに、殺されてしまうだろう。

 俺に何かできないだろうか。じたばたと空中でもがくも何も変わらない。


「砂の海の塵と化せっ」


 大きい翼を広げて、大鷲が俺にぎらりとした爪を向ける。

 避けなくては。地上の狼のように華麗にでなくてもいい。

 どんなに無様な恰好だろうと、避けて生き延びなくては。

 どうすれば、空を動ける? 鳥はどうやって空を飛んている?

 大鷲は風をつかむように翼を広げている。

 それなら、俺は少しでも近いことをするためには、どうすればいい?

 その時、見えない風が俺の体をないだ。

 そういえば俺の体は柔らかいから、風には見えない流れがつかみやすい。

 それが空でも、同じことなのではないだろうか。

 そこから更にに身動きをするためにはどうすればいいかと考え、俺は糸を吐き糸を手繰るように引く。

 俺の体が少しだけ風に流れて、落ちる方向を変える。

 その刹那、大鷲の爪が間近を通り過ぎる。


「……かわしただと?」


 大鷲が驚愕の声を上げたが、俺自身も驚いている。


「ちっ、運のいいクモよ。目がやられて、距離感がつかめぬのかの」


 大鷲はそう言いながら旋回し、俺を見据えた。

 俺は糸をひきつけ、風をつかむと再び、大鷲の攻撃を寸前でかわす。


「……なんだと」


 これが偶然でないことに大鷲も気付いたのだろう。

 ぎろりと俺を睨みつけ、くちばしを引き締めた。

 俺はその後も向かってくる大鷲を相手に、何度もひらりひらりと、流れる風に乗るように大鷲の一撃をすんででかわす。

 この軽く柔らかい体も、使いようだ。


「この。この、ムシケラが!」

「そのムシケラに勝てないあんたは、ムシケラ以下か? いや、ムシケラ未満だな」


 怒り狂っている大鷲の判断を狂わせる為に、俺は挑発を織り交ぜていく。

 慣れてくると、高速で近づく大鷲の引き起こす風に乗って避けることもできるようなった。

 やがて地面が近づいてきたので、俺は身をひるがえして着地した。


「かか。散々コケにしてしてくれおってからに。だが、ここで終わりだっ」


 大鷲の爪が俺にあたる直前、その爪が掻き消えた。

 遠くに大鷲の爪がちぎりとんでいる。

 一瞬遅れて、大鷲は悲鳴を上げた。

 俺の視界の端には、頼もしい狼の姿があった。


「おしめえなのは、テメエなんだぜ」


 狼がその爪で大鷲の足を引き裂き、そのまま大鷲の胴体にかみついた。

 大鷲は大きい体をびくりと痙攣させた。

 もう、大鷲は助かるまい。


「お、……お」


 大鷲は何かを言おうとしている。

 狼は俺の前にすっと出て、大鷲を警戒している。

 

「……おゆるし、を」


 大鷲は空に向けて呻き、そして大きく血を吐いて地に伏した。

 お許しをというは、敵対していた俺たち以外の誰かに向けての言葉だろう。

 このレースで、一体誰の?

 どうにも、気味の悪さがぬぐえない。

 狼は足先で大鷲をつついてみているが、もはや反応はない。

 だから、とりあえずは終わった、のか。

 俺は深く息をついた。

 ずっと息を止めていた気さえする。


「おう、お疲れなんだぜ」


 狼が、俺に目を合わせるように体を低くして、声をかけてきた。


「ああ、助かった」

「おいおい、それは私の言うことなんだぜ」


 ふと、狼は笑みを浮かべた。

 

「なあ、そういえば鳥の連中と何で争ってたんだ?」


 疑問に思ったので、俺は聞いてみた。


「喧嘩売られてな。ムカつくから買ったってのと、あのジジイがな。おかしなこと言ってきたんだよ」

「どんなことだ?」


 大鷲はレースから脱落したが、おそらくどこかに大鷲と関係する生き物がいるだろう。

 これは聞いておかなくてはならないだろう。


「『人間は憎くないか』『世界を壊したくないか』とさ」

「……狼は何て答えんたんだ?」

「『人間は憎いし、世界は嫌いだぜ。但し』……」


 狼は何かを思い出したのか、ばんばんと地を前足で叩いた。


「あのジジイどもめ。そのあとの事は言いたくないんだぜ」


 狼は眉間にしわを寄せた。

 狼にとっては随分腹立たしい事のようだ。だから、一旦話題を変えよう。


「なあ、そういえば聞いてみたかったんだが、狼の目的ってなんだ?」

「……引っ張るほどの、秘密でもなんでもないんだけどな。百人が聞いたら、百人が笑う内容だから言いたくないんだぜ」


 俺は人ではないから笑わないと思う。それにそもそも狼の話なら真摯に聞くつもりではある。

 だが、話の流れを考えるに、おそらくは鳥たちにその内容を馬鹿にされてしまったのだろうか。

 そのうえで、カメ子は笑わないと思って話し、友達になったのだろうか。

 だがそれが何であれ、俺に答える気はないようだ。


「あー、そうそう。誤解のないように言っておくんだぜ。私は喧嘩はそもそも嫌いなんだぜ」


 狼はこの話題に触れられたくないのか、話題を変えてきた。


「その割に、やりあってるみたいだったが?」

「いやあ、売られた喧嘩は全て買う主義なんだぜ。舐められるのは、もっと嫌いなんだぜ」


 喧嘩が嫌いというのと、喧嘩っ早いというのは両立するものなのだな。

 とはいえ、こうして話していると狼はとても穏やかで理性的だ。

 この狼を怒らせるとは、鳥たちはよほど狼を挑発したのだろう。


「負けるのだって、さらに嫌いなんだぜ。……狼が負けていいものなんて、一つしかねえんだぜ」


 ……それは、人間なのだろうか。

 それ以外の全てに負けないと決めているという事だろうか。

 狼自身に聞くのは、酷なことだろう。


「ともかくだ。それで、これからどうするんだぜ」

「まずは、亀と蛇と合流する。今はカメ子とヘビ子と呼んでいる」


 俺はぐるりと周囲を見渡すと、緑のサボテンはなかった。

 戦いながらかなりの距離を移動していたのだろう。

 一応方向は分かっているが、目に見えないと不安である。


「そのあとで、空から見たら水場が見えたから、そこに向かおう。そして補給が終わり次第、アリを見つけて出口を探す」

「ん? 隠されてるのか出口。そういや変な動きをしている生き物がいたんだぜ」

「可能性があるだけだ。まずは合流を急ごう」

「じゃあ、私に乗っておくんだぜ。方角は?」


 そう言いながら、狼は自分の前足を差し出す。

 俺はよじよじと狼の頭の上に登った。


「137度にまっすぐだ。狼の足だと5分もすれば、サボテンと言う緑の木が見えると思う」


 狼はさっそく駆け出してくれた。

 俺の不安な気持ちも汲んでくれているのだろう。


「……少し真面目な話でもするんだぜ」


 狼は前を向いたまま、俺に話しかけてきた。


「私は人間には多少思うことがあるんだぜ。だから、にんげんレースで優勝しようっていうお前の仲間にはなれねえんだぜ」

「ああ、そうだろうな」


 俺の目標はあくまで人間になることだ。

 それはずっと変わらない。


「けど今回、借りができた。その分は必ず返すんだぜ」

「……俺は、狼にこの前に受けた借りを返しただけだ」


 そもそも狼に恩に着せる作戦のつもりが、つい俺はそんなことを口走ってしまっていた。


「違う。私がこの前、助けたのは亀なんだぜ。だから今回の件は、お前に対しての借りだぜ」

「狼は真面目だな」

「そうだぜ。それにいいか、狼は約束を何より大事にするんだぜ」


 狼は誇り高いのはこれまでの行動でも分かる。侮辱には命を懸けて戦うような生き物だ。


「だから約束だぜ。私はお前のどんな願い事でも、一個だけ、必ず叶えてやる」


 狼の瞳に嘘はない。故に、この一つはとても重い言葉だと分かる。


「例えば、ゾウって奴に遭遇したか? あいつは私より強いけど、あいつを殺せというなら、命をかけて殺してやるんだぜ」


 そうだ。そもそも大鷲と戦う時だって、この狼は相打ち覚悟だった。

 俺がそれを約束とするならば、この狼は命を懸けてくれるだろう。


「例えば水が足りねえっていうなら、私の首を自分で掻っ捌いて血を飲めるようにしてやるんだぜ」


 自分の命すら秤にかけると言っている。

 明らかにやりすぎな気がするが、この狼はやると言ったら、やるだろう。

 何故そこまでするのか、狼は誇りが強い生き物だと言っていたが、ここまでだとは。

 最後の一匹というならなおさら、覚悟を背負って生きているのだろうか。


「……重いな、約束」


 俺はそう口にするのが精一杯だった。

 俺はその意味を考え込んでいると、走り続ける狼から声をかけられた。

 もうサボテンが間近な距離にある。


「おい。緑の木はあったが、亀と蛇の姿が見えないんだぜ」

「……姿を隠しているからな」


 だが、緑の木の近くに俺は降り立ったが、二匹の影も形もなかった。

 俺は不安に駆られながら、二匹に声をかける。


「おーい。カメ子、ヘビ子。戻ったぞ。どこにいる?」


 俺は見渡すが、声は帰ってこない。

 何者かに連れ去られたのだろうか?

 考えてみれば、この緑の木は目印だ。

 ほかの生き物だってここに来る可能性はあった。索敵に優れる生き物などいくらでもいる。

 だが、姿を隠しているカメ子には、目印であるここで待っていてもらうしかなかった。

 どうすればよかった? どうする? これからどうすればいい?

 周囲には何も見えない。


「おい。絶望するには、まだ早いんだぜ」


 狼は地面に埋まっていた何かを掘り出した。

 そこには、ヘビの抜け殻があった。

 ……ヘビ子は、これを残していったのか。


「この蛇の匂いなら追えるんだぜ。亀を助けるついでだ。だから、この分は『願い事』じゃないくていいからよ。乗っていくんだぜ」

「助かる」


 カメ子とヘビ子、どちらも一緒にいるかは分からない。

 だが、手掛かりはこれだけだ。


「おう、任せるんだぜ」


 俺は再び狼に乗り、狼は砂漠の荒野に走り出した。

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