第8話 地獄の先の二つの儀式

 長い緩やかな下り坂を、亀が走っている。

 周りに生き物もいないし、このあたりは危険度は少なさそうだ。

 だから、暇つぶし、というわけでもないが亀に話しかけてみた。


「なあ、亀。そういえば狼とは友達だとか言っていたが、どんな話をしたんだ?」


 狼には借りができた。

 俺は先ほど出会った不思議な狼を、思い出していた。 


「ごめんね、くーちゃん。それは狼ちゃんとの約束で、秘密なんだ」


 何となく疎外感を感じて、俺は亀の甲羅の上で不貞腐れた。

 そんな俺の様子を見て、すすっと蛇が近づき小声で話しかけてきた。


「どうしたんだよ、小さいクモ。不機嫌じゃないか」

「別に」


 俺は口を尖らせるように、そっぽをむいた。


「まあ、誰にだって秘密はあるよ」


 レースの黒幕の一味が言うと、説得力が違う。

 それにしても友達か。こんなレースでそういう関係性を結べるというのは貴重だ。

 そういえば蛇……というか本体のような光る玉に、友達になろうと俺が言った事がある。

 だが、何をすれば友達となるのだろうか。

 人間は友達がいる、という知識はある。

 だが、どういう方法で友だちになるかまでは、俺は知らなかった。


「なあ亀。お前は、狼とどうやって友達になったんだ? 何の話をしたかじゃなくて、友達のなり方なら話せるだろう?」


 実際に友達のいる亀に聞いてみようか。

 何の話をしたかは言えなくても、経緯は言えるだろう。


「えー、何となくかなあ」


 なんだ、このふわっとした答えは。これでは理解ができん。

 亀に聞いたのが間違いだった。


「蛇。お前の知識だと、どうだ?」


 こいつなら、俺達よりも人間に詳しいだろう。

 数えられないくらいの長生きをしていると言っていたしな。


「うーん。僕の知っている知識だとね。人間ってお互いを殴り合って、握手をすると友達になるそうだよ」


 何故それで友人ができるのか、人間とは不思議な生き物だ。


「人間は野蛮だな。もう少し、理知的な生き物かと思っていたぞ」

「でも、これは長く言い伝えられている方法だからね、何らかしらの理屈はあると思うよ」


 野蛮と言い切ってしまった俺の方が、思慮が足らないのかもしれない。

 俺と蛇は頭を悩ませる。どんな論理がそこには存在しているというのだ。


「そういうものなのー?」


 亀は気楽にそんな事を言う。

 しかし、見えていない理屈があるのならば、よくよく考えてみなくてはなるまい。

 『殴り合う』というの意味から思案しよう。

 これは『殺し合う』ではないのだ、殺戮を前提としない暴力をあえて振るい合うということである。

 殴り合うという事は即ち、お互いに負荷をかけるということ。

 だが、人間において友達というのは尊重すべきものとされている。だとすると、『殴りあう』行為は友達関係を成立させる条件と大いに矛盾している。

 ならば、大事なのはその後の過程なのだろうか?

 握手をする、つまるところ許しあう。

 

「殴り合って許し合うのは一種の練習だ。長く生きていれば、お互いに意見が衝突することもあるだろう。その時に殺し合わないようにするため、その後に和解し合うための予行練習だ」

「おお、なるほど。たしかにそうかも」

「えぇ、そんなに難しいことかなあ」


 蛇は感心したように頷いたが、亀は疑問のようだった。

 亀は自然に友達ができるかもしれないが、俺はそうじゃない。

 自分で納得しないと、友達は作れない。

 関係性というものは難しいものだ、例えば俺と亀は目的が一致している。

 だが、蛇は違う。

 本質的に蛇は管理側の人間であり、俺達レースの参加者にとってみるとくろまくだ。

 それに、蛇がどんな奴かを詳しく知っている訳でもなければ、俺達を直接助けてくれるわけでもない。

 ただ、わざわざ身体を用意してまで俺を見守りに来たやつだ。

 ルールに反しないぎりぎりの所で、こちら側になろうとしてくれるやつだ。

 俺と立場は違えども、同じ世界を見ようとした奴だ。

 こいつを友達と言えないなら、俺がこの先人間になったとしても、誰も友達とは呼べないだろう。

 ……だから、危険だろうが、友達の儀式を行わねばならないだろう。


「よし、亀。少しだけ止まってくれ」

「うん」


 周囲に他の生き物がいないことを確認して、俺は亀から降りた。


「よし、蛇。友達の儀式を執り行うぞ。俺が潰れないくらいのぎりぎりの力で、そっと殴るといい」


 俺が気合を入れて言うと、蛇は渋面をつくった。


「ボクは、力加減は得意じゃないよ」

「くーちゃんとへびちゃんは、もう友達なんじゃないのかな」


 二匹はそう言って儀式に反対のようだ。

 まあ、そうだな。

 俺の身体はボロボロで、残りの足の数だって少ない。

 そして蛇は、俺の身体より随分大きい。

 時間が貴重だって言うことも、十分に分かっているとも。


「これは、大事なことなんだ。今こうしている俺達が、明日どころか次の瞬間には誰かがいなくなっている。そんな事は十分以上にありえることだろう」


 主に俺は、死にやすい。

 最初からそれは分かっていたことで、覆せない事実だ。

 今、生きているのだって、偶然に幸運が重なる結果だったろう。だからこそ、やれる約束は果たさねばなるまい。

 俺の言葉に、二匹とも黙り込んだ。


「俺だって、ここでレースを終わりにするつもりはない。だから蛇、全力で慎重にやってくれ」


 これは矛盾する言葉ではない。

 蛇がわずかでも力加減を間違えると、俺は潰れる。

 なるほど、友達を作るというのは、相手を信じていなければできないことだ。


「……キミの気持ちは分かったよ。……さあ、覚悟はいいね」

「いつでも」


 蛇には、人間のような繊細な手はない。

 だから、そっと尻尾を動かした。

 尾の先が震えている。蛇が睨むように俺を見ている。蛇もまた必死なのだろう。

 俺は静かに待った。

 そして、震える尾が俺の身体にぶつかる。

 身体がきしむような強い痛みが走ったが、何とか耐えきることができた。


「よし、次は俺の番だな」


 俺は前足で蛇の鱗を軽くと突いた。


「……うん、痛い。ボクはこの痛みを覚えておくよ」


 蛇は静かにそういった。

 そして俺は蛇の尾の近くに歩き、俺の前脚と蛇の尾の先をちょこんと合わせた。


「これで握手の代わりだ」


 今は人間のような手はない。

 だが、それで手が繋げないと誰が決めた。


「そうだね。これでボクらは」

「『友達』だ。だね」


 俺と蛇は声を合わせて言った。

 これにて友達の儀式イニシエーションは完了したので、俺は再び亀の甲羅の上に移動した。

 亀はのしのしと、走り始めた。


「ボクは折角だから、キミの呼び方を変えることにするよ」


 そういえば、人間の友達には仇名あだなとかいう習慣もあったな。


「小さいクモではなくて、これからはクーと呼ぶことにするよ。……さあ、クーもボクにかわいい仇名をつけるといいと思うよ」


 さて、どんな名が蛇にはよいだろうか。

 かわいい、すなわち女性らしく、それでいて蛇らしさを兼ね備えた名前にしなければなるまい。

 俺は名前をいくつか考えた末に、これぞという名を蛇に告げた。


「『ヘビ子』で、どうだろうか?」

「ちょっと! クーは単純すぎないかな!」

単純こそ正義シンプル・イズ・ベスト、人間のことわざだ。……他にも色々考えたんだが、ヘビ子が一番良かった」

「ちなみに、他の名前の候補だと何なのさ」


 俺は思いついた名前を幾つか上げてみる。


「スネークだから、『すね子』とか、蛇はウワバミとも言うらしいから、『うわばみ子』とか」

「ほんとにもー、キミのセンスは壊滅的だね。この中じゃヘビ子が一番マシだよ」

「じゃあ、ヘビ子で」


 そんな事を言い合いながらも納得したようだ。


「亀、手間をとらせたな」

「ううん。仲良しは大事だよね」


 亀はいつものように朗らかで、機嫌がいいようにすら見える。


「あ、そう言えば。くーちゃんとへび子ちゃんは、いつからの知り合いなの?」


 その言葉に、俺は返答を悩んだ。

 蛇が光る玉、即ち黒幕の一味とは亀には秘密にしておこう。

 友達を売らない。それは、とても大事なことだと思う。


「秘密だ」


 俺は亀と同じ言葉で返してしまう。


「そっかー」


 亀は怒った様子ではなかったが、話を蒸し返されても困る。何か話題がないものかと、俺は道を眺めた。

 長い通路の上部には薄らぼんやりとした光がついている。


「そういえば、この通路の光って、なんでできているんだろうな。こんな所じゃ、人間共の使う電気ってわけでもなさそうだが?」


 俺が疑問を口にすると、蛇が教えてくれた。


「これは、燐っていう化学物質さ。ほんの少しの温度で火と光に変わるんだよ。燃えるものだから、クーみたいな小さい生き物は近づかないほうが良いかもね」

「そうだな」


 俺の種族は火に弱い、特に糸は簡単に燃えるものだから、あの辺りには近づかないほうが良さそうだ。


「そういえば、くーちゃん」

「どうした?」

「わたしとくーちゃんって、どういう関係なんだろう?」


 そういえば、こいつとの関係性は何なんだろう。

 俺達は最後で争わなくてはならないから、純粋に仲間とは言えないのかもしれない。

 だからといって、利用し合うだけの関係だと言い切れないくらいには、多少の情が湧いてしまっている。

 同じ夢を見る者同士、同志ともいえるのだろうか?

 だが、互いの夢は両立しないことが決まっている。

 何というべきか、俺は答えに窮した。

 だが、亀は答えを待っているようだ。


「俺と亀の関係は、仲間だろうな」


 俺は苦し紛れにそう言ったが、亀は頷いた。

 そう、進むべき道は一緒であるのには違いがない。


「うんうん。仲間だね」


 亀はふんふんと鼻歌を歌い始めた。


「……よし、亀の呼び名も考えるか」


 そもそも亀は、おれの事をくーちゃんとか言い出しているしな。


「『カメ子』でもいいが……亀はタートルともいうし、もじって『タルト』とか、『ルゥ』とか」

「ちょっとクー。ボクの時より、名前の候補が可愛いんだけど」

「別にいいだろう。うわばみ子」

「ボクはへび子です。間違えないでよね、もう。っていうか、クーは分かって言っているだろう」


 もちろんわざとだったので、すまない。と、俺は口の上だけで謝罪してみた。

 しかしへび子も、本当に怒っているわけではなさそうだ。


「わたしは、カメ子がいいな」

「よし。じゃあ今後はカメ子だ」

「うん!」


 カメ子は暴れるように、ぺたこんぺたこんと足を早めた。

 三匹で、そう和やかに話をしながら進んでいた。

 命の危険がない今のうちは、楽しいものだ。

 だが、そんな時間も長く続くわけではない。

 そのまま少し歩いていると、どしんどしんと振動音が伝わってきた。

 覗き込むように道の先を見ると、ゴリラを中心として、数十匹ほどの動物が狂ったように地面を叩いている。

 異様な雰囲気に、俺は呑まれそうになっている。

 その集団の全ての生き物が、中央の大きいゴリラに向けて体を投げ出すように地に伏せている。


「ドーシ。ドーシよ、我らに救いを与えたまえ」


 そいつらの特徴として、目の色がおかしい。

 全ての生き物の目が血走っており、陶然とした目つきでドーシと呼ばれるゴリラを崇めているようだ。


「すくおうとも、すくおうとも。われらはみな、あるじがもとに。ゆえに、なすべきことをなすがいい」


 ゴリラは両目から大量の涙を流しながら、両手を開いて生き物たちに地面を叩くことを強いているようだ。

 俺は、あまりの不気味さにおぞけがたつ。


「どうしよう、くーちゃん」


 亀は困惑というより、混乱した目つきになった。俺に尋ねる声が震えている。

 無理もない。正直これは、かなり不気味だ。


「……目立たないように、道の端でそっと通り抜けよう。……いや、少し動くな」


 ゴリラが大地に両手をつけると、一瞬目を瞑り両手を広げて上を見上げる。

 そうしてその大きい両手を天に突き上げた。


「ドーシ。ドーシ。いかがなされたドーシ」

「しずまるがいい」


 その一言で、先ほどまでの狂騒が嘘のように辺りが静まり返った。

 多くの生き物がひれ伏して、ゴリラを見上げた。


「ふむ。このちた。みなよ、つぎのにむかおう」

「ははぁ」


 肉食も草食の生き物も様々いる集団だったが、一斉に頭を下げるさまは一つの生き物のようだった。

 あの生き物たちも俺達と同じ用に、お互いの長所を発揮しながらレースを進んできているのだろうか。

 だが優勝は一人なのに、あの規模の組織を率いられるのは凄まじい。

 見習うべきなのかもしれないが、何故だろう。

 彼らを見ていると、……ものすごく気持ちが悪い。

 俺達は見つかりたくもなかったので、そのまま彼らを見送った。


「あの生き物たちは一体、なんだろう。怖いや」


 亀はぶるりと震えた。

 あれを見て、違和感を感じない生き物はいるまい。


「あまりあいつらを見ない方がいい。雰囲気に吞まれるぞ」

「うん」


 カメ子は悄然とした。


「ねえ、クー」

「どうしたヘビ子」


 ヘビ子は先程までと打って変わって、真剣な表情だ。

 亀には聞かせられない話なのか、小声でささやく。


「あいつ、ものすごく嫌な感じだよ。多分ボクらだけじゃなくて、多くの生き物の敵になると思う」

「……そこまでの奴か」


 ヘビ子が推測で、ここまで断言するとは。


「うん。ボク、今まで色んな奴を見てきたけどさ。ああいう目をした奴って、他が傷つくことを厭わないんだよ。……だから気をつけてね、ほんとに」

「……覚えとこう」

 

 俺達はしばらく無言で歩を進めた。

 そうして進むうちに、光が強くなってきた。そして周囲も、どんどん熱くもなってきている。

 蛇がしゅるしゅると俺に近づき、耳打ちする。

 

「そろそろ、次の障害物が近いよ」


 視界が開けてきて、俺は驚愕した。

 そこにあったのは、一面の金色の砂の海だ。

 外に出たのかとも思ったのだか、不思議なのは太陽がいっぱい存在している。


「砂漠、っていうものを模してつくった迷宮だよ。空に見えるものは絵で、たくさんある光源は疑似太陽だよ」


 この砂でできた海が砂漠か。

 とても生き物が、生きていられる環境じゃない。


「よくもまあ、こんなものを造れたものだな」

「細かい事は言えないけど、結構広いよ。ああでも、レース会場は山脈を切り抜いて作っているんだけど、崩れる心配はないから安心して」


 そうか、このレース会場は山の中だったのか。

 考えてみれば、これだけ広い洞窟と言うのは中々ないだろう。

 疑似太陽というものがどういうものかは分からないが、太陽が複数ある事の問題は一つだ。

 太陽を道しるべにできないから、道に迷いやすいという事だ。


「一定の時間が経過すると疑似太陽が、疑似月に変化するけどね」


 改めて聞くと恐ろしいレース会場だな。


「あついよぉ」


 亀が暑さのあまり、茹だっている。

 俺だって照りつける熱で、歩くだけで蒸発しそうだ。

 見渡す限りの砂の海に、俺達は一度立ち止まった。

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