風塵の迷宮

第9話 渇きの海を渡る戦車

 体を焼くような熱気が、黄色い砂の大地から立ち上がっている。


「暑いな」

「そうだね。ボクもまさか、ここまで辛いとは」


 蛇はレース作る側の立場だったが、体感してみるとまた違うものがあるのだろう。

 

「くーちゃん、どうしよう。早速行こうか?」

「ちょっと待て。考える」


 俺は先程の障害であった、地獄の道を思い返した。

 障害物としては単純であったが、悪意が高かった。この道も、やみくもに進むだけではろくなことにはならないだろう。

 ここで起こりうることは何かを、先に予測しておく必要がある。

 この砂の海は、歩くだけでも消耗する。

 しかも道の先が見えないほど広い。これは方向を見失う可能性もあるか。

 問題なのは、一面の砂ということは隠れる場所がないということだ。

 そして何より、水もない。

 水がないまま進むためには、どうすればいいか。

 どうしても水が見つからないならば、せめて代わりを見つけるという発想になるだろう。

 代わりになりそうなものの答えは他の生き物の血なのだろう。血をすすり、水の代わりとするものが現れるだろう。

 ただ、血だって純粋に水の代わりになるわけじゃない。

 どんどんと喉は渇いていく。

 渇ききる前に、この黄色の海を渡れということか。

 入り口付近には、何匹かの生き物が身体を休めている。

 なるほど、あの生き物たちは待っているのだ。

 ある程度の生き物たちが先を進んだところで追いかけて、道の途中の補給としてさらに進むためにだ。

 この障害を俺達のような小さい生き物が超えていくためには、見つからない必要がある。


「準備に時間をかける。少し待っていてくれ」


 俺がそう言うと、亀は疑うでもなく頷いた。


「うん。分かった」


 クモの糸は二種類ある。

 粘性のある糸と、ない糸だ。

 本来の使い方であれば、粘性のある糸で獲物を捕食し、粘性のない糸の方で移動する。

 俺は粘性のある糸を吐き出し、砂をまぶす。

 それと粘性のない糸を交互に吐いて、それを組み合わせていく。

 この黄色い海を渡るのには、亀の力が必要不可欠だ。俺の脚と速度では歩くだけで干からびてしまうだろう。

 それならせめて、準備だけは十全にしておこう。

 俺が準備している間に、いくつもの動物たちが先を進み始めた。

 焦る気持ちも押し殺して、目の前の作業に没頭する。

 そうして用意が仕上がった。


「待たせたな。こっちは終わったぞ」


 俺は二匹に声をかけた。


「ボクらも、ちょっと話してたよ」

「どんな話だ」

「ちょっと、カメ子にもボクの正体をそれとなく伝えておこうと思ってさ」

「ええと、へび子ちゃんはへび子ちゃんだよね」


 カメ子は、どこまで理解しているのだろう。

 あるいは分かったうえで、こんなことを話しているのかもしれない。

 相手がどんな立場だろうと、こいつの事だ。つい情を持ちやすい。


「とりあえず、ボクは直接的にはキミらを助けられないということだけは覚えておいて欲しい」

「うんうん。でも、わたしたちは仲良しだよね」

「まあね」


 お互いが納得しているなら、俺から特に言うことはない。


「それで、砂の海を渡るための準備がこれだ」


 砂と糸で編み込んだドレスのようなものを見せた。

 光に反射して、キラキラと輝いている。これを被れば砂の海に紛れるだろう。

 砂の海を渡るための、人間で言うところの迷彩服だ。 


「うわあ、綺麗」

「これを着てだな。目立たないように移動しよう」

「なるほどね。大体の生き物は目で判断するからね。結構有効かも」


 蛇が感心したように、砂の服を眺めた。


「これを着てもいいの?」


 カメ子は目を輝かせて、砂の服を見つめている。


「いや、だから着ろと」


 カメ子は、するりと砂の服を着て、手足をバタバタと動かしてる。

 ずいぶんと興奮しているようだ。


「落ち着け。砂が落ちる」

「うんうん。ごめんね」


 カメ子は、ゆっくりと手足を伸ばしたりしている。


「なあ、ヘビ子。あいつは一体どうしたっていうんだ?」

「あ、ボク聞いたことあるよ。人間って服とかの贈り物をすると喜ぶらしいよ。カメ子ってどうも人間っぽいところがあるから、そんなとこじゃないかな」


 ひそひそと、俺はヘビ子と話をした。


「服ではなく、装備なんだが……」

「カメ子には、違いがあんまり分かんないのかも。でも、そうだね。クーも優勝して人間になるんだったら、覚えておいた方がいいことがあるよ。こういうときは『似合っている』とか、『どう似合っているか』を言って褒めるのが礼儀らしいよ」

「なるほど」


 俺は、カメ子に近づいて一声かけることにした。


「よく似合っているぞ。まるで景色に溶け込んでいるかのようだ」


 迷彩服としては非常に機能的だと思う。

 これならば、砂の海でも見つかりにくかろう。


「えへへ。そうかな」

「……ボクは、何か違うような気もするけど。まあ、カメ子が喜んでいるからいいのかな?」


 首をかしげるへビ子に俺はもう一つの迷彩服を渡した。


「ほら、お前の分だ」

「え、ボクの分もあるの?」

「何でないと思ったんだ?」


 カメ子が迷彩していたからって、並走するヘビ子が隠れていなかったら迷彩の意味がない。

 しかし、ヘビ子も何を思ったか尻尾をばたばたと振っている。


「おい、砂が落ちる。お前もちゃんと、景色に溶け込んでいるから、落ち着け」

「褒めるのって、そっちじゃないよね! 似合ってるって言う方だよね!」

 

 褒めたのに、何故かヘビ子に怒られてしまった。

 ともあれ、俺達は砂の海を渡ることにした。

 俺はカメ子の首元に乗り、カメ子は勢いよく進んでいく。

 確かに暑いが、カメ子は渇きに強いのか、少なくとも今のところは走る速度は一定だ。

 目の前には何の障害もなく、ただただ黄色い世界が広がる。

 その黄色の砂をかき分けて進むさまは、本当にこんな海を泳いでいる気分になる。


「なんだか楽しいね、くーちゃん」

「そうかもな」


 先のことを考えず、そして敵がいなければこんな旅も良いのかもしれない。

 そう考えられるくらい、思った以上にここは順調だ。

 少なくとも安全に進むという意味においては、これまでになく順調すぎる。

 却って不安になるくらいだ。

 更に、暫く進むと、入り口の方から地響きがなった。

 

「なんだろ?」

「前を向いて走っていろ」


 俺が振り返ると、多くの足の早い生き物たちが一直線に走り込んできた。おそらく、地獄の道を超えてきたのだろう。

 その中に狼がいるかと、目で追ったが今の所姿は無かった。


「ぶつかっちゃうかな? わたし急には方向変えられないよ」

「大丈夫だ。ぶつかる直前になったら、手足をすくめればいい。俺はちょっと甲羅の隙間に入れてもらうぞ」

「うん」

 

 俺は、カメの首元の付け根に身を隠した。

 亀の甲羅は頑丈だ。だから、踏まれても平気なはず。

 軽快な走り寄る音がして、一瞬亀の体が砂に沈み込んだが、そのまま音が遠ざかっていった。

  

「……大丈夫だね」

「走っていく勢いもあるからな、体重がそのまま乗る訳じゃない。よほどの生き物でなければ大丈夫だろう」

 

 しかし、足の速い生き物に次々と先を越されてしまった。

 あるいは、亀ごと足の速い生き物に張り付けば、先に進みやすいのだろうか。

 ……いや、やめておこう。

 気付かれて殺される可能性もあるし、何よりその生き物がまっすぐ進むとは限らない。

 しかし、長い道だ。未だに出口も見えないし、思っている以上に広い。

 考えているうちにも、次々と生き物たちが俺たちの先を進む。

 

「カメ子、不安になるかもしれないが、あわてるな。着実に行くぞ」

「うん。あわてずだね」


 さらに走っていると、激しい地響きがなった。

 その勢いで俺は、カメからずり落ちそうになった。

 ヘビ子が俺に忠告に近づいてきた。


「まずいよ、クー」


 ヘビ子がちらりと後ろを振り向く。

 俺も合わせて、視線で追う。

 後方から砂煙が立ち上っていた。

 まだ、相当の距離があるというのに、地面の揺れがここまで響いている。

 砂の海が震える、どれほどの重量なのだろう。

 やっと姿が見えてきた。

 山のような体躯に、鼻が地に着くほど長い生き物。

 ゾウだ。


「ばおぉおぉぉぉぉぉぉ!」


 ゾウの咆哮が響き渡る。

 びりびりと、カメ子の甲羅に音が衝撃として伝わってくる。

 ゾウは走りながら、周囲の生き物を殺しまわっている。

 逃げようとする生き物を、器用に鼻で捕まえて踏み殺している。

 競争相手をつぶしにかかっているようだ。

 さっきから生き物が必死に走っている理由はこれか。このゾウから逃げようとしていたのか。

 ゾウはこちらの方角に向けて全力で直進している。


「くーちゃん。どうする?」


 いくらカメ子だとしても、このゾウは重過ぎる

 踏まれれば、甲羅も真っ二つだろう。

 ここの距離なら、まだ避けられる。だが、……

 俺はゾウの歩幅と速度を確認する。


「あいつを観察したい……あと、3歩進んだら立ち止まってくれ」

「分かった!」


 カメ子はためらうことなく、俺の無茶な要求通りの場所に、ぴたりと止まった。


「立ち止まってやり過ごすぞ。静かにな」

「うん……」


 俺は、カメ子の首元から抜け出て、甲羅の上に乗った。

 俺くらいの大きさなら、ゾウも気付かないだろうし、ここならゾウがよく見える。


「……くーちゃん、危ないよぉ」

「どこにいても同じだ。気付かれていない今、どんな奴か間近で観察する」


 こんな危険な生き物に気付かれずに接近できるのは、めったにない機会だ。

 俺とカメ子は静かにゾウが通り過ぎるのを待つことにした。

 ずしり、ずしりと音が近づいてきた。

 ゾウの足がカメ子に掠めただけも甲羅がバラバラになるだろう。ひとたまりもないというやつだ。

 目の前に柱のごときゾウの足が、砂に突き刺さった。

 カメ子は今更意味もないのに、甲羅の中で身をすくめた。

 俺はただ、じっとゾウの歩き方速度、皮膚の様子を観察する。

 それに首の角度、鼻の長さ、尾の位置。どこの場所ならゾウの死角となるだろうか。

 そして、俺達の前に別の足が差し出されて、そのまま進んでいった。


「いったかな?」


 カメ子が甲羅から顔を出した。


「ああ、もう大丈夫だ」


 ゾウが走り去った方向を見ると、一つの道ができていた。

 多くの生き物がゾウによって命を奪われ、屍を晒していた。


「……すごい生き物だね」


 あんなものに勝てる生き物は、果たしているのだろうか。


「クー、危ないよ。キミは何をしてるんだよ」


 ヘビ子が近づいてきて、俺に声をかけた。


「いつか、あれともぶつかる時が来るだろうからな、よく見ておかないとな」


 とはいえ、どうにも隙はない。

 あの長い鼻は、体のほとんどに届くだろう。

 勝てないという実感が増えただけだった。


「あのゾウだよ。このレースの第一優勝候補は」

「そうか、あれが……」


 ヘビ子が俺に告げた言葉に、俺は深く納得した。


「あらゆる牙を跳ね返す分厚い皮膚。どんな小細工もねじ伏せる圧倒的な力」


 そう、そもそもゾウは俺たちに気付いてすらいない。

 特に俺などは、鼻息一つで爆散できる弱い体だ。

 あれにどうやったら勝てる?

 勝ち筋が全く見えない。思考が迷宮に入り込んでしまった。

 いいや、違うか。答えがないと分かってしまったというべきか。

 どうする? どうすればいい。

 考え込んでいると、俺を見ている蛇と目があった。


「言いたいことは、言っていいぞ」


 また勝てない、とか言われるのだろうか。

 まあ、そうだとしても戦うしかない。


「ボクは、キミの事をただの小さいクモだとは、もう思ってないよ。キミは強いさ。ボクはこんなに心が動いたのは初めてだよ。優勝候補だってたくさんいるよ。でもさ、……ボクはこのレース、キミに勝って欲しいかな」


 ヘビ子はそのまま何を思ったのか、しゅるしゅると砂に潜って表情を隠した。

 そうだな、負けていられない。


「ゾウって強そうだったね。でも、わたしも頑張るからね」


 カメ子は手足を伸ばして気合を入れたようだ。

 こいつは空気を読んでいないのか、それとも読んだうえでの言葉なのだろうか。

 そうさ。俺はまだ生きている、カメ子もいる。

 まだ、気力は萎えていない。

 

「進みながら考える」

「そうだね」


 俺はカメ子と気合を入れた。

 そして、また道を進み始めた。

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