第10話 渇きの海に走る水

 ゾウと遭遇した場所から随分と進んだが、未だ出口が見えない。

 うだるような暑さに、カメ子も黙々と進んでいたのだが、ぴたりと足を止めた。


「くーちゃん! 遠くに水が見えるよっ」


 俺が目を凝らすと、ぼんやりと水の影のようなものがある。

 かなり距離があるが、あれはおそらく水だろう。


「……あ」


 ヘビ子が、ぼそりと呟いた。


「どうしたんだ?」

「ううん。なんでもないよ」


 こいつが口を噤むという事は、レースに関係するものなのだろうか。

 あるいは何かの罠なのかも知れない。だが、周りには何もない。

 行くなら、他の生き物がいない今しかないだろう。


「よし、水の場所に行くぞ」

「うん!」


 意気揚々とカメ子は勢いをつけて、足を進める。

 水が近いということで、元気になったのだろう。

 遠くに見えるが、亀の足ならほんの少しだ。周囲に敵はいない、視界は開けている。

 ぺたこん、ぺたこん。

 亀の歩く音だけが聞こえてくる。

 思ったより水は遠いのか、まだ先に見える。

 楽しそうに走っているカメ子が、少しづつ疲れてきたようだ。早く水場につかなければ体力が持つまい。

 ぺたこん、ぺたこん、ぺたこん。

 おかしい。

 俺はじっと水の位置を確認しているんだが、距離が縮まったように見えない。

 

「止まってくれ」


 水はさっきから、全く変わらない位置にある。


「……水に近づけない」

「……やっぱり、そうだよね」


 ヘビ子の方に振り返ると、ヘビ子は尻尾で、自分の表情を隠している。

 レース管理者として、言えない情報があるのだろう。

 少なくともこの態度から、あの水は恐らく罠なのだろうと推測はたつ。


「あっちの方に、緑の木みたいなものもあるよ」


 カメの指示した方に目をこらすと、確かに小さい緑色があった。


「水の場所に行くか、緑の木の場所に行くか」

「くーちゃん、どっちに行けばいいかな」


 カメ子は、判断を一度間違えた俺に尚も聞いてきた。

 正解を選ばなければ。……あるいは、どちらも正解でない可能性もあるのか。

 どちらにするべきだ。どうするべきだ。

 このまま水を追いかける。

 するとこれまでと同じように、水は逃げるのかもしれない。

 緑の木が生えるということは、僅かなりでも水があるのかもしれない。

 なかったとしても、木の中には水分があるだろう。


「ここでは水は動く。だが、木は動かないかもしれん。それなら緑の木に向かおう」

「うん。行くよー」


 カメ子は俺の言葉に従って、木を目指し始めた。

 木は、動かないよな? とりあえず、今までと行動を変えてみよう。

 俺は内心不安だったが、木の場所は変わらず、どんどんと近づいてきた。

 

「もうちょっとだよー」

 

 カメ子もそれに気付いたのか、更に速度を上げて木に近づいた。

 近くで見ると丸い緑色の植物は、棘だらけだった。


「刺さると痛そうだね……いたたた」


 カメ子は緑色の植物に触ろうとして、棘に阻まれた。

 おそらくこの植物はこうして身を守っているのだろう。


「この緑の木から棘を抜く、少し待ってろ」


 俺はさいわい体も小さいので、棘の隙間に入り込むことができる。

 糸を棘に巻き付けて、根元から引っ張るがなかなか硬い。


「すまんが手伝ってくれ」

「うん」

 

 カメ子の手も借りて、何とか植物の棘を抜いた。

 さらに時間を消費してしまうが、緑の木で何とか棘のない部分を作り出せた。


「喰えるか?」

「うん。……むぐむぐ、表面硬いけど中はおいしいよ」


 カメ子は早速緑の棘の木にかぶりついた。


「さす……むぐむぐ……くーちゃ……むぐむぐ……だよね」

「喰い終わってから話せ」


 しかし、この硬い棘は武器になるかもしれない。

 亀の甲羅に、糸で何本か棘を結び付けておこう。


「これはサボテンって言ってね。砂漠に生える植物さ」


 ヘビ子がこの緑の棘の木の名前を教えてくれた。

 なるほど、この植物は、他の生き物に食べられないように棘だらけなのだろう。

 俺もカメこの食べ残しの皮に噛り付きながら、周囲を見渡した。

 空を見ると鳥たちが、様々な方向をぐるぐると巡っている。

 鳥は幸い俺達には気づいていない様子ではあるが、俺は鳥たちの動きが不可思議だった。

 目の良い鳥、方向感覚だって奴らは優れている。

 それが出口へ目指して一直線に飛ばないということはどういうことだろう。

 それなりの高度を以て飛んでいることから、獲物を探している様子でもない。

 鳥は、行く道が分からないということだろうか。

 考えてみるならば、鳥たちは相当前からこの渇きの海にたどり着いているはず。

 その翼によって以前の通った地獄の道ですら、何の障害にもならないほどの生き物だ。

 それなのに、いまだにここにいる。

 ならば出口は、鳥には見つかりにくいところにあるのだろう。

 このレースの主催者は多くの生き物を振るいにかけている。いや、誤魔化さずに言うならば、できる限りの生き物を殺そうとしている。

 ならば、次の道への出口は悪意を持って隠されていると考えるべきか。

 どこに隠す、どこに道はある?

 サボテンの上に立って周囲を見渡してみる。

 辺りには砂ばかりで何もない。強いて言えば、先ほどと同じく逃げる水だけが遠くに見えている。

 

「あれ、くーちゃん。どうしたの?」

「少し考える」


 カメ子に声をかけられたので、下を見てみると、カメ子は景色に同化していて姿が見えない。

 首だけを伸ばしている部分だけ、少し目が合った。

 目立たないが、動いているから完全に隠れきることは難しいか。

 と考えているとき、ふと思いついた。

 ……もし、次への道が景色と同化するように隠されているんだとしたら?

 空に飛ぶ鳥たちが見つけられていないのは、そうして隠された地下にあるからなのではないだろうか?

 出口を見つけられない多くの生き物はここで、乾いて死んでいくだろう。


「出口は地下にあるかもしれない」

「ええっ、そうなの」


 カメ子は驚いて目を丸くした。

 だが、そう推測したところで、どうすればいいかは更に考える必要がある。

 考える間もなく動くべきではない。やみくもに動いても体力が減るだけだ。

 カメ子も元気な顔をしているが、暑さで水分が減っているのだろう。少しやせたように見える。

 どうやったら出口にたどり着けるだろうか。

 俺は距離を測ることは得意ではある、カメ子は体力が大分ある。

 

「じゃあ、頑張ってしらみつぶしにすればいいかな?」

「違う。ここは頑張ること自体が罠になる。いかにお前が体力があろうが、この乾いた海はそれより広い」


 もし、実力でこの乾いた海を渡れる生き物がいるとしたら、どんな生き物だ。

 足の速い生き物ではない、体力のある生き物でもない。

 探索する能力の高い生き物だ。俺の脳裏に一匹の生き物の姿が思い浮かんだ。

 

「……アリを探す。スタートの場所にいた黒アリの女王を覚えているか?」

「うん。いたね、すごく怖かったよ」


 群れで動く生き物で、あらゆるほかの生き物たちを食いつくしていた。

 今では更に数が増えているだろうか。


「あの生き物なら、しらみつぶしが可能だ。そして何より奴らが出口を見つけたならば、アリはその場所に集結するだろう。つまり、後が追える」

「なるほど。それについていけばいいんだね。さすが、くーちゃんだよね」

「そうでもない」


 俺は自分の力だけでは、レースに勝つことはできない。

 カメ子の背に乗せてもらっていることだってそうだし、今回は敵の力も利用しなきゃいけない。

 しかも、下手に見つかるとこちらの命が危ない。いつだって綱渡りだ。

 だが、暗くなっても仕方がない。


「……まず、できることからしよう」

「うん。アリさんを探すんだね」


 カメ子はしゅっと、手足を伸ばしてやる気を見せた。


「いいや、カメ子はサボテンを食べた後は少し寝ていろ」

「ええっ、そうなの?」


 だが、俺はカメ子の気力に水を差すことにした。

 根性だけでは超えられない壁がある。体を休めることも時には必要だ。


「ほかの生き物が来る前に、補給を済ませたほうがいい。俺は周囲の警戒をしている。……何かあったら起こす」

「そっかー。じゃあ、少しだけ。おやすみー」

「ああ、お休み」


 俺がそういった数秒後には、カメ子は規則正しい寝息を立てた。

 直ぐに眠りについてしまったのは、この暑い中疲れていたんだろう。

 文句ひとつ言わず、よくついてきてくれる。

 俺は周囲を観察しつつ、ずっと黙っていたヘビ子に声をかけた。


「それで、お前はサボテンを食わなくていいのか?」

「うん。ボクのこの体は特別製のボディでね。徐々に無限再生するんだ」


 どういう仕組みなのかは知らないが、さすがは管理側の用意したものだ。

 だが、おそらく完全な体ではないだろう。前に出会ったとき、脱皮して痛がっていた。


「しかし、のどは乾くだろう」

「そうだけどさ。食料にも限りはあるだろうしさ。……ボクだって君らを助けられないしね。お互いにしょうがないよ」


 ヘビ子はそう言うと、黙り込んだ。

 あるいは、逃げる水の事を俺たちに告げられなかったことに負い目があったのかもしれない。


「いいから、食っておけよ。まだ、サボテンには数があるだろう。カメ子も起きていたら同じことを言うだろうからな、……別に俺がお前を心配して言っているんじゃない」


 俺はそういう言い方をして、顔をそむけた。


「……まったくもう、クーはツンデレ男子なんだから」


 ヘビ子は謎の単語を口にした。ツンデレとは一体?

 ちらりと様子を見ると、ヘビ子もサボテンを食べ始めた。

 やはり、特別製のボディだろうが喉が渇くのだろう。

 そのまましばらく、周囲の観察を続けた。遮蔽物がないから周りが良く見える。

 そして、サボテンの上で立ち止まっていると、恐ろしい事に気が付いた。

 疑似太陽、そういわれた屋上に張り付いている太陽のような光源が、緩やかに移動している。

 太陽を基準に動いている生き物は、これではどこに進めばいいか迷うことになるだろう。

 少し時がたつと、多くの生き物がそこかしこで争って血を流していった。

 砂は血を吸い取りながら、金色に輝き続けるのをやめないでいる。

 少し前まで美しく見えていた光景も、躯がそこかしこに増えて地獄の様相になっている。

 俺はそんな生き物が争いあうはるか彼方に、狼を見つけた。

 目を凝らしてみてみると、鳥の群れと戦っている。足元にも何匹もの鳥が落ちているが、相当数の鳥に囲まれている。

 如何に狼が強かろうが、場所が悪い。足元は砂で足がとられるだろうし、森なんかと違って遮蔽物もない。

 このままでは、まずい。


「カメ子。起きろ」


 俺はとりあえず、カメ子を起こすことにした。


「んー、どうしたのクーちゃん」

「向こうに狼がいる」


 俺が小さい脚で方角を示すと、カメ子は驚いて口を大きく開いた。


「あ、狼ちゃん。襲われてるよ!」


 カメ子は悲痛な声を上げた。

 カメ子のことだ。おそらくは、助けに行こうと言い出すだろう。

 仲間のカメ子が行くと言ってきかないなら、仕方がないから俺もついていくしかない。

 俺はどうやって、鳥たちと立ち向かうかを考え始めようとしたが、カメ子が震えていることに気が付いた。

 そして、カメ子はぽろぽろと涙を零した。


「どうした?」

「助けにいっちゃいけないんだ」

「理由があるのか?」

「狼ちゃんが、こういう時は助けに来るなって。……約束だって」


 あの短い時間の中で、カメ子と狼はどんなやり取りがあったのだろうか。

 だが、それを尋ねる時間もない。

 そもそも、俺が助けに行く必要があるのだろうか。

 そんな理由なんてないはずだ。確かに以前一度助けられたことがある。

 だが、そんなことを気にしていては、レースに勝つことなどできはしない。

 ここは背を向けてみなかったことにするのが正解だ。正解なのだが、俺は狼から目を離せないでいた。

 そう、俺があいつを助けに行ける理由いいわけなんてない。

 あの鳥の群れを見ると、脚がすくむ。

 とても遠くにいるはずの、狼は俺のほうをちらりと見たような気がした。

 そして狼は、高く遠吠えをした。


「なんだろう、狼ちゃんは何て言っているんだろう?」

「ボクも分からないよ」


 二匹はそう言ったが、俺には何となく意味は分かる。

 狼は、こっちに来るなと言っている。

 カメ子とは助け合う関係だ。ヘビ子とは友達だ。

 けれど、利害関係なく助けられたのは狼が初めてだったな。

 まあ、狼にとっては友達のついでに助けただけかもしれない。それでも嬉しかった。

 それに、ふと俺は狼と出会った所にいた、俺と同じ姿をした兄弟の事を思い出した。

 結局争うことになってしまったが、本当のことを言うと、あいつとはもう少し話がしたかった。……だが、それは二度と叶わない。

 狼とも、もう少しだけ話をしてみたいと思う。そして、あいつはまだ生きている。


「……俺が行く。俺は狼と『助けに来るな』なんて、約束をしていないからな」


 だから俺は、いつの間にかこんな馬鹿なことを口にしていた。

 俺は臆病にも震える足を、武者震いに変えて狼の元に向かうことにする。

 まずは、サボテンの針を一本背中に括り付ける。こんな物でもないよりはマシだ。


「くーちゃん?!」

「無茶だよ!」


 二匹が俺の行動に驚いたようだ。


「俺は冷静だ。このままでは俺たちはじりじりと乾いて死ぬだけだ。だから別の力が必要になる。おそらくこの渇きの海では目に見えるものが幻なのだろう、それならば違う感覚を持つものの力が必要だ。狼は嗅覚に優れているという。この広い砂漠で水やアリを見つけ出すのにも役に立つかもしれない。そうでないにしても助けることによって恩を着せて、働かせようという企みだ。人間の言葉でいうところの先行投資だ」

 

 俺は止めようとする二匹に、つらつらと語った。

 そう、理由がなければ作ればいい。だから、狼を助ける意味はある。

 あるよな? ……あることにしよう。


「クーは、あいつらに勝てるの?」

「……勝ち目がなければ、作ればいい」


 俺一匹では絶対に無理だ。狼一匹でもおそらく無理だ。

 だが二匹ならば、勝つための材料は増えるはずだ。


「くーちゃん。行っちゃだめ」


 進もうとすると、カメ子は俺の前に立ちふさがった。


「俺を止める理由は、言えないんだろう」

「……うん」

「別にそれは良いさ、友達との約束も大事だ。それに俺を心配してくれているのは分かる。……でもな」


 ヘビ子が、亀の背後から自分の体を使って縛り上げた。


「クーにも、ボクっていう友達がいるんだよ」

「んー、んー」


 カメ子は暴れようとするが、ヘビ子に押さえられて身動きが取れなかった。

 そう、ヘビ子はレースに直結する手助けはできない。だが、これはレースの外の事だ。

 道を外れてでも、行かなくてはならないこともある。


「……ボクだって納得したわけじゃないよ。でも君の事だ。こんな時には、行くんだろう」

「ああ」

「死んだら許さないからね」

「そんなつもりはない」


 ヘビの下でもがくカメ子に、俺は声をかけることにした。


「くーちゃん……」

「なあカメ子。信じろよ」


 俺はカメ子の目をじっと見た。

 何を信じろとは言ってはいない。そもそも信じるというのは都合のいい言葉だ。

 けれどもカメ子は、しっかりと頷いた。


「うん。くーちゃんだもんね」


 障害は考えるだけでも多すぎる、そもそも狼の所にたどり着く前に、狼が死んでいるかもしれない。

 俺が途中で鳥に見つかって、喰われるかもしれない。

 狼に気付かれずに踏みつぶされる可能性も高いし、来るなと言う言葉に従わなかった俺を怒って殺すかもしれない。

 前途多難だ。けれどいつもの事でもある。

 そう言えば、一人で進むのはこれが初めてだな。


「気を付けてね、くーちゃん」

「ボクもここで待ってるからね。頑張れ」


 二匹の声を、俺は軽く脚をあげて答えた。

 俺は背中にサボテンの棘を一つだけさして、狼に向けて走り始めた。

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