第7話 地獄の壁に吊られた男

 ゆっくりと、少しずつ歩む。

 鳥に襲われて以降は障害もなく、ようやっと頂上も見えてきた。


「もう少しだ、頑張れ」

「うん」


 俺はしばらく前から、もう少し、頑張れ、としか言えていない。

 亀はそんな俺に文句をつけるでもなく、こわばる顔に笑顔を貼り付けるようにそれでも上を向いている。

 お互い疲労も、そろそろ限界に近い。

 だが、もう少しで登り切ることができる。

 そう希望をいだいた最中、かさり、と頂上から現れた生き物がいる。

 そいつは、俺と同じ姿だった。

 いや、今の俺は足が二本もげていて、そいつと同じ姿とは言えないだろう。

 八本足の小さいクモ。

 

「あれ、クーちゃんの兄弟の人?」

「……ああ、そうだ」


 生まれた場所が同じだけ。

 俺達の生き物は、数え切れない程の兄弟と共に生まれる。

 そして生まれ落ちた瞬間に、親の餌として襲いかかられる。

 逃げ切れないものは死んでいく。そして逃げた先でも喰うものがなければ、兄弟同士だって食らい合う。

 決して良好な関係を築ける種族ではないんだ。

 ただこの兄弟は、まさに俺の隣に生まれた奴だった。

 たまたまだろうが、こいつとはこれまで、食い合うことはなかった。


「おい、何の用だ。俺は争う気がないぞ」


 こいつなら話を聞いてくれるだろうかという、一抹の期待で声を掛けてみる。

 だが、俺の兄弟であるクモは、何も言わずに亀を見ている。

 そして、俺ではなく亀に向かって話しかけた。


「ぎぎ……亀、そのクモは、欠陥品だ。脚も失った。ここを抜けたらジブンと組め」


 兄弟はぎちぎちと歯を鳴らしながら話すので、随分と聞き取りにくい。無機質そうな声だったが、そこはかとなく怒りを感じる。


「何を言ってるの?」

「ぎぎ……お前たちを観察した。他の生き物を利用するのは有効な手段だ。そしてお前は、利用されることを喜ぶ頭のおカシイ亀だ」


 俺は腹が立った。

 なんで何も知らない兄弟に、亀が悪し様に言われればならないのか。

 

「ジブンとそいつは同じ性能だ。ならば壊れてない方と組むべきだ」

「おい、俺を無視するなよ」


 俺が声をかけたが、兄弟はそれに何の反応も示さなかった。

 そう、俺達の種族はそもそも無駄なことは何一つしない、冷酷な生き物なのだ。

 兄弟と少しの間一緒に入れたのは、これまでは協力し合う事に意味がある世界だったからだろう。だが、このレースは勝者のみが意味を持つ。そういう意味では、レースとなったとたんに敵対的になる兄弟の態度はおかしくない。おかしいのは亀なのだ。


「ジブンが亀を十全に利用してやると言っていル。ジブンに利用されろ」


 兄弟の言っている内容は、俺と何ら変わりはない。

 考えてみれば、亀にだって相手を選ぶ権利はある。

 俺以外に、俺以上の性能を持つやつが現れたら亀はどうするのだろうか。

 黙って亀の様子を見る。


「嫌に決まってるよ。怒るよ」


 けれどもその兄弟からの提案に、亀は否を突きつけた。


「ぎぎ……そうか。頭の悪い亀には分かりやすくしてやろう。まず、こいつを殺してやるから、それから考えろ」

 

 こんな理屈がまかり通ると、兄弟は思っているようだった。


「嫌だよ。やめてよ」


 亀は嫌がるが、兄弟は気にもとめない。

 ……そもそも、俺達の生きている世界はこんなものだ。

 嫌になるくらい合理的で、これが多数派、これが正しさ。

 それが嫌だから、俺は人間になりたかったんだ。


「ぎぎ……蜘蛛はしょせん蜘蛛。……ソノことを理解もできない欠陥品を、殺殺殺殺す」

 

 兄弟はギラリと、8つの目を光らせた。


「亀。こいつとやり合うのは俺がやる」

「……でも」


 こいつの狙いは俺だ。

 何より亀の体力は、そろそろ限界だ。

 亀の前脚は、とっくに痙攣している。

 先程より高度が上がったため、狼の援護も見込めない。


「俺は最強さいつよなんだろう」

「……うん! くーちゃん、頑張って」

「お前は、全力で壁にしがみついてろ」

「分かった」


 とは言え、どう考えても不利だ。

 兄弟は俺より高い所にいる。戦いにおいて高所が有利なのは言うまでもないことだ。

 それに糸は下に向けて垂らすことはできるが、天に向かって糸を吐くことはできない。

 しかも、俺は脚を二本失い、一本は動かない。しかも身体を壁に固定するため脚の三本は壁に貼り付けておかなくてはならない。

 さらには先程の鳥と異なり、兄弟は何一つ油断が存在しない生き物だ。

 俺は兄弟を観察した。兄弟は自身の糸を壁に貼り付けた。

 ああしておけば、糸に伝って全ての脚で攻撃ができるな。

 来る。

 そう思った瞬間。

 兄弟は音もなく、俺の眼前に現れた。

 八本の全ての脚で、ばらばらの方向から攻撃してくる。

 俺は動く二本の前足で、それを捌こうとするが、いかんせん手数が違いすぎる。

 それでも何度も、兄弟の脚を弾き飛ばしていく。

 徐々に押し込まれていった。

 躱しきれない、そう思った直後、ぶすり、と目が貫かれる。

 痛みを感じる間もないほどに、さらに次々と身体が切りつけられていく。

 俺は闇雲に前足を大きく突き出して、起死回生の一撃を放とうとしたが、兄弟はするすると糸をつたって距離をとった。

 また、すっと身体が落ちてくると、今度は俺の潰された目の死角から脚で突き刺してくる。

 そうして、ある程度の傷を与えたと思ったら、また冷静に距離を取る。

 着実に、確実に殺しにかかってきている。

 このままでは無理か。

 もう無理なのか。

 そう思った時、頭上から声が響いてきた。


「小さいクモ!」


 蛇がいつの間にか壁を超えた先にいて、俺を見ていた。


「キミは勝つんだろう。その小さい体で、それでも勝つって、ボクに言ったじゃないかっ。勝てよっ!」


 そうだった。あいつにはレースに勝つと見栄を張った。

 勝利は奇跡を越えた確率だという事は、最初っから知っている。

 知っていながらも、それでも俺は宣言した。

 それは、戦い抜くことへの誓いだった。

 だったら俺は、俯くことだけはしてはならない。

 俺は再び前脚を構えた。


「ぎぎ……無駄な事だ」


 兄弟は俺に声をかけてきた。

 戦闘中に余計な行動をとる事をしない兄弟には珍しい事だ。


「ぎぎ……お互いの脚の長さは知り尽くしている。そんな体で勝てないことを知ってなお、何故、あらがう?」


 冷静を装う兄弟の声は、怒りがにじんでいた。

 これは俺に対してだけの怒りなのだろうか、いいやそれだけではないだろう。

 姿が同じであるならば、これは兄弟の自分自身の体に対する苦しみなのだろう。

 そうか、そうだよな。兄弟だって嫌だろうさ。

 絶望だってしたくなるよな、この体なんだ。


「ぎぎ……諦めろ。ここが、終着だ。所詮、ジブンたちは、その程度の生き物だ」

「俺の限界を、お前が決めるなよ。諦める理由を、俺に求めるな」


 おおおぉん。

 そして地上からは、狼の遠吠えが聞こえた。

 遠吠えは狼同士でしか意味は分からないそうだ。

 けれど、俺には何となく狼が何をいいたいのか伝わってきた。

 戦えと、立ち向かえと。お前も言うのだな。

 不思議なものだ。

 状況など一つも変わっていないのに、体の底からふつふつと湧き上がる気持ちがある。

 ああ、やってやる。やってやるさ。

 俺は再び、冷たい目をした兄弟を見た。

 機械のように冷静に、あいつは間合いを測っている。

 ならば、襲いかかってくるタイミングは分かる。

 あとは、あいつの目測を外せるものはないだろうか。

 俺は、役たたずになっている折れた脚を見た。

 やるか。やるしかないか。

 俺は折れた脚を自ら噛み切った。

 距離が足らなければ、距離を伸ばす道具・・を使うほかない。


「なんだと?!」


 止めをさすべく近づいた兄弟は驚いたようだったが、落下の勢いは止めることが出来なかった。


「これでも喰らえっ!」


 そして、俺は折れた脚を兄弟に突き刺した。

 俺はまた一つ目が潰れたが、俺の前脚は兄弟の身体を貫いていた。

 一瞬、兄弟と目が合う。不思議な事に、俺は自分自身がそこにいて体を貫かれているように感じた。


「がふっ。……何故、……ジブンが負けた?」


 兄弟は苦悶の声をあげた。

 その目にあったのは、困惑。

 本当に何故、自分が負けたのが分からないのだろう。


「ぎぎ……誰の力も借りられなかったはず」

「……あいつらには借りっぱなしだよ。兄弟は俺に負けたんじゃない。俺たちに負けたんだ」


 力と言うのは、何も物理的なもののことだけの話じゃない。

 

「ぎぎ……そうか、そうかも、な。……強いな……キョウダイ」


 そう言いながら兄弟は、ゆっくりと地獄の道に落ちていく。

 最後に俺を兄弟と呼ぶ、か。

 あるいは、違う関わり方もあったのだろうか。

 いいや、勝者の席は一つだけならば、共に戦えなどはしないだろう。

 ……さよならだ。兄弟。

 俺は振り向かないように前を見た。


「くーちゃん、身体が……」


 足は減った。だが、それがどうした。


「問題ない。……さあ、行くぞ亀。本当に、あともう少しだ」


 頂上が見えてきて、蛇もそこから頭を出して覗き込んでいる。

 俺は、上を見て生きていたい。

 だが、ほんの少しだけ、落ちていった兄弟に感傷はある。

 亀とか蛇とか狼とか、もし、こいつらに会わなかったら。

 ……あそこで死んでいたのは、俺だったんだろうな。

 身体に穴が開いたのは兄弟の方だが、何故だか俺自身の身体にも穴が開いたような寂しいような不思議な気持ちになった。


「なあ、亀。……俺と兄弟の、何が違ったんだろうな」

「ぜんぜん違うよ。クーちゃんとは、全く別の生き物だよ」


 亀は、俺の感傷を切って捨てるかのように言った。


「どこが違うんだ?」

「見れば分かるよ!」

「そうか……」


 同じ姿なんだけどな。

 いいさ、亀がそう言うなら、それでも良い。

 俺を決めるのって、俺自身じゃなかったりするのかもしれない。

 そして、じわりじわりと蛇の方に向けて登る。

 蛇は心配そうにこちらを見ている。

 あと、10cm。

 本当にもう少し。ああ、でも少し眠くなってきた。

 あと、5cm。

 自分の身体がどうなっているのだろう。


「頑張れ、頑張れ」


 この声が誰の声かも、分からない。

 そして、ついに平地にたどり着き、亀もゴトリ、と大きい甲羅を地につけた。

 亀は大地に大きく手足を伸ばして、体を伸ばした。

 俺も大きく息を吐き、安堵する。

 生き残ったのだ。


「やった、やったよ。くーちゃん! ……くーちゃん!」

「やるじゃないか、小さいクモ。それでこそボクが見込んだ……。ふん、別にキミをまだ認めたわけじゃないけどね。亀も頑張ったよ」

「えへへ。でもね、やっぱり、くーちゃんがね」


 放っておいたら、この二匹はいつまでも興奮してそうだったので、俺は口を挟んだ。


「ええい、うるさい。レースはまだ途中だ。お前ら落ち着け」

 

 そういいつつも、俺に人間のような拳があったら握りしめていただろうな。

 レースに勝ったわけじゃない。身体だって、もう既にボロボロだ。

 けれど、俺は登りきった。そこには達成感があった。

 亀は生きてる。蛇も喜んでいる。

 狼も多分遠くから見ていただろうか。

 あいつはどう思ったろう。


「あー、もう地面が大好きになったよぉ」


 亀がジタバタと地面を叩く。


「暴れるな亀。風圧で俺が落ちる」


 俺がそう言うと、亀はぴたりと動きを止めた。


「そういえば、蛇。狼ならできる正攻法っていうのは、結局何だったんだ?」

「うーん。キミも登りきったから、教えてもいいかな。……ちょっと下を見てみてよ」


 俺と亀は、そっと壁の下の様子を伺った。

 狼は無事にしているようだったが、登る前より相当の量の生き物がひしめいていた。

 そして一部では殺し合いが始まり、屍が壁の前にうず高く積み重なっていた。

 

「なあ、まさか正攻法っていうのは……」

「地獄の道はね、屍の上に築かれる」


 多くの生き物が、遺体の上に遺体を積み上げている。


「死体を積み上げて、壁を登る階段にしろと」

「そう。それが『地獄の道』」


 確かに、巻き込まれたら即死する俺達には、行くことのできない道だ。

 狼の様子を伺うと、遠い位置だが目があった。


「狼、さっきは助かった」

「狼ちゃん、ありがとうー。そっちは大丈夫ー?」


 俺達は狼に声をかけると、再び狼は遠吠えを行なった。

 おおおぉおぉん

 多分意味は、心配するな、だと思う。


「少しでも先に進もう」

 

 俺は二匹にそう結論づけた。

 俺達のような小さい生き物は、ここで少し距離を稼がなくてはならない。


「そうだね。ボクも、それがいいと思うよ」

「さあここからは、わたしも頑張るよ。くーちゃんは、わたしの上に乗ってて」


 ふんす、と亀は気合を入れた。

 そして道を勢いよく、ぺたこんぺたこんと進み始めた。

 しゅるしゅると、蛇もそれに追走してきた。


「……お前の忠告を無視して、すまんな」


 俺は蛇にそう声をかけた。

 今回の被害もまた大きかった。

 動ける脚があと5本、目も少し潰されてしまっている。


「無様を晒したな。けど、後悔はしていないだ」

「それなら、それでもいいんじゃない。……それに」


 蛇はこともなげに、そんな事を言った。


「……ちょっとだけ、かっこよかったかな。ふん、知らないけどね」


 蛇は顔を背けながら言い、その体勢のまま器用に俺達に並走した。

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