第6話 地獄の塔を超えていけ

 さて、先に進むにしても、もう一度高く垂直にそびえるこの壁を見てみよう。

 亀を連れての移動となると、どのルートが登りやすいかを最初に考える必要がある。

 すり鉢状にならずに、亀でも垂直に貼り付けれる地形を、壁を回りながら探す。

 それに他の動物にも目立たぬように、影になっている場所をゆっくり進む必要がありそうだ。

 俺がそうしてルートを決めていると、蛇が話しかけてきた。

 

「さて、小さいクモ。ボクはレース情報は教えられないけど、レースとは関係のない、どうでもいい情報なら教えておくよ」

「ああ、助かる」


 どんな情報に生きるヒントが隠されているか分からない。俺は聞けるものは聞こうと思った。


「1つ目。テコの原理っていうのが人間社会ではあってね。まあ簡単に言うと、糸は手元で引っ張ったほうが、楽だっていう話だね」

「なるほど」


 思った以上に役に立ちそうな直接的な情報だった。

 俺は移動しながら、糸を亀の甲羅に何重にも巻きつけた。

 そして俺が壁を登る際には、亀を近くで引っ張ればいいんだな。


「2つ目。壁の近くで飛んでいる2匹の小鳥がいるだろう。アレは百舌鳥もずと言って、獲物を喰わずに串刺しにして喜ぶような残酷なやつさ。見つからないようにね」


 鳥は飛べるのだから先に進めばいいものを、獲物を探しているのか壁の近くを旋回している。


「3つ目は、……そうだなあ。これは本当にどうでもいい情報だけど、この試練は『地獄の道』って言って、序盤の試練の目玉だよ」


 蛇は気づいているのかいないのかは分からないが、大事なヒントをぽろりとくれることがある。

 序盤、ということはまだ先が長いということだ。それが知れるのは大きい。

 そして、こういった大掛かりな障害物が他にもありそうなことも示唆している。


「十分だ。ありがとう」

「ふん。ボクは、キミなんかがどうなったっていいんだからね」


 そんな言葉を吐きつつも、蛇はちらちらと俺の方を見ている。

 俺はこんな素直ではない蛇を、嫌いにはなれなかった。

 しかし、地獄の道か。

 どう見てもただの壁だが、行くしかないな。

 俺はやっと、登りやすいルートを見つけたので、亀に声をかけた。


「よし、ここから登るぞ」

「うん」


 亀も気合を入れて、手足を伸ばす。準備は万端のようだ。

 俺は蛇と狼を見る。


「ボクはモグラがつくった穴から先に上に行っているよ。……待ってるからね」

「ああ」


 俺は強く頷いた。

 蛇はしゅるしゅると、モグラの穴に向かっていった。


「私はレースには興味がねえし、こっちの事は気にしなくていいぜ。それにここにいれば、目的が見つかるかもしれないからだぜ。ほら、おめえらはさっさと行くんだぜ」


 狼はそう言いながらあくびをして、身体を丸めた。

 少し眠るつもりなのだろうか。胆力があることだ。

 しかし、この狼には助けられる。

 この大きい狼が近くにいるだけで、他の生き物が近づいてこない。


「よし、じゃあ行くぞ」

「うん」


 俺と亀は、早速壁に取り付くことにした。

 すぐ近くで糸で引っ張っている亀も、手足をばたつかせながら何とか壁に張り付く。


「大丈夫か?」

「ひっくり返りそうだけど、大丈夫だよ」


 声を掛け合いながら、少しづつ進む。

 予想していたことだが、亀に比べて俺の身体は小さすぎる。

 亀に繋がる糸が重い。重くて重くて仕方がない。

 まさに地獄のような道だ。

 直角の道は、すべての者を通り抜けるのを拒絶している。

 一人でなら何の苦もないこの壁も、亀を背負う今は、石や岩を担いでいるようなものだ。

 亀が一歩ずつ進む振動だけで、体がバラバラになりそうだ。

 それでも、力を込めて前足を無心に動かす。

 俺は意識が遠くなりながらも、何とか前に進む。

 何度も足を踏みかけ外すが、それでも亀がまだ登れる道を探しながら進む。

 疲弊を感じて、俺はつい下を見てしまう。

 まだ、地上50cmほどの高さでしかなく、全体の20分の1にすらたどり着いていない。

 その事実に俺は目眩がする。

 先程、吐いた言葉を飲み込みたくなった。

 もう駄目だと、力が萎えそうになる。諦めたいと身体の節々が訴える。

 しかし、下を見たことで亀と目が合った。

 亀は必死の形相で、壁にはりついている。

 よくよく考えて見るならば、亀も恐ろしかろう。

 ひっくり返ってしまうと立ち上がれないこともある。

 あるいは、ある程度の高さから落ちたら、甲羅が割れるかもしれない。

 こいつはこいつで、懸命なのだろう。


「大丈夫だ、お前は強い亀だ。最後まで頑張れ」


 だから俺の口から出ようとしていた弱音は、俺自身だって信じきっているわけでもない激励の言葉に変わっていた。


「うん」


 そして亀は、それに笑顔で答えた。

 ぺたこん、ぺたこんと文句ひとつも言わずに登る。

 俺達はじりじりと、亀がゆっくりと歩くように進んだ。

 3メートルあたりに来た頃だろう、そこに、するりするりと壁を這い寄る生き物が近づいてきた。

 ヤモリだ。

 爬虫類の奴らはまずい。

 こいつらは肉食で、クモも喰うんだ。

 ヤモリは弧を描くような美しい動きで、あっという間に俺の目の前に現れた。

 次の瞬間、俺が見えたのは、ヤモリの大きい口の中だった。

 

「やめてっ!」


 亀が飛び出すように前足を突き出した。

 すると、ヤモリはそれを躱して、俺達と距離を取った。

 面倒だとでも思ったか、するすると俺達から離れていった。

 しかし、それより不味い問題に直面する。


「あっ」


 そう言って亀は、体勢を崩してしまった。

 このままでは俺も亀も落ちる。

 そう思った一瞬、俺は思考を加速させる。

 ……冷酷になろう、生きるためには計算は大事だ。

 多分、俺の持っている糸を離せば、亀は落ちるが俺は助かる。

 ただ、この高さからだと落ちたら、亀の甲羅が真っ二つになるだろう。

 そうすれば内臓が飛び出して、死ぬことになるだろう。

 構うものか、俺と亀は所詮は別の生き物。

 死のうがどうだろうが、どうでもいい。

 そして亀は、いずれ殺さねばならない……少なくとも出し抜かなくてはならない相手だ。

 なにより俺は、慎重で用心深い生き物なのだから。

 こいつのことなんて、関係ない。関係ないんだ。

 いずれの別れが今になるだけだ。

 亀を見る。

 ほんの少しだけ、笑みを浮かべていた。

 その表情をみて、ふつり、と心に怒りが沸き上がった。

 何だ、その顔は。納得か、満足か、諦めか。

 ふざけるな。ふざけるんじゃない!

 こんな程度で、旅が終わっていいわけがないだろう!

 ……冷静のはずの俺は、全力で、糸を引いていた。

 気がついたら、落ちる亀を引き上げていた。


「おらああぁあぁああ!!」


 俺は叫んだ。

 大声を出した所で、力が出るわけではない。

 それでも、叫ばずにはいられなかった。

 ぶちり、と足が千切れた。

 それは命がちぎれる音だ。

 だが、そんな事を気にしていられない。

 痛みすら、もはや感じることができないほどだった。


「しがみつくんだよっ!」

「うん!」


 時間にして、わずか数秒に満たなかったろうが、壁に登り始めてから一番長い時間だった。

 糸で支えていると、ようやっと亀が再び壁に張り付くことができた。


「くーちゃん。ごめん……」


 亀がまた顔を曇らせたので、俺は軽く答えることにした。


「……違うだろう」

「……うん。ありがとうだね」

「それも違う」


 亀はこの前言ったことを覚えていたようだったが、俺はそれも否定した。


「え、何だろう?」


 亀は顔に疑問符を並べた。


「さっきは、俺が助けられたんだ。ありがとうだ、亀」


 そもそもヤモリを亀が追い払わなければ、俺が喰われていた。

 

「どういたしましてだよ。……でも、その後で助けてくれたこと、ありがとうね」


 亀に笑顔が戻ったようだった。


「ああ、気にするな。ほら、俺達はそう、利用し合う関係だろう」

「うんうん、そうだよね。この道を超えたら、わたしも、もっと活躍するからね」


 何となく居心地が悪くなって、話を変えることにした。


「とりあえず、また気を引き締めて……」


 俺は言いかけた所で、背後から風を切る音が聞こえた。

 すこし騒ぎすぎたようだ、鳥に気づかれてしまった。

 そして、随分と耳障りな笑い声がする。


「くつくつくつ、こんなところにクモがいるよ」

「亀もいる。必死だね。必死だねぇ」


 二匹のモズが俺達を見下ろしていた。


「お前らは飛べるなら、何故、先に行かない?」


 俺は鳥にそう声をかけてみた。

 先に行ってくれれば、俺達に被害はないからだ。

 

「くつくつ、楽しいからさ」

「お前達みたいに必死で登っている奴らを、落とす時の顔がさあ」


 ああ、蛇が言っていたな。

 生き物を串刺しにして喜ぶような、残酷な鳥がいると。

 ひゅんひゅんと風をきって、二匹の鳥は何度も俺達の前を通り過ぎる。

 完全に遊んでいる。

 それと分かりながらも、こちらは手出しができない。

 亀は壁にはりついたまま動けないだろうし、俺だってどうにもできない。

 さっきより、よほど状況は悪い。


「飛べるお前らはこのレースだと有利だろうに、楽しむばかりだと勝ち残ることはできないぞ」


 それでも俺は言葉を重ねてみた。

 鳥たちは一瞬黙り込んだ。


「……このレースは勝者なんて、どうせ決まっている。あの生き物が勝つに決まってるさ」

「うん無理。無理」


 どんな生き物なんだ、それは。

 嘲笑の声より一転して、暗澹とした声になっていた。

 それだけでも、この鳥どもがどれだけの恐怖を感じているかが伝わる。


「それで何で、お前達は戦わないんだ? 立ち向かわなければ、勝つこともできないだろう」


 俺は、純粋な疑問として聞いた。

 しかし、それが鳥の逆鱗に触れたようだ。


「生意気だ。お前、弱いくせに」

「そうだ、ムカつく。八つ裂きだ」


 今までと打って変わって、鳥は唸るような低い声をあげた。


「弱いやつは強いやつに喰われるんだ。お前はここで喰われるために生まれてきたんだ」

「弱いやつ喰う。弱いやつ喰う。お前は弱い、お前は弱い」


 ぎろり、と鳥たちは俺を睨みつけた。

 

「弱くないもん」


 亀が力を込めて叫ぶ。


「くーちゃんは、最強さいつよの生き物だもん」


 亀はどうにも最強という言葉を覚えられないようだ。その言葉を聞いて鳥たちは笑う。

 俺だって強くありたいとは思うが、この体はとても強いとは言い難い。


「くつくつ。頭の悪い亀が、何を言うと思えば。そんな柔らかい子虫の一匹が、何だって言うんだ」

「馬鹿だね。馬鹿だよねえ」


 鳥たちは亀を揶揄する。


「それだよ」


 亀は鳥たちを見据えて断言した。


「真に強い生き物はね、誰かを笑うことなんてしないんだ。誰かを笑うのはさ、そっちが何かを怖がっているからじゃない。そうすれば安心するからでしょう」


 亀の言葉に、俺は納得する。

 この鳥どもは、何かに怯えているのは事実だ。

 だからこそ、普段よりさらに残虐性も発揮しているのだろう。


「きみらが笑うのは、きみらが弱いからだよ!」


 亀も言うようになった。

 気力があるなら、まだ立ち向かえる。


「お前から殺してやる」

「殺す殺す!」 


 鳥は大きく翼を開いて、威圧する。

 鳥が急降下して、亀を狙う。

 しかし、その時、何かが壁を駆け上る音がする。

 次の瞬間には、鳥の一匹を狼が鋭い牙で噛み付いていた。


「……な、なぜえ」


 哀れな断末魔を鳥はあげた。


「お前が弱いからだろ」


 狼は、引きちぎった鳥を地面に投げ捨てた。

 飛び上がった狼も、重力によって徐々に落下していった。

 そして、地に着く寸前でくるりと身を回転させて着地した。

 そのまま、俺達を見上げながら叫ぶ。


「こんな所でくたばるなよ、クモ! 約束忘れんな、亀!」

「ああ、登りきるさ。助かった」

「うん。ありがとうね。ちゃんと覚えているよ!」


 俺達も下にいる狼に向かって叫んだ。

 狼は今、亀を助けた。

 そもそも一体、亀とどんな約束をしているのか、ここから抜け出したら聞いておこう。

 それより、と俺はもう一匹の鳥の様子を眺めた。

 もう一匹の鳥は、狼を警戒して更に高度を上げた。

 

「くつくつ。なんだ、あいつ死んだかあ」


 一緒にいた鳥が殺されたというのに、その反応は冷たいものだった。

 だが、翻って考えれば敵が冷酷であるというのは恐ろしいことでもある。


「……ねえ、くーちゃん」

「どうした」


 亀が小声で話しかけてきた。

 鳥には聞かれたくない話なのだろう、こちらも声を小さくした。


「これから何があっても動かないで欲しいの、ちょっと説明している時間ないけど」

「分かった」


 俺が即答したら、却って亀が驚いた顔をした。


「亀は、強い生き物なんだろう」


 俺がそう言うと、亀はにこりと笑った。

 そうして鳥に向かって声を投げかけた。


「さあ、来い。よわよわ鳥。わたしの甲羅はどんな攻撃だって弾き飛ばすんだからね!」


 亀は両手をつっぱり、首を甲羅にすくめた。

 どうするつもりだ、甲羅で鳥の攻撃を弾くつもりか?

 挑発のつもりだろう。だが、それは……


「クモを狙うに決まってるだろう。馬鹿亀めがぁ!」


 残酷である鳥ならば、俺を狙うだろう。

 急降下する鳥の爪が、どんどんと俺に向けて大きくなっていく。

 俺はそれでも、動かずにいた。

 爪が俺にかする寸前、亀が甲羅から火のような勢いで首を伸ばして鳥の爪に齧りついた。


「は、離せ、馬鹿亀ぇ」


 亀は鳥がバタつくことも許さず、顎の力で一気に爪を引きちぎった。


「おのれ、おのれ、おのれぇえええ」

 

 鳥は態勢を崩して、地上に落ちていった。

 それでもふわりと、地表に激突する瞬間に羽を広げた。


「もう油断しない。今からお前らをぶっ殺してやる!」


 くちばしから涎を撒き散らしながら、鳥は喚いた。

 しかし、そこに大きい影が現れた。


「よう、地獄の入り口におかえり」


 そこに狼がいた。

 飛び立とうとした鳥の羽根を切り裂いた。


「た、助けて」

「断る。自分のごうは、自分であがないな」


 狼は、ばきり、と鳥を頭から食いついた。そして鳥は痙攣けいれんし、そのまま動かなくなった。

 狼は俺達を見上げて、先にいけとばかりにあごを持ち上げた。

 助かった。

 だが、礼を言うのは登り切った後にしよう。もはや振り向くだけの余力もない。


「行こう、くーちゃん」

「ああ」


 俺達はまた垂直の壁を登っていく。

 まだ、地獄の道も道半ばだ。

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