第5話 地獄の道は高くそびえる

 道を進むと、行き止まりになっているのか、立ち止まっている動物が多くいる。

 壁のようになっており、動物たちがぴょんぴょんと必死で飛び跳ねている。

 上の方をよく見ると上部が、空洞になっておりそこから先に進めるのだろう。

 およそこの壁の高さは、人間で言う所の10メートルほどあるだろう。

 この先に進みたければ、壁を乗り越えて進まなければならないのか。


「どうしよう」


 亀は口を開けて、上をみて青ざめている。

 これは普通の動物は、超える事ができないんじゃないだろうか。

 俺が他の生き物の様子を見ていると、後方から助走をつけたカンガルーが高く飛び上がった。

 そして高さが足りず壁に激突し、力尽きていった。

 これは鳥のような翼でもなければ、どうにもならないんじゃないのか。

 俺達のそんな様子を、中空を飛んでいる小鳥たちがせせら笑っている。


「くくっ、羽を持たない矮小な生き物は悲しいね」

「ふふっ、悲しいね」


 手も出せないところからの声に、俺は腹を立てたが、こんな連中の相手をする余裕はない。

 さて、どうするか。

 俺一人なら壁を登ることは、当然できる。だが、亀は垂直には歩けないだろう。

 それに、壁の周囲には小鳥が飛んでいる。登っている最中に狙われたら一環の終わりだ。

 俺は何かないだろうかと思って、周囲を見渡したら、近くにいた蛇と目があった。


「ボクはヒントは与えてやれないよ。ただ、この試練は、君たちだと正攻法では絶望的だろうね」


 蛇は以前俺達に手を貸さないと言っていたが、その言葉に解決の糸口があった。

 蛇の発言では『正攻法では絶望的』。ならば、正攻法以外の道があるということ。

 正攻法というと普通に考えれば、壁は登るもの。あるいは飛び越えるだろうか。

 俺は考えながら、壁に近づいた。

 どんな発想であれば、ここを越えられるだろう。

 目的地があって、道がない。無ければ、どうする?

 ……道を作る、という発想にたどり着く生き物もいるのではないだろうか。

 壁の近くを観察していたら、小さい穴を見つけた。

 覗き込んでみると、この穴はずっと奥まで続いているようだった。

 俺は、亀と蛇を前足でちょいちょい呼ぶと、二匹は静かに近づいてきた。


「なあに、これ?」

「おそらく、モグラか何かだろう。罠の可能性もあるが、壁を登るよりはマシだ」


 俺はふと、亀と穴の大きさを見比べる。穴に対して、亀の甲羅が少し大きそうだな。


「お前、通れるか?」


 亀は穴に入ろうとしてみて、ガツンと甲羅をぶつけた。


「うーん。無理みたい」

「他にもないか探そう」

 

 そうして、しばらく歩いた。

 だが、亀が入れるほどの大きさの穴が見つかることはなかった。

 亀は青ざめて、唯一空いている穴に何度もぶつかっていった。


「んー。入れない」


 俺は先に行ける。蛇も先に行ける。

 だが、亀はどうにもならない。

 ここまでか。

 亀と協力できるのは、ここまでなのか?

 俺には目的があって、そのためにはいつか亀とも争わなければならない。

 その『いつか』が、今来ただけだ。

 亀の様子を伺うと、つぶらな瞳で俺をじっと見つめている。

 憎めよ。俺を憎んでいい。

 だが、俺は先に進まなければならない。

 お前にも夢があるように、俺にも叶えたい夢があるんだよ。

 だから、お前を置いていく。

 例え連れて行ってと、泣きわめかれようが、俺はお前を置いていく。

 ……泣く。だろうな、こいつ寂しがり屋だし。

 でも考えてみれば、レースの最後の最後で俺に裏切られたって顔をして死んでいくのと、ここで泣きわめかれて別れるのは、ここで別れるほうがまだマシだな。

 そう思おう、そう覚悟を決めよう。


「……なあ、亀」


 それでも言い出しづらく、俺は言いよどんだ。


「うんうん。これまで、ありがとうね。楽しかったよ、くーちゃん」


 すると亀は、にこにこと笑いながら、俺にそう言葉をかけてきた。


「きっとレースも大変だろうけど、きっと、くーちゃんなら行けるよ。私は置いていって……」


 俺は腹が立った。

 腹が立って腹が立って仕方がなかった。

 何に怒りを覚えているのか、自分でも分からない。

 だが、俺は体の底から溢れるような感情を抑えることはできなかった。


「ふざけるなよ」

 

 自分の無力に対しての怒りか。

 それとも、お前などにはどうにもできまいと、言われているようにでも感じたか。

 亀と夢の話なんぞしたから、手前勝手な同情でもしたのか。

 亀が泣きそうな顔で笑っているのが、気に入らなかったのか。

 どれでもない気もするし、どれでもあるような気もする。


「ええっ、何で、くーちゃんが怒るの?」

「知らん!」

「えぇぇ」


 我ながら、俺の怒りは理不尽だな。

 だが、こいつが自分を置いてけというから、俺は連れて行く。

 論理がおかしい。そんなことは、自分でも分かっている。


「俺が糸で近くから引きあげながら壁を登る。お前は、壁に張り付きながら進む。行くぞ」


 俺はそう言いながら亀の首に糸を結びつけようとしたら、亀が首を振った。


「やだもん」


 亀は俺に始めて反抗した。

 言いなりになれとは思わないが、何もこんな時に反発する必要もないだろう。


「ワガママかっ、貴様ぁ!」


 俺はカッとなって怒鳴ってしまった。

 けれど、亀は素知らぬ顔で顔を背けている。

 いや、いけない。

 常に冷静なのが俺の持ち味だ。だから、亀にでも分かるように説得をしよう。


「いいか、そもそもこれはレースだ。つまり、最後は俺かお前のどちらかしか勝たない。それは分かるか?」

「……うん」


 さすがに、その程度のことは亀も分かっていたようだった。


「次にだ。俺達は一緒に走る、つまりは、お互いを利用し合う関係だ。だったら、俺がお前を利用するのと同じで、お前も俺を利用しろ」

「絶対や!」

「ええい、ダダをこねおってからに!」


 そう言い合っていると、蛇がするすると近寄ってきて小声で話しかけてきた。


「小さいクモ、ちょっとヤバい奴が近づいてきた。早く逃げよう」


 そう言って蛇は身体を縦に伸ばして、口を大きく開けて近づいてくる生き物を威嚇した。

 悠然と近づいてくる生き物は、狼だった。

 確かスタートラインで目があった生き物だな。

 こいつ、確かライオンすら殺していた。

 ただ、見た目以上に危険なのは分かっているのだが、何故か俺は、この狼に恐怖を感じなかった。

 むしろ、少し話をしてみたいとさえ思った。


「よう」


 普段だったら、もう少し慎重に行動するだろう。

 けれども俺は、亀と話していて少し興奮していたこともあったのだろう、気がついたら狼に気軽に声をかけていた。


「おう、どうした? 困りごとか」

「まあな。硬いのは甲羅だけでいいってのに、頭まで固くなった亀がいるんだよ」

「へえ、それなら私に聞かせてみるんだぜ」


 俺の軽口にさらりと返答しながら、狼は身体を落して俺と視線を合わせた。

 そして驚いたことに、狼の口調こそ男性だったが、声は女のものだった。

 種族が違えば性別が分からないものだ。


「え、何? 君等、知り合いなの?」


 俺と狼の和やかな様子に、蛇がきょろきょろと視線をさまよわせた。

 特にそんな事はない。


「いや、俺と狼は今、始めて話したぞ」

「おう、私とこいつはスタートの所で会ったのが最初だぜ」


 蛇は目を大きく見開いた。

 こんな大きい狼、もしもどこかで会っていたら、必ず覚えているはずだ。


「何となく、狼には喰われる気がしない」

「そもそも、狼はクモは喰わねえぜ」


 俺がそう言うと、蛇は身体を揺らして唸った。


「うーん。何か不思議な関係だけど、1億も生き物がいれば、そんなこともあるのかなあ。出会った瞬間殺し合う生き物もいれば、そうじゃない生き物もいるということかな?」


 首をひねる蛇をよそに、俺は狼にすこし事情を説明した。

 今は、亀と蛇とレースを共に走っているのだが、この壁は壁には登れそうにないこと。

 穴を見つけたが、その穴には亀は入れないこと。

 亀を引きずってでも、壁を上ろうとしているのだが、亀が嫌がっていること。

 聞き終えた、狼は断言した。


「そりゃクモ、おめえが悪いぜ」

「何でだよ」

「言い方だぜ。言い方。私が話をつけてやるぜ。……ほら、そこの亀。喰わねえから、ちっとつらかしな」


 狼がさっきから黙っている亀に声をかけた。

 亀はガクガクと震えている。


「ほああ」


 亀は、おかしな声まで発している。

 狼は大きく、恐ろしく見えるのは仕方がない。


「亀。この狼は、多分大丈夫だと思う」

「おう、別に私は亀は喰わねえぜ」


 狼は気楽に亀に声をかけるが、俺は軽く狼をたしなめることにした。


「……狼は涎を拭いてから言え」

「おっと、すまねえ。ちょっと腹が空いていてな」


 狼は前足で口元の涎を拭いた。


「ま、こっちはこっちで話すぜ。だからおめえらは、ちょっと席を外せよ」


 俺と蛇は少し移動しながら様子を見ることにした。

 亀と狼はぼそぼそと何事かを話している。

 蛇がそれを見ながら、俺に話しかけてきた。


「ねえ、あの狼は結構ヤバいやつだよ」

「ああ、何しろライオン殺してたしな」


 それだけじゃなくて、狼の足元には巨大熊やサイなどの生き物も転がっていた。

 スタートした直後でその状態だ。どれだけの戦闘力を秘めているのか計り知れない。


「それもそうなんだけど、あの子だよ」

「何が?」

「前に話した優勝候補の4つの生き物の一角。狼の女帝」

「随分口の悪い女帝だな。……人間を調べている時に、狼って人間に近い家族社会と聞いたことがある。なのに、こんなレースで群れから引き離されたら辛いだろうな」


 俺がそう言うと、蛇はすこし黙り込んだ。


「いや、ないよ」

「ん?」

「彼女の群れはない。幼い頃に、人間たちに殺されたからね。彼女はこの近辺にいる狼の、最後の一匹だよ」

「……おい。そういう奴を、人間レースに参加させる主催者ってどうなんだ」


 俺は軽い皮肉を込めて、蛇に言ってみる。


「彼女の参加を決めたのはボクじゃない。だいたい、ボクはただの蛇だし。光る玉じゃないし!」


 蛇は奮然と反論した。

 まあ、蛇にも複雑な立場があるだろうから、そういうことにしておこう。


「いや、悪かった。お前の事情を考えていなかった。蛇に言っても仕方ないよな」

「そうだよ、全く。……分かってくれればいいけどさ」


 蛇を気を取り直したのか、再び亀たちが話し込んでいる様子を見た。

 そして俺に身体を近づけて、ささやくような小声で話しかけた。


「あの狼のことだけれど、これはチャンスだと思う」

「どんなチャンスだよ」

「君が勝つために、一緒に走る相手を変えるといいよ。亀から狼に乗り換えるんだ」

「おい」


 俺が低い声で唸ると、蛇はそれでも言葉を続けた。


「最後まで聞いてよ。……ボクだって亀は嫌いじゃないんだよ。あの状況で一緒に行こうって、亀も言ってくれたしね。でもさ、ボクが最後まで見るって決めたのは君なんだよ。君はこんな所で死んで、本当にいいのかい」


 俺は黙り込むしかなかった。


「……狼なら、正攻法で行ける。多分だけど、彼女は賢そうだから、この道の本質に気づいている。さらに都合のいいことに、君に対してずいぶんと好意的みたいだ」


 確かにそうだ。

 少なくとも同じレースの参加者のはずだが、俺は狼から敵意を感じなかった。


「いいかい。ボクはね、君の手助けはできないんだ。試練を突破するための情報だって与えてやれない」


 俺は、お前にも感謝していると言おうとしたが、蛇は首を小さくふって言葉を続けた。


「例えばこんなボクが亀の立場だったら、君は置いてくだろう。亀には情が移って長いからかもだけど、ボクはそうでもないだろう。全てはね慣れだよ、慣れ。だからね、自分の命を優先……」


 俺は前足の全力で、蛇の鱗をつついた。


「痛ったぁ。何するんだよ」

つついた」

「そうじゃなくて! 何でそんなことするんだよ」

「怒ったからだ」


 俺はむしろ静かに声を低くした。


「亀と決着をつけるのは最後。俺達はお互いを利用しあうドライな関係。だが、ここは潰し合うところじゃない。……お前とだって同じだ」


 俺は壁に近づき、上方を睨んだ。


「俺はこの壁を登る。亀も連れて行く。絶対だ。……お前は見ていてくれるんだろう、だったら俺が登りきる所を見届けていてくれ」

「小さいクモにはできないよ! いや、キミだけだったらまだしも」


 できないと言われると、不思議とやって見せたくなるものだ。

 俺の目を見て、蛇は少し声を小さくした。


「……キミらしいというか、なんというか」


 蛇は諦めたような、受け入れたような、そんなため息をひとつついた。


「おい、そろそろいいぞ」


 そうしていると、少し離れたところから狼が声をかけてきた。

 見れば、ぺたこん、ぺたこんと亀が走り寄ってきた。


「くーちゃん、さっきはごめんなさいです」


 亀はぺこりと素直に頭を下げた。すっかり興奮も緊張も落ち着いているようだ。

 狼は一体、何を亀と話したのだろう。


「ああ、俺も言い過ぎた」


 怒る気持ちも失せて、前に進む気持ちだけが今はある。


「もし、さっきと気持ちが変わってなければ、一緒に登ろうです」

「そのおかしな敬語を、止めたらな」


 俺がそう言うと、亀はにこりと笑ってにじり寄ってきた。


「おい、近すぎる。止めろ、俺が潰れる」

「うんうん。大丈夫だよ」

「俺が大丈夫じゃないんだ!」


 俺達がそう言い合っていると、狼が俺を見ているのに気がついた。


「世話をかけたな」

「いいってことだぜ」

 

 俺がそういうと、狼は軽く笑みを浮かべた。


「あのね、くーちゃん。私、狼さんと、お友達になったの。ねー」

「おう」


 狼もその言葉に頷いて、自身の肉球で亀の甲羅を撫でた。


「そうなのか?」


 狼と亀はあまりに性格が違いすぎて、何故と思ってしまった。

 亀は首を伸ばして、狼の前足を押している。

 親愛の行動なのだろうか。亀の生態は不明である。


「おう、そうだぜ。ああ、先に行っておくと、私は人間レースに参加しちゃあいるが、目的は優勝じゃない。だから、おめえらと食い合う必要はないんだぜ」


 狼はそんな事を言った。

 人間に一族を殺されたのだから、人間になりたいということはないというのも頷ける。

 優勝候補の一角と争わないですむのは行幸ぎょうこうだった。

 少し正確に言えば、この気のいい狼とは、物理的な意味でも精神的な意味でも争いたくなかったから良かった。


「狼の目的を聞いてもいいか?」

「気が向いたら、教えてやるぜ。でも、ま。お前には先にやることがあるだろ」


 狼は首を振って壁を指した。

 話しかけてくることもない巨大な壁を、俺達はただ見上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る