第4話 闇の小道の女教皇

 先の見えない暗闇の道は、とにかく長く感じる。時間の感覚も狂ってきているが、スタート地点より大分進んだことだろう。

 そして先を進むには不安な道ではあるが、姿を隠すという意味では、この暗さはそれなりに有用な場所でもある。

 だから、亀に他の生き物の気配がしない道の端で順に仮眠を取るにした。

 亀の静かな寝息が聞こえる。


「くふふー、くーちゃーん」


 亀は何の夢を見ているのか、涎が出ている。それを見て、俺は危機感も覚えた。

 よくよく考えれば、亀は昆虫を捕食することもある。

 今はただの気弱な亀だが、油断はするまい。

 それより今は亀が眠っている間にやっておくことがある。俺は足に糸を巻き付け、動いていない折れた足を固定する。

 これが亀に知られると、なんだかんだと、うるさそうだからだ。


「……うーん。おはよう、くーちゃん」

「おう」


 丁度、亀は目を覚ましたようだ。


「じゃあ、悪いが俺は少し眠る。寝てる間に、俺を喰うなよ」

「もー、食べるわけないよ」

「……冗談だ」


 俺は、そういうことにした。

 このレースの勝者は一人なのだから、いつかは決着を付けなければならない。

 どれだけ仲が良かろうが、結論にたどり着けるのは一匹だけだ。いつかは殺しあうことになるのだろう。

 でも、その『いつか』は今でなくてもいい。

 少なくとも俺は、そう考えている。


「やめてよねー」


 亀は分かっているのかいないのか、拗ねたような声を出した。

 

「じゃあ、寝る」

「うんうん。いい夢見てねー」


 のんきな亀の声を聞きながら、俺は意識が遠くなった。

 しかし、少しでも安心して眠れるのは始めてかもしれないな。

 今まで眠るのは、常に死を覚悟しなければならなかったからな。


――――――――――――――――――――


 俺は昔、暗闇の中にいた。

 前も見えぬ、後ろも見えぬただ、俺を喰おうとする悪意だけが感じとれる世界。

 俺達のような虫は、親子で殺し合い、兄弟で殺し合い、食うか喰われるかの毎日だった。

 ……一匹だけ例外もいたか。

 ただ、そいつとはもうはぐれてしまった。

 世界は果てなく暗くて、ただ、生きることだけに必死だった。


 だが、そんなある日のこと、太陽が沈んで少し立った頃に、多くの人間たちが集まりだしていた。

 何事か始まるのかと思って様子を見ていると、多くの人間たちが一斉に空を見た。

 俺もその視線の先にある、暗い虚空の空を見つめた。

 その時、何かの破裂音が聞こえたら、光が空に登っていった。

 そして、暗闇を裂く音とともに、真っ赤な火花が空に舞った。

 そこにあったのは花だった。炎でできた赤い花。

 きらめきだけを残して、消えていった。

 俺は空の花に前足を伸ばした。

 たとえ届かないことを知りながら、どうしてもそうしたくなった。

 この空の花を、人間は花火と名付けていた。

 人間は不思議なものを作るものだ。

 俺が人間に興味を持ったのは、これが最初だったろう。

 だが他の近くにいた生き物達は、それを馬鹿にした。

 人間は何と非合理的な生き物か、と。生きるのに何の意味のない行為だと。

 そうだな。お前達の言うとおりだな。

 けれど、俺はもう少し人間を観察することにした。

 そこではお祭りだとか、夜店だとかいうものがあり、人間たちがひしめいていた。

 そこには色んな人間がいた、幼いものも老いたるものも、男も女も。

 親子だろうか、肩に小さい人間を乗せる者がいる。

 兄弟だろうか、膨れ面でそれでも並んで歩くものがいる。家族だろうか恋人だろうか、食うものを分け合っているものがいる。

 一人でいるものだって、店にいる人間に声をかけられる。

 色々な人間が様々な形で、手を取り合って繋がっているように、俺には見えた。

 出会ったら殺し合うだけの俺達の世界。

 手を繋いで生きていける人間の世界。

 人間は、奪い合うだけではないのか。与え合うこともできるのか。


 俺は、人間に憧れる。

 人間として見上げる花火は、どんなものだろう。

 何か違うものが、見えるのだろうか。

 そしてあの花火を見た時の感情に、どんな名前がつけれられているのか。

 俺はそれを知りたい。


――――――――――――――――――――


 俺が目を覚ますと、目前に亀がいた。

 そうとう近くにいたものだから、思わず喰われると思って身をすくめてしまった。


「おい! 何だよ」

「あ、おはよう」


 俺の問いかけに対して、答えにならない間延びした声で亀は言う。


「眠るのこれくらいでいいの? そんなに時間経ってないよ」

「十分だ。さ、行くぞ」


 再び俺は、索敵しながら慎重に進み始めた。

 無言で進んでいたが、歩くのに飽きたのか、それとも不安なのか亀が話しかけてきた。


「くーちゃんは、何か夢見た?」

「お前はどうなんだ?」


 俺は自分の夢の事を話して笑われるのが嫌だったので、質問を質問で返してしまった。

 亀は気にした様子もなく、ぽつぽつと話し始めた。


「わたしの見た夢はね。わたし達が人間になっててね。くーちゃん、綿あめって知ってる? こうふわふわの糸みたいな食べ物。それをね、二人で分け合って食べるんだ。そしたらね、空に花が咲いてね。それを二人で見るんだよ」


 亀も花火を知っていたとはな。

 だが、その夢は叶わない。勝者は一人なのだから。

 仮に亀が勝って人間となったとして、その隣りにいるのは別の誰かだろう。

 そもそもが、1億の命には1億の夢があるだろう。

 それでも、叶うものはたった1つ。

 ただそうやって、亀の夢を否定するのは簡単だ。たやすく否定はできる。

 だが、今はそんな気分になれなかった。

 だから、叶うかどうかは別問題として、俺は亀の夢の感想を言うことにした。

 

「そうか、いい夢だな」

「うん」


 にこり、と亀は笑った。


「少し明るくなってきたね」

「そうだな」


 話しこみながら歩いていると、暗闇の道も少しだけ闇が晴れてきた。

 何かの音がして、俺達は一度足を止めた。


「どうしようか?」

「確認するぞ。よく分からないものに後で追いかけられるより、対策できたほうがマシだろう」

「うん」


 亀は俺の言葉に頷いて、そっと足音を静かに近づいていった。

 すると、道の先に痙攣する蛇が落ちていた。


「ほぁぁぁあぁぁぁああぁ」


 痛みの声だろうか、喚きながらのたうっている。

 だが、どこかで聞き覚えのある声だった。


「……ねえ、くーちゃん。どうしようか?」


 おずおずと、亀は聞いてきた。


「……どうするもこうするも、放っておくしかないだろ」

 

 大体、こいつだってレースの参加者だ。

 さっきまでだって、命は幾らでも見捨ててきた。

 しかも一見、この蛇は怪我をしているようには見えなかった。


「……痛いよぉ」


 蛇がぽつりと呟いた言葉に、亀がのそのそと近づいた。


「……何だよ。こっち見んなよ、亀め! それに小さいクモの癖に、ボクの事を馬鹿にするのか?」

 

 鈴のような少女の声と、この口調には聞き覚えがある。


「……こんなところで、どうしたんだ」


 まさかとは思うが、この蛇はスタート地点にいた光る玉の奴じゃないだろうか?

 俺は声をかけながらそう考えたが、蛇はそれに気づいた様子もなく言葉を続けた。


「いや、ほら。蛇って脱皮するだろう」

「そうだな」


 蛇は尻尾で、自身の抜け殻を指差した。


「ちょっと脱皮を試したんだ。そしたら、痛かったんだ……。何だよ! 笑いたければ笑えよ! でもボクはお前たちとは違うんだ。特別な存在なんだ」


 蛇は痛みもあるだろうに、その場にのたうった。

 あるいは、怒りで痛みを忘れているのかもしれなかった。


「何で、俺がお前を笑うんだ」


 この蛇は、ただ見ているだけの場所から、この世界の同じ舞台に立った。

 目的もわからないし、厳密に言えば違うかもしれない。

 だが、同じ世界に立とうとした者に、かける言葉は侮蔑であってはならない。


「俺は笑わない。だが、単純な疑問として聞きたいんだが、どうしたんだ?」


 俺が蛇の正体に、気づいていることに気がついたのか、蛇は少しだけ沈黙した。


「ふん。大口を叩く、君の死に様を見に来ただけだよ」


 蛇は顔を背けながらそんな事を口にした。

 こんな憎まれ口を叩く蛇は、仲間が少なかろう。

 でも友達になるかとか何とかいい出したのは、俺だった事も思い出した。


「よく分からんが、付いて来るか? 亀はどうだ、それでも構わないか?」


 一応、蛇にそう声をかけてみる。

 だがその場合、共に行動する亀にも了承を得なくてはならない。


「うんうん。一緒に行こうね」

 

 亀は気楽に返事をした。


「先に言っておくよ。ボクはまあ、訳あってキミらに手を貸すことはできない」


 この蛇はレースの管理者なのだ。

 公平性を考えるなら、当然のことだ。


「うんうん。わたし達、どっちが勝っても恨みっこなしだよね」


 亀は一応これがレースだということは、覚えていたようだ。


「でも、最後まで。そうさ、最後まで見届けてやるからな。小さいクモが、どう生きるかをさ」


 蛇はポツリとそう呟いた。

 やはり、光る玉……蛇は、俺が勝つとは思っていない。

 けれど苦痛まで噛みしめることになりながら、俺の旅を見届けに来た。

 わざわざ舞台に降りてまで見に来たならば、格好悪いところは見せられないな。

 俺は少しやる気が出た。


「ああ、見届けてくれ。……俺は、誰にも負ける気はない」


 俺達は蛇を伴って、再び進み始めた。

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