大地の監獄

第3話 暗闇の迷路

 絶望の蟻の壁から抜け出して、しばらく進むと通路から照明がなくなった。

 

「くーちゃん。前が見えないんだけれど、どうしよう」


 亀が途方にくれたように立ち止まる。

 俺の8つの目でさえ何も見えないのだ。 目が2つしかない亀なら尚更不安にも思うだろう。

 生き物は本能として暗闇を嫌がるものだ。

 だが、見えぬなら見えぬでやりようはある。

 そもそも蜘蛛は、暗闇に潜むものだ。


「俺が前に出よう。糸をつないでおくから付いてこい」


 俺は糸を吐いて、亀の首元につなげる。

 感覚を集中して、周囲に何もないことを確認してから移動を始める。

 

「真っ暗だけど、くーちゃんは道が見えるの?」

「見えない。けれど、感じられる」

「すごい。人間で言うところの『気』みたいなもの?」


 ふんす、と亀は興奮したのか息を荒くした。

 この亀は人間の文化に詳しいのだろうか。


「そんな曖昧なものじゃない。そんなものは迷信だろうし、それこそ気のせいだ」

「そっか。でもじゃあ、どうして?」


 目を丸くしている亀の疑問に俺は答える。


「俺の体は、柔らかいから鋭敏なんだ。だから風がどこから流れているかが分かる」


 ほんのわずかな風の振動すら感じ取ることができる。

 多分、吹いてくる風の方向に進めば抜け先があるだろう。


「すごいね。わたしはそういうの分からくて、……ごめんね」


 暗闇で見えないが、亀は微妙に俯いたのだろう。

 糸を伝って亀の動きが分かった。


「ええい、いちいち謝るな」


 俺は腹が立って、足元を何度か踏みつけた。


「お前は鈍いんじゃない、硬いんだ。この間だって動物に蹴られたって全然平気だったろう」

「だって、それくらい。亀だからね」


 当たり前のように亀は言う。


それくらい・・・・・で俺は死ぬんだよ! 虎どころか子猫が寝転んだくらいで潰されて、俺はぷちって逝くんだよ!」


 無論限度はあるだろうが、亀なら例え虎にだって踏まれても生きていそうだ。


「でも俺は、勝つつもりだ。このレース絶対に勝って、人間になってやる」


 可能性が絶望的なことなど知ったところで、走らねば勝てない。


「俺はお前の力と可能性を信じているから、お前に声をかけた。だからお前の自虐は、俺への侮辱と思え」


 俯いて生きてきた亀に対して、難しいことを要求しているのは自覚している。


「……うん。ごめ……ありがとう、くーちゃん。私は強い亀だよ!」


 糸から亀の震えが伝わってきている。

 言葉ではそういえても、内心ではまだ恐ろしい所も多いだろう。

 だが生きるためには、時として虚勢も必要だ。そして生きたいと願うならば、足を止めてはならない。


「わたし、めっちゃめっちゃめっちゃ強い!」

「そうだな。語彙を増やしたほうが良いとの、強さの理由が具体的だったらもっと良いな」 


 亀の肺活量は半端ない。つんざくような声だった。

 俺は頷きながら、少し声が大きから抑えて貰おうか、と思ったときには亀は叫びだしていた。


「わたしってば、むてきだねっ!」


 自分を鼓舞するために、興奮しすぎたのだろう。

 性格が陰に寄っているとバランスを崩しやすいのはありがちなことではあるが、この場では少しまずい。


「落ち着け、というか叫ぶな。流石に目立つ」


 俺が声をひそめさせたが、時既に遅く、ばさばさと飛翔音が響いた。


「きぃーきぃー」


 この声はおそらくコウモリだ。

 やばいな。やつらは暗闇でも何故だか普通に行動できる。

 コウモリの鳴き声による音の波動がびりっと体に伝わった。


「防御態勢!」


 俺が叫ぶと、亀は手と足と頭を甲羅に引っ込めた。

 俺も急いで、首と甲羅の隙間に入り込む。

 かつん、と甲羅にコウモリの爪が弾かれる音がする。

 かつん、かつん、かつん。

 次々と弾かれるが、コウモリが絶え間なく攻撃してくる。

 亀は手足を出していたら空中に運ばれてしまうだろう。

 まずいな、このまま何もしなければ、いつかは甲羅がひっくり返されてしまう。そうしたら亀は、もうおしまいだ。

 ひっくり返った亀は自力では戻ることが出来ない。――そうなると助かる道はない。


「くーちゃん、動けないよぉ」


 亀は首をすくめたままの体勢で、もぞもぞと発音した。

 このままではジリ貧だ。


「きぃー、きぃー」


 コウモリは挑発なのか未だに叫び続けている。

 なんとも不快で苛立たせてくれる。


「……馬鹿でごめん」


 ぽつりと亀は消え入りそうな声で言った。


「全くだ。本当にお前は馬鹿だ」


 俺は素直に頷いた。

 そんな俺の言葉に亀はぶるりと震えた。


「だが、そんな事は俺は最初から知っているし、それが悪いと俺は言ったか? お前が馬鹿だって言うなら、それを武器に変えればいいだけだ。馬鹿はな、限度がない。つまり限界がない。前に進む力が誰より強いと、覚えておけ」


 別にこれは亀に対しての優しさじゃない、自分の為の言葉だ。

 俺だって馬鹿げた事をしている自覚はある。他にも生き物はいたというのに、結局仲間に選んだのは亀だ。

 そうした以上は、互いの強みを探していくほかないだろう。


「うん。…うん!」


 亀はどう思ったのか表情は見えないが、変温動物の割に少し体温が上がった気がする。

 しょぼくれるより、気合が入ったほうがこちらとしても助かる。


「考える。少しだけ耐えてくれ」

「任せて」


 俺の言葉に亀は、気力を取り戻したのか素直に頷いた。

 かといって、状況が変わったわけではない。

 どうやってこのコウモリたちを振り切ればいいか。

 あるいは耐久し続けるのも手だろうか?

 ……いや、それはまずい。

 よしんば、このままコウモリたちに亀がひっくり返されないとしても、背後から例の蟻の女王が追ってきている。

 できれば、少しでも前に進まなければならない。


「きぃー、きぃー」


 しかし、このコウモリたちの声は体に響く。

 まったく同じ音で鳴き続けている。

 ふと、俺は疑問に思った。

 こいつらはこの暗闇を、どう感知しているのだろう。この暗闇はどんな生き物も先が見えないだろう。

 他の生き物と変わったことがあるとすれば、鳴き声? 

 こいつらは同じ音で鳴くのが意味があるのか。

 そしてまたコウモリの出す音に俺自身の身体がびりびりと震える。

 まさか、これか? 反射する音で判断しているのか?

 俺は風の流れが分かる程度だが、コウモリにとっては目が見えるのと変わらない精度で周囲を理解できるのだろうか。

 

「亀、もう少し動くなよ。それと、どんな指示でも従えるか」


 亀に説明している時間は、あまりない。

 すぐにでも行動に移りたい。


「もちろん。馬鹿だから何でも出来るよ!」

「よし」


 これは賭けだ。

 俺は、亀の甲羅の隙間から身を乗り出した。

 亀の首元に先ほどと同じように、糸を巻き付けておく。

 奴らが反射する音で世界を見ているのならば、俺の様な小さく柔らかい生き物は分からない可能性が高い。

 そっと静かに前に進むが、特に俺は攻撃されなかった。

 そして、風の感じで進む道は分かった。

 あとはコウモリを撒いて先に進まなければならない。

 けれども、俺たちに空にいるコウモリを攻撃する手段はない。

 ならば、俺たち以外をぶつけるしかない。


「亀、叫べ、全力でだ!」


 先ほどとは真逆の指示を亀にした。


「かめぇぇぇーーー! かめぇぇぇーーー! かぁめぇぇぇーーー!」


 亀は通路に空気が震えるほどの、大声で叫ぶ。

 ウミガメの肺活量は並の動物を遥かに凌ぐ。

 大きな音の波にコウモリは酔ったのか、鳴き声のリズムを崩した。

 そして、地響きがした。

 コウモリだけでなく、他の生き物たちも声がしたこちらに向かってきたのだろう。

 暗闇で進めない生き物はどれも同じなら、声という目印に向かって突撃してくるだろう。

 そしてこのままコウモリとぶつかってくれれば。

 そう思いながら、俺は、糸を引っ張り亀に声をかける。


「俺についてこい!」

「うん!」

 

 俺は暗闇を全力で駆け、亀が追随してくる。

 俺が全力で走ったところで、体の小ささの問題で亀の足よりずっと遅い。

 だから亀に間違いで踏み潰されないように必死だ。

 亀は糸にちょうど引っ張られるように、俺と同じ速度で走っている。

 走る。走る。とにかく走る。

 後ろからは争いの音が響いてくる。

 がぶりと、ぶちりと、噛みつく音と悲痛な叫びが命の終わりを奏でている。

 俺達は、振り払うように気にせず走る。

 更に進むと、道の先からの空気が少し変わったことを感じた。

 ほんの少しの溝でもあるのか、下から風が吹き上げているように感じた。

 このままでは、亀はこれに引っかかるだろう。


「亀、俺を気にせず全力で走れ!」

「うん、行くよ!」


 亀が近づき踏み潰されそうになる直前、俺は亀の首元に飛びついた。

 ぱきり、と強い痛みとともに嫌な音がしたが、気にしている暇はない。

 そのまま距離を測り、溝直前の最後の踏み出す足のところで叫んだ。


「飛べ!」


 そのまま亀は跳躍した。

 本来の亀は、しかもウミガメであるなら、ほんの少ししか飛べない。

 けれども全力の亀の走りからの跳躍は、その僅かな溝を越えさせた。

 飛び上がった亀は、滑り込むように着地する。

 亀の首にしがみつきながら、俺は叫んだ。


「このまま真っ直ぐだ。とにかく走れ」


 亀は黙して進む。

 どれくらい時間が経ったのか。

 いつしかコウモリの声どころか、生き物の音がしなくなっていた。


「……そろそろ、大丈夫そうかもな」


 そういって俺は深く息をついた。

 緊張の糸が途切れると、足に痛みを感じた。

 どうにも足が一本折れてしまったようだ。だが、まだ千切れてはいない。

 見た目では分からないだろうし、この程度ならば特に機動には問題はないはずだ。

 まだ序盤だと思うし、ここで体の一部を失うというのは非常に危険な事だが、とりあえずの命は拾ったようだ。


「良かったー」


 だが、亀はこちらの様子には気付いていないので、間延びした声を出した。


「でも凄いねくーちゃん。流石くーちゃんだよね」

「違う、そうじゃない」


 俺だけを賛美しようとする亀の首元に、俺は噛み付いた。


「いたぁぁ」

「こういう時は、何て言えばいいか考えろ。俺は、お前がいなくても詰んでいた」


 亀に足りないのは、本当は頭なんかじゃない。

 自信だ。こいつは失敗した数ばかり数えて、これまで生きてきたんだろう。

 だから、何の役に立つかは分からないが一言だけいっておこう。


「……今回もお前に助けられた。……ありがとう、だ」

「……こちらこそ、ありがとう、だよぅ。……本当に本当にね」


 俺は決まりが悪くなって目を瞑った。

 亀はのしのしと歩きながら鼻歌を歌い始めた。


「くーちゃんとー、かめはー、さいつよー。むてきのわたしたちー」


 不安は尽きない。

 けれども能天気に小声で歌う亀を見ると、ほんの少し心が軽くなる気がした。


「さいつよ、じゃない。最強さいきょうと言え」

「えへへ」


 とりあえず、俺も亀に合わせて軽口を叩くと、亀は何が嬉しいのか喜んだ素振りを見せている。

 進む道は、果てしない程深く尚も暗い。

 この先に何が待ち受けているかは、全く分かりはしない。

 だが、俺は今は暗闇に恐怖を感じなかった。

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