君だけに告げる冗談

大河

冗談じみた約束

「どうしてこの大学って文化祭にミスコンないんでしょうね」

「需要がないからでしょ」


 まぁ、そうなんでしょうけども。


「もしそういうコンテストがあったら、誰が優勝していると思う?」


 先輩が俺に尋ねる。

 俺が先輩に答える。


「八重野先輩ですかね。だって一番綺麗ですもん」

「そうか。上手だな」


 何が「上手だな」だ、またこの人は。俺の好意も、質問の意味も、何もかも分かって言っている。

 八重野先輩は素敵なヒトだ。ウチの大学で一番キレイだと思う。そう考えているのは俺だけじゃなくて、きっと大学の生徒みんながそういう認識をしている。素敵なヒト。綺麗なヒト。美しいヒトなのだ、八重野先輩は。

 けれど同時に変なヒトでもある。


「若木くん。早く食べないのか?」


 昼休みから少し遅れて、午後一の講義が始まった時間。俺は人混みが大嫌いで、その上食べるのが遅いから、だいたい混雑を外して食事をとる。しかも場所まで外して、食堂ではなく同じ建物上の階、椅子とテーブルが雑に放置された物置のようなスペースで。

 人も寄りつかないような、一応は休憩所。

 八重野先輩は俺の真ん前の席に陣取って、俺の食事風景を楽しそうに眺めている。


「先輩との時間を長引かせているんですよ」

「それはパンが冷めるより大事なことなのか?」

「大事ですね。なんといっても先輩と二人きりですから」


 そう、二人きりだ。俺がいつものように食事をとろうとしたとき、八重野先輩がやってきた。見知った仲だろうとばかりに「や」と手を掲げ、挨拶してきた。いや全然知らない仲ですけど、親しくなる切っ掛けとかありましたかねと記憶を探り、残念ながらさっぱり覚えていないことを伝えると、


「それはそうだ。今初めて話したもの」


 と彼女は頷いた。

 俺は、というかきっと男だったらそうだろう、美人に弱いから、できることならば美人とお付き合いしていろいろなことを楽しみたいと思っているから、今まで遠くから憧れるだけの先輩とお近づきになれるのならこれ幸い。こうして隠れ家的な場所で、二人きりのランチタイムが始まった。開始の理由は分からないけれども。


「若木くん。私は君と付き合ってもいいぞ」

「本当ですか?」


 どうせ本気じゃないのに、いちいち喜んでしまう俺だった。


「ただし条件がある。条件をクリアしたら付き合ってもいい」

「条件は?」

「今日は、そうだなあ……。お金が欲しい。一億円。一億で私を買ってくれ」


 時間はあるが金はない大学生に一億が出せると思っているのだろうか。思ってないんだよな、どうせ。俺に金が出せるなんてこれっぽっちも考えてないから提案しているんだ、この人は。


「それ、たとえば本当に一億円渡されたら、本当に付き合うんですか?」

「約束は違えないよ。若木くんが一億円用意したら、私は君のものになろう」


 先輩は答える。僕は笑う。冗談だ。

 八重野先輩はこうして妙な条件を突きつけてくる。どれも今は到底手に届かないような目標を、付き合うための条件として提示する。それは日によって違うけれど、一度も達成した試しはなかった。だから俺は先輩と付き合えていないのだった。


「好きにしていい、って誰彼構わず言っていいセリフじゃないですよ」

「ああ。だからここで話している」


 先輩は楽しそうな顔をしている。






 俺と先輩は何事もなく大学を卒業して、連絡先も知らずにどこかへ別れてしまって、きっとこれは美しい思い出として額縁に飾られたまま色あせていくんだろうなと思っていた。

 先月までは、実際にそうだった。

 同窓会で集まったとき八重野先輩の噂を聞いた。人を殺して逮捕されたという。あの先輩ちょっと人と違うっていうか変な感じだったもんね、といった声。声。声。おかしい。八重野先輩がそんなことをするはずがない。噂をしていた奴に掴みかかって詳細を聞いた。ありえない。八重野先輩が人を殺すはずがない。

 俺は八重野先輩がいるらしい刑務所にやってきた。面会がしたいと問い合わせると、確かに先輩がいるという。


「やあ。久しぶりだね、若木くん」


 面会室で会った先輩は大学時代と全然変わっていなかった。相変わらずおそろしいくらいに美人だった。


「人を殺したって聞きました」

「うん、状況証拠からすればそうだろう。私が殺したようにしか見えない。私はやっていないと主張したし、弁護士にもそう伝えたけれど、あまりに状況が整いすぎていて覆すのは不可能だと言われた」


 俺は安心したあと絶望した。

 八重野先輩はあの頃から何も変わっていないと確信できる目をしていた。あの頃と何も変わらない顔をしていた。人を殺していないとの発言を信じられるほどには。けれど俺は弁護士でも何でもないし、専門の職業が裁判を覆せないと判断したならば、俺にできることは何もないということだった。

 愛しい先輩のために、何もできないということだった。


「そう悲しむものでもないさ」


 八重野先輩は言った。


「ちょうどいいところに来てくれた。なあ、若木くん。私のことはまだ好きか?」

「あの頃と変わっていないなら」

「なら大丈夫だ」


 そして笑う。


「私に課される罰金で私を買ってくれ。そうすれば、私は君のものになろう」


 金額は一億。冗談みたいな話だ。


「本気ですか?」

「約束は違えない。大学のときから言っていただろう」




 面会の時間が終わった。

 さて、どうやって一億円を稼ごうか。

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