第3話 事情聴取というか詰問というか

 一日が瞬く間に過ぎていった。


 教師の口から湯水のように湧き出てくるあれやこれやの重要事項が耳に残ることは無く、悲しいことにテスト前の勉強時間が延びることは必至であった。

 HRの間も教室の少し前の方、友人共と談笑しながら帰る準備を進める元凶くそ野郎の背中に呪いを浴びせるしかやることが無かった。


『今朝の話の続きをさせろ』

『有無を言わさずってこういう事か』

『どこが良い? 家か校内かくらいは選ぶ権利をやろう』

『俺もしかして令状出てたりする?』

『出てない。任意同行をお願いします』

『黙秘権は?』

『無いでもない』

『🥲』

『😇』


 というのが五限の化学の間に行われた会話。

 この時点でノリの軽さに若干苛立つが我慢した。

 そして七限の政経倫理の授業終わりにした会話が、


『おい、返事は』

『🏠🤷』

『どういうスタンプだよそれ』

『俺の家で良い? 今日ちょっとやることがあるから夜にしよう』

『パパママはどうしたよ?』

『今日は二人とも出張』

『え、そうなん。飯は?』

『適当に食うつもり』

『うち来い。予定とやらは死ぬ気で済ませろ』

『ゴチになります』

『🤬』


 という感じであった。

 ぶち殺してやろうか。


「で、大槌君は結局行ってしまったと」

「文体の軽さに殺意を覚える」

「なるほど、軽く殺意を」

「言ってない。そんな面白いことは言ってない」

「じゃあ確殺の決意を?」

「抱いてない。そこまでブチギレてはいない」

「まあ話は聞けるって決まったんだし、良かったじゃない? どんと構えてたら良いのよ幼馴染は」


 放課後、三人程しか残っていないこの教室で、なんだか訳知り顔でそれらしいことを言うこの友人に正拳突きを見舞いたい衝動に駆られつつも、手元の書類をやっつける事に無理やり意識を向ける。

 放課後、本当はすぐに帰ろうと思っていたのだが、美化委員の井口に捕まったのだ。

 体育教師の井口が何故美化委員の担当なのか。という話題が花を咲かせているところを稀によく目撃する、あの井口だ。

 別に体育教師が美化委員の担当になることだってあるだろうよ。とは思っているが、確かにその疑問に理解を示せる点もある。


 井口は当校の体育教師の中ではベテランで、確か学年副主任だったはずだ。

 野球部の顧問では鬼監督と恐れられ、

 東にネクタイを緩める生徒あらば、行ってお前は淑女としての自覚がどうのと言い。

 西に染髪してきた生徒あらば、行ってお前は明日から坊主だと言い。

 南に東大受験を諦めそうな三年生居たらば、行ってお前ならやれると適当なことを宣い。

 北に合唱練習をしている一年生あらば、行って合唱とはこうやるんだとただでかいだけの騒音で音楽教師をも困惑させる。

 そういう、どちらかと言えば公立中学校で生徒指導とかやっていそうな人物なのだ。


 では何故そんな井口が美化委員の担当をしているのか。

 おそらくだが単純に、この学校に体育教師が多いのである。


 昨年、この学校の体育教師の一人が何かの問題を起こしたとして新聞に載り、大事になる前に教育委員会が停職処分を言い渡したのだとか。

 しかし今年の春、その体育教師に事件のアリバイがあることが発覚してこれまた新聞に載り、教育委員会は彼の処分を無効にして復職させたのだとか。

 結果として補充された体育教師と復帰した体育教師がダブり、我が校は見事、体育教師天国と化したのだった。


「本当に勘弁してほしい」

「ああ、その書類? 何で今日突然提出しろなんて言い出したのかしらね」

「ああ、いや…。まぁそう。前回の美化委員会の時、三年生が半分くらい夏風邪で休んでたからな。まともに進まなかったんだよ」

「仕事が割り振られずに溜まってたと?」

「多分、不運にも井口に見つかった数人が同じ目に遭っていることだろうよ」

「不運ねぇ、アンタも」

「まあどうせ暇だったし良いけどな」


 そう、夜まで暇なのである。

 一応在籍している部活も当然のように休みだし、大槌は用事とやらを理由に友達すら置いていそいそとどこかへ消えた。


「大槌君、部活はいいの? バレーボール強いんだよね?」

「新しいコーチが先進的なんだとさ。 結構休みがあるらしい」

「令和っぽいわねぇ」

「公立高校がコーチ雇うっていうのも結構先進的らしいな」

「公立は予算渋いもんね、全てにおいて」

「井口が教育委員会に直談判したらしい」

「また出た、井口」


 そう、また出た井口。

 なんとバレーボール部の顧問である。

 世間が狭すぎる。


「あんた井口に縁があるわね」

「やめろよ…、あいつがバイタリティに溢れてるんだろ」

「社会人なら早めに起業とかしてそうなタイプ?」

「ゴーストライター謹製の自己啓発本とか読んでるタイプ」


 駄目だ、何となく悪口っぽい言葉しか浮かんでこない。

 恨みつらみ、津々浦々である。

 特に意味はない。


 ともかく、のめんどくさ陽キャおじさんと縁があるなどと人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。


「閑話休題」

「何の真似だかすぐわかるぞ」

「話を戻すと、あんたは今晩大槌君に尋問するまで暇なわけでしょ?」

「厳密には、晩飯を食わせる約束をしたから夕方までは暇だな」

「だったらさ、この後イオンモール行かない? この前出来たばっかのやつ」

「ええー、遠いだろ。なんでわざわざ」

「気になってるブランドが入ってんのよ。見に行くのついて来て」


 ええー。

 絶妙に面倒くさい。

 わざわざ家と反対方向に、バスに乗って行けというのか。

 最短経路問題を解かせてやろうか。


「クレープ奢るからさ」

「時間は買えねぇんだよ」

「じゃあタピオカもつける! どうよ!」

「決済手段がギャルのそれ」

「ギャルはもうタピオカ飲まないでしょ」

「わかんないだろ! ギャルだってタピオカ飲むかもしれないだろ!」

「ギャルに夢見るな」

「急に牙剥くじゃん」


 ぴえん。


「あの」


 ん?


「ごめん、話聞こえちゃったんだけど」


 と話しかけてきたのは、やはりというか、鎹であった。

 話聞こえちゃったも何も、HRが終わってからずっと教室に残ってこちらの様子を伺っていたじゃないか。

 なんせ我らが誇るキツめ美人こと鎹女史は、今の今までずっと同じ教室にいたのだった。幻の三人目である。


「んあ?へあ、ああ…」


 とか、なんと返事をすれば良いかわからなくなって声未満の息の塊が口から漏れた。

 断じて、陽キャに話しかけられた動揺でテンパったとかではないのだ。断じて。


「聞こえちゃったも何も、聞いてたでしょ」


 と、無駄なく話を進めつつも棘はあまり感じさせない返答をするのは天使の微笑みを持つ神原の役目である。

 いつも本当に助かる。


「あ、うん、ごめん」

「ううん、大丈夫だけどね。それでどうしたの?」

「私も一緒に行っていいかな、イオンモール」


 ん?


「…まだ行くって決まってな」

「いいね!いこいこ!」


 おい。

 勝手に決めるな。

 行くって言ってない。

 さっき心の中でした感謝を返せ。


 何も言えぬ間にキャッキャウフフと二人でバスの時間を調べ始めている。

 もう二人で行ってこいよとすら思うのだが、しかし鎹の真の目的はお友達百人計画の遂行ではないのだろう。

 黙ってついていくほかあるまいて。


 そう思って微笑ましい光景を眺めていると、鎹が突然キツめの美貌をこちらに向けて言った。


「そういえば、二人は仲良いのね」

「えぁ? ……あぁ」


 流石に、『二人』が誰を指しているかはすぐに分かった。


「家が隣なんだよ。小学校入る前からずっと一緒」

「たまに一緒にご飯も?」

「まぁ…、そうかなぁ。あいつ両親とも出張多いから、なんだかんだとうちで飯食うことも多いかもな」

「幼馴染ってやつだ」

「そういうこと」


 そういうことである。


「幼馴染なら確かに、事情聴取もしたくなるわよね」

「事情聴取というか、詰問というか。まあ、そう」

「ふうん」


 なんだろう、この妙な緊張感は。

 笑顔のつばぜり合い。

 測っている距離感は斬り合うためのそれか。

 いや、斬りかかる相手かどうかを測っているんだろう。

 本当に、いつまで経っても慣れない。


 バスの時間を調べ終えたらしい神原が、勢いよく立ち上がって言った。


「さっ、行こうかイオンモール!! の前の景気づけに!!!」




 あーあー、折角濁したのに。



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