第2話 発生源、またの名を放火魔

「ああ、それで一限あんなに五月蝿かったんだ」

「そう。みんなその噂で頭いっぱいだったんだどうせ」

「アンタも人のこと言えないでしょーよ」


 くくくっ


 と独特な堪えたような笑い方をしているのは隣のクラスの友人である神原日向だ。

 その目の前には信じられない量に盛られたカツ丼が鎮座ましましている。


「一応は一発で合格したし良いんだよ。今頃はあのアホ達が昼飯そっちのけで再テスト受けさせられてると思うと気が楽になる」

「その性格絶対損してると思うわよ。友達だから言うけど」

「馬鹿な。教室では息を潜めて暮らしてるのに、性格の悪さがバレるはず無いだろ」

「そういうのは細かい所作から滲み出るのよ」


 神原は返事もそこそこに、割るのを失敗した割り箸を揃えて両手を合わせ、カツ丼にがっつき始めた。


 対するこちらは弁当だ。

 母の愛のこもった、常識的な量のお弁当である。

 この食堂という空間では若干目立つが、まあ禁止されてるわけでもあるまい。他にも弁当を啄んでいる者をしばしば見かけるので良しとする。


「それよりも大槌の話が気になる。有象無象が語ってたデマはともかく、大元の噂を本人が認めた」

「松井がブチギレ説教して職員室に帰ったのを大槌君が呼びに行った話より重要なの?」

「そんな月イチの恒例行事、ゴミ捨てみたいなもんだろ。こっちは幼馴染が非行に走ってるかも知れないんだぞ」


 今日は鶏卵そぼろのあんかけの日だったらしい。母が作る鶏そぼろは甘くて最高である。

 ご飯にかかっていた日には嬉しくて美味しくて、その日の午後はハッピーに過ごせるのだ。


「非行ってアンタ、塩町歩いてただけでしょ? あんだけ人気者なんだし女友達の一人や二人いるわよそりゃ」

「夜の繁華街にわざわざ行く用事が思いつかない」

「そりゃあ、アレよ。 ベッドが回転するって噂の」

「……それは無いと思うんだよなぁ」

「なんでよー! 一番有り得そうじゃない!」

「幼馴染の勘」


 一先ず誤魔化すほかあるまい。無理やり黙らせて話を進める。

 冷凍唐揚げの旨味が脳を幸せにする。


「それ以外で何か思いつくモノ無い?」

「そうなってきたらもうアレよ。お父さんが病気で…」

「今朝元気に出勤して行ってたよ」

「お母さんが借金を……」

「商学部卒のキャリアウーマンがそんな失敗するか?」

「実は隠し子が…!」

「それ反応しないと駄目か?」


 他人事だと思って楽しんでいやがる。

 何と薄情な奴だろう。

 こちらも他人事だが。

 レタスをむしゃり。


「何よぅ。 注文ばっかつけてないでアンタも考えれば?」

「ずっと考えてんだよ〜〜!!」


 考えすぎて一限も二限も全く身が入らなかった。

 こちらはこんなに気になっているというのに、当の本人は何事もなかったかのように友人共と談笑しているので余計に腹が立ってくる。

 人の気も知らないでなどという言葉が適用できる日がまさか来ようとは。


「心当たりが無さ過ぎて何もわからん! 何なら本人が認めるまでは全部デマだと思ってたわ!」

「混乱してるわねぇ、らしくもなく」

「らしくもなくて悪かったな!」

「どうどう。 そんなに気になるなら本人に訊けば良いじゃない」

「永遠に誰かといるあいつにどうやって話しかけろと」

「いや、さっき何で会話してたのよ。 そのスマホは何の為にあると思ってんの?」

「……ああ」


 完全に意識外にあった。

 そうだったそうだった。

 何で忘れていたんだろう。


「ほんとだ。 思いつかなかった」

「これはよっぽどだわ」

「でもなぁ、なんて聞けばいいのか…」

「普通に聞きなさい普通に」


 プチトマトを摘まみながら空いた片手でスマホを弄る。

 と、何やら視界の端に気配を感じた。


 見上げると、そこにはキツそうな美人。


「あの噂の話してるのよね?」


 ああ、ものの訊ね方までキツい。

 このキツさには覚えがあった。同じクラスだ。


「えっと…、かすがいさん? どうしたの?」

「ごめんね、お似合いの二人だから話遮るか迷ったんだけど……」


 なんだぁ?

 イヤミかこいつ。

 はみ出し者同士つるんでるのがそんなに面白いか?


 などとは思っても言わない。

 一方神原はといえば、『いやぁ…』とか『それほどでもある…』とか訳のわからん返事をして遊んでいる。

 せめて否定しろ貴様。


「今朝の噂、教室中で話題になってたでしょ? その話なんだけど」


 なんと!

 社会がこちらに門戸を開いている!

 ぴーちくぱーちく仲間にオレはなる!!


 ぴーちくぱーちく


 今のは心の声。


「ああ、あれね。 どうしたの?」

「私なの」

「………は?」

「あの噂、私が最初に話したの」


 ……ん?

 噂の発生源ってこと?

 いや、それ以外に読み取れる意味情報など微塵も無いが。

 クラスでもリーダーシップを発揮する人気者の彼女が、わざわざ学内のはみ出し者の一匹狼トップ2(自称)の食卓にその話を持ってくる意味が分からないのだ。


「えっと…」

「私が見たの。 大槌君が女の子と歩いてる所」


 なんとも意外な角度から情報源が現れた。

 一先ずあの馬鹿にメッセージを送るのは後回しに出来そうである。

 先ずは話を聴いてみよう。


「そうだったんだ。 凄い場面見ちゃったね」

「うん…」


 黙っちゃったよ!

 なんだよ共感して欲しかったんじゃないのかよ!


 手元のプラスチック箸が異常な曲げ応力を検知して悲鳴を上げている。

 危ない危ない。

 高校に上がった時に、記念にと買い替えて貰った物なのに。


 神原に視線を送る。

 こういうのはお前の方が得意だろうが!という視線だ。

 神原はにやにやと笑みを返してから、こちらにだけ見える位置で右手の指を二つ折った。


 くそ。

 仕方ない、今回はそれで手を打とう…!


 頷いて見せると、途端に神原は彼女の方に向き直った。


「一緒に歩いてたの、女の子だったんだね。女の人 って聞いてたから、てっきり大人の人なのかと思ってた」

「そうなの。 その事でその、相談したいことがあって」

「相談? 友達じゃなくて大丈夫なの?」

「ううん、二人に聞いてほしいの。 というかその…」


「……え?」


 鎹の視線がこちらに向いたので驚いてすっとぼけた声が出てしまった。

 本当にナチュラルに会話を進め始めた神原に呆れ半分憧れ半分の視線を送るので忙しかったのに。


「えっと、その、同中おなちゅうだったよね?」

「ごめん、話が見えないんだけど」

「だから、あなたと大槌君と」

「……そうだね」


 何なら小学校に入る前から一緒だが。

 それがどうしたというのだ。

 意図が読めない。


 鎹はこんなに歯切れの悪い話し方をする奴だったか?

 もっとこう、我が選択に一片の間違い無し!!みたいな顔で率先してリーダーシップをとるタイプだった気がする。


「それがどうかしたの?」

「えっと…」


 いい加減焦れったいが、彼女がチラチラと周りを見やっている事に気づいた。


(ああ、なるほどな)


 やっとこさ彼女の態度の謎が解けてきた。

 要するに、有象無象が跳梁跋扈するこの食堂という空間で大声を出して会話するには気が引ける内容だ。ということらしかった。

 ちらりと周りを見れば、これは確かに。


 付近で不自然に立ち止まっている女子生徒。

 箸が止まったままどんぶりの隅を眺めている女子生徒。

 何やら談笑している風なのに一切声を発さない女子生徒。

 スマホのメッセージングアプリを開いたまま指が微動だにしていない女子生徒。

 エトセトラエトセトラ。


 何やら今この時この瞬間、このテーブルは校内で一番注目を集めている空間らしかった。


 神原はずっと早くに気付いていたのだろう。

 こちらとしても気付きさえすれば配慮はできるのだが、如何せん周りの視線や空気を気にする事は余り得意とは言えない質なのだった。


「ああ、ごめん。場所変えようか」

「ううん。私もうそろそろ席戻りたいし」

「あ、そう?」


 どうしろと。

 ここでは言いにくいんじゃないのか。

 などと心の中でぶつくさこき下ろしてやろうとした時であった。


 鎹の顔が突然近づいてきたのだ。

 うわ美人。じゃなくて。

 うわいい匂いする。じゃなくて。

 耳打ちをさせろということらしかった。


 何だ何だと神原と仲良く彼女の方に耳を寄せる。

 注目を集める食堂のテーブルの端っこで、男女三人が至近距離で頭を突きつけている。

 なんと滑稽な様だろうか。

 これがシュルレアリスム。

 色んな人に怒られそうだ。

 ただシュールなだけであった。




 鎹が無声音で語る。


「大槌君と歩いてたのはこの学校の生徒だったの。

「あなたと大槌君と同じ、長瀬中出身の子。

「親しそうな感じは無くて、どちらかというと気まずそうな感じで…

「あ、あとね、二人が入っていった建物なんだけど、」




 鎹は少し頭を起こして周りを確認した後、もう一度帰ってきて一言。





「産婦人科だったの」





 爆弾だけ落とすと、もうこれ以上は時間を作れないとばかりに、足早に友人達の元に去っていった。


「「…………」」


 神原と目を合わせ、何を口に出せばいいか分からず、眉間に力を込めたまま首を傾ぐ。

 手元の弁当はあと三分の一程も残っているというのに、次にどのおかずを口に運ぼうかまるで浮かばない。


「実は隠し子が……、」

「脛蹴り折るぞ」

「うわぁこわ~い…………」


 いつものくくくっが聞こえない。

 事態はどうやら思ったよりも深刻らしい。


「とりあえず、食い終わろうか」

「………うん、そうね」


 折角おいしい弁当を作ってくれた母に申し訳がたたない。

 残りの昼休みは、すべて弁当を楽しむ時間に充てることとする。

 今決めた。

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