お母さん

「縞湖ー。ごはーん」

「はーい」

「はーい?」

「う、うん」

「? じゃ用意手伝って。これとこれ。テーブル持ってって」

「え、ええっと……。お母様」

「へ? お母様?」

「え? えー、ええっと。マ」

「ママ?」

「……」

「みゆきです。登志子さん。みゆきって呼んでください」

「うぇ? ええええ? 母親名前で呼んでるの? どんな家? え、ええっと。みゆき……」

「熱でもあるの? 何?」

「用意、でき、ましたわ?」

「ましたわ? 何の物真似? ああ、じゃあもうないから座って待ってて」

「は、はーいじゃないや、うんですわ」

「うんですわ?????」


「はああああ。気疲れしたー」

 ソファにどっと体を沈める。

 ……部屋にソファって。

「お疲れ様です。すいません。変わった家で」

 ふよんと出てきた。

 今この瞬間にも廊下に聞き耳立てておかないと。縞湖さんのママに縞湖さんの魂とわたしの魂が入った縞湖さんとの会話が聞かれていたら(なんのこっちゃ)変に疑われる。

 精神科へGO!

 縞湖さんの家で縞湖さんの部屋。

 幽霊と違って生身。風呂食事等々日常を疎かにするわけにも行かない。帰らなかったら枡田家が大騒ぎにもなる。

 なので学校終了後、枡田家にいるわたし。

「割とあるらしいですよ。母親を名前で呼ぶ家」

 宙でふわふわ揺れてる縞湖さんが言った。

 亮介は旧校舎。どこでも行けるようになってもずっといた場所は離れがたいらしい。

 縞湖さんもやっぱりわたしと同じで地縛霊ではないようだった。

「そうかなあ」

 上流階級っぽいっちゃぽいか? 家もおっきいし。母若いし。

「私の場合、始めママって呼んでいたんですけれど。幼い頃、恥ずかしくなっちゃって。克樹……父の真似して名前で呼び始めたらそれで定着しちゃった感じですね」

「ああ~」

 気持ちは分かんなくもないけどね。

 呼ぶ度違和感。

 手紙のお母様お父様呼びはあれ、お手紙だから畏まったのか。

 ただでさえいちいち会話や動作まごつくのに、自然に呼べないんだもん。お陰ですっごい怪しまれたよ。

 こりゃ、うかうかしてられないなあ。

「あと私そんな変な喋り方しませんよ?」

「そうでしょうか。今日一日過ごしていて自然に出て来ましたけれど」

「意識すると変になるんですね。今のは普通でした」

「これが普通……」

 ぱんぱんっ! と自分の頬を叩く。

「ま、いいや。ちゃちゃっと描いちゃうね」

「そのまま描くんですか?」

「うん」

 昔は紙にペンで描いてたし。ノートと鉛筆さえあればいけるいける。

「って、どこ行くの?」

 縞湖がすっ、と壁から外へすり抜けようとしていた。

「制作過程を見たくもあるのですが……ファン心理としては出来上がった後で見たいと言いますか」

「ああ。分かる分かる」

「すいません」

 縞湖さんは反射的に謝った後、ぺこりと小さくお辞儀して部屋を出て行った。

「さてと」

「あ、お風呂、それから洗面、わたしの歯ブラシ、着替えはもう大丈夫ですか? 何ならメモにでも」

「いいっていって。一通り教えてもらったし、覚えてるからさ」

「あはは……では。今度こそ」

 十秒待つ。どうやら今度は本当に出て行ってくれたようだ。

「さて。やりますか」

 わたしは気合いを入れ直した。




 いつもより捗ってしまった。

「でけた」

 けれどやるべきことはまだまだある。

 わたしは出来た原稿を急いで縞湖のスマホで写真を撮る。

 本当はスキャンするべきなんだろうけど、部屋に見当たらなかった。

 コンビニ満喫等に行く時間もない。逆にこの方がリアリティが出て良いかもしれない。

 縞湖のついったーを起動。

 アカウントを切り替えて成りすましスケコマシのアカへ。

 あれからお母さんは書き込んでいないようだ。

 が、プロフィールからいいね欄に切り替えてみると、以降全く見ていないってことはないんだと知れる。というのも、わたし自身の発言にいいねが付いているのだ。

 わたしはこんなことしない。成りすましスケコマシではあっても、ナルシストスケコマシではないつもりだ。

 ということはお母さん。

 わたしの……どうでもいい発言――主に日常のことを綴った一言一言に対していいねを付けている。


『なにゆえ母はお弁当にミニトマトを入れるのか』

『学校で嫌なことあった』

『ゆうめっしーおいしかった』

『おっかちゃーん! わたしの唯一の友達!』


 ……我ながら何でこんなこと書き込んだんだろうと思いたくなるどうでもいい発言の数々。

 まるでお母さんがわたしの亡霊を追ってるみたい。

 とはいえ。

 この手の発言は多くない。わたしは作品をアップする為の場として使っていたし。この日常の切り取りもやがては尽きる。

「そうなる前に」

「あっぷっぷ」

 正しく成りすましだ。本人だけど。

「よし次」

 意識を集中……、するまでもなかった。

 感覚としてはずっとあった。歯車が噛み合っていない感覚が。

 俯瞰する。

「うん。そうだよね」

 縞湖の体がそこにあった。それを俯瞰するわたしがいる。手を見る。見慣れた手のひら。縞湖のように細い、つやつやと光っているようなそれではない手。ぷにっとした手。

 魂が体と合っていないんだ。

「けど」

 すっと入る。離れる。俯瞰する。入る。離れる。俯瞰する。

 うん。うん。うん。

「死に近づくと霊が見えるようになる」

 実感した言葉。

 そこにもうひとつ。

「一度そういうことに関わった人間は呼び寄せやすくなる。呼び寄せてしまう。体質を得る。よく聞く常套句だけど――、これもまた正しいんだろうね」

 常套句。偶然という名の必然。運命の赤い糸。

 使われ続けてきた言葉にはそれなりの理由があるんだろう。

 正しいんだろう。

 そして――。

「二度あることは三度ある」

 これもまた正しいかもしれない。

「縞湖ー」

「は、うーん?」

 おかあ……じゃなかったみゆきがノックして部屋に入ってきた。

 ノックて。するんだ。家族で。うちの母に見習って欲しい。

「いつまで起きてるの? 私もう寝ちゃうから電気消すけど」

「え。まだ十時はー、は、うん。寝る。寝るね。先寝てていいから」

「? 早く寝なさいね」

「う、うん。おやすみ?」

 おほう。人の寝る時間に干渉してくるのか。ちゃんとした家ってそういうものなの? この分だと明日の朝も八時まで寝ていられないかも。う、ううん。

 心が痛い。

 娘さん、今、死んでますよー。だなんて。

 早いところどうにかしないと。


 あっちも。


 さっきの様子だとまだ大丈夫だろうけど。

「そうだ。歯磨いたら寝るんだからその間に――って……」

 いや。

 大丈夫なのか?

 無理か。いける?

 頼めば本人が了承する、か? って、あ。今さっき出てちゃったんだ。何にしても明日以降になるか。

「うーん。一旦寝よう」

 生きるのって面倒くさいよ。考えなければならないことがバッと増えていく。

 どっと疲れが押し寄せてきた。

 頭が働かない。


 翌日。

 さっと学校に寄ったわたしはささっと学校を出た。

 見慣れた道を辿る。

 そして……。

 自分ん家の前。

 生家。

 お母さんとわたしが住まう家。

 こじんまりとした戸建て二階。田舎の割に庭が狭いからかな。

 今ではわたしが抜け、お母さんが住まう家。

 よりこじんまりと見えるのはわたしの気の所為だろうか。

「ただいまー!」

 意を決したわたしは出来るだけ元気よく叫んだ。

 久しぶりに玄関をくぐり抜ける。

 文字通り通り抜ける。

 すると――。


「申し訳ありませんでした」


 リビングで亮介が土下座していた。

 お母さんに向かって。

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