おちん◯んと虚無感

「ちくしょう……! やっちまった……!」

 旧校舎と呼ばれるそこ。

 俺にとっては通い慣れた、慣れていた校舎。

 その影、校舎と林の合間で一人の少女が倒れている。

 首の骨を折って。

 地面を拳で叩き、その拳を血で汚せるのならば幾らか気も安らいだろうか。

 けれど、今の俺にそんなことはできない。ただ、地面に吸い込まれていく己の拳を見て、例えようもない虚無感が胸を訪れるのみだ。

「なんで――」

「変態! 近づかないでちょうだい変態!」

「あ?」

 顔を上げた。

 今しがた飛び降り、その命を散らせた少女の元に蹲る俺を誰かが見下ろしていた。

「下がれ変質者! 怖い! 無理! 本当に無理! 死ぬ! わたし死ぬから!」

「……?」

 なんだこいつ……俺が見えて……って、逆光になってよく見えないがこの顔。

 頭をもたげるのは別の思考。

 言葉にそのまま出していた。

「変質者? 誰のことを言ってる? いきがるのは良いが変質者相手に恐怖心を見せるのは逆に相手の嗜虐心を煽るだけだぞ?」

「いやあああああ! わかりました怖い近寄らないではいいきがりましたわたしが悪かったですから乱暴しないで無理ぃ!」

「? いや、そんなことより」

 立ち上がる。

 これは……。少女の体は地面から少し浮き上がっている。体は半透明。

 なるほど。俺の姿はこんな風に見えているのか。妖怪や怪談みたいな奴らならいるが、あいつらは存在が俺とは違うからな。こうして似たような存在を見るのは初めてだ。

「う、ひゃ、だめへえ、しゃ、しゃわらにゃいでえ」

 ペタペタと少女の体を触ってみる。

 すごいな。触れられる。

 そっか。他人の感触ってこんなんだったか。何年ぶりになるだろうか?

 ここで死んで十数年。他人と触れ合うことなど無かった。以前女の子に触れたのは小学校の文化祭でやったマイムマイム。あれだってもう何年前になるか。その女の子の顔だってもう覚えちゃいない。

 ――女の子の、感触……。

「ごくり」

 生唾。

「勃起!」

 突然叫び、少女が気絶した。

「ぼ? すげえ器用だなぁ。霊体になって気絶するってどうやるんだって……あ。あー……」

 そこに来てやっと己の格好に思い至った。

 何故、少女が飛び降りたのか。

 何故、気絶をしたのか。

 何故、死を望んでいたにも関わらず霊体になって出現してしまったのか。

 その答え。

「やっべ。俺、今裸だった」

 ちん○んが反応していた。……今の俺って勃起する機能備わってたのか。

 そりゃあ気絶するし、飛び降りもするか。びっくりして。

 魂は……抜けたのかな? ちん○んにびっくりして。

「ちくしょう……! やっちまった……!」

 本当に俺がやってしまったみたいだった。




「っ。ひんっ、ふっ、ぐうっ。うっ、うっ、うっ、うっ――」

 やがて少女が目覚めた。

 と、思ったらいきなりしゃくり上げ出す。そして、

「犯されたああああああああああああああああああ。うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ。あああああああああああああん」

 泣いた。

 俺は言う。

「すまん」

「――…………本当にやられたんだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。ああああああああああああああああん」

「あ、ごめん。ちが、そうじゃなくて。あんたを死なせてしまったこと、その償いを」

 なんか勘違いしてるみたいだ。

「おっかさああああああああああああああああああああああああああああ」

「うるせえな。叫んだって誰も助けに来てくれねえぞ」

「ひいッ!?」

「あ、ちがっ、ああ、こいつめんどくせえな!」

 そのまんまの意味なのに!

 めんどくせえな! この女!

 混乱してるのもあるだろうが、絶対人の話聞かないタイプだろう!

 自分の世界に籠るタイプだろう! そりゃあ友達もできんわ!

「いかん」

 首を振る。

 俺が死なせてしまったんだ。失礼な思考は脇へと追いやろう。とりあえず落ち着かせることが先決。

「落ち着け」

「ひぐっ」

 尚、泣き喚く女を黙らせた。

「これを見ろ」

「これ?」

 傍らを指差す。指示された通り脇へと目を向けた少女は一瞬それが何であるか分からなかったようだ。

 場所は先程と同じ場所。旧校舎の影。

 今の俺たちならば夏場のこの気温も関係ない。

 この傍らに横たわるコレはそうもいかないだろうが。はて。発見は何時になるやら。少女の顔はだんだんと困惑に染まっていっている。震える唇でやっと呟いた。

「なに、これ」

「あんただ」

「見れば、分かる」

「あんた、名前は?」

「登志子……そんなことより」

「そんなことより?」

「なに、これ。なんでわたし、こんな――」

 右腕がひしゃげている。ありえない方向に曲がっている。目は虚ろで、口元からは涎が一筋垂れていた。血は……驚いたことに全くない。恐らく、地面に着く直前、咄嗟に右腕で庇ったのだろう。

 結局、庇い切れずに、右肩と右側頭部が接地したことによって首の骨が折れてしまったみたいだが。ま、どの道あそこから落ちたのじゃ助かるまい。

「綺麗な死体だ」

「死体? 死体って……」

 なに――と言って少女は再び意識を失くした。

 ……意識なんてものがあればだが。

 ……曖昧なだけかもしれない。

 単に。

 死んでしまったのだ。

 起きているのも、眠っているのも、死んでいるのも。

 その境界線が曖昧な存在へと成っただけ。

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