伝播


 どんな厄年だ、と。

 ヒステリックに声を荒げる電話相手との会話を終えて、私は溜め息をついた。

 この短い期間で、二人だ。二人、私の担当しているクラスの児童が死んだ。

 昔の時代ならばいざ知らず、今の世の中で子どもが死ぬことなどそうありふれたことではない。

 ましてや、琴藤紗良が死んでからまだ一ヶ月も経っていないのだ。

 なのに今度は、石田元気が死んだ。寝そべって菓子を食べている最中に喉に詰まらせて、病院に着いた頃にはもう手遅れだったらしい。


「まあ、誰かのせいにしたい気持ちは分からんでもないんだが」


 死んだふたりに共通していることがひとつある。

 それは、あるひとりの児童をどうも虐めていたらしい───ということだ。

 小綿嘉良。大人しくて目立たない、特段手の掛かることもない女子生徒。

 琴藤紗良も石田元気も、その小綿嘉良に様々ないじめを働いていたらしい、のだ。

 ……らしい、というのは。つい最近まで私は、恥ずかしながらそのことをまったく感知していなかったのである。


 小綿嘉良という児童を一言で形容するならば、先ほどと同じ文句を使うことになるが、ただただ"手の掛からない"子だと言う他ない。

 物覚えが良く、覚えたことを他の問題に対して応用する力も高い。

 成績だってクラスでは恐らく上位三番には入るだろう。本人がもう少しやる気を出したなら、トップだって夢ではないはずだ。

 唯一運動神経の鈍さのみが玉に瑕だったが、それを差っ引いても問題のある児童であるとは到底言い難い。

 そんな小綿嘉良が、虐められていた───その事実を知った時は流石に驚いたものの、しかしどこか納得している自分が居るのも事実だった。


 私も、かれこれ二十年弱ほど教職をやっている身だ。

 いわゆる"いじめ"の案件に遭遇したことはあるし、それが原因で胃に穴が空いたことだってある。

 そんな私に言わせてもらうならば、いじめに遭う児童というのは二つのパターンに分けられるものだ。

 ひとつは、当人に全く非がないにも関わらず、容姿や家柄などの当人にはどうしようもない理由で標的にされてしまう場合。

 もうひとつは、教師の目から見てもいじめられていることにある種納得してしまうような、明確な問題が当人にある場合だ。

 教職者がこんな発言をした日にはこのご時世すぐさま問題にされるだろうが、正直実際の教育現場で多いのはこちらの方である。


 そして小綿嘉良という児童はその点、私の目からは後者に写る。

 普段は特段気に留めることもなかったが、実際にいじめがあったと言われてみると、行為の善悪は兎も角として納得できてしまったのだ。


 なんと、いうか。小綿嘉良は───薄い、のだ。

 存在感がないという意味ではない。彼女という人間の振る舞いや言動、態度。そのすべてが、奇妙に薄いのである。

 褒めても注意しても、あるいは何か笑い話を語ってみせても、彼女は硝子細工のように丸い目でこちらをじっと見つめ、当たり障りのない答えを返すばかりだった。

 しかも私が知っている限り、彼女はクラスメイトに対してもそういう姿勢で接している。

 感情表現が苦手というよりは、そもそもする気がないような。

 この世の誰も相手にしていないような。

 そんな空ろな薄さを、思えば私は常日頃から小綿嘉良に対して感じていた気がする。


「イマジナリーフレンド、か……」


 いじめられる側の児童が勇気を出して自身の受けている仕打ちを告発するというケースはあれど、その逆はそうそうあるまい。

 第三者の児童による告発ならばともかく、当事者であり加害者である児童が自らいじめの事実を教師に伝えるなど。

 だが、今回小綿嘉良に対するいじめがあったことを私に報告してきたのは、他でもないその加害者たちだった。

 鈴鳴あすか、工藤瑞希、吉川涼奈。そして、今日不幸にも命を落とした石田元気。

 四人に神妙な顔で相談を持ち掛けられた時、何かのイタズラに引っ掛けようとしているのではと一瞬勘繰ってしまったほどだ。

 されど、驚くのはまだ早かった。石田元気たち加害者児童が自らいじめを"自白"してきた理由は、私の想像を遥かに超えていたのだ。



 小綿が、公園でおばけと遊んでる。

 琴藤が死んで相沢が病気になったのは、あいつがそのおばけに呪わせたからに決まってる───。



 今しがた置いたばかりの受話器を、私は再び持ち上げた。

 ぷるるるる、と再び着信音が鳴り響いたからだ。

 また保護者からだろうかと思ったが、ナンバーディスプレイに表示されている番号には覚えがあった。

 今日、小綿嘉良のカウンセリングを依頼したスクールカウンセラー……吉田さんのものだ。


「もしもし、外崎先生ですか? ごめんなさいね、大変な時に電話しちゃって」

「いえ、もうあらかたの対応は済んでいますから。

 それに私の方も、お電話をしようか迷っていたところでして」

「そうですか、でも無理はしないでくださいね。

 えぇと、それで───小綿嘉良ちゃんのことなんですけど」


 本来ならば、私が真っ先に小綿嘉良と面談するべきだったのかもしれない。

 だが、どうにも私の言葉があの小綿嘉良に届くかと言われると微妙に思えてならなかった。

 餅は餅屋と言えば聞こえは悪いが、そこで私は児童メンタルケアのプロであるスクールカウンセラーの彼女に助力を乞うことにしたのだ。


「嘉良ちゃんの症状は、典型的なイマジナリーコンパニオンで間違いないとは思います。

 ……あ、これは皆さんがイマジナリーフレンドって呼んでる症状の学術的名称ですね」

「小学四年の児童に発現するのは珍しいケースなんでしょうか」

「珍しくはないと思います。

 嘉良ちゃんの生活環境がどんな状態なのかにもよりますが、特別異常な症状だとは感じませんでしたよ。

 ただ……」

「ただ?」


 吉田さんは、一瞬沈黙した。

 どう言ったらいいだろうかと、言葉を選んでいるような様子だった。


「……嘉良ちゃんは、その。少し、変わった子ですね」

「吉田さんの目から見ても、そう写りましたか」

「あっ、その……ごめんなさい。

 私の経験が浅いだけだとは思うんですが、ああいう子は初めてだったもので」


 失言だと思ったのか、慌てて取り繕う吉田さん。

 しかし無理もないだろう。

 むしろ私は、小綿嘉良という児童が本職のカウンセラーである吉田さんから見てもそういう認識になるのだということに安堵すら覚えていた。


「……実を言うと、嘉良ちゃんから直接空想上の友人の存在を聞けたわけではないんです。うまくはぐらかされた感じでした」

「小綿はなんというか……すらすらと喋りますからね。頭の中に原稿がある感じ、というか」

「加害者の子たちが嘘を言っていたとも思えないですし……あの様子を見るに、嘉良ちゃんがイマジナリーコンパニオンなことは間違いないとは思います」


 ですが、と吉田さんは言い。

 それきり、口ごもってしまう。

 だが言わんとすることは分かる。

 問題はそれだけではないのではないか──と、そう言いたいのだろう。


「明日、小綿の親御さんに連絡してみるつもりです」

「それがいいと思います。……それにしても、何の偶然なんですかね。昨日の今日ですよ……?」

「ええ。正直、保護者が騒ぎ出すのも無理はないなと」


 ……子供たちから、「おばけの呪い」について聞かされていたなら尚更だ。


 実際私のもとには既に、加害者児童の親から電話が何件か入っていた。

 石田元気の母親はヒステリックに泣き喚き、相沢加代の母親はだから言ったでしょうと同じく喚き──残りの加害者の親も、心配そうな声色で相談の電話をかけてきた。


「というか、石田の事故が起こる前にも……ですね。今日の夕方、相沢の親御さんが直談判しに来られまして。

 おかしな子がいると聞いている、うちの子があんな病気になったのはそのせいなんじゃないのか──と」

「……、……」

「明日からどうなるか、正直胃が痛いですよ」


 私の言葉に、吉田さんは何も言わなかった。

 些かその発言は無責任ではないですかという無言の非難を感じたが、特に弁明もすることなく「では、本日はありがとうございました。また何かあればよろしくお願いします」と会話を締め、受話器を置く。


 はあ、とため息をついた。

 本当なら、大事な児童をまたしても喪ったことに涙でも流すべき場面なのだろう。

 でも、あいにくと。我ながら冷淡なことに、私の心は二度の喪失を既に現実として受け入れ終えていた。

 だから涙は出ないし、取り乱して呪いだの何だのというオカルティックな仮説に逃げる気にもならない。

 事故死と事故死。ただ不幸が連続して起こっただけなのだから、そこに因果関係を求める理由はないだろうと。私は、そう思っている。


 ──本当に?


「……相沢」


 琴藤紗良は、トラックに頭を潰された。

 石田元気は、誤嚥で窒息して死んだ。

 そして、まだ死んでこそいないものの。私のクラスから姿を消した児童は、もうひとりいる。

 相沢加代。彼女は今、悪性の脳腫瘍で入院している。

 既に手術が困難なほど進行しており、今まで自覚症状が出てなかったのが不可解なくらいの病状なのだという。

 あちらの保護者は明言こそしなかったものの――恐らく、もう闘病の行き着く先は見えているのだろう。


 相沢加代が死ねば、四年二組の死者は三人だ。

 そしてその全員が、小綿嘉良に対して危害を加えていた。

 ……「目に見えない友人」と遊ぶ、小綿嘉良に。


「阿呆らしい。今は令和だぞ」


 深みに嵌る前に、私はそう独りごちて思考を打ち切った。

 立ち上がり、冷蔵庫にウイスキーを取りに行く。

 本来なら、こんな日に晩酌などするべきではないのだろうが……今は無性に、アルコールの酩酊に頼りたい気分だった。



◆◆



「嘉良。アンタ、しばらく外に遊びに行くの禁止だから」

「え」


 なんで、とわたしが言うと。

 お母さんは、厳しい顔でわたしを睨みます。


「今日、アンタの担任から連絡があったのよ――アンタ、また“ひとり遊び”してるんだってね」


 もしかして、と思った時には、お母さんの口から答えが飛び出た後でした。

 “ひとり遊び”というのは、前にわたしがそらちゃんのことを話して連れていかれた病院の先生に、お母さんが言っていた言葉です。

 お母さんにはそらちゃんが見えないから、わたしがひとり遊びをしているように感じるんでしょう。


「してないよ」

「嘘つかないの! じゃあなんで先生からそんな電話が来るの!?」

「わたしのことを嫌いな子たちが、意地悪で嘘の告げ口をしたんだと思う」

「アンタね、親をあんまり馬鹿にすんじゃないよ」


 わたしのお母さんは、怒るとすぐ大きな声を出して怒鳴ります。

 こうなったお母さんには、もう何を言ってもムダです。

 わたしがどんなに考えてしゃべっても、そもそも最初から聞いてくれる気がないので、こうやってよくわからないことを言われるだけです。

 でも今回のお母さんは、わたしがいつもついていた嘘のことも知ってるようでした。


「アンタがいつも遊んでるって言ってた、若林って子。先生に聞いたら、アンタと喋ってるところを見たことがないって言われたよ」

「若林さんは、学校じゃいつも本を読んでるから」

「なんでそんな嘘つくの? 嘉良は、お母さんのことを何だと思ってるの。馬鹿にしてるの?」


 うぅん。うまくいきません。

 というか、やっぱりお話を聞く気がないんでしょう。

 先生から電話を受けた時点で、お母さんのなかではわたしが“ひとり遊びをしてる”ということはもう決まってしまっているようです。

 めんどくさいことになりました。お外に出られないんじゃ、そらちゃんと遊ぶことができません。


「当分の間、帰りはお母さんが迎えに行くから。今はまだ様子見にしてあげるけど、ひとり遊びやめないようならまた病院連れてくからね」

「…………」

「お願いだから、あんまりお母さんに恥かかせないでよ。もうッ」


 今は様子見にしてあげる、なんて言っていますが、あの病院に行きたくないのはわたしじゃなくてお母さんだと思います。

 それはともかく、学校帰りにわざわざ迎えに来るなんて。

 これじゃあ、いよいよ本当にそらちゃんと遊ぶ隙がありません。

 遊ぶ、どころか──あの子と顔を合わせてお話することすら、しばらくできないかもしれません。


 一応。これで、お母さんのお叱りは終わりました。

 わたしは特に何も言わず、自分の部屋に入ります。

 よくお母さんとお父さんは、嘉良は怒られるとすぐ拗ねて部屋に行く、と言いますが、別に拗ねているわけではありません。

 怒っている時のお母さんたちは、落ち着いてお話ができないのでとてもめんどくさいのです。

 普段わたしがリビングにいるのはふかふかのソファに寝転がってゲームをするのが好きだからであって、別にテレビが見たいとか、お母さんたちのそばじゃないと寂しいとかではないんです。

 わざわざめんどくさい思いをしてまで、ソファでまったりしたいとは思いません。


「ごめんね、そらちゃん」


 わたしの部屋はおうちの一階にあります。

 ほんとは二階がよかったのですが、わたしがひとりでいろいろできるようになった頃にはもう二階はお母さんたちの部屋にされてしまっていました。


 宿題をする気にもなれなくて、なんとなく椅子に座り、ぼうっと壁を見つめます。

 ゲームでもしたら気分が晴れるかなと思いましたが、ゲームなんかよりそらちゃんと遊んでいる時の方がずっと楽しいので、あまり効き目はなさそうでした。

 しばらくそうしていると、居間の方からお母さんの怒鳴り声が聞こえてきました。

 最初の何分かはお母さんが怒鳴っていて、その後はお父さんの怒鳴り声が聞こえるようになりました。

 わたしのことで喧嘩でもしているんでしょうか。だったら、めんどくさいなあ。


 そんなことを思いながら引き続きぼうっとしていると。

 ノックもなしにわたしの部屋の扉が開かれて、お母さんが入ってきました。

 その顔はすごく険しくて、さっきよりももっと怒っているように見えます。


 また叱られるのかな。

 わたしのそんな予想はしかし、まったくの見当違いでした。


「嘉良、アンタ明日からしばらく学校休みなさい」

「なんで?」

「あんな学校行かなくていいから。問題集買ってきてあげるから、それで勉強しなさい。わかった?」

「……うん」


 わたしは学校が好きじゃありません。

 つまらないし、長いし、人が多いしで、好きなところがひとつもないからです。

 でもわたしの両親は、学校を休むことをとても嫌う人たちでした。

 わたしが風邪を引いても、熱が相当高くない限りは学校に行けと言われます。

 熱がなければ、だるくても咳がひどくても休ませてもらえないくらいです。

 そのお母さんが、明日から学校に行かなくていいと言ったのです。

 それはわたしにとって、結構びっくりすることでした。


「アンタのクラスね、おかしいわ。ごめんね、お母さん気付いてあげられなくて。今まで辛かったでしょ」


 そう言って、お母さんはわたしの机に一口サイズのチョコレートがたくさん入った袋を置きました。

 部屋を出ていく背中をじっと見つめながら、わたしはなにがあったんだろう、と考えます。

 もしかして、わたしにちょっかいをかけてくる子たちがいることを先生から聞いたりしたんでしょうか。


 わからないけど、学校に行かなくていいのはうれしいな。

 一瞬そう思いましたが、けれどすぐに、学校に行けないということは外に出られないということだと気付きました。

 外に出してもらえないんじゃ、いよいよそらちゃんと会う方法がありません。

 それはとっても困ります。そらちゃんに会えるなら、クラスの子たちに絡まれるくらい全然我慢できるのに。


「……そらちゃん」


 お部屋の窓から外を見つめて、わたしはあの子の名前をつぶやきます。

 そらちゃんは今、どこでなにをしているんだろう。

 明日もわたしと遊べるのを楽しみにしてるのかな、と思うと、胸がちくっと痛くなりました。



◆◆



「どうしよう、正志」


 家に帰ると、妻の叶恵が疲れた顔で出迎えた。

 叶恵は、よっぽどのことがない限り仕事中に電話やメールをしてこない。

 仕事の邪魔にならないようにと配慮しているのだろう。

 そのため、俺が家庭内で起きた問題や事件について知るのはいつも大抵この帰ってきたタイミングだった。


「嘉良がね、またひとり遊びしてたみたいなの」

「また? 病院の先生は、環境を安定させれば大丈夫って言ってたんじゃなかったか?」

「毎日友達と遊んでるから安心だと思ってたんだけどね……どうもその“友達”ってのが、例のイマジナリーなんとかだったみたいなのよ。

 問い質しても平気な顔して嘘つくし、ホントどうしてこんな子に育っちゃったのか分かんない」

「そういう言い方は止めろって。どんな問題があろうが、嘉良は俺たちの娘なんだぞ。

 その大切さはお前が一番分かってる筈だろ?」

「それはそうだけどさ……」


 こいつは基本的には気のいい奴なのだが、良くも悪くも感情に素直すぎるところがあった。

 夫婦喧嘩をすればヒステリックに怒鳴り散らされるし、娘が何かやらかした時にはこうして大袈裟に嘆いて親にあるまじきことを言う。

 まあ、それでも。それが本心ではなく一時の感情に任せた発言であることくらいは、こいつがどれだけ苦労して嘉良を産んだかを思えばすぐに分かるのだったが。


「ただ、嘉良も困ったもんだな。一体何が不満でそんなことになるんだか」

「やっぱり、あの子ちょっとおかしいんじゃないかしら」

「精神科の先生は、成長の途中じゃよくあることだって言ってたんだろ? そんな深刻に考えるなよ、また胃痛が出るぞ」

「精神科じゃない! メンタルクリニックだから!!」


 ああ、また地雷を踏んでしまった。

 宥めながら、心の中では面倒臭え奴だなとため息をついている自分がいる。

 仕事で疲れてるんだから、せめて心穏やかにビールの一杯くらい飲ませてくれよと。

 そんな俺の心の内が態度に出ていたのか、叶恵は呆れたような不機嫌そうな顔で台所の方へと歩いていってしまった。

 失敗したかなとも思ったが、触らぬ神に祟りなしって諺の通り、機嫌が悪い時のあいつにはなるべく近寄らないが吉だとこれまでの付き合いでよくわかっている。

 いつもは娘が占領しているソファに背中を委ねて、ぷしゅ、と缶ビールを開けた。

 黄金色の液体を乾ききった喉に流し込みながら──娘の顔を思い浮かべる。


 まあ、確かに変わった子に育っちまったな。

 親としてあまり褒められた感想ではないのかもしれないが、少なくとも嘉良は、俺が想像していたのとはだいぶ違う子に育っている。

 俺も叶恵も活発で気の強い性格だが、嘉良は大人しすぎるってくらい大人しい奴だ。

 家族が相手でもそう。必要なこと以外はまず話しかけてこないし、遊びに誘えばついてはくるが楽しんでいるのかいないんだか分からない。

 勉強はできるし身の回りのこともそつなくこなすので手はかからないのだが、時々親として不安になることがあるのは事実だった。


「きょうだいでもいれば、もっと違ったのかね」


 つい独り言をこぼしたが、もしこれを叶恵に聞かれたらまず間違いなく激昂されるだろう。

 嘉良ひとり作るのにすら、あれほど時間と金が掛かったのだ。

 叶恵はプライドの高い女だ。

 だからこそ、嘉良を授かるまでの不妊治療はあいつにとって大きな屈辱を伴うものだったのだろう。

 そんな叶恵に妹でも居たら嘉良も良かったんじゃないかなどと言えば、どんな反応が返ってくるかは明らかだった。


 ──嘉良が生まれた時は、この先はもう幸せなことしかないと思ってたんだけどな。


 現実はそう上手くいかないものだ。

 嘉良のこともそうだし、俺の仕事のこともそう。


「……はい。ああ、こんばんは。

 ──え? はい? いやあの、何を仰ってるんですか?」


 物思いに耽りかけた思考を、鳴り響いた着信音と、電話に出た叶恵の怪訝な声色がかき乱す。

 セールスか何かだろうと思って見ていたが、どうもそうではないらしい。

 叶恵の声はどんどん荒くなっていき、言葉にも隠すことなく棘を出すようになっていった。


「あのですね、辛いのは分かりますけど非常識じゃないですか? 濡れ衣もいいところなんですけど?」


 辛いのは分かる──という言葉で、なんとなく電話の相手が分かった。

 嘉良のクラスメイトが、また事故で死んだという話を聞いていたからだ。

 となると、今叶恵を怒らせている……曰く“非常識な電話”を掛けてきた相手は、その死んだ子供の親である可能性が高いだろう。

 一体何だってうちに電話を掛けてきたんだと、俺も思わず眉間に皺が寄る。

 しかし次の瞬間、俺は思わず席を立ち上がり、叶恵から受話器をひったくっていた。


「あのねぇ、アンタ。頭おかしいんじゃないんですか? うちの子がおたくの子を呪ったとか、よくそんな馬鹿げた話大真面目に出来ますね!?」

「……おい、代われや」

「あっ」


 今の叶恵の言葉だけで、これがどういう電話なのかは分かった。

 要するに、アレだ。

 おたくの嘉良ちゃんが呪いをかけた結果、うちの子は死ぬことになった……とか、そういう電話なのだろう。

 だからこそ、俺は腸が煮え繰り返るような気分になった。

 感情を抑えきれなくなって、堪らず叶恵から受話器を奪い取ってしまった。


「おい、さっきから聞いてれば何すか? おたく。薬でもキメてんの? いい歳こいた大人が呪いだなんだって、よく恥ずかしげもなく口にできンな?」


 俺は、いわゆる“オカルト”が大嫌いだ。

 霊だの呪いだの、そういう言葉を聞くとそれだけで虫唾が走る。

 いい歳こいた大人でその手の単語を並べる連中は、脳ミソの溶けたバカかウジ虫みたいなクズ野郎のどちらかだ。


 俺の母親は癌で死んだ。

 癌だと分かった時、医者には治療すれば助かると言われたはずだった。

 けど。人一倍心配性なネガティブ思考だった母親は、拝み屋とか呼ばれてる胡散臭いババアのところに通うようになり始めた。


 そこから、すべてがおかしくなった。

 助かるものが助からなくなってしまった。

 医者の薬を飲まずに、ただの水を霊水とか呼んでありがたがって。

 手術を受けないと言い出し、拝み屋の祈祷で悪霊を追い出せば癌が消えると本気で思い込んで──母親はほとんど治療拒否のような状態で、枯れ木みたいに痩せ細って死んだ。


「あの人を悪く言わないでね」、それが俺の母親の最後の言葉だ。

 霊だの神秘だの、ありもしないものに縋った結果還暦前で死んだ母親。

 あの死に様を思い出すだけで未だに最悪な気分になるというのに、この電話の相手はよりによって俺たちの娘が呪いとやらをかけたとふざけたことを言っているらしい。

 荒ぶる声色を自制するのは、もう不可能だった。


『あのね。おたくの嘉良ちゃんにちょっかいを出してた子ばっかりがね、次々亡くなってるんですよ。相沢さんとこの加代ちゃんも含めたら三人連続ですよ? あなた、これを偶然だとおっしゃるんですか?』

「そうじゃなかったら何なんですかねー。ていうか初耳なんですけど、嘉良にちょっかい出してたってどういうことですか? うちの子を虐めてたってことですか?」

『いや、あのですね? 今質問してるのはこっち──』             ・・・・

「いいからさっさと答えてくださいよぉ〜。おたくのお子さん、あぁお子さんだった燃えカスか、虐めてたの? うちの嘉良のこと」


 嘉良がいじめられていたらしいことを聞いたことで、更に感情のボルテージが上がる。

 思えば、嘉良はやけに傷を作って帰ってきていた気がする。

 遊び盛りの子供なら珍しくないことだろうと思って特段気に留めることはなかったが、もしも嘉良がいじめの標的にされていたというなら辻褄は合った。

 ましてや、嘉良はあの性格だ。

 大人しくて、感情表現が下手で、身体は小さく運動音痴。加害者連中にしてみれば、さぞかしいい獲物だったことだろう。


『……そんなことは言ってないでしょう? 今こっちが聞いてるのは、あなたのお子さんが……』

「だったら悪いけどねお母さん、あんたのお子さん死んで当然ですわ。呪われたんじゃなくてバチが当たって死んだんですよ」


 受話器の向こうから、相手が絶句しているのが伝わってくる。

 それがおかしくて、俺は笑っていた。

 誰の娘にアヤつけたのか、しっかり教えてやらなくちゃいけない。

 やられたら、徹底的にやり返せ。嘉良にもまたいじめられないように教えてやらないと。


『あ……あなた、それが人間の言葉なの!? お、親子揃って頭どうかしてるんじゃないのっ!?』

「で、あんたのお子さんってどっち? 車に轢かれた方? それとも喉に詰まらせた方? 当ててやりましょーか。あんたみたいな馬鹿から生まれたガキとか頭悪そうだし、詰まらせた方だろ」

『っ──黙りなさい! 黙れ黙れ! これ以上その汚い口であの子のことを侮辱しないで!!』

「はいはい。とりあえずもう二度とウチにアヤつけてこないでくださいね。今回は電話口だけで済ませてやりますけどー、次は直接会ってお話することになりますからねー」


 まだ相手は何か喚いていたが、俺は無視して受話器を置いた。

 それから叶恵の方を見てグーサインをしたが、叶恵は笑ってはくれなかった。


「……こんな頭のおかしい親がいるなんて知らなかったわ。しばらく学校休ませた方がいいよね、何してくるか分からないし」

「勉強は家でもできるしな。つーか、嘉良の担任の……外崎だっけ? そいつ今度うちに呼べよ。俺がヤキ入れてやるわ」

「あの担任、さっき電話してきた時は嘉良がいじめられてるなんて一言も言わなかった。前から頼りない先生だと思ってたけど、あんな教師に子供なんて任せらんないわよ」


 自分の娘が、楽しいはずの学校でひどい仕打ちを受けていた。

 おまけにその加害者の親が、わが子を呪いで殺した異常者と濡れ衣を着せてくる始末。

 叶恵はこういう時にすぐ極端なことを言い出す奴だが、今回は俺も同意見だった。

 あんなイカれた親と糞の役にも立たない教師、おまけにいじめてくる悪ガキがいるような学校に無理して通わせる必要なんてどこにもないだろう。


「まさか俺の子供がいじめなんぞに遭うとはなぁ……いじめられるくらいならいじめる側になれ、って前教えたんだけどな」

「あの性格だもん、仕方ないって」

「つーかよ、マジでどうなってんだよ嘉良のクラス。呪いだの何だの下らないこと言うつもりはねーけど、二人連続で人死にだろ? 実は何かの事件だったりすんのかね」


 死んだのは、まだ二人だ。

 だけどさっきの親は、“相沢さんちの加代ちゃん”とやらのことも死人の勘定に含めていた。

 だからまあ、怪我か病気か知らないけど死にそうな状態なんだろう。

 となると──三人。一クラス、せいぜい三十人前後の中から、三人が死んだということになる。


 くどいようだが、俺はオカルトが嫌いだ。

 だからこれを呪いだ何だと騒ぎ立てる気にはならないし、さっきの馬鹿親みたいな連中は頭が心底終わってるなと思う。

 子供が死んでショックなのは分かるが、その感情の矛先をよくもまあ自分の子供と同年代の女の子に向けられるものだと、心底軽蔑する。

 ただ。冷静に考えてみると、流石にこれは少々気味の悪い状況だった。

 運命のいたずら。偶然の積み重ね……三回あったことが四回起こらないとは限らない。

 そしてその四回目が、自分の子供に降り掛からないとも限らないのだ。


「……嘉良に近い奴ばかり、か」

「ちょっと……やめてよ! アンタまでそんなこと言い始める気?」

「ちげえよ。ただちょっと不思議だなって思っただけだって。何そんなムキになってんだよ、まさかお前までさっきのイカれババアみたいなこと言い出すわけじゃねーだろうな?」

「っ──そ、そんなわけないでしょ……!?」


 叶恵はキッと俺を睨むと、ふぅっ、と何かを発散するみたいに息を吐き出した。

 それからおもむろに踵を返すと、居間からどこかに行こうとする。


「おい、どこ行くんだよ」

「明日から学校休めって嘉良に伝えてくる。それと……ちょっと電話してくるから」

「電話? 誰に」

「……誰にだっていいでしょ! 母さんよ、母さん! ちょっと相談するだけだから!!」


 ばたん、と乱暴にドアを閉めて出て行ってしまった叶恵。

 それを見送った俺は、相変わらずヒステリックな奴だなあと心の中で少し呆れた。

 何しろ、飯を食いに行った先でも所構わず店員を怒鳴りつけるような奴だ。

 触らぬ神に祟りなし。今日はご機嫌取りに精を出すかと思いつつ、ソファに腰掛けたまま煙草に火を点けた。


 紫煙を吸い込み、吐き出す。

 そこまでしたところで。ふと、気付いた。


「あれ──あいつ、実家と縁切ってるんじゃなかったっけ」

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