第22話 力の使い方
「久々に危なかったな……まあ炸裂してたとしても、あの程度じゃ大したことなかっただろうけど」
緋亜が一人きりになった路地裏に、彼女の飼い犬ならぬ飼いバケモノのリンが、ぬっと姿を現わした。
見た目は白い毛並みの大型犬だ。
「いや、もし顔に火傷でもさせていたら一生傷が残るところだった……良かった、鎮められて」
緋亜はホッと安堵のため息をついて、額に滲んだ汗を拭った。
「普段の生活の中で、あいつらが騒ぐくらい感情が高ぶることなんて、そう滅多にないが……ケイの時みたいなことがあるからな」
リンの言うあいつら、とは緋亜の周りを取り巻いている火の精霊達の事だ。
「うん……」
リンの言葉に、緋亜はその時のことを思い出していた。
ケイの死は、あまりに突然の出来事だった。
父親と思い慕ってきたケイを亡くし、緋亜は火葬が終わって遺骨を埋葬した後も、ただ呆然とするばかりで泣くことすらできない状態だった。
それを心配した、水の精霊躁術力を持つ五本柱の者が、数日の間緋亜の近くにいてくれたのだ。
水の精霊は、火の精霊エネルギーを沈静化する。
「あの時は、助かったな……」
緋亜はその青年の姿を思い浮かべ、ぽつりと呟いた。
「レオンは水持ちなんだろ? 緋亜とレオンがくっついたら、それはお前にとっては助かるんじゃないのか?」
リンの言う『水持ち』とは、水の精霊躁術力を持つ者、という意味だ。
「そう言われてみればそうだな、気がつかなかったけど……そういえば、レオンは力の使い方を知っているのかな?」
「んー……おれが見たところ、それを感じたことは一度もないぜ。まあ、使う機会がないだけかもしれないが……潜在能力は、たいしたもんだけどな」
「聞いてみるか」
緋亜の言葉に、リンがキラキラと瞳を輝かせた。
「……リン、お前、ほんとにレオンのこと好きだよな。なんでだ?」
緋亜が訝しむ。
それは他でもない、例の天使の矢の効力であった。
レオンの元雇い主の天使が、緋亜を狙って矢を放ったのだが、見事に的を外してリンに矢が命中したのだ。
ちなみにその矢には、通常のキューピットが使う矢の十倍以上の効きめがある。
「なんでだろうな? 実は、おれにもよくわからんのだ……だが、あいつの事を考えると、こう、胸が苦しくなるというか……自分でも、気持ち悪いんだけど」
リンはげんなりとして言った。
なぜこうなったのか、思い当たる節としては宿屋でレオンからもらった肉くらいのものだ。
あの時の肉に、何か仕込まれていたのか?
「なんか、恋でもしてるみたいだな」
緋亜は、リンの態度を面白がって笑った。
「……やめてくれよ……」
緋亜の指摘に、リンはガクリと肩を落としたのだった。
その日の帰り、緋亜はリンとアオと共に薬屋に立ち寄った。
レオンに、自分自身の力の使い方を知っているか否かを確認するためだ。
店先には、路地裏で緋亜と話し合った娘、スエとキヌがいた。
彼女達は緋亜の存在に気がつくと、気まずそうに立ち去って行く。
「……あんなこと、気にしなくてもいいのにな……」
その背を見送り、緋亜はぽつりと呟いた。
「いや、そりゃ無理ってなもんだろ」
他人の感情に理解を示さない緋亜に、リンが少し呆れたように言う。
「私も一緒で良いのですか?」
少しためらいながら、緋亜の隣に立つアオが言った。
「うん。アオにも、聞いておいてほしい話だから」
笑顔で言う緋亜に、アオは微かに頷いた。
「私がレオンに助けられることがあるかもしれないように、アオにもレオンの手が必要になる時が来るかもしれない」
「……来るでしょうか? 私は、少し彼が苦手なのですが」
アオは少し言いにくそうにそう言った。
「あくまで可能性の話だよ。アオが聞きたくないなら、先に家に帰っていてもいいよ」
「いえ、一緒に聞きます」
レオンが、本当に緋亜の隣にいるのにふさわしい男なのかどうか、判断する。
アオはそう心に決めた。
「お待たせしました」
勤めを終えたレオンが、笑顔で店から出てきて言った。
「力の使い方、ですか」
レオンが借りている空き家に、緋亜とアオは上がり込んでいた。
緋亜から力の使い方を知っているかと問われ、レオンは顎に手を当てて考える。
「確かに、あの銃の指南役をしていた時、雇用主だった天使からそう言われた事があります。お前は逸材だと……でも、自分でそう思ったことはないです」
「そうか……きっと今までその力を発動させるきっかけがなかったんだな」
うんうん、と緋亜は頷いた。
「緋亜さんから見て、私はそう見えますか?」
レオンは、緋亜の黒い瞳をじっと見つめた。
「うん、そう感じてるよ。私だけじゃなくて、リンもそう言ってた」
緋亜のその言葉に頷き、レオンは玄関先で寝そべっているリンを見た。
リンはレオンと目が合うと、恥ずかしげに頬を赤く染めてサッと視線を外した。
あの天使がこのモンスターに当てた矢は、いったいどのくらいで効果が消えるのだろうか。
レオンは、胸中で深いため息を吐く。
「緋亜さんは、精霊操術力をどうやって使っているんですか?」
レオンは緋亜に向き直って訊ねた。
「私の場合は、感情が高ぶると精霊達が集まって力を発揮するんだ。あとは、力を貸してくれとお願いしたり。国からのバケモノ退治の時なんかは、そうしている」
「感情ですか……」
レオンは銃の中の精霊に、言う事をきけと念じて使ってきた。それは、主従関係に近いものがある。だが、緋亜の場合はそうではないようだ。
「私の場合はそうなんだ。でも、父とは違った。私にはよくわからないけど、精霊との上下関係があるらしくて、命令すると動くって言ってた。多分、血縁によるものだと思う」
「なるほど……おそらく、私も後者のタイプだと思います」
レオンは頷く。
「そうか……じゃあ、きっとお母さんがそうだったんだろうな。レオンはお母さん似だから」
にっこりと笑って緋亜は言った。
「あと、これは私個人の都合なんだが、レオンには水の精霊を自在に使えるようになっておいて欲しいんだ。私が取り乱した時に、火の精霊を鎮められるように」
少し言いにくそうに、緋亜は言った。
「昔、父とが急に亡くなった時、私はまったく泣けなかったんだ。私が泣いてしまったら、周りの精霊たちが騒いでしまうから、とかそんな理由じゃなくて……あまりに急に胸に穴が空いちゃったから、気持ちが整理できてなかったんだと思う」
「それは……」
レオンは当時の緋亜の気持ちを察して、微かに眉根を寄せた。
「そうしたら、五本柱の水持ちのやつが、わざわざ来てくれて……泣いていいよ、って言ってくれたんだ。私が感情的になって周りの火の精霊達が騒いだとしても、水の精霊で鎮めてあげるから心配いらないって」
その姿を、緋亜は思い出す。
まるで女性のように見える顔をした、心優しい美青年である。
「その方は、とても優しい方ですね……」
「うん、とってもいいヤツなんだ。ちょっと、特殊な事情があるけど……いつか、会えるといいな」
緋亜の言葉に、レオンは頷いた。
「では、私も自分の力をコントロールできるようになったら、いざという時に緋亜さんの精霊エネルギーを抑えられる、ということなんですね」
「うん、そういうことだ。本当に、これは私の都合で申しわけないのだけれど……」
「いえ、緋亜さんのお役に立てるなら本望ですから……しかし、どうやったらできるようになるのか……」
緋亜はおもむろにレオンの手をとって、その手のひらに自分の手のひらを重ねた。
「なにか感じるか?」
「……なにかあたたかいものが、体を巡っているような感じがします」
「うん、じゃあ、手のひらに意識を集中してみて……頭の中で、手のひらで水を汲むようなイメージを思い浮かべるんだ」
緋亜に言われるがまま、レオンは呼吸を整え、意識を集中させる。
緋亜は、少しずつ手のひらをレオンのそれから離していった。
「あ……水が……」
ずっと黙っていたアオが、思わず声をあげた。
まるで、そこから湧き出るかのように、透き通った水がレオンの手のひらに溢れ出る。
「……使いこなすには、まだまだ練習が必要だが……それは、レオンの意志に任せる。レオンは、私と違って物騒な仕事をしているわけでもないからな」
「物騒な仕事? それは心配です」
微かに眉根を寄せ、レオンは言った。
手のひらの上に溜まっていた水が、まるで蒸発するかのように一瞬にして消える。
「心配って、私のことか? 大丈夫だ、私なら慣れっこだし、リンが一緒だからな」
緋亜は、不安げな表情を浮かべるレオンに、にこりと笑って見せた。
「アオさんは、同行しないのですか?」
レオンはアオに視線を向け、訊ねる。
「私は、足手まといになるから行かない。それに、私には精神体のバケモノの姿は見えないし」
リンは、実体を持つバケモノだから、見えるし触れる。
「なるほど……緋亜さん、実は黙っていましたが……」
レオンは、緋亜に向き直り懐から銃を取り出した。
かつての雇用主である天使から受け取った、四大精霊の宿る拳銃である。
「その銃、まだ持っていたのか」
緋亜は微かに眉根を寄せた。
「護身用にと思って携行していましたが、この島に来てから一度も使っていません。もし今、私が自分や誰かを守りたいと思った時に、この銃は一番有効な手段になります。私は、指南役を四年勤めました。扱いには慣れています」
「……人を傷つけないように、使う事ができるのか?」
緋亜は表情を曇らせながら問う。
緋亜の家の裏庭に、この銃と同じものが埋まっている。緋亜がまだ小さかった頃、育ての父であるケイが誰の手にも渡らぬようにと願って埋めたのだ。
「はい。この銃を使うポイントは、こうしたいというイメージを頭の中ではっきりと描くことなんです。相手を攻撃するのではなく、拘束するというイメージで使えば、相手を傷つけずに守りたい人を守ることができます」
「なるほど……そういうもんだったのか、それ」
緋亜は言い、しげしげとレオンの手の中の銃を眺めた。
「道具は使いようという典型例ですね。包丁は食事を作る際の必需品ですが、人に向ければ凶器になります。それと同じです。ただ、これが他人の手に渡らないようにしなければなりません。この銃は、力のない者でも精霊の力を使う事ができますから」
力がない者でも、という部分にアオは引っかかるものを感じた。
それならば、精霊躁術力を持たない自分でも、その力を利用することができる、ということだ。
「この島は平和で、これを使う機会はあまりないですし、使いたいと思う人もあまりいなさそうですが」
「人は力を得ると、使いたくなってしまうからな……レオン、それ、他人には絶対に見せるな。特に、子どもにはな」
それでなくても銃はとても軽く、カラフルなボタンがついていて、まるで子どものおもちゃのようなのだ。
しかし、子どもであろうが、この銃を使うことができる。他人に怪我を負わせ、命を奪うこともできるのだ。
そんなことは、絶対にあってはならない。
「わかりました」
レオンは緋亜の言葉に大きく頷いた。
「あ、そうだ。話は変わるが、今度の休み、なにか予定はあるか?」
思い出したように、緋亜が問う。
もしや、緋亜さんの方からデートの誘い?
ドキリ、レオンの胸が高鳴る。
「いいえ、予定はなにもありません」
本当は、薬品についての本を読み漁ろうと思っていたが、優先順位は簡単に覆るものである。
「そうか……いや、実は私のもう一つの方の仕事が入っていてな。良かったら、見学してみないか?」
「もう一つの仕事ですか? では、国から依頼されているという……」
「そう、爪の岩に力を注ぐ仕事だ」
レオンはハッとした。
それはこの島のガイドブックに記載されていた、伝統儀式のようなものだ。
「そんな神聖な作業に、私のような無関係な者が行っても良いのですか?」
「なに言ってるんだ、レオン。お前は関係者だぞ。わ、私の婚約者なんだから」
ぽっと頬を赤らめて、緋亜は言った。
嬉しい。
レオンは、自然とニヤけてしまう口許をごまかす為に、口許に手を当てた。
「私の仕事がどんなものなのか知ってほしいし、もし私に万が一のことがあれば、私の代わりを頼むことになるかもしれない。どうだろう、来てくれないか?」
「はい、行きます」
レオンは勢いよく即答した。
「ごめんな、アオ。これは、レオンと二人で行ってくる」
緋亜は傍らのアオを見上げ詫びる。
「いいえ、大丈夫です」
微かに笑みを浮かべ、アオは頷いた。
「ところで、そこまではどうやって行くんですか?」
レオンは素朴な疑問を口にした。
「リンに頼む」
「……そうですか……」
途端に微妙な空気がその場に流れる。
「ま、任せとけ!」
レオンがリンに目をやると、リンはスクッと立ち上がり、ハッハッと息を上げている。その様はまるで楽しみにしている散歩直前の飼い犬のようだった。
「……他に方法はないのでしょうか?」
「ない」
真面目な表情で問うレオンに、緋亜は笑顔でそう言い切ったのであった。
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