第21話 告げる

 おかしいな……こんなはずでは……

 レオンは顎に手を当て、考え込んでいた。

 緋亜の暮らす街の薬屋で働き始めてから、既に半年が経過していた。

 そんなレオンの悩みの種は、一部の街の娘達だった。

 店先で、仕事を終えたレオンが出てくるのを待っているのだ。

 薬屋に勤め始めた頃は、外国人が働いている物珍しさからで、そのうち飽きるだろうと踏んでいたのだが……

 そしてついに先日、薬屋の主人から打診されてしまったのだ。

「まあ、薬屋としちゃあ、まだ修行中の身だけど……レオン君さえ良かったら、一度お見合いしてみないかね?」

 と。ちなみに、この島国の結婚適齢期は、十八〜二十二歳くらいで、レオンは二十三歳だった。

「それはありがたいお心遣いですが、私にはまだ一家の主となれるほどの財力がありません」

 レオンは薬屋で働き、資金をある程度貯めたら、緋亜にプロポーズするつもりでいた。

「あぁ、それなら向こうの家に財力があるから、心配いらないよ」

 ところが、体のいい断り文句だと思ったのに、あっさりと主人に解決策を提示されてしまった。

 これはハッキリと断らなければ、後々面倒なことになる。レオンはそう判断した。

「実は今、結婚資金を貯めてるところなんです」

 意を決してそう言うと、店の主人はへぇ、とにこやかな笑顔を浮かべた。

「なんだ、そうだったのかい……レオン君も隅に置けないねぇ……で、お相手は誰なんだい?」

 主人からの問に、レオンはうっと言葉を詰まらせた。

「いえ、その……まだ、気持ちを伝えていなくて……」

「あれ? なんだ、レオン君の片思いなのか」

 主人は、拍子抜けしたかのように言った。

「あ、はい……」

「そうかそうか……じゃあ玉砕したら他にいい娘を紹介してあげるから、すぐに教えてくれよ」

 そう言うと、主人はにこにこしながらレオンの背をバシバシと叩いた。

 レオンは、もうあとに引けない状況になっていた。 それに、やはりいつまでも店先で自分を待たれても困る。

 レオンはそっとため息を吐き、決意を固めたように表情を引き締めたのだった。


「話ってなんだ?」

 その場所は、初めて緋亜と会った時に話し合った、海を見渡せる丘だった。

 なんだか懐しいな、と緋亜は後ろのレオンを振り返り、笑った。

 二人だけで話がしたいと、レオンは緋亜を呼び出していた。

 レオンは潮風に吹かれている緋亜を見つめ、呼吸を整えた。

「単刀直入に言います。緋亜さん、私と結婚を前提としたお付き合いをして頂けないでしょうか」

「えっ……」

 緋亜は面食らった。

「け、結婚、だと……」

 そして、キョロキョロとあたりを見回す。

 そこには、二人以外誰もいない。

 ということは、間違いなくレオンの台詞は自分に向けられているのだ。

「わ、私とか?」

 カッと頬を赤らめ、緋亜は問う。

「はい」

 レオンは、素直に頷いた。

「緋亜さんが、私を一人の男性として認識していないということは、わかっています」

 そう言うレオンの胸はチクチクと痛んだ。

「あ、うん……すまない」

 レオンの言った言葉は緋亜の図星だった。

 レオンをというより、特定の誰かを異性として意識したことなど、今まで一度もなかった。

「謝らなくていいんですよ」

 すまなさそうな表情を浮かべる緋亜に、レオンは苦笑する。

「あなたに初めて会った時、私はあなたから光を与えられた」

 レオンはそっと己の腹部に手を添えた。

 初めて会ったあの時、緋亜から『ここに真っ黒な渦がある』と言われたのを思い出す。

「それが、どれほど嬉しかったか……あの時、私は思ったんです。この先ずっと、あなたの隣で生きていきたいと」

「レオン……」

 レオンの涼やかな黒い瞳を見つめて呟き、緋亜は押し黙った。

 あの時、緋亜はただひたすら目の前の青年にこれ以上辛い思いをしてほしくない、と思っていた。

 そしてなにより、息子を助けて欲しいとのレオンの母からの懇願に応えたかったのだ。

「私は、お前に色々言ったが……結局、決めたのは全てレオンだ。決断して行動するのは、言うほど簡単な事じゃない」

 緋亜は淡々とした口調で言う。

「確かにそうです。でも、緋亜さんと出会ったことで、私はそれまでの生き方を変える決心をしたんです」

 このままでは、自分から生み出た毒で自分が死んでしまう。

 緋亜の言葉は、半分現実だった。日々、心が暗く淀んでいくのがわかっていても、レオンは自分ではどうすることもできなかった。

「きっかけって、大事なんですよ」

 ザザンッという眼下の波の音が、見つめ合ったまま動かない、二人の間に流れるしばしの沈黙を埋める。

「……レオン……結婚とは人生を左右する一大事だと、私は思っている」

 沈黙を破った緋亜の脳裏に、サヤのあたたかな笑顔が浮かんだ。

 サヤは酒屋の一人娘だった為、婿養子を迎えていた。サヤが、十九歳の時のことだ。

 その後、夫婦の間には息子が三人生まれている。

 幸せそうなサヤの家庭を間近で見てきて、家庭というのはあたたかで心安らぐ場所なのだ、と緋亜は思ってきた。

 だが、自分がそれを築くなど、緋亜は予想すらしてこなかった。

「私はこの街で生まれたわけじゃなくて、父とと生活するようになってから、この街の人間になった。正直、私にいい感情を持っていない人もいる。その理由は、私が強い火の精霊操術力を持っているからだ」

 少し寂しそうな表情で、緋亜は言った。

「私はサヤ姉の店の手伝いだけじゃなくて、国からの依頼も受けている。それはこの国にとって、とても大事な仕事なんだけど、知らない人からみれば怪しいって思われるような仕事なんだ」

 緋亜は、それを知らないレオンに説明する。

「五本柱、なんて特別な存在みたいに呼ばれているけど、実際は火を出せるアブナイ人間だと思われてる。もちろん、この街の人全員からってわけじゃないけど」

 緋亜は何人かの若い娘が、レオン会いたさに連日店に通っている事を知っている。

 彼女達の、なんとなくソワソワした雰囲気もだ。

 緋亜はそんな彼女達の様を可愛らしいと感じ、彼女達と同じような年頃である自分とつい比較して、少し落胆したりしていた。

「だから、私なんかと一緒にいたら、レオンに迷惑がかかるんだ。レオンは、この街の人にとても好かれている……私に好意を持ってくれて……とても、嬉しいけど……」

「気にしません」

 言い淀む緋亜の丸くて大きな黒い瞳を見つめ、レオンはすっぱりと言い切った。

「いや、でもそれは、この街で生きていくには大事なことだぞ」

 緋亜は真剣な表情でレオンに言った。

「……この街の方々が、私と緋亜さんが共に生きる事を認めないというのなら、私にはこの街にいる意味などありません」

 レオンは柔らかな笑みをたたえて言った。

「私にとって一番大切なのは、あなたと一緒に生きることなんです。それさえ叶うのなら、あとはどうでもいい。生きていく場所がこの街でなくても、私は構わないんです」

 言い、レオンは一歩緋亜に近づいた。

「人を呪うことが誰にも止められないように、私があなたを思うことも、誰にも止められないんです」

「レオン……」

 レオンの熱の籠もった言葉に、緋亜は思わず黙り込んだ。

 確かにそうだ。人の感情は、誰かに抑えつけられるものではない。

「……本気なのか」

「神に誓って……私の気持ちは、ゆるぎません」

 はぁと大きくため息を吐くと、緋亜はゆっくりとレオンに歩み寄り、その額をレオンの腹に押し当てた。

「私は……見ての通り、体が小さいし……その、体つきだって、ちっとも女らしくない」

 俯きながら、緋亜はボソボソと言う。

 ずっと抱いてきた身体的なコンプレックスは、サヤにすら打ち明けたことはなかった。

「他の娘さん達の方が、よっぽど女らしくて魅力的だ……」

 緋亜が言いかけると、スッとレオンはかがみこんだ。

 レオンの目の前に、恥ずかしげに頬を染めた緋亜の顔があった。

 たまらなく愛しく、かわいいとレオンは思う。

 いきなり近くなったレオンの顔に、緋亜はますます赤くなった。

「あなたは、誰よりなにより、美しいです」

 そっと緋亜の頬に手を添え、レオンは言う。

「どうか……私の妻に……私を、あなたの夫にしてください」

 レオンの囁き声が持つ甘さが、緋亜の耳から全身に広がり、浸透していく。知らず知らずの内に、緋亜の瞳から涙が溢れていた。

「いいのか……こんな私でも……」

「……あなたじゃなければ、駄目なんですよ」

 レオンはにっこりと微笑んで、その涙を拭った。そしてそのまま、口づける。

 びっくりしたのは緋亜だった。

 濡れた唇の感覚と、感じたことのない不思議な感覚が、一瞬にして体全体に広がっていく。

「今すぐに、私を男性として見られなくてもいいんです。ただ、私がそういうつもりでいるとわかって欲しい」

 レオンは少し名残惜しそうに緋亜から顔を離すと、穏やかな口調でそう言った。

「う、うん……わかった」

 緋亜はまともにレオンの顔を見られず、地面に向かって頷いて見せたのだった。


「……青春だな……」

 遠くで一連の出来事を盗み見していた天使が、しみじみと呟いていた。

 一方のアオは、二人のやりとりに心が揺れていた。

「……私は、今のまま緋亜さんの隣にいていいのだろうか……」

 これまでのように、この先もずっと緋亜と一緒にいたい。だが、それは緋亜の幸せを邪魔することになるのではないか。

 遠い二人に背を向けて歩きながら、アオは一人考えこんでいたのだった。


 その話は、瞬く間に街全体に広がった。

 元々広くない街だし、なにより色恋沙汰の話題は盛り上がる。しかも、その対象は薬屋で働く人気者なのだ。

 レオンは、そのスタイルや顔の造りの良さだけではなく、親切さや薬の説明のわかりやすさもあって、街の人々から好感を持たれていた。

 そんな人物に、突如結婚相手が浮上したとあれば、浮足立つのも無理はない。

 緋亜はその日の内にアオに事情を話し、翌日にはサヤに話をした。

 アオは、少し寂しそうな笑顔で、

「そうですか……」

 とだけ言った。

「なんですって!」

 ぱあっと表情を輝かせ、素っ頓狂な声をあげたのはサヤである。

 緋亜は、顔を赤くして俯いた。

「なんてことよ……こんな日が来るとはあ」

 ガバっとサヤは緋亜に抱きついた。

「レオンさんはいい人だよ、ちょっと女性に人気がありすぎるのが、心配だけど!」

「うん、そうなんだよね……ほんとに私なんかでいいのかなあって思うよ、正直」

 興奮状態のサヤに対し、緋亜はボソボソと呟く。

「なぁに言ってんのよ、この街の男どもの誰より見る目あるわよ、レオンさんは!」

 自信なさげな言葉を口にする緋亜に、自信を持て!とサヤはその背を叩く。

「それよりなにより、あたしは嬉しいよ」

 じわり、サヤの目に涙が浮かんだ。

「あ〜、緋亜姉がおっ母泣かしたあ」

 サヤの三男がそれに気づき、指をさした。

「あ、コウタ、ごめん」

 緋亜は慌てて謝る。

「いいんだよ、これは嬉し涙っていうんだから」

「なにそれ……」

「……父ちゃんとこ行って、聞いておいで」

 母であるサヤに言われ、コウタは素直に父の元に走っていく。

「まあそれはさておき、緋亜……女ってのは、男が絡むと怖いよ。あの取り巻きの娘さん達、黙っていないと思う」

 サヤは真剣な表情で緋亜を見つめた。

「あぁ、うん……いいんだ、私もちゃんとあの娘さん達と話がしたいから」

 そんなサヤに、緋亜はにこりと微笑んで見せた。

「緋亜、私の手が必要だったら、すぐに言うんだよ! 加勢するからね!」

 サヤは緋亜の小さな肩に両手をガシッと乗せ、大きく頷いた。

「うん、ありがとうサヤ姉。サヤ姉のこと、とても頼りにしてるけど……でも、大丈夫だと思う」

「そう? 私ゃあんたが心配でしょうがないよ」

 眉根を寄せるサヤの優しさに、緋亜は満面に笑顔を浮かべたのだった。


 その日の昼下り、レオン親衛隊の娘達がサヤの店にやってきた。

 サヤの店には迷惑をかけられない。

 それに、アオは酒の配達に行っていて留守だ。

 ちょうど良かった、と緋亜はほっとため息をついて、娘達に言われるがまま、路地裏に向かう。

「ねぇ、あの噂、本当なの? レオンさんとのこと」

 意地の悪い目線を緋亜に投げかけながら、水色の服を着た娘が言った。

「はい、本当です」

 緋亜はその娘の瞳をじっと見つめながら、真顔で頷いた。

 娘達は三人で、歳は皆二十歳前後のように見える。つまり、この島国での結婚適齢期の女性達だ。

 赤い服を着たキヌを筆頭に、ピンク色の服を着た金持ちの娘ハナ、緑色の服を着たスエ。

 その三人は、一斉に絶望的なため息を漏らした。

「私なんて、お父様に頼んでレオンさんとお見合いするはずだったのに!」

 上等なピンク色の服を着ているハナが、きぃっとハンカチを噛んだ。

「え? ちょっと、ハナ、なに抜け駆けしてんのよ!」

 リーダー格のキヌは、ハナの発言にきりりと眦を吊り上げた。

「えっ、だって……」

 ハナは言い、唇を尖らせた。

「私達のレオンさんよね、抜け駆けはお互いなしにしようねって、言ってたじゃない!」

 キヌは物凄い剣幕でハナを睨みつけた。

「ほんとにモテモテだあ……すごいなあ、レオンは……」

 思わず漏らした緋亜の呟きに、娘達の視線が一斉に緋亜に集中する。

「なによ! いい気になっちゃってさ! あんた、いったいなにをしてレオンさんを口説き落としたワケ!」

「お、落ち着いて、キヌさん」

 今にも掴みかかりそうな勢いのキヌを、スエがなだめた。

「スエ、これが落ち着いていられる?」

「あの……私は、大したことはなにも言ってないんだ……もしその理由を聞きたいのなら、レオンに直接聞いた方がいいと思う」

 緋亜のもっともな言葉に、娘達は一様に呆然とする。

「あ、あのねぇ、それができてたらとっくにそうしてるわよ。レオンさんに直接聞けないから、あんたのとこに来てるんだよ、私達は」

 スエが少し呆れたように緋亜に言った。

「あっ、そうか! うーん、それは困ったなあ……いや、怒られるかもしれないが……どうしてレオンが私を選んだのか、私にもよくわからないんだ」

「よくわからないですってぇ!」

 三人娘は同時に怒りの叫びをあげた。

 あ、ほんとに怒った。

 緋亜は、至極冷静に娘達と対峙している。

 娘達は当然、レオンが初めてこの島国を訪れた時の緋亜とのやりとりを知らない。

 あくまで自分達と同じように、レオンの存在を知ってたかだか半年ほどだと思っている。

「あんた、ほんとにレオンさんのこと好きなの?」

 ハナが、緋亜の痛いところを突いてくる。

「あ……いや……えーと……それは、これから努力しようと思っているところで」

「なによそれ!」

「好きでもないのに、婚約するなんて、私たちをバカにしてるわ!」

 キヌとハナが、口々に叫んだ。

「うん……多分、私より皆のほうが、レオンのこと好きなんだと思う……」

 緋亜は、正直に言った。

 でも、と緋亜は思う。

「嬉しかったんだ……こんな私でいいと言ってもらえて」

「はあ?」

「皆が怒るのは当たり前だ。私がこんな半端な気持ちなんだから……でも怒るなら、私にだけにしてくれ!」

 ガバッ、と緋亜は三人娘の前で土下座した。

「レオンや、サヤ姉や、アオに、意地悪するのだけは、やめてほしい!」

 緋亜は地面に向かって叫んだ。

 その周りを、火の粉が囲む。

「え……なに、これ……どっかで焚き火でもしてるの?」

 スエの呟きに、緋亜はハッとした。

 緋亜の高ぶった感情に、火の精霊が反応しているのだ。

「いけない、落ち着かなきゃ」

 緋亜は、慌てて深呼吸した。

 すると、すぅっと火の粉が消えていく。

 それを見て、緋亜はホッとため息をついた。

「……あんた……もういいよ」

 スエがしゃがみ込み、緋亜に言った。

「私達のレオンさんを、幸せにしてあげて」

「スエ! 私はまだ気がおさまらないわよ!」

 仁王立ちしているキヌが叫ぶ。

 スエはキヌを振り返り、その瞳をじっと見つめた。

「キヌさん、多分私達がどうやっても、レオンさんは私達を選ばないと思うよ。こうやって騒ぐよりもさ、現実見て、他の男探した方がいいかも」

 そう言い、スエは笑った。

「あんた大人だね……私達の中で、一番若いのにさ」

 少し落ち込んだ表情のハナが、スエに言った。

「うん、でもさ……そうは言っても、やっぱりレオンさんは素敵だから、また見に行っちゃうと思うけど」

 スエの言葉に、緋亜はぱっと表情を輝かせ、三人娘に笑顔を向けた。

「うん、また、皆でレオンのとこに来てくれ!」

 その様に、娘たちが苦笑した。

「あんたねぇ、それが婚約者の言う言葉?」

「うん、レオンを見て皆が幸せになるなら、それがいい」

 再び、三人娘は呆然とした。

 そして、互いに目配せしあうと、バツが悪そうに笑った。

「ほら、もう立って……悪かったよ、土下座までさせてさ」

 スエが緋亜の腕を取って、立ち上がらせた。

「じゃ、もう行くわ。幸せになりな……」

 キヌがさっさと踵を返すと、他の娘たちも後に続く。

 その背に向かって、緋亜は頭を下げ続けたのだった。

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