第20話 先に進む

 そこは、創造の手を持つ兄神によって作られた、天使達が集う場所だった。

 人間の棲む下界と違い、夜が訪れず、ずっとぼんやりと明るい。

 そして、暑くもなく寒くもない、快適な温度が保たれている。

 人間から見れば、天国と呼ばれる場所に思えるだろう。

 レオンと指南役の契約を破棄した天使は、その後すぐに主たる神の元へ向かったのだが、あいにく神は留守だった。

 仕方なく、天使は自身の住処であるこの場所に戻ってきていたのだった。

 そして、たまたまそこに居合わせた天使に、思いの丈を話した。

 その天使の腕章には、黄金色のラインが三本ある。

「この仕事を、辞めるつもりでいる」

 突然そう打ち明けられ、三本ラインの天使は困ったような表情になった。

「えっと……それはすなわち、死にたいってこと……ですよね?」

 創造主たる神の命に従い、その神が作り給うた、四大精霊銃を人間の元に届ける。

 それだけが、天使の生きる意味だ。

 それを拒否することは、すなわち存在する意味を失うということだ。

 三本ラインの天使は、ちらりとレオンの元雇用主である天使の腕章を盗み見る。

 そこには、五本のラインがあった。

 三本ラインの天使からみれば、彼はツーランクも位が高い大先輩ということになる。

「……せっかく、そんなに頑張ったのに……」

 はぁ、と三本ラインの天使はため息をついた。

 ランキングの判定基準となる、銃の使用者の信心。

 まるで小鳥の羽のように可視化されるそれを多く集めてきたということは、それだけあの特種な銃を人間達に渡してきたということになる。

「頑張った……か……」

 呟き、レオンの元雇用主の天使は自身の五本ラインの腕章に触れ、自嘲気味の笑みを浮かべた。

「おそらく、私は頑張りすぎてしまったんだろうな……もう、仕事をしたいと思えないんだ……疲れてしまったのだよ、私は」

 淡々と言葉を口にするその様に、三本ラインの天使は気遣うような笑みを浮かべた。

「そんなに働いたら、疲れるのも当たり前ですよ……ほら、疲れたならお休みすれば良いんです」

 励ますように、三本ラインの天使は言った。

「そうは言うが、休めばやる気が回復するというものではないのだよ。私はね、この階級システムの存在自体に、疲れてしまったのだから」

 レオンの元雇用主の天使は苦笑いを浮かべた。

「あぁ、なるほど……そういうことですか……」

 そう言うと三本ラインの天使は、しばらくの間黙り込んだ。

「……私は、あなたを尊敬していますけど」

「それは、私に対する気遣いかな? それはとてもありがたいが……」

「だって今まで一生懸命、主のために力を尽くしてきたってことじゃないですか!」

 言いよどむ天使に対して、少し語気を強めて三本ラインの天使は言った。

「……いや、私の場合は、自分の昇進の為に頑張ったに過ぎない」

「……たとえそうだったとしても、結果を見れば主の望みを叶えているではありませんか。それは、まさに天使の鏡でしょう?」

 懸命な面持ちで、三本ラインの天使は言う。

 その勢いに、レオンの元雇用主の天使は首を傾げた。

「君は、なぜそんなに私の味方をするんだ?」

「だって、おかしいです……」

 三本ラインの天使は、悔しそうな表情を浮かべた。

「一生懸命仕事をしてきたのに報われもせず、働くことを拒否すれば命はないなんて」

 その言葉に、レオンの元雇用主の天使は顔色を変えた。

「君……それは主の意向を否定することになるから、思っていても口にしてはいけないよ」

「そうかもしれませんが……でも……すみません……」

 三本ラインの天使は声を小さくして俯いた。

 その様に、レオンの元雇用主の天使はふっと笑った。

 昇進システムでランクが上がって行くことを、報いだと感じられたなら良かったのに。

「……しかし君、話は変わるが……」

 ふと視線を上げ、レオンの元雇用主の天使は眉をひそめた。

「気のせいか、やたらと皆、暇そうにみえるんだが?」

 その目には、いかにも暇を持て余した体の天使たちが映っていた。

 床に寝そべり絵を描く者。ただひたすらにぼーっとしている者。楽しげに笑い、カードゲームに興じる者達。

 人数を数えるに、天使全員がここにいるようだった。

「はい、あの……気がつきませんでしたか? ここ最近、主から四大精霊銃がこちらに一切回ってこないんですよ」

 おずおずと、三本ラインの天使は言った。

「え……あ、そうだったのか……ちょっと、ここ最近ずっと考え事をしていたから、気がつかなかったよ」

 しかし、それにしても一つも回ってこないとは……

「ここだけの話ですが」

 三本ラインの天使は、声を潜めた。

「主は四大精霊銃を作るのに飽きちゃったんじゃないかって、もっぱらの噂なんです」

「飽きた?」

「ほら、私達の主って、すごく思いつきで行動するじゃないですか……あの銃だって、気まぐれで作ったし……なら、気まぐれで作るのをやめたとしても、なんにも不思議じゃないよね、って」

「なるほどな……そうしたら、私達は全員お払い箱というわけだな」

 途端に、腹の底から笑いが込み上げてくる。

 あんなに色々と考えこんでいたのが、急にバカバカしくなってきた。

「そうですねぇ……いったいなんなんでしょうね、私達って」

 はあ、と三本ラインの天使はため息を吐いた。

「私達は、主たる神の意を叶える為だけに存在する、天使だ」

「そりゃあそうですけど……なんか、虚しいですよね……」

 すっかり肩を落とした三本ラインの天使の肩に、レオンの元雇用主の天使は無言で手を置いた。

 と突然、高音のラッパの音が辺り一面に響き渡る。

 すると、その場にいた天使すべてが、ハッとした表情になった。

「噂をすれば、ですね」

 三本ラインの天使は立ちあがり、そう呟いた。

 響き渡ったラッパの音は、主たる創造神の天使集合の合図なのであった。


「全員、御前に揃っています」

 昇進システム上一番位の高い天使が兄神に報告し、深々とその頭を垂れた。

 天使の総数、二十五人。

 その全てが頭を垂れ、主たる創造神の前にかしこまっている。

「うむ。実は、皆に報告がある」

 兄神の傍らには、妹神もいる。その手には、なぜか弓矢が握られていた。

「我ら兄妹はな、飽きたのだ」

 え、やっぱりそうなの?

 口には出さず、全ての天使は思った。

「四大精霊銃を創るのに飽きたのでな、代わりに弓矢を創った! 見よ!」

 兄神は叫び、妹神の手から弓矢を受け取ると、それを高々と掲げた。

 弓矢はキラキラと自ら銀色に光り、その矢羽は天使の背に生える翼のように真っ白だった。

 頭をたれ、微動だにせず天使達は思う。

 いや……問題は、弓矢のことよりこの神がなんの目的でそれを創ったのか、だ。

 四大精霊銃の時は、人間同士の争い事を見たい、というのがその理由だった。

「我ら兄妹はな、胸キュンのハートフルな恋愛劇が見たいのだ!」

 ……は?

「この弓矢は、かの有名な縁結びの矢の強力版だ。君達には今後この弓矢で、純なカップルの縁を結んでほしい! 以上!」

 ……首を切られるのは免れたが、あまりの方針転換に、多くの天使は面食らっていた。

 しかし、いかなる命であろうとも、彼ら天使に拒否権はない。

 レオンの元雇用主の天使は、必死に笑いを噛み殺していたのだった。


 緋亜とアオは、店が立ち並ぶ通りを歩いていた。

 時刻は夕暮れ時で、二人は帰宅途中だった。

 立ち並ぶ店の閉店時刻は、たいていどの店も同じだ。

 だが、ある一店だけは、出入り口に四、五人の若い娘が立っている。

 まるで、店から誰かが出てくるのを待っているかのようだった。

 緋亜は、それを横目で見ながら通り過ぎた。

「なんか、もう三日もあの調子だ。薬屋、なんかうまい商売でも始めたんかな?」

 と、隣のアオを見上げ、緋亜は言った。

「さあ、なんでしょうね?」

 二人には、その原因がさっぱりわからなかった。

 その背後では、薬屋から、背の高い一人の男が出てきていた。

 着ている衣服から、その店の従業員であることがわかる。

 男は、出入り口付近に立つ若い娘達に頭を下げ、彼女達が立ち去ると、店の暖簾をしまい始める。

 その手が、ふと、止まった。

 あの小さな背中は……間違いない。

「緋亜さん!」

 ありったけの力を腹に込め、レオンはその名を叫ぶ。

「ん?」

 それに気がついた緋亜は振り返り、その姿を見ると目を丸くした。

「え……ゼロ?」

 その隣のアオの表情は、浮かないものだ。

 なんか、嫌な予感がする。

 しばらく二人が立ち尽くしていると、息を切らしたレオンが走ってきた。

「いつからこの島にいたんだ? それに、その格好……お前、薬屋で働いているのか?」

 嬉しそうな笑顔を浮かべ、緋亜はレオンに言った。

「はい、一週間前からです。実は、前回この島に来た時に、薬屋のご主人から声をかけられていまして」

 レオンも嬉しそうに笑いながら、緋亜に事情を説明する。

「え? そうだったのか?」

 その説明に、アオは苛立ちを覚えていた。

 前回島を立ち去る際、そのようなことは一言も言わなかったではないか……『お元気で』などと、もう二度と会わないような素振りをみせておいて……この卑怯者が!

 アオは、レオンが緋亜の隣を狙っていることが、嫌でたまらなかった。

 しかし、肝心のレオンには、それがまったく伝わっていないように見える。

 事情を説明した後、レオンは自身の服装を緋亜に示していた。

「この服、どうでしょうか……変ではないですか? 私は背が高いので、丈が少し足りないんですよ」

 レオンは、この島の民が着る服に、薬屋の法被を重ね着している。

「うん、とても似合ってるぞ」

 にこにこと笑って、緋亜は答えた。

「丈が足りないなら、布を足すといいぞ……私が縫ってやろうか?」

 緋亜からの申し出に、レオンはパッと表情を輝かせた。

「本当ですか? ありがとうございます、助かります」

 くぅぅ……

 内心、歯噛みするも、アオには緋亜の親切心を止める術がなかった。

 この二人には、アオの知らない、二人だけが共有している時間があるのだ。

「うん……もう、名前、呼んでいいか?」

 緋亜が、夕焼けを背負い、オレンジ色に染まるレオンを眩しそうに、そして嬉しそうに見上げながら問うた。

「はい……お願いします」

 やっと……一番呼んで欲しかった女性に、ようやく本当の名を呼んでもらえる。

 レオンの胸に、あたたかいようなくすぐったいような、不思議な感覚が湧き上がっていた。

「おかえり、レオン」

 緋亜にその名を呼ばれ、レオンは満面に笑みを浮かべていたのだった。


「おぉおぉ、青春だねぇ、レオン君」

 突如声をかけられ、レオンはビクリと体を震わせた。

 緋亜とアオに、別れを告げた直後の事である。

 その声には、聞き覚えがあった。

 美しく光り輝く、黄金色の髪。

 そして、その背に生えた真っ白な翼。

「生きてたんですか……」

 レオンは振り返り、その声の主を見た。

「お陰様でね。我が主が、また気まぐれで面白いものを創ったから、見せに来てやったぞ」

 天使は誇らしげに言って笑い、レオンに手の中の弓矢を見せる。

「なんですか、この弓矢は……あなた方の主が創ったのですから、普通の弓矢ではないのでしょう? しかし弓矢だなんて、なんだかキューピットみたいですね……」

 心の隅で、元雇い主の天使が生きていたことに安堵のため息をつきながら、レオンは言った。

 ふふん、と天使は笑う。

「みたい、ではなく、そうなのだ」

「? どういうことですか?」

「つまり、我が主の観覧希望の傾向が、戦ものから恋愛ものに変わったということだ。安心しろ、これでもうこれ以上あの銃が人の世に流れることはない」

 レオンは天使の言葉に目を見開いた。

「私達天使は、全員キューピットになったのだ」

「それは大変素晴らしいことです。武器の流し屋が、縁結び屋になるとは」

「そう、そして、あの昇進システムもなくなった」

 言い、天使は左腕を示した。以前、腕章があったところには、今は何もなかった。

 レオンは、天使の淡い水色の瞳を見た。そこに宿るのは、以前の闇色ではなく明るい光だ。

 それに元々の色白な顔色が、以前の何倍も良くなっていた。

「……良かったですね……」

 やはり、我慢は体に毒なのだ。

 レオンは穏やかな笑みを面に浮かべた。

「どれ、お前には矢を一本サービスしてやろうと思ってな……必要だろう?」

 にっこりとレオンに笑いかけ、天使は言った。

「え、いいんですか」

 レオンは、天使の申し出を素直に喜んだ。

 天使は満足げな表情で頷くと、矢じりをレオンの胸に押し当てた後、空高く舞い上がる。

 とうに姿が見えなくなった、緋亜の背中に狙いを定め、天使は矢を放った。

 ひゅん、と矢は弧を描きながら飛んでいき、白い毛並みに突き刺さった。

「あ」

 天使は絶句した。

 矢は、飼い犬の背に刺さっていた。

 飼い犬、つまり緋亜の飼いバケモノのリンである。

 リンはその直後、矢が刺さった辺りを気にしていたが、すぐに気にならなくなったようで、くあっと欠伸をした。

 天使は青ざめた表情で、レオンの元に戻った。

「どうですか、ちゃんと刺さりましたか?」

「あ、あぁ……さ、刺さったは刺さった」

 そわそわした様子のレオンに申しわけなさすぎて、天使はまともにその顔が見れなかった。

「……なにに刺さったんですか……」

 嫌な予感が、レオンの胸をよぎった。

 その低い声音に、慌てて天使が宙に舞う。

「れ、恋愛というのはな、障害があればあるほど、燃え上がるんだ! 頑張れ、レオン!」

 言うが早いか、天使は飛び去った。

「……いったい、なにに刺さったのか……まさか、あの異形の島の娘に? いや、それだけは嫌だ……」

 緋亜さんと話している間、ずっと怖い表情をしていたな……

 その時のアオの様子を思い出し、レオンはそっとため息を吐いたのだった。

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