第23話 爪の内側

 龍の爪と呼ばれている岩は、とある鍾乳洞の奥にあった。

「中は整備されているから灯りは必要ないが、天井からの雫で足元が濡れているし、でこぼこしているから、足元に気をつけてな」

 リンを出入り口で待たせ、緋亜とレオンは目的の場所である龍の爪に向かう。

 鍾乳洞の内部にはガラス灯が設置されていて、暗闇の中を進む必要がなかった。

 しばらく進んでいくと、開けた場所に上から下まで斜めに突き刺さっている大岩が現れる。その真横には、一人の若い男が立ち、目を瞑って岩に手を当てていた。

「ここだ。これが龍の爪だ」

 レオンを振り返り、緋亜が言った。

「測さん、緋亜だ」

 緋亜は岩に手を当てていた男に話しかけた。

 男はぱちっと目を見開き、緋亜を見た。

「あ、お待ちしてました……と、今日はお客様連れでしたか」

 緋亜から『測』と呼ばれた男は、緋亜の隣に立つレオンを見、ぼんやりとした口調で言った。

「うん、いや、実はその……こ、婚約したんだ」

 もごもごと、緋亜が言った。

「なんと!」

 顔を赤らめる緋亜に、測は目を丸くして叫んだ。

「いやあ、そうかあ……緋亜さんがねぇ……あの小さかった緋亜さんが、お嫁さんかあ〜」

 測はにこにこと笑って腕を組み、しみじみと言った。

「ケイさんに連れられて来たのが、まるで昨日のようだよ。ケイさんもあの世で喜んでるだろうなぁ」

 まるで、その当時を知っているかのような口ぶりに、レオンは首を傾げた。

 目の前の男は、二十歳前後にしか見えなかったからだ。

 まじまじとレオンに見られ、測は照れたように笑った。

「こう見えても私、五十歳を過ぎてまして」

「えっ?」

 いくら、東洋人が若く見えるとはいえ、なにかの冗談としか思えなかった。

「私達“測”の一族は皆、見た目がこうなんですよ。でも、かと言って寿命が長いわけじゃないんです」

 測は笑顔のまま、レオンに説明する。

「そうなんですか、驚きました……ところで、測とはなにかを測定しているということですか? 先程、その岩に手を当てていましたが」

「はい。私の仕事は、岩に残る力を測定し、少なくなってきたら補充してほしいと緋亜さんに伝書鳩で伝えるのが仕事です」

「測さんは、精霊が使えないけど、見える人なんだ」

 測に加え、緋亜もレオンに説明する。

「はい、そうなんです。ですから、あなた……えと、お名前……」

「レオンです」

「そう、レオンさんが水持ちだっていうのも、私にはわかるんですよ」

「それは、血筋ですか?」

 レオンが問う。

「そうです。この岩は、この島に五つあります。その一つ毎に一人、一族の者がついています。ちなみに、私のフルネームは、測寿琴といいます。測は、私の一族の共通の呼び名です」

「そうなんですか……この島は本当に不思議な国ですね」

「はい。不思議ですよ、この島は」

 測はレオンの言葉に深く頷いた。

「精霊が見えたり、その力を使えたり……そんな人間はこの世界にほとんどいないでしょうに、五本柱に加えて、私達測の一族までいる。この狭い島国一つに。まるで、龍の神様に引き寄せられているかのようです」

「龍の神様……五本の爪の持ち主ですね……」

 レオンは呟く。

「会いたいか?」

 緋亜が、レオンを見上げて問うた。

「え? 会うって……伝説の神獣にですか?」

 目を丸くするレオンに頷いてみせ、緋亜は測に向き直った。

「測さん、レオンは私の後継者の一人だ。私の見る限り、その素質は十分あると思っている」

 緋亜の言葉に、測は頷いた。

「いいでしょう。本当は上の許可が必要ですが、せっかくいらっしゃったのだし……それに、資格不十分でしたら、龍神様に追い返されるでしょうから」

「ありがとう」

 にっこりと笑って緋亜は礼を言い、測はえへへと笑った。

「こうやって、手を当てて」

 緋亜は、ぺたりと大岩に手を当てた。

「なにも考えないで、頭を空っぽにする感じだ」

「はい、やってみます」

 レオンは大岩を見上げた。

 天井の岩の割れ目から、柔らかな陽の光が差し込んでいる。

 岩は、その光にあたって、つやつやとした輝きを放っていた。

 その神秘的な美しさに、レオンは瞳を細めた。そして岩を正面に見据え、手を当てて目を瞑る。

 あたりは、静寂に包まれた。


 暗闇が形を変えた。

 そして、聴覚や皮膚に異変を感じる。

 それはまるで、水の中にいるような感覚だった。呼吸は苦しくはなかったが。

「よく来たな」

 不意に、低い声が聞こえた。

 凛とした厳かさを醸し出す、それでいて不思議な安心感を抱かせる、そんな声だった。

「目を開き、我を見よ」

 声の主にそう言われ、レオンはゆっくりと瞼を開く。

 すぐに、レオンはハッとした。

 そこには、一人の人物がいた。その肌は碧く、鈍い光をまとい、瞳と髪は金色だった。

 その姿を見た瞬間、レオンは真っ先にアオの姿を思い浮かべる。

 アオと同じ特徴を持つその人物を、レオンはじっと見つめていた。

「さよう……私は、アオによく似ているだろう? だが、私は龍神……神と呼ばれる存在だ。まあ、実体はとっくに消滅していて、この姿は精神体の名残なのだがな」

 ニヤリと口許に笑みを浮かべ、龍神は言った。

 アオの事を知っているのか……そして、こちらが考えていることも伝わっている……

「アオのことだけではない、お前のことも知っている。ここに来ることを試みた時点で、我に情報が入るのだ……お前の許可なしでな。すまないことだが」

 私のこと……

「お前がどこでどう生まれ、ここまでどう歩んできたか、緋亜と出会い、どう変わったか……」

 ……そのすべてを、見たと……

「お前は、人の道から外れそうになったが、戻ってきた。緋亜はいい子だ。まるで、陽の光をガラス瓶に閉じ込めたような娘だ。あの明るさあたたかさ、純粋さが精霊をも魅了する」

 そうか……緋亜さんは、龍神にまでも愛されているのだ……

「力というのは、愛されるより愛する側の方が、何倍も発揮されるものなのだよ。それは、お前たち人間に限らず、精霊、そして神も同じ」

 そうか、緋亜さんの躁術力は、精霊から愛されているからあんなに強いのか……

 レオンは、ようやくそれを理解していた。

「お前の持つ力も、大切ななにかを守りたいと願った時に、一番強く発揮されるだろう。我も、そうだった」

 龍神は、昔を懐かしむかのように、その金色の双眸を細めた。

「アオの島も、この島も……我は救いたかったのだ。永遠に、平和で穏やかな時を過ごせるようにと……我は、この地に右手の五本の爪、そして、アオの島に尾を残した」

 龍神は腰掛けていた寝台から立ち上がり、レオンに近づく。

「なぜ、私の姿がアオと似ているのか……それは、あの島の始祖が私だからだよ」

 クスリと龍神は笑った。

「そういう事情もあってな、我はアオの島を守りたいと思っているのだ。この島は、良いのだ。我の残した楔を、きちんと継承してゆける人材が、集まるようになっているからな。しかし、アオの島は良くない……レオン」

 龍神は、レオンの瞳を覗き込み、笑った。

「お前に、伝言を頼みたい。どうあっても、あの島を救わねばならぬ」

 すっ、と龍神の細い指が伸び、こつ、とレオンの額あたりに触れた。

「頼んだぞ……」

 既に、そこにレオンの姿はない。

 緋亜と測が待つ、元の場所に帰ったのだ。


 ハッとレオンは目を見開いた。

「あ、帰ってきた」

 それに気がついた緋亜が、ほっとしたような表情になった。

「会えたか、龍神様に……アオそっくりで、びっくりしたろう?」

「……緋亜さん、私は龍神様から、メッセージを預かりました」

 緋亜の問には答えず、途切れ途切れにレオンは言った。

 今しがた己の身に起きたことを整理しつつ、メッセージは早く伝えなければならない。

「メッセージ?」

 緋亜は携行してきた水筒をレオンに渡し、レオンはそれを口にし、深い息を吐いた。

「アオさんの島は、危険水域に入っています。しかし、あの島の巫女にそれを補強できるほどの力が、もう残っていない」

 緋亜は、レオンの言葉に息を飲んだ。

「あの島には、アオさんの力が必要です。そして、他にも問題があります。王位の継承で、争いごとが起きていると」

 緋亜の脳裏に、アオの物静かな笑顔が浮かんだ。

 一緒にいたい……けれど、それはいつまで続くのか。

 緋亜とて、今までに何度もアオの生まれ故郷の島について考えていた。

 しかし、今は自分の感情を優先している場合ではない。

 アオの母を含め、島の人々を守ることを第一に考えなければ。

 緋亜は、さっと立ち上がった。

 その表情は真剣なものだ。

「行こう、レオン」

「あ、緋亜さん、岩に力を注いでから行ってくださいね」

 あ、忘れてた。

 測の落ち着いた指摘に、慌てて緋亜は岩に向かって、その手を伸ばしたのだった。

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