第18話 決意表明

「こうして、引き金をひくと……」

 パンッと乾いた音が響き、凍りついた雑巾が数メートル先の小さな岩を砕いた。

「ほぉお! すごいね、こりゃあ!」

 小太りの商人風の男が、ゼロの手にある拳銃をしげしげと見つめた。

 その姿は半透明、つまり幽体の状態だ。

 男の幽体は天使との仮契約後、指南役のゼロの元に飛ばされてきたのである。

「こりゃあ、高く売れそうだ」

 キシシ、と男は笑った。

「この銃を、誰かに売るつもりなんですか?」

 ゼロは微かに眉根を寄せた。

 こういうタイプの客に指南するのは、ゼロは初めての経験だった。

「あぁ、そうだよ。だって契約書には、他人に譲渡禁止なんて文言は入っていなかったからね。量産できないのがネックだが、その分レア度があがるから、高値がつけられる」

 男はウキウキとした口調で言った。

 確かに、この銃は契約者以外の使用が禁じられているわけではない。

 天使と使用者との間で取り交わされる契約書は、あくまで使用契約書ではなく、譲渡契約書なのだ。

 そしてこの銃は精霊躁術力がない者でも精霊の力を使って、本来は無害な物体を強力な武器にすることができる。

 この、力がない者でも使える、というところがキーポイントなのだ。

 この世界に、精霊躁術力という特殊な能力を有している人間はさほど多くない。

 これまでに、いったいどれほどの数の銃が人の世にばらまかれているのか……

 ゼロは考え、小さくため息をついた。

 この男のようにビジネス目的で銃を持とうとする人間に、諭す言葉などない。

「あ、一つ言い忘れましたが、この銃は暴発する可能性があります」

 思い出したように、ゼロは言った。

「暴発?」

 男が怪訝そうな表情をゼロに向けた。

「そうです。銃の中にいる精霊が、こちらをバカにして弄ぶんですよ」

「えぇ? それ本当なの?」

 疑うような声をあげる男に、ゼロはクスリと笑った。

 そして、その耳元で低く呟く。

「あなたの何倍も精霊を知り尽くしている、この私が言うのですよ」

 ごくり、男は唾を飲み込んだ。

 この執事服に身を包んだ男には、どこか他人をゾッとさせる雰囲気がある。

 男の額には、うっすらと冷たい汗が浮かんでいた。

 そう言われてみれば、精霊などという得体のしれないものには、危険な香りがつきまとうような気がする。

「あなたのような武器商人にとって、一番大切なのはお客様との信用関係なのではないですか?」

「……そりゃそうだよ」

 ゼロの指摘に、男は唸るように言った。

「仮にこの銃を手にしたお客様が、上手に使いこなせずお怪我などされた場合、通常の拳銃であれば銃や弾丸のメーカーを責めることができましょうが」

 じっ、とゼロは男の瞳を見つめた。

「この銃に関しては、そういった言い訳は通用致しません。神や天使のせいにしても、笑われるのがオチです」

 そう言われ、男は横目でゼロの手の中にある拳銃を見た。

 やっぱり、今まで通り普通の武器だけを売っていた方がよさそうな気がする。

「あなたのような賢い武器商人なら、おわかり頂けますよね?」

 にこりと笑って、ゼロは言った。

「あ、う、うん。じゃあ、もう帰るわ」

 そう言うと、男は逃げるかのようにゼロの前から姿を消した。

 ほっ、とゼロはため息をつく。

 さあ、あの天使はどう出てくるか。

 緋亜が暮らすあの島国の宿屋で話をしてから、ゼロの元に送られてくる仮契約者の数が、がくんと減っていた。

 あの時『考える』と天使は言っていたが……

 あれから四ヶ月近く経つが、天使はその後一度もゼロの前に姿を見せていない。

 今日、久々に仮契約の使用者が来たので、天使の主である神に、その存在を消されてはいないのだ、ということはわかった。

 また、以前のように、いい加減にしろ! と、怒鳴り込んでくるのだろうか……

 ゼロは高くなった青空を見上げ、天使に思いを馳せたのだった。


 ずーん、という音が聞こえてきそうなほど、その場の空気は重かった。

 ゼロは無言で、その原因である天使を横目で見る。

 天使は無表情のまま、ゼロの部屋の椅子に座り込んでいた。

 明らかに、今までとは様子が違っている。

 ゼロは、あまりの重苦しさに大きなため息を吐いた。

「いつものように、悪態はつかないのですか?」

 静かな口調で、ゼロは問う。

 それでも黙ったままでいる天使の前に、ゼロはことりとティーカップを置いた。

 天使が人間のように食べ物や飲み物を必要としないことは、わかっている。

 差し出した紅茶には、心を鎮める効果のあるハーブをブレンドしていた。

 湯気と共に、その香りが部屋に満ちていく。

「報酬なら、もういりませんよ」

 ゼロは、家人に毒を盛ることをやめていた。

 そして、島から帰って以来、家人からはなぜか通常の執事業務のみを要求されている。

 何かが変わり始めているようだ、とゼロは感じていた。

「そうか……」

 ゼロの言葉に、天使は呟くように言った。

 心ここにあらず、といった感じだ。

 これは……重症ですね……

 ゼロは、天使に出したものと同じ紅茶を淹れたティーカップに口をつけた。

「本当は、あなたに言わないまま決行しようと思っていましたが」

 ゼロはベッドに腰掛け、床を眺めながら言った。

「年が明けて春になったら、私はここを出るつもりです。あなたとの契約も、破棄します」

 ゼロは言い切った。

「……五ヶ月後、か……」

 天使は呟いた。

「本当は、今すぐにでも出ていきたいのですが、渡航費が思いの外かかりますので……仕方ありません」

「そうか……お前は、決めたのだな」

 天使は、ゼロが置いたティーカップを手をとった。

 ほのかなあたたかさが、ほわりときめ細やかな白い手に伝わってくる。

「あたたかいな……まるで、あの小娘の手のようだ」

 呟くように言い、天使は微かに笑った。

「不思議だな……なぜ、こんな気持ちになるのか……たかが、人間ごときの手のぬくもりなど……」

「緋亜さんのエネルギーは、只者ではありませんよ」

 ゼロはそれを思い出し、わずかに頬を緩めた。

「あの人自身のエネルギーと、その強い思いが伝わってくるから、あのあたたかさが恋しくなるのだと思います。私やあなたのように、暗いなにかを抱えた者なら、なおさらそれがわかるのでしょう」

「なるほどな……お前は、私よりよほどあの小娘を理解していると見える」

 天使はカップから手を離し、ゼロを見た。

「行くのか、あの娘の元へ」

「行きますよ。誰がなんと言おうと」

 ゼロは静かに、しかし強い口調で言った。

「そうか……」

 それは、羨ましい……

 天使は胸の内で呟いた。

「あなたも、決断すればいい。私がそうしたように」

 ゼロはジッと天使の淡い水色の瞳を見つめた。

「そうだな……お前が無事にこの屋敷から出ていくのを見届けたら、私も区切りをつけるとしよう」

「……あなたとの契約を、どう破るつもりなのか、聞かないのですか?」

「あぁ、それか……まあ、今までにも何回か経験しているからな……なんとなく予想はついている」

 ゼロの黒い瞳を見やり、天使は言った。

「そうなんですか?」

「お前に銃の使い方を指南したカイも、この間、向こうから契約を破きおったしな」

 ふふ、と天使は笑った。

「本当の名を使わぬという事が、どういうことに繋がるのか、私が知らぬとでも思ったか?」

「邪魔を、しますか?」

 ゼロが冷たい視線を天使に向けた。

「いいや。そんな無駄なことにエネルギーを割けるほど、今の私は元気ではない」

 天使は苦笑した。

「お前の好きにするがいいさ。ただし、その銃は回収せんからな」

「わかりました」

 緋亜は嫌な顔をするかもしれないが、この銃は使い方次第で人を傷つけるのではなく、生活を便利なものにすることもできる。

 特に、自身が強い力を持つらしいゼロだが、今のところそれを引き出せるのは、この銃を使っている時だけだ。

 もし万が一、緋亜になにかが起きた時……

 と、ゼロは考えた。

 無力な自分では、戦えない。

 そう、思ったのだ。

「お前、あの娘がその銃を捨てろと言ったら、どうするんだ?」

 そんなゼロの思いを見透かしたように、天使は問う。

「その時は、いかに安全で便利に私が使いこなせるのか、きちんと彼女に説明しますよ」

「それでも、捨てろと言われたら?」

 天使は、重ねて問うた。

「……捨てます」

「そうか……」

 天使は口許を抑え、笑いを堪えた。

「何かおかしいですか?」

 ゼロは憮然とした表情を天使に向けた。

「いや! いやはや、恋の力というのは偉大だ! まったく!」

 はあ、と大きくため息を吐き、天使は天を仰いだ。

「実に、人間らしい」

 言い、天使は満面に笑みを浮かべた。

「……なんか、馬鹿にされてるような気もしますが」

「それはお前の勘ぐり過ぎだぞ。あぁそうだ、名前……」

 言いかけ、天使は口をつぐんだ。

「まあ、楽しみはとっておくか……じゃあな、ゼロ。五ヶ月後を、楽しみにしているよ」

 うっすらとした笑みを残し、天使はふっと姿を消した。

「……天使も、丸くなることがあるんですね……」

 冷めたティーカップを眺めながら、しみじみとゼロは呟いていたのだった。

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