第17話 血筋

 帰国を翌日に控え、ゼロは再び酒屋であるサヤの店を訪れていた。

 今日は、単純に家人への土産選びが目的だ。

 棚に並べられている、グロテスクな蛇酒、ダガ酒。この島にしか生息していない蛇で、一応島の特産品である。

 それを女主人キャシーへの土産にしようか、一瞬悩んだゼロであったが、渡す前に自身のメンタルが維持できなさそうなので、却下した。

 ゼロは、蛇が苦手なのである。

「いらっしゃい」

 にこやかに、店の若女将サヤがゼロを出迎える。

「こんにちは、サヤさん。私は明日帰国しますので、今日はお土産を購入しにきました」

 紳士的な笑みを浮かべつつ、ゼロは言った。

「あら、もう帰っちゃうの? 残念だなあ……お客さんは、この辺りじゃ、もうすっかり有名なのに」

 目鼻立ちのはっきりした、整った顔のつくり。物腰の柔らかさ。スラリとした長身。

 そのどれもが、街の女性陣の目には魅力的に見えていた。

 自身が噂の的になっていることは、ゼロも知っていた。

 こういった話は尾ひれ背ひれがつき、駆け巡るのが早い。まして、さほど広くない街だ。

「ほんとうにありがたいことです」

 ゼロは、はにかんだような笑みを浮かべて言った。

 事実、外国から来たというだけで邪険にされる事例もあるのだ。

 もしそうなれば、毒草の解毒薬を手に入れるのも困難になってしまう。

 そうならなくて、本当に良かった。

「私の目的が達成できたのは、サヤさんはじめ、街の方々が私に親切にしてくださったからです。本当に、感謝しています」

「あぁ、いやいや、私はなんにもしてないから……それより、お土産は女性向け? 男性向け?」

「あ、両方です」

 ゼロは女主人キャシーとその娘二人にだけではなく、シェフや女中、それに医師にも土産を渡すつもりだ。

 ちなみに娘二人はまだ酒が飲める年齢ではない。

 その代わりに、装飾品など他のものを土産にしようとゼロは考えていた。

「なるほどね……女性向けなら、こっちのお酒がオススメだよ。瓶の色や形がお洒落なんだ」

 サヤが、棚に並べられた品々について説明を始める。ゼロは、その一つ一つに相槌を打った。

「ただいまぁ」

 そこへ、配達を終えた緋亜とアオが顔を出した。

「あっ、レ……ゼロ!」

 その姿に気がついた緋亜が、パッと笑顔になる。その後ろに立つアオの表情は、それとは対象的なものだった。

「こんにちは、緋亜さん」

 ゼロはにこっと微笑んで緋亜に挨拶した。

 彼女の後ろにいるアオに目線を移せば、睨み合いになってしまう気がした。

「土産選びか? ダガ酒なんか、面白くてオススメだぞ!」

 あのグロテスクな蛇酒が、面白い?

「あ、いいえ、家人は女性なので、こちらの小さいものにしようかと」

「そうかあ……それ、瓶の色がアオの肌の色と似てて、とてもキレイなんだ。それもいいと思う。で、いつ帰るんだ?」

「はい、明日の朝一番の船で帰ります」

 サヤに酒代を払い、ゼロは小瓶と中瓶数本を受け取る。

「そうか……ゼロ、私が言ったこと、絶対に忘れるなよ」

 緋亜は、真顔でジッとゼロの瞳を見つめた。

「はい……忘れません」

 ゼロは、緋亜の瞳をジッと見つめ返す。

 忘れようとも、忘れられない。きっと、それは一生涯続く。

「お元気で」

 そう言い、スッとゼロはアオの横を通り過ぎる。

 その後ろ姿をアオは横目で見送った。

 ゼロが店を出ると、その出入り口の真横にリンがちょこんと座っていた。

 昨夜見た時より、その体は二回り程小さくなっている。

 ゼロが緋亜やアオに余計なことを言わないか、心配でついてきたのだ。

 それを察し、ゼロはふっとリンに微笑みかけた。

 そして、くるりとゼロは踵を返す。

 小さくなっていくその背を、リンは見えなくなるまで見送り続けたのだった。


 年に数回、ある期間だけ島の周囲の潮目が変わる。

 それは、島の統治者である巫女王からあらかじめ島民に伝えられた。

 それを聞いた島民は、やがて波打ち際に寄せられるであろう難破船や、それに乗っていた人々の対応にあたる為の準備を進めるのだ。

 島周辺の潮の流れは、早くて勢いが強い。

 船は小型や中型が多く、その殆どが大破していた。

 同時に人が打ち上げられることもあったが、既に息絶えていることが多く、その場合、その場で即座に遺体は火葬される。

 島に病原菌等を蔓延させないための対処だった。

 もし仮に生存者があった場合、救助はするが、隔離部屋での対応となり、回復し次第、自国へ帰ることができるようにその為の船が用意されていた。

「あ……生きてる……」

 碧色の肌の色、金色の瞳と髪。

 この島の民全てが持つ、その特徴。

 それを持つ男は、すぐに周囲の仲間に手をあげて合図をした。

 生存者がいると。

 浜辺に打ち上げられた若い男は、ごく薄い赤銅色の肌に黒髪だった。まだ年若そうに見える。

 あの時と、一緒だ。

 男の体を仲間と共に担ぎあげながら、男は思い出していた。

 今から約三十年前のことだ。

 当時、今の巫女王はまだ姫巫女という立場だった。

 この島では、最高権力者である巫女王の娘で、次代の巫女王となることが決まっている者を『姫巫女』と呼ぶ。

 姫巫女には兄が一人いたが、代々島を守るための不思議な力はなぜか女児にのみ受け継がれていた。

 王の家系の女児にのみ、受け継がれていく力。

 それを絶やさない為に、生まれてすぐに伴侶となる相手が決められる。それは王家の遠縁の男児と決められていた。

 現在の巫女王の場合も同じである。結婚相手は、生まれてすぐに決められた、許嫁の男だ。その間には、一人の娘がいる。現姫巫女だ。

 血筋が脈々と受け継がれていることに、島民は安心している。

 だが、その実情を知る者は、胸中に焦りを抱いていた。

 その理由は、現在の姫巫女に島を守るための特別な力の発露が見られないからだ。

 未だに眠っているだけなのか、そもそも持っていないのか。

 巫女王の兄は、年々その苛立ちを募らせていた。

 しかし、島民はそれを知る由もない。

 介抱した甲斐あって、波打ち際に打ち上げられた青年は意識を取り戻した。

「鬼……ここは地獄か……」

 心配して覗き込む島民を、視認するやいなやの言葉である。

 いつものことだが……

 男は、そっとため息をつく。

 あまりに違いすぎる肌や瞳の色が、相手にそう思わせるのにはもう慣れっこだ。

 ただ、三十年前に助けた男は、違っていたが。

「神か……」

 そう、呟いだのだ。

「鬼だの、神だの」

 男は、青年にあたたかな食事を用意しながら苦笑する。

「おれたちは、お前たちとさしてかわらぬ、人間だぞ」

 誰に言うでもなく、呟く。

 それを、そうと理解する者もいれば、島から送り出すその時まで、ずっとよそよそしい態度をとる者もいた。

 島民側からすれば、生きて再び自国に戻ってくれさえすれば、なんでも良かったが。

「あの男はよく笑って、よく喋っていたよな……賑やかで、なんだか楽しいやつだったな……」

 確か、あの男はケイと名乗っていた。

 この島を出て行ってから、もう三十年も経つというのに、その存在感は色褪せない。

 黒い瞳をキラキラさせ、眩しく感じられるその笑顔で人を魅了する、不思議な若者だった。歳は、二十五くらいだったと思う。

 男の事を『鬼』と呼んだ青年は、無言で出された食事に手をつける。

 毒が入っているのではないか、などと疑う余裕すらないのだろう。

 そんな青年の姿を見、男はホッとしていた。

 この様子なら、数日で島から見送ることができそうだった。


 姫巫女は、自分に王位を継ぐ為の力がないことを知っていた。

 気がついたのは、もう何年も昔のことだ。

 彼女は、巫女王の娘ではない。

 父は巫女王の夫だったが、母は自分を育てた乳母だった。

 その事実を、姫巫女は幼い頃に乳母自身から聞いていた。

 愛おしい我が娘に、出自のことで苦しんでほしくなかったからだ。

 ただ、絶対に他言しないようにと念を押された。

 そして、同時にもう一つの秘密を知ることになる。

 自分と同時期に生まれた、女児の事だ。

 彼女は、巫女王と島外の者との間に生まれたのだという。

 狭くはないが、自由のない座敷牢で彼女は生活していた。

 姫巫女は、人目を忍んで彼女に会いに行った。

 自らの素性、つまり次期王位を継ぐことになる立場であることを、姫巫女は一番はじめにそっと彼女に伝えていた。

 牢の中の彼女の手首には、玉飾りがあった。

 王位を継ぐ者は、三本の玉飾りを与えられる。

 自身用の、青い紐のもの。

 伴侶となる夫用の、赤い紐のもの。

 そして、次期巫女王となる、娘に継がれていく金色の紐のもの。

 幼い姫巫女の手首には、既に三本の玉飾りがあった。

 そして、座敷牢の少女の手首には、青い紐の玉飾りがあったのだ。

 巫女王のものだ。

 姫巫女は、ハッとした。

 どこかに落としたのか、なくしてしまったのよ。

 巫女王は優しく微笑んで、姫巫女にそう説明していた。

 その手首には、紋章が刻まれた玉飾りは一つもなかった。

 きょとん、としている少女の玉飾りをよく見せてもらったが、間違いなくそこには王家の紋章が彫られていた。

「これは、あなたの出自を示すものだから、大事にしてね」

 姫巫女は、少女に言った。

 少女は黙って頷いた。

 本来、金色の紐の玉飾りも、彼女が持つべきなのに。

 姫巫女の心には、年を追うごとに重たいなにかが積もっていったのだった。


「そうですか……それは良かった」

 おだやかな笑みを浮かべ、巫女王は言った。

 浜に打ち上げられた島外の生存者がおり、数日で島から送り出せそうである、との報告を受けての言葉だった。

 巫女王は、重暗い海の彼方を見やる。

 強い潮風が、巫女王の艷やかな金色の髪を乱し、過ぎ去っていく。

 巫女王の瞳には、灰色の海と空とが映っていたが、脳裏には一人の男の面影が映っていた。

 ケイ……

 三十年前、初めて出会った島外の若者。

 島外の者と接近する機会は、王族には滅多にない。

 免疫のないウィルスなどに感染しては、島の存続に関わるからだ。

 その当時姫巫女だった巫女王も、意識を取り戻し順調に回復していくケイに会う予定などなかった。

 二人が出遭ったのは、単なる偶然である。

 好奇心旺盛だったケイは、介抱した島の民の目を盗んで部屋を抜け出し、島内をあちこち探検して回っていた。

 そんなある日のことだ。

「誰?」

 その場所は、あまり自由のない姫巫女の、心安らげる場所の一つだった。

 黄色い花が、辺り一面に咲き誇り、たいそう美しかった。

 しかし、ケイの瞳には花など入っていない。

 まさしく、一目惚れ、という状態だった。

「おれは、ケイ……こないだ、乗っていた船が沈んで、この島に流れ着いたんだ……みんな、親切にしてくれて……いい人ばかりだ」

 胸をときめかせながら、ケイは笑顔で姫巫女に言った。

「そうですか……お元気になられて良かった。早く、故郷に帰れるといいですね」

 にこりと微笑んで、姫巫女は言った。

 ケイは、彼女が島民より上等の衣服を着ていることや、彼女自身から滲み出す気品に気がついた。

「あんたは……この国の姫さんか?」

「そう見えますか?」

 ふと、姫巫女はケイから灰色の海原と空に視線を移した。

「確かに、私はこの国の王の跡を継ぐ者ですが……同時に、私はただの、一人の娘に過ぎません」

 その言葉に、ケイは息を飲んだ。

「決められた役目、決められた相手との結婚、何もかもが、既に決められている……私の気持ちは、どこにも入る隙間がない……あ、不満があるわけではないのです。ただ、たまに、少し息苦しくなって……」

 ゆったりとした口調で言い姫巫女が振り返ると、すぐ近くにケイが立っていて、姫巫女は驚きのあまり手にしていた花を落とした。

 いくつもの黄色い花びらが、ひらひらと潮風に乗って流れていく。

 きらきらと光り輝く黒い瞳。人懐っこい笑顔。

 一瞬、姫巫女はケイに引き込まれた。

「おれと、一緒になってくれないか!」

 ケイは、気づいたら叫んでいた。

 姫巫女は、目を見開いた。

 そして、抱き寄せられる。

 なぜか、抗いたいと思えなかった。

 ケイの気迫に、押されていたのかもしれない。

「私は……この島の姫巫女……あなたと、一緒に生きていくのは、無理です」

 囁くように、姫巫女は言った。

 それは、ケイにもわかっていた。

「ならば……一人の男として、一人の娘さんにおれは言う」

 惚れた。おれの生涯、ただ一度の恋だ、と。

 姫巫女は、思わず吹き出した。

「あなたの人生は、まだこの先も続くじゃありませんか」

「続くかどうかは、わからん」

 真剣な表情のケイに、姫巫女はハッとする。

「現に、おれは死にかけた。この島の人が助けてくれなかったら、とっくにお陀仏だ。だから、おれは今やりたいことはやるし、言いたいことは言う。あんたが、この島の姫さんだろうが、そんなこと関係ない……惚れたもん負け、ってやつだ」

「……」

 あまりにも、ケイはまっすぐすぎた。

 こんなに熱い思いを向けられたことなど、姫巫女は生まれてこの方、経験がない。

 そこに、姫巫女は人間の底力を見た気がした。

 すごいな、人間とは……

 姫巫女は、自身も人間であるというのを忘れていたような気がしていた。

 人、というより、神の代理、として見られてきたからだ。

 今だけ、今だけなら……人になっても……許されるだろうか……

 姫巫女は、そう思っていた。

 この先、この人と共に生きることは、絶対に叶わない。それは、おそらくケイもわかっている。だが、理屈ではないのだ。

 姫巫女は、ケイに体を預けた。

 姫巫女が、ケイにとって人生ただ一度の恋だったように。

 ケイは、姫巫女にとって、その人生ただ一度の恋だった。

 そして、二人の関係は程なくして姫巫女の兄の知るところになる。

 怒り心頭の兄に気がつき、兄が手を下すより先に、姫巫女はケイが島から脱出できるように、こっそり手配した。

 暗闇の中、船を漕ぎ出し、ケイは後ろを振り返った。

 生きている内に、姫巫女に会うことはもう二度とないだろう。

 どうか、幸せに……

 ケイはただそれだけを願い、前を向いた。

 その手首には、最期の別れ際に姫巫女から渡された、赤い紐の玉飾りがあった。

 私の心は、あなたと共にある……

 それは、姫巫女の思いそのものであった。


 姫巫女は、その後巫女王になった。

 そして許嫁だった男と結婚する。

 が、その夫は婚姻の儀式の前に、妻となる巫女王だけの前で土下座した。

 そして、涙ながらに言ったのだ。

「私には、他に心から愛する者がいるのです」

 と。

 巫女王は、その姿にホッとしたものを感じていた。

 そして、その手をとり、いたずらっぽく微笑む。

「奇遇ですね、私もです」

 ハッ、と夫はまじまじと巫女王の顔を見た。

「この話は、私とあなただけの秘密です。私は……その方との子を身籠っています」

「なんと……」

「その方は、この島の民ではありません。もう既に、この島から出ていっています。これは、私の勝手なお願いです。この子を私とあなたの子として、育てたい」

 巫女王は、そう言うと、夫に向かって深々と頭を下げた。

「……わかりました」

 その様に、夫は巫女王の申し出を承諾した。

 だがその後すぐ、夫の愛人が身篭っていることが判明する。

 巫女王は迷った末、自身の子を日陰で育て、夫の愛人を乳母として迎え入れ、彼女の子を巫女王と夫との子として育てると決めた。

 いずれ、自由に生きて欲しい。

 巫女王は、己が娘にそう願いを込めていた。

 乳母の子は、遠縁ながら王族の血をひく夫の血が入っている。

 もしかしたら、島を守るための力を有しているかもしれない。

 しかし、現実は厳しかった。

 自分の跡目を継がせるには、姫巫女は力が足りない。

 それに対し、世襲に厳しい兄もキリキリしている。

 座敷牢から出た、実の娘。

 名前すら贈らなかった、それでも最愛の娘だ。

 今頃、どうしているだろうか。

 巫女王は、思いを馳せる。

 海原を超えた地に生きる、アオに向けて。 

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