第12話 異国にて
強い潮風がデッキを吹き抜け、荒々しい波しぶきが船体に当たっては船を揺らす。
その揺れは、かなり激しい。
慣れない者は、気分を悪くするだろう。
大型客船がゼロの住む国を出立してから、丸二日ほどが経過していた。
ゼロの目的地にたどり着くには、この船の到着地点である大陸から、さらに小型船に乗り換える必要があった。
「これは……想像以上でした……」
ゼロは酔い止めの薬を大量に持参してきて良かったと、心の底から思っていた。
ゼロは目的地の島国のおおよその言語を、短期間でマスターした。さらに書店をはしごしてガイドブックを探し出し、その内容をあらかた頭にたたきこんでから船に乗り込んだ。
船旅の最中はさぞかし暇だろう。
そう考えてゼロはガイドブックを船内に持ち込んでいたのだが。現実は、あまりの船の揺れに書物を開こうという気さえ起きなかった。
「ざまあないな」
そんなゼロを嘲け笑う天使が、船の揺れ以上にゼロの神経を逆なでする。
「……なんであなたがここにいるんですか……暇なんですか」
若干の船酔いのせいで、ゼロの嫌味な台詞にいつものキレがない。
それが天使は可笑しくて仕方がないのだ。
「あの時のお前の演技には笑えたわ!」
そう言い、ケラケラと天使は笑った。
「何度、同じことを言うのか……」
ピクリとゼロのこめかみが震える。
天使の言う“あの時”とは、ゼロが今向かっている島国産の茶を、家人の娘エリーとアニーに淹れた時の事だ。
「お前が毒を盛ったとも知らずに……」
ゼロはあの場で、アレルギーの原因を探ると女主人キャシーと医師に言った。だが事実は、エリーとアニーが起こしたのは食物アレルギーではなく、ゼロがお茶に仕込んだ毒薬による中毒だった。
「お嬢様が心配か? ゼロ?」
わざとらしく言い、天使はニィと淡い水色の瞳を歪める。
「そんな気持ちなど、お前は一ミリも持っていないくせに!」
この大嘘つきめ、と天使は再び声を上げて笑った。
「なにが、そんなにおかしいんですか」
ゼロは忌々しげに天使を睨みつけた。
「大体、盗み見……いつもしていますよね……偉大なる天使のすることですか、いやらしい」
「ふん、なんとでも言うがいい。こちらも娯楽に飢えているのだ、あんな仕事ばかりでは息が詰まる」
「あなたを楽しませるために、こちらは生きているわけじゃないんですよ……もう、帰ってください」
シッシッとゼロは手で天使を追い払った。
「そうは言うがな、お前……」
なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべ、天使は言う。
「あの女主人からもらった暇は十日だろう。船に乗っていなければならない日数は、往復で約六日。差し引き、向こうでの行動可能日数は四日しかない」
天使の言葉に、ゼロは押し黙った。
「小さな島国とはいえ、その中からたった一人を見つけ出すのは時間がかかるだろう?」
「……ヒントはありますよ……ガイドに、書かれていました」
「ヒント?」
天使は首を傾げる。
「あの国に伝わる、言い伝えですよ」
面倒そうにゼロは天使の問いに答えた。
「面白い国です……龍神の加護を受けているとか……」
「あぁ、あの五本の爪の話か」
思い出したように天使が言った。
遥か昔島を沈めようとしたバケモノを、龍がその爪を立て島の地下深くに抑え込んだ、という話だ。
「島には五本柱と呼ばれる者がいて、今もその龍の爪を守っているのだとか。あなたがスカウトしたのは、その内の一人なのではないですか?」
チッ、と天使は舌打ちした。
「そして、火の精霊躁術力が強い少女、という特徴があれば見つけるのにそう時間はかからないのではないかと思っています」
「なんだ、つまらん!」
言い、天使はそっぽを向いた。
「せっかく、お前をあの小娘の住む小屋に案内してやろうと思ったが、やめだ!」
「妙ですね……なぜあなたが、私にそこまで親切にするんですか?」
絶対になにか裏があると、ゼロは踏んだ。
「お前もあの小娘に『なんでこの仕事をしているのか』と聞かれるだろうよ……その時の、お前の面が見たいのだ」
ニヤニヤと笑いながら、天使は言った。
「帰れ!」
いらっとしながら、ゼロは言い放つ。
「さあ、帰るか帰らないか、見物するかしないか、どうしたもんかなあ?」
そんなゼロの苛立ちを弄ぶかのように、天使はふらふらと宙をさまよう。
今後しばらくは、銃の指南役を勤めることがあっても、絶対に使わないよう仮契約の使用者に全力で伝えよう。
そう心に固く誓うゼロであった。
大型船の終着地点である東の大陸から、小型船に乗り換えて約四時間。
ゼロは、ようやく目的地である島国にたどり着いていた。
初めて降り立つ島国には、のんびりとした雰囲気と嗅いだことのない草花の放つ香りが漂っている。
人気は、さほど多くはない。
ガイドブックが刊行されてはいるが、有名な観光地というほどではないのだ。
港には、漁舟と見られる小さな船がいくつか停泊している。
ゼロは船のチケットを担当者に渡し、そのまま滞在許可証を受け取った。
観光用の滞在許可証には、十日後の日付が記されている。
それは島に滞在できる最長の日付であったが、この日まで島にいては、女主人キャシーとの約束を破ることになってしまう。
あの草の解毒薬も探さなくてはならないし……薬屋……宿屋……
ゼロは、ガイドブックを開き、とりあえず街に出ることにした。
道行く人々が、ゼロをジロジロと眺めて通り過ぎる。中には、気軽に声をかけてくる者もいた。
ゼロはいつもの執事服ではなく私服を身に着けていた。落ち着いたブラウンを基調としたものだ。だが、明らかに島民のものとはデザインが違うし、背丈は島の住民より高く、その顔の造りは目鼻立ちがハッキリしている。
つまり、非常に目立つのだ。
「この島じゃ、お客さんみたいな国の人は、珍しいからね! 観光地って言うほど、ここはさほど珍しいものがあるわけじゃないし」
食事を採ろうと立ち寄った食堂で、五十歳代と思しき女将が言った。
注文時に、ゼロがこの国の言葉を理解し、話すことができることを伝えてある。
ゼロは、宿屋と薬屋の所在地を聞いた後に、例の少女のことを聞いてみた。
「ああ、知ってるよ! 緋亜ちゃんのことだね、そりゃあ」
ゼロの問いに、女将は応えた。
「この街の酒屋で働いてるよ。緋亜ちゃんは国の五本柱だからさ、国からたくさん報酬もらってるだろうに、質素な暮らししててさ。おまけに酒屋で働いてるんだよ。いやあ、私だったら働かないけどねぇ」
ペラペラと女将は言う。
「ところでお客さん、なんで緋亜ちゃんの事知ってんの? 有名なのかい、あの子?」
怪訝そうに女将はゼロに問う。
「いえ、そういうわけでは……単に、この国の言い伝えに興味がありまして」
「あぁ、そう……まあ、あの子の特技、ちっと変わってるから、見世物になるっちゃなるんだろうけどさ」
今ひとつ腑に落ちない表情を浮かべつつも、女将はゼロに説明した。
「特技?」
「そっ。火起こし。なあんにもないのに、火を炊けるんだよ。そりゃ簡単に竈に火を入れられて便利だけどさ、ちょっと怖いよねぇ」
微かに眉根を寄せて言う女将の言葉に、ゼロは真顔で口をつぐんだ。
とその時、ガラガラと店の戸が開き新たな客が入ってきた。
女将はさっと立ち上がり、笑顔でその客の元に向かっていく。
怖い、か……自分にないものを持っていると、人はそう思うんだよな……
ゼロとて、普通の人間はしないような仕事をしている。それを知られたら、どんな目で見られるかわかったものではない。
ゼロはそんな事を考えながら食事を終え、代金を払うと店を出た。
とりあえず、数日分の宿を確保しなければならない。
先程の女将が、いくつかのおすすめの宿屋の場所を紙片に書いてくれていた。
それに視線を落としながら歩いていると、不意にドンと腹部に衝撃が走る。
人とぶつかったのだ。
「あっ、すみません」
即座に、ゼロは謝罪を口にした。
ぶつかってしまったのは、どうやら少女のようだ。
この島の住民の多くがそうなように、この少女の髪も黒髪だった。
だがゼロには、陽の光の加減か一瞬そこに緋色が見えた気がしていた。
少女は、ゼロの真ん前でじっと立ち止まっている。
「あ……どこか、痛みでも……」
言いかけた、ゼロの動きが止まる。
そこには、少女の大きな丸い瞳があった。
なにかに心を射抜かれたような、そんな衝撃がゼロの体を駆け抜ける。
単に、視線があっただけだというのに、だ。
「……お前、よく今まで生きてきたな」
少女が、ゼロの瞳をじっと見つめながら呟いた。
「え?」
その言葉に気を取られている内に、少女はゼロの脇をすり抜けて走り出していた。
「緋亜さーんっ、早く!」
と、遠くから少女の名を呼ぶ声が聞こえた。
「あの子が、緋亜……」
遠ざかる小さな背中を、ゼロは見送った。
よく今まで、生きてきたな……
緋亜という少女が、出会い頭に呟いた言葉がズキズキとゼロの胸に響いた。
まるで、今までのゼロの過去を全て、見透かしたような……
ゼロは無意識に、先程少女にぶつかった腹に手を当てていた。
落ち着け、大丈夫だ、大丈夫……
そして、そっと深呼吸を繰り返す。
彼女と話をしたい。いや、しなければならない。
ゼロは再び歩き始めながら、辛抱強くその時を待った。
「なんで逃げるんだ?」
はあはあと切れた息を整えながら、緋亜は同じように息を切らしている男に聞いた。
男は緋亜とアオから逃げ続けていたが、終いには追いつかれてしまい、観念したかのように座り込んだ。
「あーあ、逃げられなかったかぁ」
息を整えながら、男は天を仰いだ。
「おい、人の話を聞いているのか!」
先に男を追い詰めていた、異国の島の娘アオが男に詰め寄る。
「き、聞いてるよ」
アオの剣幕に、男はタジタジとなった。
「酒代、先月分のやつ払って!」
緋亜は、男の目の前に紙片を突きだす。男は、そうっとそれを受け取った。
「博打ですっちゃったんだよなぁ……あの時勝ってたら、余裕で払えたんだけどなぁ」
男はボソボソと言い訳を言い始める。
「お前は、父とと同じか!」
はぁと大きなため息を吐いて、緋亜は呆れたように男に向かって叫んだ。
「うっ、ケ、ケイさんだってオレと似たようなもんだったろ……だから、ここは一つ見逃してまた来月……」
愛想笑いを浮かべながら、男は緋亜に言った。
男は緋亜の育ての親であるケイを知っている。既に故人であることもだ。
「なに言ってるんだ! だからって見逃すわけないだろう!」
アオが往生際の悪い男に縄を示しながら言った。
「これ以上逃げるなら、これで縛り上げる!」
キッとアオは男を睨みつけた。途端に、男が真っ青になる。
「わ、わかった! 払う、払うよ!」
たまらず、男は叫んだ。
「よし!」
アオは真顔に戻り、縄を元のようにしまい込む。その様に、男はホッと胸をなでおろした。
「アオはとっても力持ちだから、縛られたら体の中身が飛び出しちゃうかもしれんしな」
にこりと笑って言う緋亜の言葉に、男は更に青ざめた。
男が二人がかりで運ぶような大きな酒瓶を、アオは一人で軽々と持ち運びしている。その様子を、男は何度も見かけて知っていた。
「すまねえが、三回払いにしてくれるか?」
渋々懐から財布を取り出しながら、男は懇願する。
「ちゃんと支払うとこの紙に書け。もちろんサインも入れてな。あと、三回払いじゃなくて二回払いだぞ。またサヤ姉のとこの、うまい酒飲みたいだろ?」
緋亜は懐から紙とペンを取り出しながら言った。
「ちぇ、わかったよ」
男はがくりと肩を落とし、紙片に文言と名前、金額を書いた。
緋亜は男から金を受け取り、その写しを男に渡す。
やれやれ、と仕事に戻っていく男の背を見送り、アオは言った。
「さっき緋亜さんがぶつかった男は、外国の民でしたね」
アオが言う男とは、先程街中で緋亜と正面衝突した男のことだ。
「うん。遠くから見たのに、よくわかったな?」
アオの金色の瞳を見上げ、緋亜は笑顔を向けた。
「はい、あの男は私と同じように背が高かったから……それに、あの服装はこの街では見たことがないです」
「なるほど、そっか……あの人はね、私のお客さんなんだよ」
「そうなんですか?」
微かに眉根を寄せるアオの言葉に、緋亜は力強く頷いた。
「いろいろと話さねばならんぞ! 私には、あの人に言いたいことがたくさんあるんだ!」
すっかり意気込んでいる緋亜に、アオは額を曇らせて口をつぐんだ。
「大丈夫だよ、アオ。危なくないから、心配しないで」
自分を心配する素振りを見せるアオに、緋亜はにこりと微笑んでみせる。
「……はい……」
確かに、もし緋亜の身に危険が及んだとしても、彼女には火の精霊操術がある。逆に相手の方が被害を被るだろう。
しかしそれがわかっていても、アオの心の隅には嫌な予感が引っかかって離れなかったのだった。
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