第6話 客

 働き者のアリの大軍が、長い列を成している。

 その様を、背を丸めてしゃがみ込み、じぃっと見つめ続ける男がいた。

「……ほんとに好きだねぇ……なにが楽しいのかねぇ……ただ、アリが歩いてるだけなのに」

 庭の手入れを担当している初老の男が、ぽつりと呟いた。

 彼は、この家の若き執事が、アリの行列や苔や壁のひび割れなどをじっと見つめるのが好きなことを知っている。

「落ち着くから」

 というのが執事本人の言い分だが、その気持ちを理解できる者は、この屋敷には存在しない。

 試しにこの執事と同じように、アリの行列や壁のひび割れを見つめてみたが、庭の手入れ担当の男には、やはりそこに安心感を見出すことはできなかった。

「わしゃあ、庭いじりが一番さ」

 鼻歌を歌いながら、手に馴染んだ刈り込みバサミで、伸びた枝葉を切っていく。

 平和で穏やかな、昼さがりのひとときであった。

 長女アニーと次女エリーはスクール、女主人キャシーは同じ地位の女友達とサロンでお茶会だ。

 ゼロにとっては、数少ない心休まる時間だった。

 だが、そんな心の平穏は、いとも簡単に邪魔されてしまう。

 丸まったゼロの背が、微かにピクリと震えた。

「……やれやれ……お客様ですか……」

 そう呟くと、ゼロは立ち上がって背後を振り返った。

 その視線の先には、半透明、つまり幽体状態の男の子がいた。

 四種類の精霊の力と、そこら中にあるあらゆる物質を弾丸とする、幻の拳銃と呼ばれているもの。

 それを使わせようとする天使と仮契約を結び、指南役であるゼロの元に、少年の幽体は飛ばされてきたのだった。

 見たところ、歳の頃は、十ほどだろうか。

 怯えたような、困惑したような表情をしている。

「ようこそ」

 欲しいものを手に入れるために交わした、天使との契約を守り、その役目を遂行する。

 ゼロは、うっすらと笑みを浮かべて少年に近づいていった。

 自分に向かって歩いてくるのだ、と気がついた少年は、ビクリと体を震わせて後ずさりする。

「……ここから逃げて、あなたはどうするんですか?」

 ニヤリと笑みを浮かべて、ゼロは問う。

「打ち壊したい現実から、逃げずに戦うために、あの銃を手にすることを選んだのでしょう、あなたは」

 その言葉に、少年はハッとしたような表情になる。

 そうだ。そうだった。

「ぼ、僕は……」

 言いかける少年に、シッとゼロは口元に人差し指を当てた。

「私の名はゼロ。この屋敷の、執事をしています。つまり、あなたにあの銃の使い方などを教えるということは、私にとって余計な仕事が増える、ということです。私の言っている意味が、わかりますか」

 つまり、少年の幽体が長居することは、ゼロにとって迷惑だということだ。

「あっ、はい……すみません」

 少年は、申し訳なさと気まずさの入り混じった、複雑な表情を浮かべた。

「わかってくだされば、けっこうです。あなたは、賢そうですので、あまり多くを伝えずとも良さそうですね。いいですか、私はあなたに、必要最低限の事のみを伝えます。その後の判断は、あなた自身がすることですので、ご自由にどうぞ」

 ゼロの言葉に、少年は真剣な表情で頷いた。

 では、と、ゼロは懐から拳銃を取り出す。

 指南役を引き受けたと同時に、天使が置いていったものだ。

「まずは、実例をお見せします。この銃の上部を、このように、スライドさせます」

 言いながら、ゼロは右手の白手袋を外し、傍らの雑巾を無造作に掴んだ。

 びちゃびちゃと水がしたたる雑巾を、スライド部分に押し込む。

 すっごく、はみ出してるけど!

 少年は、ゼロの行動に目をパチクリさせている。

 あの銃、錆びないのかな……錆びるよね……だって、金属だもの。

 ゼロは無言のまま、青色に光るパネルのボタンを押し、その銃口を数メートル先の柱に向けた。

 そして、引き金をひく。

 パン、と乾いた音がした。

「見てください」

 ゼロに促され、少年は柱に突き刺さったそれを見た。

 凍ってる……さっきの、びしょびしょの雑巾が……な、なんで……

 柱に深くめり込んだそれは、先程ゼロが無造作に銃に突っ込んだ、びしょ濡れの雑巾だった。

「周りの水分が凍った為に強度が上がり、雑巾が殺傷能力を持つわけです。これが柱ではなく、人や動物に向けられたら、どうなるか……賢いあなたなら、おわかりですね」

 ゼロの冷たい声音に、少年はゾッとした。

「なぜ雑巾が凍ったのか……それは、この中にいる精霊が、私の脳内のイメージを読み取り、それを実行したからです」

 トン、とゼロは銃身を指し示した。

「精霊とは、自然界に存在するエネルギー体の事ですが、そこいらのものに、こんな芸当はできません。この銃の中に閉じ込められている精霊は、特別なものなのです」

 閉じ込め……られている……特別な精霊?

「ここに、四つのボタンがあります。先程、私が押したのは青いボタン。水の精霊に、言うことを聞かせる為のボタンです」

 言うことを……聞かせる……

「あなたが私のところに飛ばされてきた、ということは、あなたは水の精霊と相性が良いということです。ちなみに、精霊に言うことを聞かせる為のコツは、しっかりと脅すことです」

 ジッとゼロは少年の瞳を見つめた。

 なぜだろう……怖い、この人……

 それに、と少年は思う。精霊を脅すなど、とても自分にはできそうもない。

「……コツは、他にもあります。お願いしたりとか、ね」

 あ、お願いなら、自分にもできそう。

「ただし、それは向こうとの信頼関係が、しっかり出来上がっていないとできません。基本、彼ら精霊は、私達人間を見下していますからね」

 え、見下されてるの……なんか……イメージと違う……

 少年がこれまでに読んだ本にも、精霊が出てくるシーンがあった。

 そこに登場していた精霊は、小さくて、可愛らしいイメージのものばかりだったのだが。

「まあ、あとは慣れですね。そして、精霊を従わせるのと同じ位大事なのは、銃の使用後のイメージを確立することです」

 イメージ?

「先程の例でいえば、びしょ濡れの雑巾を凍らせて、柱に突き刺す、というイメージです。ちなみに、この銃は金属や木でできていないので、なにを入れても大丈夫ですよ」

 え……じゃあ、一体なにでできてるの、この銃……

「信じるか信じないかはあなた次第ですが、創造の力を持った神が、この銃と、銃の中身である精霊を作ったそうですよ。先程、この中の精霊は特別だと言ったのは、そういうことです。そして、この銃を使うことができるのは、私達人間だけ。なぜなら、これを造った神は、私達人間が戦争を起こすことを、とても楽しみにしているからです」

 悪趣味でしょう?

 と、ゼロは少年に微笑みかけた。

 僕は……争い事を、起こしたいわけじゃない……

 少年は、俯いた。

「使い方の説明に戻りましょう。私は先程、濡れた雑巾を装填しましたが、なにも装填しなくても空気中の塵などが弾丸になりますから、大丈夫です。大切なのはイメージですから」

 イメージ……僕は……なにを、どうしたいんだろう……

「どうですか、使えそうですか?」

 ゼロは、俯いたままの少年に問うた。

「……これは、私の持論ですが……目の前の現実を変える為に、これを使うのはお勧めできません。これは、紛れもない武器です。銃口を向けた相手に、傷を負わせるものです」

 それは……わかっている……わかっているけど……

「壁を破りたい時にお勧めすることは、三つあります」

 言い、ゼロは指を三本立てた。

「一つ、栄養のある食べものをバランスよくとり、よく眠り、よく朝日を浴び、よく体を動かすこと」

 一つ、指を折り曲げる。

「次に、余計な情報は全てゴミ箱へ捨てる。あなたを成長させない、不快にする情報は、すべてゴミです。即、ゴミ箱に捨てること」

 もう一つ、指を折り曲げる。

「三つめ。逃げるということは、それまでと違う道を選択する、ということに過ぎない。選択した道が、違っていると感じたら、立ち止まって考え、また違う道を選んでもいい」

 少年は、まじまじとゼロを見た。

「この銃を使うか、使わないかは、まだ選択することができます。天使との契約書を、破れば良いだけですから」

 精霊を脅したりして銃を使うより、自分ができそうなことを、もう少しだけ考えてみようか。

「最後に一つ伝えておきますが、あなたにこの銃を使う事を勧めてきたアレは、天使に見えたかもしれませんが、中身は悪魔です」

 え……あんなに、神々しくて、優しいひとが?

「あなたから、自分で考える力を奪おうとする者は、天使であれ神であれ、悪魔と同じです。騙されてはいけませんよ。時間をかけ、落ちついて、よく考えるんです」 

 わかりましたね?

 ゼロは、少年の瞳をジッと見つめた。

 ちょっと怖いけど……このお兄さんの言うこと……もう少し、考えてみようかな……

 少年の中のゆらぎに、ゼロは口元をゆるめた。

「さあ、戻って、破いてきなさい」

 あの、悪魔との契約書を。

 少年は頷き、その姿は霧のように消えた。元の肉体に戻ったのだ。

 さあ、これは後が楽しみだ。

 今から、怒りにわなわなと身を震わせる天使の姿が想像できる。

 悪趣味な執事は、足取りも軽く本来の執事業へと戻って行ったのだった。

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