第4話 指南役
深く濃い樹木の香りと小鳥のさえずり。
風にゆれる木々の葉が、ザワザワとこすれる音。
そのどれもが美しく、じんわりと身にしみていくような気がした。
天使に飛ばされた先のここが、どこの森なのかゼロには皆目見当もつかなかった。
ただ、ここの空気はとても澄んでいて、心地よい場所だということだけはわかった。
ざわりと空気が動き、人の気配がした。
「いらっしゃい」
おだやかな口調で声をかけられ、ゼロは声の主を振り返った。
深いグリーンの瞳と、白く豊かな髪と口ひげ。
声や肌の張りから、高齢ではなく壮年だとわかる。
この森がよく似合う、優しげな雰囲気の男だった。
「私の姿が見えるんですね……生霊のようなものなのでしょうが、霊感のない人には私の姿は見えないのでしょう?」
ゼロの問いに、男は優しく微笑んだ。
「天使は、その話を君にしなかったんだね。まずは、自己紹介をしよう。私の名はカイだ。水の係、と天使に呼ばれている。水の精霊躁術の力を持つ者だよ。生まれつき、ね」
「はじめまして、私の名はゼロです。霊が見えるのも、生まれつきなのですか?」
ゼロの問いに、カイと名乗った男は首を左右に振った。
「いいや。私が見たり、コンタクトをとれるのは、天使が仮契約した使用者か、君のような指南役の契約直後の魂だけだよ。そして君も、これから私のようにそれらが見えるようになるんだ」
「なるほど……天使と契約してから、体質が変わったということですか」
ゼロの言葉に、カイは頷いた。
「それから、私がここに来ることをご存知だったようですが……随分と、話が伝わるのが早いんですね」
「あぁ、彼らと契約を結ぶと、思念伝達が可能になるんだよ。ただし、向こうが望んだ時のみだけど」
つまり、思念伝達は一方通行ということだ。
「一つ、確認しておきたいことがあります。この会話は、向こう側には筒抜けなんでしょうか」
ゼロはカイに問うた。
ゼロの言う向こうとは、天使側という意味だ。
「うん……どうだろうか……それは、わからないな」
カイは正直に言った。
「なにせ、彼らは人じゃないからね。私達の知らないところで、私達の知らない能力を、どう使っているかは……謎だ」
「そうですね……バカ正直に、こちらに能力をひけらかすマネなど、しないですよね」
ということは、この会話における言葉選びは、慎重にしなければならないということだ。
「私はこの森で、一人で住んでいる。君はその服装から察するに、良いところの執事といったところかな?」
「お察しの通り、私はとあるお屋敷で執事の仕事をしています。というわけで、割とやることがあって忙しいのです。大変申し訳ないのですが、銃についての説明はできるだけ手短にお願い致します」
ゼロの淡々とした説明に、なるほどね、とカイは頷いた。
「では、早速始めよう。まずは、この銃の成り立ちからだ」
カイは懐から、例の拳銃を取り出した。
天使がゼロに見せたものと、まったく同じものだった。
「まずは、この銃の素材だけれどね。火にかけても燃えないし、溶けもしない。どんなに強い力をかけても、壊れないし、傷一つつかない」
なぜなら、とカイは続ける。
「人の世に存在しない素材ばかりで、作られているからだ。この銃はね、創造の力を持った神が戯れで作ったものなんだよ。そして我々人間にのみ、これを使う事を許した。だから、天使に指南役はできない。神がこれを作った目的は、我々人同士の争いごとを神が天上で楽しむ為だよ」
「非常に悪趣味ですね」
けして他人のことを言えない趣味を持つ、ゼロが言った。
「我々がいくら傷つこうが、飢えようが、神は何一つ困らないからね。むしろ、楽しいばかりなんだろう」
カイは苦笑した。
「次は、仕組みについてだ。人が作った銃は、火薬が詰まった弾丸を使って、弾を的に命中させるものだけど。その前に、君は精霊のシステムを理解しているかい? それと、君自身の能力」
「水がどう、とかいうやつですか」
「そう。この銃の弾丸は、火薬ではなく精霊のエネルギーとそこらにある物質全てだ」
水、火、風、土。
四種の精霊、自然のエネルギー。
水は火に強く、火は風に強く、風は土に強く、土は水に強い。
「この関係性は、重要だからね。よく覚えておいて。この銃身部分に、その精霊エネルギーが込められているんだけど」
銃には、四つのボタンがついているパネルがあった。
ボタンの色は、青、赤、緑、黃の四色だ。
「ここに押しボタンが四つついているが、使用者に合ったものしか使えない。私は水、君も水だから、青のボタンを使う。押すというより、触れて思念を送るんだ」
「思念、ですか」
「そう。ここに無理やり閉じ込められている精霊はね、そこらのものではないんだ。神の箱庭で育成された特別なもの」
「だから、こちらの思念を読み取る事ができると」
「そうだ。そして、それを瞬時に具現化する。ここに媒体となるものを入れる。なにもいれなくても、空気中の塵などが弾となる」
カイは、銃の上部の蓋を開いて見せた。スライド式になっている。
「具体例を見せよう」
言い、カイは足元の小石を上部に入れ、数十メートル先の木の幹に銃口を向けた。
パネルの青いボタンが光り、カイはそれに触れ、引き金を引いた。
パン、と乾いた音がした瞬間、木の幹に風穴が空く。
それは、直径十センチほどの空洞だった。
「肝心なのは、想像力。どんな結果を望んでいるのか、はっきりと頭に描くこと。あとは、精霊との関係をどう築くか」
「関係?」
「そう、ここでさっき言った、君の能力がキーポイントとなる。もちろん、私も君と似たような者だから、指南役として声をかけられてるんだけど……私達には、あらかじめ精霊を従える能力が備わってる……立場で言えば、神官とか巫女とか、そういった神職の末裔なんだと思う」
言われ、ゼロの脳裏に浮かぶのは母の顔だ。
ゼロの母は、父と結婚し引退するまでは、国仕えの巫女だった。
「そうですか……なるほど、気がつきませんでした」
「気がつくきっかけがなければ……発動する機会も使う機会もなく、墓場までもっていく。力とは、そういうものだよ」
「精霊を従えるには、どうするんですか? 元々その力があるとはいえ、方法があるのでしょう?」
「ああ、いくつかある。精霊に愛されること、脅すこと、取引をすること、お願いをすること、などだ。できそうかな? ちなみに、私は取引をしている。だから、あまりこの銃を使いたくない」
「……なるほど……脅すのは得意なので、できそうです」
「……ああ、そうなんだね……」
ゼロの言葉に、カイは苦笑した。
彼が、これまで、どう育ってきたのか。
そして、今現在の心理状態がどうなのか。
カイは、霊魂状態のゼロが発する色から、それがあまりよくないことを悟っている。
怒りと憎悪。真っ黒な大渦が、底面にある。そのエネルギーを、精霊に向けようというのだろう。
カイはこれからゼロが扱うことになる銃に棲む精霊に、ほんの少し同情した。
「あとは、実際に使って慣れていくしかない。慣れた頃を見計らって、天使が君のところへ仮契約を済ませた使用者を連れてくる。今の君のような、幽体の状態で」
「なるほど……」
「幽体の状態では、物質には触れない。つまり、銃に触れることができない。使用者が、私達の説明を聞き、納得し、魂が体に戻った時点で本契約が結ばれる事になる。仮契約時にサインした契約書が、体に刻み込まれるんだ。私達と、同じように」
本当は、君に指南役を引き受けて欲しくない。
ゼロに対し、カイはそう思っている。
恵まれない環境で生きているのなら、なおさらだ。
この銃の指南役を勤めることは、すなわち他人に他人を傷つける武器を与える事になる。
心が重くなる仕事だ。
いくら感じないようにしていても、それは積み重なって、じわじわと心を侵食する。
「……説明は、以上ですか」
黙り込んだカイに、ゼロは言った。
「あぁ……どうだろう、理解できたかな?」
「はい、あとは向こうに戻ってから、慣らしていきます。ご指導頂き、ありがとうございました」
ペコリ、ゼロはカイに向かって頭を下げた。
「ゼロ……」
立ち去ろうとするゼロの耳元で、カイは囁いた。
「私達は、最後の砦だ。奴らの思い通りになど、なるな」
ゼロの脳裏に、ニヤリと笑った天使の表情が浮かび、消えた。
カイの言葉は、ゼロにとっても本望だった。
「……わかりました。よく、憶えておきます」
うっすらと笑みを浮かべ、ゼロの姿が消えた。幽体が、肉体へと戻ったのだ。
カイは、ふっとその先を見るように、虚空を見つめた。
そこには、なにごともなかったかのように、吹き抜ける風だけが存在していたのだった。
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