第3深層-2

 目に留まった扉に手を掛けた。あっさり開いた部屋に呼吸を整える間もなく飛び込む。急いで扉を閉め押さえ込んだ。

 ドンッドンッ

「……っ」

 膝を震わせながら、扉から伝わる衝撃に耐えて続けて――しばらくすると、狼はちゃっちゃっと足音を立てながらどこかへ去った。

「はぁぁぁ……」

 安心して力が抜ける。必死で呼吸を繰り返して、狼のことを思い返した。

 あの狼は足が速くない。直線で走り続けなければ、飛び掛かられることはまずないだろう。けれど嗅覚が優れているのか、全然私を見失ってくれない。もしこの部屋が開かなかったら、今頃私は狼のお腹の中だった。

 咄嗟に逃げ込んだこの部屋は薄暗く、至るところに鋏が突き刺さっていた。棚に飾られた人形にも、机に置かれた本にも、壁や床には勿論、天井にも。気を付けて歩かなければ怪我してしまう。

 足元や落ちてくるかもしれない鋏に気を付けながら、机に置かれた鏡に近付いた。

「鏡さん、あの狼はなんなんですか?」

『言葉は通じない。想いも届かない。人の心を失ったものに伝わるものなどなにもない』

 弱点がないということ? あの狼からはひたすら逃げるしかないの?

「どうして、」

 ――どうして私は、いつもいつも、逃げることしか出来ないの?


『これは君の物語。狼に抗えなかった君の物語。

 人の心を失い人の皮を被った獣を受け入れ全てを失った。

 そのまま進みなさい。物語はもう始まっていたのだから』


「っ!」

 鏡を床に叩きつけた。激しい音を立てた私がバラバラに砕かれ床に広がる。形ばかり綺麗な何人もの私が無言で私を見つめた。

「――」

 大きな声を上げても聞こえないふりをされて、痛いことをされても見てくれなくて、傷つけるためだけに牙を剥かれる――そんな日常が私の物語だとでも言うのか。

「――そんなの赦さない」

 一人だけの私が呟いた。

 雪色の肌と炎色の唇、海色の瞳と陽色の髪、白色のヘッドドレスと赤色のワンピース。童話に出てくるお姫様みたいな、誰からも愛されるような、私の姿。けれどこんなの、そう見えるだけだ。

 これは王子様がいない童話。

 王子様がいない童話の私はお姫様にはなれない。

 だから私を助けに来てくれる王子様なんか現れたりしない。

「……」

 部屋から出る。他の場所を探索する必要なんかない。なにが必要なのか、私にはもう分かっている。

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