当たり前

その日、朝方から電車に座っていた。

都内に出る為の電車だ。大体四十五分ほど揺られる事になる。

発車から二駅ほどして、老夫婦が乗ってきた。

"老夫婦"と言っても自分の親よりは若い、五〜六十代の夫婦である。二人の左手薬指には揃いの指輪がはまっていたから、夫婦である事は間違いない。

電車は適度に混んでいたので並んで空いている席はなく、僕の隣に女性が座り、その前に男性が立つ形で収まり、電車は出発した。


一駅過ぎ、向かいの席が一つ空いた。他に立っている人も居ないのに、件の男性は座らない。

デートの時、喋れなくても電車で空いた席にバラバラに座るのは居心地が悪いのだろう。

静かに目を瞑る女性を優しく見つめる男性の心境がよく分かった。

席を譲りたくなったが、私は極度の乗り物酔いをする。せっかく手に入れた角席を手放すのは惜しい。

けれど対面に出来た新しい空席、汗っぽいオジサンと不健康そうな兄さんの間に自分が身を捻り込めば、この夫婦は仲良く寄り添って座る事が出来る。自分も取り敢えず座れるので、酔う心配もしなくて良い。


上記の様な事を数分考えて、思い切って話し掛けた。


「失礼。どちらまで行かれるのですか?」

「秋葉原です」

「なるほど。それではどうぞ」


終始伏し目で話を終えると席を立ち、手で示して譲った。先ほどまで気付かず座り続けて申し訳ない、との意味も込めて頭を下げながら、執事の如く九十度にお辞儀する形で男性をエスコートした。


「あぁ、これは、ありがとう」

「ありがとうございます」


夫婦は揃って笑顔になり、こちらに御礼を言った。

私は「いえいえ」とまた会釈をしながら対面の席に腰掛ける。

「優しい人だね」「本当ね」

そう言葉を交わすのが聴こえた。


誰も注目してる筈も無いが、緊張でしばらく変な汗をかいた。


ただ皆んなが快適に過ごせる様に考え、行動する。

当たり前の事である。

しかしただ席を譲る、それだけの事を何故これほど大層に考えてしまう様になったのか。思い遣りと損得勘定と自己欺瞞と善意の押し付け、イイ人アピール……


子供の頃はもう少し素直だった。無邪気とは違う。精神年齢は幼少期から高かった自覚がある。けれど喜んで貰えるならと純粋に、見ず知らずの人に手助けをするのにあの頃、こんな精一杯の努力は必要無かった。

当たり前のことが当たり前に出来なくなったのは一体いつからだろう。

そういえば学校を出てから、出不精が祟って他人との関わりは極端に減った。そのせいかも知らん。

子供の頃に気兼ねなく出来た数多の声掛けがし辛くなったのは、きっとそこから始まる他者との関わりを煩わしく思うようになったからだろう。そしてそれをしなくなって、いつの間にかその能力が衰えた。偶にこういうことをしようとして、結局声を掛けれなかったり、出来てから疲労感が押し寄せるのは、言うなればその"筋力"が極端に落ちているから。

長期に寝たきりの入院患者はリハビリしてから元の生活に戻さなければ、歩く事もままならぬ。それと同じ事である。


そんな事を考えボーッとしていると先程の男性と目が合い、にこやかに会釈された。微笑んで会釈し返す。

困った。これでは御礼を求めて席を譲ったように思われるでは無いか、"ありがとう泥棒"にはなりたくない。私は自分の居心地の為にそれをしたのだから……

終点の秋葉原まで、その夫婦と向かい合って過ごす事になる。席を移動するのも面倒だ。

終始目のやり場に困って過ごした三〇分。


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