エピローグ
ひと気のない、寂れた倉庫の中に、人知れず作られた地下室で。
1人の男が憔悴しきった顔で、ベッドの上に横たわっていた。
ベッドのシーツは沁みだらけで、およそここ最近取り替えたような様子はないし、せめて綺麗にピンと敷いておこうという気配も見られない。そこはただ、男が横になって体を休めるだけの場所で、清潔感などは二の次三の次といった按配に感じられた。男の来ている服がそもそも、ここ数日かもしくは何週間か着替えていないような汚れっぷりだったので、シーツが汚れていてもさほど気にはならないのかもしれない。
部屋の広さは4畳半くらいで、天井も床も、四方の壁もコンクリで固められ、殺風景なことこの上ない。古びたシングルベッドを除けば、家具らしきものは見当たらなかった。おまけに地下室なので窓もなく、恐らく室内は空気の循環も失われており、男がたまに吐くため息の入り混じった淀んだ大気が、ずっしりと蓄積しているのではないかと思われた。
そしておもむろに、部屋の唯一の出入り口である鋼鉄製のドアが、「がちゃり」と重々しい音を響かせて開いた。
「さあ、出ろ。”肉体奉仕”の時間だ」
上下ともに黒い服を着こんでサングラスをかけた男が、ベッドの上の男にそう声をかける。ベッドの上でイヤイヤをするように首を横に振る男に向かって、黒服男はスティックのような棒を取り出し、その先を近づけた。
「はい、起きます、起きます! でも、もう勘弁してください、また『あんな目』に遭うのはもう……」
そこで黒服男はスティックの先を、ベッドの上の男の首筋に押しつけた。ばちっ、ばちばちばちっ……! 細かな火花が飛び散り、男は「うわう、うぎゃうううう!」と悶絶したような悲鳴をあげる。
「さあ、来い。お前に、仕事をするかしないかを選択する権利はない」
黒服男はベッドの上の男の襟元を引っ掴み、強引に部屋の入り口まで引きずり出した。
「いやだ、もういやだぁぁぁ! なんで、なんで俺がこんな目に……」
そんな悲痛な叫びも虚しく、男はいずこかへ連れ去られ、重い鋼鉄の扉が「がしん」と閉まった。
「……ガイドマンの奴、そろそろ限界かもですね。スポンサーも嫌がるんじゃないすか、あんな薄汚れた中年を寄こされても」
身の丈180センチくらいはありそうな背の高い黒服の男が、目の前にいる口髭を生やした男にそう話しかける。口髭男はニヤリと笑い、「ああ、一度風呂にでも入れてやるか。少しサッパリすれば、奴もちったぁ元気を取り戻すだろう」と答えた。
「しかし……複数の闇金を回らせて、借金地獄に追い込む手口。あれは見事だなあと思いましたが、まだ続けてるんすか? ”あんなこと”があった後も……」
黒服男の再びの問いに、口髭男は今度は笑みを作らず、「そうだな……」と何か考え込むような表情で、椅子に背をもたれながら語り始めた。
「借金地獄に首までどっぷり浸からせて、にっちもさっちも行かなくなったところで『主催者』に連絡する。あとは主催者がタイミングを見計らって、『招待状』を渡す。そういう段取りだったんだが、”あんなこと”が起きたとなると、やり方を変える必要があるんじゃないかって言われててね。まあ、ぼちぼち新しい方法を考えていくよ」
黒服男は「そうですか」と簡潔に返事をした後、自虐気味に「ふふっ」と笑みをこぼし。懐かしいものを思い出すかのように、少し上を見つめながら、今度は自分の思いを話し始めた。
「まああの”29番”、あいつみたいな奴はそうそう出て来ないとは思いますけどね。あいつは突然変異というか、参加者の中でもかなりイレギュラーな存在だったでしょう。最後まで一緒に残った27番は、ごく平凡な奴でしたけどね。29番は、そういう平凡な奴を上手く扱うやり方も心得ていた。そのあげく自分でちゃんと死を選んだんですから、まあ大したもんでしたよあいつは」
口髭男もまた、「そうだな……」とごくシンプルに呟き。それから、今度は体をぐっと前に乗り出した。
「ともあれ、スポンサーが付いていて、主催者が飽きない限り、『イベント』は続けられるだろうな、手を変え、品を変えね。そしてこういうヤバい配信を見たいと思ってる奴らも、廃れることなくいつの時代も、一定数存在するからね。だから俺たちも……このまま『続けていく』しかない」
そう言って口髭男は、モノクロのモニターに映っている、地下室に監禁されたガイドマンの姿を「ちらっ」と見た。
「こないだは、こいつが巻き込まれちまったが。今度また、『こちら側』の誰かが巻き込まれんとも限らん。そうならないよう十分に警戒はしているが、いかんせん相手は生身の人間だ。シミュレーション通りにいくとは限らないからね。
だから、お互い十分気を付けようぜ。次に巻き込まれる不運に陥るのは、もしかしたらあんたの番かも……あるいは、俺かもしれん。まあせいぜい、悔いのない人生を送りたいもんだな」
黒服男は「そうですね」と返事をし、「じゃあ、これで」と立ち上がって、口髭男の前から立ち去ろうとすると。口髭男は黒服男の背中に投げかけるように、「ぽつり」と言葉を吐いた。
「そうそう、ゲームを実況する奴がいなくなっちまったから。実は今、いい奴がいないかと探してるんだ。もし良さげな奴がいたら、連絡くれよ」
黒服男は「わかりました」と答えてそのまま立ち去ろうとし、そこでふと何かを思い出したように、足を止め。口髭男を軽く振り返って、「これはあくまで、『もしも』の話ですが」と、「仮のアイデア」を口にした。
「今となってはもう、どうにもならないことですが。もし、あの”29番”が生きていたら……ひょっとすると、ガイドマンより上手くやれるくらいの、見事な実況者になってたかもですね。あの煽り方といい、毒と無害を判別した思考能力といい、それを説明する語り口といい。これ以上ない、適任だったかもしれませんね」
黒服男の言葉に、口髭男は「ふふっ」と静かに笑い。「ああ、そうかもな……もし、生きていたらな」と答え。そこで黒服男は改めて挨拶をすると、口髭男のいる部屋のドアを開けた。
口髭男のいた事務所らしき部屋を出て、少し廊下を歩くと、そこには数多くのモニターが並べられ。肩を落としてトボトボと道を歩く青年や、今にも泣き出しそうな顔で街角に立ち尽くす若い女性などが十数名、映し出されていた。
「悔いのない人生を、か……」
黒服男は地下から上がり、錆びれた倉庫を出ると、着ていたトレンチコートの襟を立て。なぜか急に襲ってきた寒気を振り払うように、ひと気のない一本道を歩き始めた。
――了――
バトル・スーサイド さら・むいみ @ga-ttsun
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