第10話 霊魂論
ここで「ヒュポケイメノンに在る」と「ヒュポケイメノンに無い」の条件をもう一度整理しよう。
まず「ヒュポケイメノンに在る」は、「XはYである」という組み合わせによる説明が成立した場合のYに該当する単語を指す。例えば、「この壺は白い」という文章の「白い」という部分だ。
一方の「ヒュポケイメノンに無い」は、そもそも「XはYである」という組み合わせによる説明が成立しない、ということで証明できる。前述の「人間はアリストテレスである」という文章が、これに該当する。
人間というカテゴリーは、アリストテレスという「特定のある人間」とは限らない以上、この説明は論理的に成立しない。そして、これを樹形図にすると、
アリストテレス
|
人間
となるので、やはり成立しない。アリストテレスというカテゴリーの下位カテゴリーとして、人間があるのはおかしいからだ。
しかし、この上下をひっくり返せば「アリストテレスは人間である」という文章になるので成立する。樹形図にすると、
人間
|
アリストテレス
だ。これが「ヒュポケイメノンについて語られる」である事は、これも先ほど説明した通りである。
では、「ヒュポケイメノンについて語られない」場合はどうなるのか? これは、
(2)ヒュポケイメノンに在り、ヒュポケイメノンについて語られない。
の事例を見直せば良い。
本稿では、このケースの説明に「壺」と「白い」を使った。樹形図にすると、
壺
|
白い
となる。しかし、壺という器物の下位カテゴリーに白いという色に関するカテゴリーが入ることが考えられない以上、この樹形図は間違っていると判断できる。これが「ヒュポケイメノンについて語られない」ということになる。
では、
(3)ヒュポケイメノンに在り、ヒュポケイメノンについて語られる。
場合はどうなのか?
前述したように、「ヒュポケイメノンに在る」とは、極言してしまえば2つの単語の組み合わせによる「XはYである」のような文章が、論理的におかしくない場合のYを指す。
また、「ヒュポケイメノンについて語られる」とは、「アリストテレスは人間である」のように「アリストテレス」というヒュポケイメノンについて語られる=上位カテゴリーを説明している文章が成立する場合を指す。
これを樹形図にすると、
人間
|
アリストテレス(ヒュポケイメノン)
になる。
この場合分けに対するアリストテレスの説明は、
たとえば知識は、魂をヒュポケイメノンされたものとして、そのうちにあり、また読み書きの知識をヒュポケイメノンされたものとして、それについて語られるのである。
となっているのだが、これも一見すると何を言っているのかさっぱり理解できない。
これを、今まで延々と書いてきた手順で説明していこう。
まず、
知識は、魂をヒュポケイメノンされたものとして、そのうちにあり
の部分だが、これは「魂」がヒュポケイメノンで「知識」が内に在るものになるので、
「知識」は「魂」無しでは成り立たないが、「知識」は「魂」の部分としてではなく「魂」に帰属し、「魂」の内にある当のものから離れて存在することが不可能
と言い換えることが可能である。
前述したように、アリストテレスはイデア論を否定しているため、世界の外部に五感で認識できない何かを認識可能にする超常的な力のようなものが在ることは、原則として認めていない。
しかし、その一方で世界を見える・見えないに分けてもいるので、見えない何か(この場合は魂)の存在を否定しているわけでもない。
そうなると、知識が外部からもたらされることは無い以上、「魂(見えない部分)はあるが、知識は世界の外からもたらされていない」ということを説明しなければならなくなる。
これに対して、アリストテレスは『霊魂論(デ・アニマ)』や『ニコマコス倫理学』の中で、魂(隠されているもの)は、その器に該当する肉体、あるいは身体によって、その能力が決定されると説いている。
たとえば、人間の身体には人間の身体に合った魂が宿っており、その人間的な魂の特性として、思考力や理性があると考えるわけだ。これを裏返すと、霊魂は肉体無しでは存在し得ないということになる。
また、魂は肉体を「欲求」することによって動かしていると説き、これを理性と分けた。従って、アリストテレスの霊魂観に従えば、人間の魂は理性と欲求に分けられるが、欲求が無ければ理性も働かないので、魂の「本質的」な部分は欲求ということになる。
そして、知識は魂の欲求無しでは習得できない(アリストテレスは知識に関しても習得方法によって分類を行っているが、本稿の論旨から外れるので詳細は語らない)が、魂の本質が「欲求」であるなら、「知識」はそれを構成する部分では有り得ない、ということになり、「ヒュポケイメノンに在る」という説明が成り立つ。
次に、
また読み書きの知識をヒュポケイメノンされたものとして、それについて語られる
の部分に関しては、「読み書きの知識」がヒュポケイメノンに該当し、ヒュポケイメノンされたものとしての部分が「知識」に該当するので、それが語られるということは、
読み書きの知識は知識である。
という組み合わせが成り立つという事である。樹形図にすると、
知識
|
読み書きの知識
ということになる。これは分かり易い。
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