第8話 ヒュポケイメノン
現代でも、単語単体の「定義」とそれらを組み合わせた「指示」を同じ「意味」だと理解して、ごちゃ混ぜにしている人間が大多数であることを考えると、紀元前4世紀にこの結論に到達していたアリストテレスは驚異的としか言いようが無いのだが、残念ながら彼は単語単体とその組み合わせを区別していても、それを「定義」と「指示」であるとは理解していなかった。
その代わり、アリストテレスは事象の分類を、
(1)ヒュポケイメノンに無く、ヒュポケイメノンについて語られる。
(2)ヒュポケイメノンに在り、ヒュポケイメノンについて語られない。
(3)ヒュポケイメノンに在り、ヒュポケイメノンについて語られる。
(4)ヒュポケイメノンに無く、ヒュポケイメノンについて語られない。
の4通りであると説明した。
ヒュポケイメノンとは、hypo(未満、あるいは下に)とkeimenon(横たわったもの)、直訳すると「下に横たわったもの」となる。日本語訳では基体と呼ばれる事が多いが、2014年に岩波書店から発売された『新版 アリストテレス全集』では、正確性を重視して「基に措定されたもの」と呼称される。
(注・以降のアリストテレスの文章に関しては、『新版 アリストテレス全集』に準拠する)
また、前述した分類は論理的に正確だが、文章を読む際に単語だけ拾い読みするタイプの人にとって酷い苦痛をもたらす書き方になっている。というのも、この分類では、
(1)ヒュポケイメノンそのもの(文中では単にヒュポケイメノンと書かれている)
(2)ヒュポケイメノンの内に在るもの
(3)ヒュポケイメノンの内に無いもの
(4)ヒュポケイメノンについて語られるもの
(5)ヒュポケイメノンについて語られないもの
の5つは、それぞれ異なる概念として扱われているからだ。従って、ヒュポケイメノンという単語だけ目で追っていると、一体何を指し示しているかが分からなくなってしまう。
特に混同し易いのが、「ヒュポケイメノン(そのもの)」と「ヒュポケイメノンの内にあるもの」で、この2つを同じか似たものと誤認すると、以下の議論には全くついていけなくなる。
以上の注意点を理解した上で、話を読み進めて欲しい。
アリストテレスは『カテゴリー論』の第二章において、
(2)ヒュポケイメノンに在り、ヒュポケイメノンについて語られない。
について説明する際に、
「ヒュポケイメノン(基に措定されたもの)にある」というのは、何かの内に、それの部分としてではなく帰属し、それがその内にある当のものから離れて存在することが不可能である、というもののことである。
という解説を加えている。
この解説は一見しただけでは一体何を言っているのかまるで判らない。ヒュポケイメノンに在るとは「何かの内に、それの部分としてでは無く帰属すること」らしいのだが、一体何を指し示しているのか?
ポイントになるのは「何かの内に」という点だ。「それの部分としてでは無く帰属する」だけを読むと、部分では無いということは、つまりそれとは完全に無関係なのか、もしくは全てかのどちらかになるはず……と論理的に正しい道筋を立ててしまいがちだが、アリストテレスは内在説なので、認識できる何かの内側には、認識するための何かが「隠れている」と考える。
また、アリストテレス自身もちゃんと「何かの内に」と、それが内在説を前提にしていることを言明している。そうなると、問題なのは「部分としてでは無く」という言い方になる。「何かの内に」隠れているXが、「何かの部分では無い」というのは一体どういうことなのか?
具体例で確認しよう。
たとえば、壺という単語の定義が「口がせまく胴がふくらんだ形の容器」だとして、ある壺の色が白いとしたら、「壺という単語の定義に白さ、あるいは色は含まれていない」が「壺が白いと言うことは、その壺には白さが内在している」ので、「何かの内に、それの部分としてでは無く帰属すること」になる。つまり、壺の白さは「ヒュポケイメノンにある」ことになる。
集合論を勉強している現代人にとって、アリストテレスの説明は奇異以外の何物でもない。何故なら、白い壺は「白色の何か」という集合と「壺」という集合の積集合である、と説明できるからだ(ちなみに、現代人でも集合論が出来ないと、この説明は理解できない)。
しかし、集合論が確立されたのは19世紀の欧米で、アリストテレスが存命した古代ギリシャではなかった。恐らく、アリストテレスが想定していたのは、後にテュロスのポルピュリオス(234~305)が考案したとされる「ポルピュリオスの樹」のような樹形図の一種だったと思われる。
樹形図は、たとえば
物質
|
動物─犬
|
人間─女性
|
男性
のように、あるカテゴリーの下位にそのカテゴリーに従属する別のカテゴリーが設けられる仕組みになっている。
この樹形図のような仕組みだと、
白い
|
壺
や、
壺
|
白い
が成立しない事が判る。何故なら、「白い」という色のカテゴリーの下位カテゴリーが「壺」という器物である可能性は無いし、逆に「壺」という器物の下位カテゴリーとして、「白い」という色のカテゴリーが入る可能性も無いからだ。
しかし、「壺は白い」あるいは「白い壺」は、「XはYである」のような単語を組み合わせたものなので、単語単体では無い。この点は一見すると判りづらいが、何となく頭の片隅に入れておいて欲しい。
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