第5話 陰謀論と言語理解

 いずれにしろ、そのトラの絵「そのもの」が意図なり効果なりを内包している、もしくは我々の世界とは異なる世界からの「ゲート」でなければ、「見えない」部分が存在しないことになってしまうので避けねばならない。ところが、残念なことにトラの絵には何も「隠されていない」し、「隠された世界」からのゲートでもない。


 陰謀論者が最も理解できないのがこの点で、同時にそれが陰謀論者をまともに出来ない主たる原因でもある。ただし、これは幾つもの間違いが重なった結果なので、それを1つずつ指摘していくのは厄介かつ難しい。


 そこで、繰り返しになるがもう一度、陰謀論の説明をしていこう。


 まず、陰謀論者は「規則性の把握」である認識という能力を、視覚とイコールかそれと非常に近い何かであると誤認している。そこから、彼らは世界の認識を「見えるか・見えないか」で分別している。


 先述の例で考えるのであれば、生身のトラには確かに「見えない」部分がある。例えば、我々はトラが一体何を考えているかを、直接的に「見る」事はできない。トラの顔の表情や、仕草などの「見える」部分から推測しているだけである。


 そして、そうした「見える」部分から「見えない」部分を推測し、「正しい」解答にたどり着けるのは、知力や経験が優れた証拠だと考える。問題はここから先だ。


 「見えないもの」や「隠されているもの」は、特にトラの物理的な内側、例えば脳や内臓などに存在しなくても構わない。重要なのは「見えるか・見えないか」だけなので、「見えない」あるいは「隠されて」いるのであれば、それがトラの肉体の内部に無くても構わない。


 例えば「トラと文化」とか「トラと自然環境」など、トラとテーマを「組み合わせる」と、「トラの文化的な位置づけを〝通して〟各国の文化の違いを比較する」とか「トラの生息地の状況から、自然保護に対する取り組みを〝読み取る〟」など、トラの物理的な内部とは無関係に、トラの背後に「隠された」何かを「見ようとする」事が可能である。


 ただし、トラを〝通す〟という言い方や、自然保護の取り組みを〝読み取る〟という言い方は、あくまでも視覚的な比喩(アレゴリー)に過ぎない。トラの背後に文化や自然保護に対する取り組みが「隠れて」いるわけではないからだ。


 ところが、「見える・見えない」で世界を分別している人は、この比喩を言葉通りに受け取ってしまう。つまり、トラの背後に文化が隠れていたり、トラから自然保護に対する取り組みを「読み取れる」と本気で思っているのだ。


 そして、トラの肉体的な内側で無い部分に、「見えない」あるいは「隠された」何かを設定できるのであれば、平面に描かれたトラの絵にも、同様の何かを設定できるだろう。すなわち、内部では無い部分に「見えない」あるいは「隠された」何かを設定できる、という意味において、生身のトラと絵のトラは等価なのだ。


 一体、彼らはどこで何を間違えているのか? もちろん、まず認識と視覚を同等、あるいはニアイコールであるとしているのが最初の間違いだが、これを修正できない理由がある。言語を代表とする「規則的な配置をする記号への理解の仕方」が間違っているのだ。


 先述の例で説明するのであれば、世界を「見える・見えない」で分けて「いない」人にとって、「トラと文化」というテーマは「トラかつ文化」に過ぎない。何故なら、見える・見えないで分別をしない以上、トラに文化が「隠されている」という発想をしないからだ。


 そして、隠れていない以上、それはトラという単語と文化という単語の、「2つの単語が組み合わさっている」状態として認識されている。これは自然環境も同様で、「トラと自然環境」というテーマがあったとしたら、それはトラという単語と自然環境という単語が、組み合わさっている状態と認識されているわけだ。


 これが、どんな違いをもたらすのか? まず「見える・見えない」で世界を分別する価値観から考えていこう。仮に「トラ」の背後に「文化」が隠れているのであれば、「トラ」という単語は、単体で「文化」が潜んでいる「構造」をしていなければならない、ということになる。これは自然環境も同様で、「トラ」の背後に「自然環境」が隠れているのであれば、「トラ」という単語は、単体で「自然環境」が潜んでいる構造をしていなければならない。


 これは大変なことで、ある対象に何かが潜んでいると考える以上、「トラ」という単語と組み合わせが可能な全ての単語が、「トラ」という単語に含まれていなければならなくなる。あるいは、トラという単語を通して表出してこなければならない。


 一方の世界を「見える・見えない」で分けて「いない」人にとって、「トラ」という単語には「文化」も「自然環境」も隠されていないのだから、問題はまるで起こらない。この人にとって、2つ、あるいはそれ以上の単語を組み合わせるのは、別の目的がある。それは「指示」だ。


 例えば、「トラと文化」という組み合わせがあったとしたら、それはトラの背後に文化が隠れているわけでは無くて、トラと文化の関係を指し示しているのだな、と考えるわけだ。

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