色づく秋が更に深まり、寒さが一段と厳しくなってきた。惨敗を喫し申し開きが出来ぬまま、一週間の時は瞬くまに過ぎた。熟考した末、平松は内に秘めたる思いを固くしていたのだ。

このまま成されるままになっていれば、いずれ奴に殺されることになろう。そうなる前に手を打たなければ。さもないければ、一生の不覚をとる。今が、千歳一遇のチャンスだ。激高し辛く当るが、俺は奴にとって手放せぬ存在なのだ。頼られている。いや、現に俺なくして、この巣穴の防衛は成しえないではないか。なじり罵倒するが、全面的に頼っていることに外ならない。それが証拠に、今企てようとしている野望など、まったく気づかないし予想すらしていない。この俺に、一分の疑いも持っていないのだ。この機を逃せば、いずれ間違いなく汚く仕打ちを受け、命を落とすことになるだろう。

奴の毒牙にかかり、そんなことになっては…。いや、絶対にかからない。かかりたくないのだ。だから、今において外にない。

この時を待っていたかように、菊地から矢の催促がきていた。

いよいよ始まったな。これ以上焦らすわけにも行くまい。奴のことだ、頭に血が上り過ぎて、分別がつかなくなり何をすか分からんで。ただ、今は待つ身ゆえ、苛立ち冷静さを欠いているだけだろうがな。傲慢にも拳を振るい、現れるのを待ちわびているだろう。それも隙だらけでよ。

平松は、この時しかないと確信した。

俺が行く時は何時もそうだ。用心深い奴にしても、信用するというか無防備でいる。この機会を逃しては、奴の呪縛から逃れることは出来ない。

そう思った。そしてゆっくりと立ち上がり、支度を整え菊地のところへと向う。

奴を倒せば、この巣穴は俺のものになる…。俺が統率してきた軍隊を動かせば、支配することなど容易いことだ。まずは将軍を倒し実権を握る。それから俊介らの巣穴を襲い、壊滅させ備蓄食料を奪い取る。さすれば間近に迫った厳冬期を難なく乗り切れる。

反芻するように呟く。

「そうだ。何も鬼畜のあ奴に、何時までも従っていることなどないんだ。今までが何であったのか。あの菊地ごときに驚かされ、恐怖心すら抱いていた。そんな自分が滑稽に見えてくるぞ。今日の日のために、今まで奴の粗暴に耐え、分隊長として戦士を訓練してきたではないか。そうとも知らず女に熱を上げ、万里子まで奪われてしまった。本来なら俺の女として仕えさせていたものを。それにも係わらず、また生娘を差し出せとは、とんでもない毛頭だ。…許せん」

恐怖心から憎しみへと変わっていた。そして、その憎しみが恨みへと変貌する。

ゆっくり歩きながらきりりと口を結び、今まで己がとった行動を反芻し向う。

こんな野望を画策しているとも知らず、傲慢にも一週間だけ待ってやるだと。野郎、何様だと思っている。「わしが一番偉いんだ。それに戦いの先頭になど立てるか。お前が立ち攻撃しろ。わしは後方で待機している」だとよ。ふざけるな。大将が先頭に立たずして、戦士の士気が上げられか。後方で吠えたって、糞の役にもたたねえや。この馬鹿将軍が!

積年の恨みを晴らすが如く、罵っていた。

そんな企てを予知することなく、何時までも来ぬ分隊長にいきり立っていた。

平松の奴、何をしている。早く来んか。あの馬鹿どもの負け戦を聞いてから、はや十日も経ったぞ。それなのに、何とも言って来ずにいる。うむ、何たることか!

下郎どもに鉄拳をくれ尻を蹴飛ばし、即刻出陣し俊介らに攻撃するよう下知したが、今だ朗報が届かぬ。如何なっているんだ!

それにしても、早く血祭りに上げ越冬用の備蓄食料を奪い、そのついでに生娘を略奪し献上せよと命じておるのに、まだ実現していないではないか。何をぐずぐずしておる。平松のぼんくらは。

まあ、それにしても。俺の逆鱗を恐れ、生娘を差し出すのが。うむ…、楽しみよのう。無垢な娘を強引に女に仕立てて行くなんぞ、たまらんな。想像しただけで、涎が出てくるわい。

それにしても遅い。何をもたついておる。一刻も早く俊介らの巣穴を攻め落として来ぬか。朗報を持って来いと伝えてあるに。俺を待たせるなど、とんでもないことだ。忠誠心に欠けておる。ちょっと甘やかすと、直ぐこれだ。たとえ平松といえど許すわけには行かん。少し痛い目に遭わせるか。奴め弛みおって。わしの怖さが薄れてきているから、ちょうどいいわ。

などと、勝手に苛立ち目論んでいた。

ちょうどその時、平松がやって来た。菊地がぎょろっと目を剥き、大声で吠える。

「遅い、何と心得ているのか。俺様を待たせるとはけしからん。そこになおれ!」

「は、はっ、申し訳ございません。本来であれば、一日前には将軍様に拝謁し状況を報告すべきところを、遅くなり誠に申し訳ございませんでした」

ひざまずき、深々と頭を下げた。それを見て、菊地はにやりと視線を投げる。

うむ、効いたかな。こんな時は怒鳴るのが一番だ。さすれば誰でも縮み上がる。絶対的権力者としての恫喝で、恐怖心が身体の中から呼び起こされるだろうて。効果は抜群だ。こやつとて、さぞかし縮み上がっているに相違ない。ほうれ、見い。俺の一喝で、かしこまっているではないか。

腹でせせり笑い、尋ねる。

「…して、俊介らは倒したであろうな。それに連れて参ったか?」

「あいや、まだでございます」

「な、なんだと。まだ蹴散らしていない。何をぐずぐずしておる。わしは先日来下知しておいたはずだ。それを無視する気か!」

「いいえ、滅相もございません。そのようなことは断じてございませぬ」

「なれば何時までに壊滅させ、生娘を連れてくるのだ。応えてみよ!」

仏頂面で目を剥く。

「は、ははっ」

平伏すが、心の中でほくそえむ。少し間が空いた。菊地が再び怒鳴る。

「何時までひっつくばっておる、はよう答えんか!」

「ははっ!」

さらに恐縮した。すると菊地が、おもむろに言い放つ。

「平松、如何にして奴らを倒すのか、わしは知りたい。述べてみよ!」

「はっ、かしこまってございます。まずは説明させて頂きますと。貴奴らを倒し備蓄食料を奪い、更に生娘を手に入れ献上させて頂くための、その秘策は…」

言葉が止った。

「うん?」

肝心なところで止まり、菊地が身を乗り出した。

辺りの気配を覗う平松を見て、おやっと思ったのか、訝し気に促す。

「如何した平松、その先は?」

すると、周りを気にするように小声で告げる。

「この先は、他の者に聞かれましては…」

「あいや、そんなことは気にするな。誰もおらぬ。わしとお前だけではないか。早く先を述べよ」

「はっ、いや。やはり、万が一と言うこともありますれば。用心に越したことは。もしや、俊介らのスパイが忍び込み、どこぞやに隠れ聞き及んでおれば、この重要な話が俊介に漏れるかもしれません。そうなったら、再び我らに奇襲をかけてくるやに思われます」

「何と、また貴奴らが攻撃を仕掛けてくるだと。小賢しいにもほどがある。奴らなど、このわしが捻り潰してやるわ!」

目を吊り上げ激しく罵る。すると平松が制する。

「あいや暫らく、将軍様、ここのところは冷静になられませ」

すると振り上げた拳を下ろし、威光を示すように触角をしごく。

「ううん、そうよの。奴らごときへなちょこどもが攻めて来たところで、すぐさま返り討ちにしてくれるわい」

「ごもっともでございます」

「ただ、いかな最強の我が軍なれど、不意打ちを喰らえば負けは致しませぬが相当の被害を被ることになります。従って用心することが肝要でございます」

「うむ、そうだな…。して、平松。如何すればいいのじゃ。申してみい!」

「は、はいっ。それではご無礼とは存じますが、この先の話は漏れぬよう、耳打ちさせて頂きますれば、有り難いのでございますが」

「な、なんと。耳打ちだと。そんなことせずともよい。今ここにいるのは、わしとおぬししかおらんではないか!」

「それ、見てみい。誰もおらん。まったく、お前という奴は用心深いのう」

辺りを見廻しながら不機嫌になる。

そんな憮然とする態度など気にせず、更に注意深く辺りを見廻し伺う。

「そうは申しましても、万が一ということもありますれば」

「何をそんなに用心しておる。誰もおらんぞ」

「されど…」

「ああ、分かった。まあ、よい。早よう近くへ来い。耳打ちでも何でもしやれ。どのように奴らを葬るのか、早よう教えんか!」

「は、はっ、かしこままりしてございます。それでは」

横に擦り寄り、耳打ちする。

「将軍様、俊介らをば壊滅させる手立てとは…」

「うむ、うむ」と頷く菊地に、

「それは、あなた様のお命を奪うことにございます!」

こそっと、しかもきっぱりと告げた。

聞いた途端、菊地の顔がにわかに信じ難い表情になり、すぐさま奇相顔に変わる。

「うっ、な、なんと申した。平松!」

「ですから、あなた様の命を頂くことでございます」

「何っ、わしの命を奪う。何をたわけたことを言うか!」

「おっと、そのまま動かずにじっとお座り下さい」

「何だと、平松。誰ぞを呼ぶぞ!」

「うぬっ!」

身構え立ち上がろうとした。すると、平松が肩をしっかりと押さえる。

「如何ぞ、お呼び下さい。将軍様」

「うふふ…、だから先ほどから申しているではありませんか。万が一、この話が漏れては重大なことになると。もうお忘れになったのですか。そう、そう。あなた様は、誰もいないとおっしゃっておりましたな」

「何だと、平松!」

菊地の目が血走っていた。平松が厳しい視線を投げる。

「お呼びになりたければ、如何ぞ好きなだけお呼び下さい。駆けつける者など誰もいませんよ。将軍」

「ううう…、平松。わ、わしを…。図ったな!そんなことをしてみろ、ただではすまんぞ。お前のような虫けらなど、踏み潰してくれるわ!」

怒鳴り、大声で叫ぶ。

「誰か、誰かおらんか。謀反だ!この虫けらが、わしに立てつき謀反を起こした。直ぐに捕らえよ。誰か、誰かおらんか!」

地響きの如く怒鳴った。

だが応えるものはなく、空しく巣穴に響くだけだった。すると、勝ち誇るように平松が吠える。

「無駄だ!今、貴様が言っただろ。誰もおらんとな。往生際が悪いぞ。将軍!」

「…」

一瞬、菊地は言葉を失った。

直ぐに、平松が追い討ちをかける。

「将軍、忘れたわけではあるまい。今、申したことを。お忘れか。ならばもう一度言ってやる。俊介らを倒すには、まずお前の命を貰うことだ。分かったか!」

平松の直言が、菊地の心臓に突き刺さるように、鋭く言い放たれた。

すると、吊り上げた菊地の眼差しが空をさ迷い始める。何ともし難かった。助ける者は現れない。気がつけば平松の前で丸裸同然だった。

息が出来なくなっていた。今しがたまでの、恫喝の奇相が命乞いに変わる。

「うむむ…。平松、ま、まて。待ってくれ。なあ、平松。わしの命を奪うなどと、大それたことを言うではない。よく考えてもみろ。偉大な俺様がいなくて、如何やってこの巣穴を守ってゆく。そんなこと、お前には無理だ。わしがいるから統率が取れておるというものだ。考え直してくれ。平松、何とか言ってくれ。俺を殺して何の得がある」

「…」

無言のまま睨む平松に媚いる。

「忘れたわけではあるまい。誰がお前、いやおぬしを我が軍の分隊長にしてやったか。その恩を忘れたのか。平松、お前のことだ。わしの恩を忘れたわけではあるまい。お願いだ。命だけは、いや何でも言ってくれ。叶えてやる。女が欲しければ好きなだけくれてやる。それに肩書きが望みなら、もっと偉い肩書きにしてやる。おお、副将軍というのは如何だ。わしの次に偉いのだぞ。それで如何だ。それなら文句はあるまい。だから助けてくれ。…頼む。命だけは取らないでくれ。俺を殺そうなんて、馬鹿なことは考えるな。お願いだ…」

平松の視線を窺い、取り成しを乞うように訴え続けた。

形勢が逆転していた。

「…」

じっと睨む平松は動じようとしなかった。

菊地は立場が変ったことを悟った。それでも女々しく、命乞いをする。しかし、平松の鬼のような顔の前では如何にもならなかった。

命乞いするその姿は、瞬く間にみすぼらしい様相となった。あまりにも変わり果てていた。

この哀れな姿。平松はその様を見て、反吐が出る思いになる。そして、醒めた眼差しを投げる。

「将軍、言いたいことはそれだけか。お前が命乞いをする言い訳はそれだけか!」

恫喝するように放った。

すると急に菊地が開き直り、空威厳を誇示し威嚇する。

「何を言う、平松。わしはこの巣穴では絶対君主で、一番偉い蟻様だぞ。お前のような虫けらが、このわしに歯向かえるとでも思っているのか!」

虚勢の言葉が枯れていた。空しく響き渡る。平松の威圧する眼差しに、なすすべがなかった。

そして、弱々しく小声で乞う。

「それを…、その言い方はないだろう。あいや、分かった。お前の意に逆らう心算はない。何でもやる。言ってくれ。この権力の座が欲しいなら譲ってもいい。だから、俺を殺さないと約束してくれ。お願いだ。平松」

さらに懇願する。

「平松、頼みを聞いてくれ。頼む。お願いだ、平松さん。俺、俺を殺さないでくれ。後生だから助けてくれ!」

「…」

平松は醒めた目で見下していた。

すがるように訴える菊地の様は、もはや権力者の姿ではなかった。みすぼらしい弱者の、命乞いする老いぼれ蟻になっていた。

この老いぼれが、我らに恐怖心を植え付けてきた暴君なのか…。

見る影もなかった。そして、やおら放つ。

「見苦しい、観念しろ。そのみすぼらしい仕草はなんだ。いさぎよく覚悟しろ!」

罵声の如く吐き捨てた。すると開き直り、かっと目を剥く。

「何を、この小童が!」

「わしを誰だと思っている。この巣穴の君主だぞ。絶対君主のわしに逆らう気か!」

平松に掴みかかろうとした、その時だった。

「将軍、さらばだ!」

叫ぶや、菊地の喉元めがけ跳びつき、渾身の力で噛み砕いていた。

「うっ、ぎゃあ!」

絶命の叫びを上げ、もんどりうって噛みつく平松にしがみつき、白目を剥いて仰向けに倒れて行った。

一撃だった。

直ぐに平松が離れる。噛み砕かれた喉から、血しぶきが湧き上がり首筋を流れ落ちていた。

「うぐぐぐ、ひ・ら・ま・つ…」

菊地の手が空を舞い、そしてだらりと落ちた。それっきりだった。見開いた目が宙をさ迷うが、直に痙攣していた身体が動かなくなった。仰向けに倒れた菊地が、何か言いたげに口をぱくぱくと動かすが叶うことなく絶命した。

平松は見下し、大きく息をすると全身に漲らせた殺気が、徐々に薄れて行くのを感じていた。

「…」

突き刺すような視線が、穏やかになってゆく。

これで終わったと思った。すると力が抜け、額からどっと汗が吹き出てきた。握り締めた拳でゆっくり拭い取る。恐怖心の呪縛から解き放たれたと思いきや、安堵したのかがっくりと肩を落とし、暫らく動けなかった。

力が抜けていた。考えることが出来なかった。あまりにも大きなことを成し遂げたと、屍の横に腰を落とし、改めて動かなくなった菊地を見つめていた。暫らくの間、夢でも見るが如くじっとしていた。そして、やおら立ち上がりぽつんと呟く。

「さて、これから如何する…」

真っ白になっていた頭の中で、今起きた出来事がゆっくりと思い起こされてきた。すると急に現実の世界へと引き戻される。

そうか、俺が殺してやった。この手で菊地を殺ったんだ。とうとうやったぞ。奴を葬った。憎っくき菊地をやっつけた。もう束縛されることはない。俺は自由だ。奴の呪縛から解放されたんだ。

身体に巻きつく鎖が解けたような気持ちになっていた。

そうか…、と言うことは。俺がこの巣穴では、一番偉いんだ。うむっ、菊地に代わり絶対的権力者になったということか。もう、将軍はこの世にいない。俺が奴に代わったということだ。そうだ。今のいままで、如何してもっと早くこの地位に上ることを考えなかったのか。無駄な時間を過ごしたもんだ。葬り去る機会はいくらでもあったが、呪縛に捉えられていたため、それが出来なかった。早く殺ってしまえばよかったんだ。そうすればもっと早く、権力者になれていたものを…。

まあ、いいか。これから俺の支配する世が来る。そうだ、皆を集めて宣言せねば。屍の菊地を晒して誇示しなければならん。皆、喜ぶだろうて。今までの強権政治の暴君が死んだのだ。歓喜の渦が沸き起こるに違いない。それでいいんだ。それで…。

あいや、待てよ。このままにしていては、菊地に代わり将軍になったことが分かるまい。皆に知らしめねばなるまい。この巣穴で俺様が、一番偉いということをな。

邪悪な利己心が芽生え、勝手に己の時代が来た如く頷く。

そうしてこそ、わしの天下となる。

改めて、骸を見下しながら誇示する。

とうとうやったぞ。今まで、この野郎にどれだけ苦しめられたか。その報いだ。馬鹿な野郎だ。権力者などと勝手に振る舞い。多くの者を、虫けらのように殺して来た。その報いだ。この俺に軍力を預けおって、それがお前の馬鹿なところだ。暴力三昧で我らを恐怖心に落としめれば、その怖さゆえ誰でも従うと思っていたのか。確かに現実は、皆お前を恐れたが、その裏で憎み呪い殺したいと誰もが思っていた。その意を俺様が代わって、天罰を与えたまでのこと。思い知ったか!

動かぬ亡骸に唾をかけた。

「菊地!お前の魂も、未練がましくそこいら辺でうろうろせず、とっとと地獄へ堕ちやがれ!」

捨て台詞を吐いた。

「さあ、この平松様が、成敗した菊地に代わりこの巣穴を支配する!」

冷たい亡骸に足を掛け、高らかに宣言した。

すると何時の間にか、周りに働き蟻たちの輪が出来ていた。一応に安堵の表情を示すと同時に、平松の顔色を覗っていた。果たして菊地時代の恐怖心を払拭し、安心して暮らせる巣穴になるのかと。不安と期待が入り交じる顔で新将軍を窺っていたのだ。

そんな空気を察してか、平松が発する。

「見ての通りだ。すでに、このように暴君は死んだ。皆を苦しめたこの菊地を、俺が成敗した。安心しろ。今までのような辛い生活はさせない。如何なんだ。この俺に、ついてくるか!」

その言葉に安堵したのか、拍手と共に一斉に歓喜の声が湧き起った。

「待て、静かにしろ。喜ぶのはまだ早い。まずは、この俺を首領として認めるか問いたいが」

平松がおもむろに問うと、更に拍手が高鳴りし一向に納まらなかった。平松はその歓喜の拍手に鳥肌が立っていた。その響きを身体全体に受けながら、確信し叫ぶ。

「そうか、そうか。皆、俺を君主と認めるのだな!」

満足気に周囲を謁見し、背筋を伸ばして吠える。

「分かった。それでは今から、この巣穴を統率して行く。これからわしのことを将軍様と呼ぶのだ。いいか、不服ある者は直にこの巣穴から立ち去れ。止めはしない!」

すると拍手が止まり、感極まっていた皆が一斉に静まり返る。そして恫喝にもにた言葉に、菊地の二の舞になるのかと逆らう者は出てこなかった。

「皆の者、心配するな。わしは菊地ではない。この亡骸のような暴力と女に熱は上げない。ただ、この巣穴を統率して行くために、時には鬼にならねばならぬ時もある。皆がこの平松についてきてくれるなら、暴君にはならない。これだけは約束する。皆、賛同してくれるか!」

すると案ずる中にも、ちらほらと拍手する者が現れ、次第に全体へと広がっていった。

「うむ、そうか。皆、わしを信じてくれるか。有り難いことだ。そこで、諸君にお願いしたいことがある。これは皆を思って話すことなので、よく聞いて貰いたい」

「今この巣穴には、これから到来する厳しい冬を乗り切るだけの食料がない。このままでは、とても越冬など出来ない。皆の中から多数の餓死者を出すことになろう。それは何としても防がねばならない」

言葉を止め、「こほん」と一つ咳をする。やおら周りを鋭い視線で見回し、おもむろに告げる。

「まず始めにわしがせねばならぬことは、皆の命を救うことだ。それを成すためには、至急越冬用の食料を確保せねばならない。この骸が皆に命じたことを思い出せ。『十日分の食料を採って来いだの、集められるまで帰ってくるな』などと吐いた。とんでもないことだ。裏を返せば、皆死ねと言っているようなものだ。権力を笠にかけ無理難題を押し付けた。そのために何人の仲間が死んで行ったか。これ以上死傷者を出せようか。そんな菊地の粗暴に、このわしは絶対に許すことが出来なかったのだ。

だから、菊地を殺した。ただ、厳冬期はこれからやってくる。それを乗り切るには、他の巣穴から食料を奪ってでも確保しなければならない。それ以外に方法はない。わしが先頭に立ち奪いに行く。ついてくる者はいるか。幸い我が部下の精鋭十人は戦闘員として参加する。だから安心しろ。そこに加わればよい。勇気のある者はいないか。わしと共に戦う者は一歩前へ出よ!」

きっぱりと告げた。すると群集の中から、一人、また一人と前へ出る者がいた。十人ほどの働き蟻が立ち上がった。その結果、寄合い兵士と合わせ、総勢二十人ほどの働き蟻たちが、平松と共に出動することになった。

「よし、これだけいれば戦うことが出来る。皆、よく聞け。攻撃先は俊介が率いる巣穴だ。分かったか!」

「おおっ!」

大きな歓声が巣穴に響いた。平松は満足する。これで名実ともに己が将軍になったのだと、心の中で確信していた。そして、おもむろに視線を投げる。

「攻撃は二日後とする。それまで我が軍の兵士に戦闘の仕方を教わっておけ!」

そのように号令した。すると何時の間にか、ひょっこり仲田がにじり寄る。

「平松将軍様。ご機嫌麗しく、またご立派な姿、誠に敬服致しておりまする」

しきりに手を揉み褒め言葉を告げた。平松は腹の内で窺う。

こやつは何と狡賢い男だ。菊地が生きている時は、何時もにじり寄っていたくせに。この俺に代わった途端、裏を返したように近づいてくる。この男、如何しても信用ならぬぞ。

そう思いつつ顔に表わさず、毅然として言い放つ。

「何だ、仲田か。そのような歯の浮くようなせいじなどいらん。ところで、お前も当然参加するんだろうな」

意味心に尋ねた。すると、

「ごもっともでございます。私めが先頭に立ち、将軍様をお守りする所存で馳せ参じましてございます」

触覚をしごきしながら、ぬけぬけと腰巾着のようにほざいた。

「そうか、それではお前を鉄砲玉避けに使ってやる。命を惜しむな。まあ、この前の時のようなみっともない所作だけはするな。くれぐれも言っておくが、それなりの覚悟で立ち向かえ。分かったな。今、お前が言ったこと決して忘れんぞ」

「は、はい。宜しくお願いします…」

不安気な表情で頭を下げた。

「将軍様、それでは出陣の仕度をして参ります」

すごすごとその場を離れた。それらの一連のやり取りを、物陰からそっと覗う女がいた。悲し気に涙を溜めるが、きりっと新将軍を睨みつけていた。

「如何して、私の未来を奪う…。あなたが私の運命を変えたばかりか、女としての悦びを教えてくれた大切な人を奪い取るなんて、…許せない。この仇、必ず取ってやる。このまま泣き寝入りするなんて、私はいや。必ずや仕返ししてやる。この恨み、必ず果たしてやる…」

口惜しそうに呟いた。そしてまた込み上げてきたのか、止めど無く涙を溢れさせていた。

そんなことは露知らず、平松は上機嫌でいた。

「今日のところは、これでよし。二日後に俊介らの巣穴を襲う段取りが採れた。それに運よく、皆を煽動することも出来た。それと、にじり寄ってきた仲田だ。この際、思うがままにこき使ってやるか。まあ、使用済みになれば、菊地のように始末すればいい。生かしておけば、何をしでかすか分からぬ奴だからな」

ぶつぶつと呟き、何を思い出したのか、ふいっと顔を上げる。

「誰か、仲田を呼べ!」

声を枯らすと、直ぐに現れた。

「将軍様、お呼びでございましょうか?」

「おお、呼んだぞ。お前に重要な任務を与える」

「は、はっ、かしこまってございます!」

「慌てるな。まだ、何も言っておらん!」

「はっ!」

固唾を呑み平伏し、次の言葉を待つ。

「それでは早速だが、仲田。二日後の出陣だが、出立するその前に皆を集め特訓し、全員の士気高揚を図っておくのだ」

「えっ、私めがですか?」

「ああ、そうだ!」

「は、はい…」

「何だ、その返事は。不満でもあるのか」

「あいや、とんでもございません。将軍様のご命令に逆らうなどと考えも致しませぬ」

「そうか、それならよいが」

頷き少し間を置き、しっかりした声で下知する。

「それではお前を、只今からわしが果たしていた我が軍の分隊長を命ずる!」

「えっ、分隊長!将軍様の前任の分隊長を…?」

「そうだ、特別重要な任務だ。心して当たれ!」

「はっ、かしこまりましてございます!」

深々と頭を下げた。そして胸の内で叫んでいた。

何と光栄なことだ。この俺がナンバーツーの分隊長に任命されるなんて。運が向いてきたぞ…。

ほくそえみ、拳に力を入れた。そしてしみじみと思う。

何と、この俺が分隊長。こんなに早く偉くなっていいのだろうか。菊地の時では考えられないことだ。

含むように顔がにやついた。

「仲田、何をぼさっと突っ立っている。不満でもあるのか!」

「いいえ、滅相もございません。こんな名誉なことを仰せつかり、感激しているところでございます。私め仲田、いや分隊長は、今から心身とも将軍様に捧げる覚悟でありまする!」

「そうか、しっかり頼むぞ」

「はっ、かしこまりました!」

真に仲田は嬉しかった。まさか、こんな重要なポストに任命されるとは思ってもみなかった。

よしっ、明後日までに兵隊どもに気合をいれるか。

決意を新たにした。

「それでは将軍様、これから戦闘要員の鍛錬に向かわせて頂きます!」

一礼して踵を返した。

後姿を見送る平松が呟く。

「あの狡賢い仲田とて、使いようだ。まあ、これくらいの役務をやれば、それなりの成果があろうというものよ…。但し、動きだけは監視するか。何をしでかすか分からんで。俺が菊地を倒した企てを、奴がやりかねん。用心にこしたことはない」

警戒心を含ませた。そして、

「さあて、明後日まで如何過ごすか。あっ、そうだ。せっかくだ。菊地が女に仕立てた万里子でも味わってみるか。さぞかし美味いんだろうな」

にやつき触覚をしごく。

「そうと決まれば、早速万里子を呼ぼうぞ」

直後、万里子は新将軍のところへ召し出され、しとねをしろと申し渡された。まさか、悲しみも癒えぬ時に、憎っくき平松に尽くさねばならぬとは思いもよらなかった。

憎かった。嫌だった。

だが、現状から逃れられるわけではない。逆らえばどのようになるか容易に推測出来る。以前平松に連れられ菊地に貢がされたと同様、逆らうことなど選択技にはないのだ。辛かったが、仕方ないと諦める。

夜の帳が落ちた頃、平松から矢の催促が飛んでくるが、なかなか足が動かなかった。するとふいに悲しみが込み上げ、大きな目から涙が溢れるが拭おうとしなかった。それは今まで重ねてきた菊地との悦びを流し去ろうという悲しい涙だった。

弱き己にとり、何時までも未練を残しては生きて行けぬ現実を、深く感じていたのだ。

もう、過去のことは振り返らない。前だけ見て歩もう。

そう心に決めた。すると涙が止まる。そして、平然とした顔で腰を上げた。

ただ、行き先が違っていた。平松のところではなかった。

平松は彼女が来るのを、今は遅しと待っていた。だが何時になっても現れず、そのうち自ら将軍になったことに満足し、まだかまだかと焦れているうち、酔い潰れ寝入ってしまったのである。ふと目覚めた時は、すでに朝になっていた。昨夜来ぬことを思い起し、一瞬むかつくが、直ぐに己が新将軍になったという実感が湧き、その満る歓びで帳消しにした。

「まあ、昨夜のことはよいわい。いずれたっぷり可愛がってやる」

触覚をしごき、舌なめずりした。

だがしかし、束の間の夢に酔いしれている時だった。血相を欠いた下僕が飛んで来る。

「将、将軍様、巣穴の外で万里子が死んでいます!」

「な、なんと。万里子が死んだ…?」

言葉が続かなかった。まさか、予想だにしなかったのだ。予期せぬ万里子の死に、平松は何ともいえぬ不吉な予感に駆られる。その不安を払拭すべく、朝から酒浸りになっていた。

そして、二日後の当日が来た。

早朝、仲田が虚勢を張りやって来る。

「将軍様、いよいよ攻撃の日がやってきました。戦闘準備の方は整っております。出陣の下知を下されば、直ぐにでも出撃し俊介らの巣穴に総攻撃をかけます!」

「そうか、ご苦労!」

集まった者どもを見渡す。

「仲田、よくぞここまで準備した。お前を分隊長にした俺の目に狂いはなかったぞ」

「は、はっ。有り難うございます。将軍様のためなら、この命欲しくはありません!」

頷き、武装した平松がすくっと立つ。

「それでは仲田、出陣するぞ!」

「はっ、先導つかまつります!」

将軍の前に歩み出た。その後に平松が続く。そして総勢二十名の雑兵らを従え動き始める。すると仲田が平松の後につき、激を飛ばす。

「皆の者、よく聞け!これから俊介らの巣穴を襲う。歯向かう奴は容赦なく噛み殺せ。女、子供は生け捕りにしろ。戦利品として持ち帰りお前らにも分け与える。しからば大いに励め!」

虚勢を張り怒鳴った。緩慢な気勢がぱらぱらと上がる。すると、罰が悪そうに目を剥く。

「もっと元気に声を出さんか!」

そして、平松を覗い媚びいる。

「将軍様には、俊介らを蹴散らした後、飛びっきりべっぴんの生娘を献上させて頂きますから…」

仲田は上目使いで告げた。それを受ける平松は黙って頷く。そして、その満足気な様子を見届けた仲田が、再び前へ出て胸を張り歩き始めた。が、二人に続く者らは、皆だらだらとついて行く。整然と進行する部隊とは似つかず、士気を感じる足取りではなかった。     続く働き蟻らは、先行く二人の様子を窺いつつ、この戦いを案ずるように小声で喋る者も出ていた。そうとも知らず、仲田は受けをよくしようと平松の前を胸を張って行進する。平松もその後に意気揚々と続いた。

この前は、俊介め。ひどい目に遭わせてくれたな。思い知るがいい。何も知らずにいるお前らに、一泡吹かせてやる。奇襲とほざくが言い。貴様らを皆殺しにして、備蓄食料を奪ってやる。待っていろ、この間抜けどもめが!

慌てふためく様を思い浮かべつつ行進していた。

これで我らは、到来する厳冬期を乗り切ることが出来る。来春には雑兵を増やし、一大勢力を築かねばならぬ。おっと、そうだ。俊介らの巣穴には、生娘や働き蟻が大勢いよう、殺さずに生け捕りにするか。これから我が巣穴のために、奴隷として使わなければならんでな。

それなら首謀者の俊介と配下の指導者らと、それに歯向かう雑兵を殺し残った者どもを捕らえればいい。我が巣穴で強制労働に従わせ、刃向う働き蟻は容赦なく殺すが、それは仕方なかろう。たとえ分隊長に就かせた仲田といえど、逆らえば見せしめになぶり殺す。これからは俺様がすべてを取り仕切る。これも、この巣穴を平定するためだ。

都合よく憶測しながら、ついと洩らす。

「この世の中は、すべて俺の物になろうぞ…」

ほくそ笑み、ひょこひょこ行く仲田に続く。虚勢を張るその姿は、死んだ菊地の様相を彷彿させるものとなっていた。

朝日が昇り、歩く働き蟻の隊列に陽の光を浴びせ始める。

歩道に差し掛かった。その時である。平松も他の蟻らも気づかなかった。ぞろぞろと歩く分隊めがけ、後方から大きな黒いものが勢いよく襲い掛かってきた。

「ぎゃあっ!」

隊列の後方で悲鳴が沸くと同時に、雑兵の数匹が飛び散った。その悲鳴に、平松も仲田も気づいた時には遅かった。すでに避ける間がなかった。振り向いた途端、あっという間にその大きなものに踏み潰されていた。

「ぐうえっ!…」

断末魔の声が発せられただけだった。

一瞬のことである。

奇音だけで、二人の悲鳴すら聞けなかった。

数匹の働き蟻の中に、目を剥いた平松が潰れていた。その横に、やはり腹が破れた仲田が転がっていた。

即死である。

運よく轢かれずにすんだ雑兵らは、悲鳴を上げ逃げ失せるのが精一杯だった。

その黒い大きなもの。それは勢いよく走り去る、人間の子供が乗った自転車である。

平松らが行進していることなど、まったく目に入らなかった。楽しげに乗る子供には、踏み潰した衝撃すら伝わらなかった。前方を見据え口笛を吹きペタルを漕ぐ自転車は、何ごともなかったように走り去っていたのである。


晩秋にはめずらしい小春日和の昼前だった。冬が近づくわりには、春を思わせる温かい風がそよいでいた。

俊介らの巣穴では、崩れかけた入り口を修理している者がいた。俊介である。これから厳冬期に向かうこの暖かい日に、直しておかなければと木島らと修復にあたっていた。まさかつい先ほど、平松らがこの巣穴めがけて進軍していたこと。そして、その途中で自転車に撥ねられ死んだことなど知る由もなかった。ましてや、菊地が平松の反逆に合い殺されたことすら知らなかったのだ。

太陽が燦燦と降り注いでいる時である。血相欠いた時雄が、すっ飛んで俊介のところへやって来た。

「大変だ、大変なことが起っています!」

「何だ、そんなに慌てて。如何したんだ」

「はい、実は…!」

息を整えながら伝えた。菊地や平松らに起きた出来事を甲斐摘んで話した。俊介は黙って聞いていた。

仔細を聞き呟く。

「何時かは攻め来ると思っていたが、こんなに早く動くとは意外だった。まさか菊地が身内の分隊長に殺され、それに代わり平松が攻めてくるなんて。その平松らが轢かれ死ぬとは…。悪いことは出来ぬものだ。利己心に蝕まれた心というものは、決してよい方には向かないようだ」

我らのように皆のことを考え古き良きものを尊び、更に時代の変化に即応したものを取り入れ、未来へと繋ぐことが大切なんだ。そのために、皆が英知を絞り努力する。そして、この巣穴社会の改革を今以上に進めねばならない。

俊介はつくづくそう思い、今があることの大切さが身にしみ感じていた。

もし平松らに、この時期に攻められたら、無防備の我らには防ぎようがなく如何にもならなかったであろう。

心の内で安堵していた。

それにしても攻め来る平松らが、偶然にも通りかかった自転車に跳ねられ、一番恐れていたことが飛沫のように消えた。我が巣穴にとって運がいいとしか言いようがない。もし不意打ちを喰らっていれば、多大な犠牲者を出したであろう。更に壊滅的打撃を受け、滅ぼされていたかも知れない。

そう危惧した。時雄の話の結末が、攻められず安泰だったことに感謝した。

「そうだったのか。我々も警戒していたが、まさかこの時期に攻めて来るとは。それにしてもよかった。天は我らに味方してくれたようだ」

「ええ、私もそう思います…」

沈黙が二人を包む。

「…」

暖かな風が、その沈黙を払い除けるようにそよいだ。

「さあ、早いとこ直してしまおうか。すぐに寒い冬がやってくる」

「そうですね」

崩れかけた巣穴の修復に心を込め向っていた。

「俊介さん。これからまた忙しくなりますね」

「ああ、そうだな。やることが沢山が残っている。巣穴改革も途中だし、もっともっと進めていかにゃならんからな」

燦燦と輝く陽の光を眺めつつ、二人は胸を撫で下ろしていた。





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