五
「くそっ、何てこった。ここで一旗揚げなければ、俺の立場がなくなるじゃねえか。愚図ぐずしていられんぞ!」
仲田は分隊長の動きを警戒していた。
「平松め、俺が部下だからと偉そうに菊地に媚売りやがって。それに引き換え俺には何時も辛くあたる。畜生、面白くねえな」
苦悶する中で焦りを感じていた。
「谷川、お前も奴が気にいらねえだろ。あの野郎ばかり偉くなりやがってよ。それに比べ、如何だ俺らの処遇は」
「ううん、確かに奴は立ち回りが旨いからな。だから菊地に気に入られ、分隊長までのし上がったんだ、実力もないくせに。まったく将軍様は、見る目がないよな」
「まったくその通りだ」
仲田が相槌を打った。
「それにしても、このまま成果を挙げられなきゃ、奴に何をされるか分からんぞ。そのうち告口され、将軍の逆鱗に触れることになるかも知れない。そんなことになれば幾つ命があっても足りんぞ」
「まったくだ。過去に幾人が、あの菊地の毒牙にかかって死んだことか。今思えば些細なことや、うだつが上がらぬ奴ばかりだ。皆、真面目に勤めていたのに。あんな平松みたいな調子いい野郎がいるから、余計目につき菊地の耳に入るんだ。殺された奴らには気の毒としが言いようがないぜ」
「おいおい、他人事ではないぞ。俺らだって平松辺りに酷評され、己を売り込むに決まってら。それが将軍の逆鱗に触れたらただじゃすまん。必ず俺らに仕打ちが来る…」
「そりゃ大変だ、何とかしなくっちゃ」
「ところで仲田、いい案ないのか。こんな時だ切羽詰るとお前、悪知恵が働くじゃねえか」
すると、にやつき狡賢く思案にふける。そして何を思いついたのか、谷川と別れ平松のところへやってくる。
「分隊長、ご機嫌如何ですか?」
「おお、何だ。仲田!」
「はい、ご報告に伺ったのですが、宜しいでしょうか?」
「ああ、何だ。そう言えば仲田。例の件はどのように進行しているのか。獲物を持って戻ってきた者はいるのか?」
「はい、その件でございますが、計画通り今だ戻る者はおりません」
「そうか、それならいい。これで巣穴のただ飯食いは、いなくなったということになる。ご苦労であった。して、仲田。越冬用の食糧確保の妙案でも持ってきたのか?」
「は、はっ。いろいろ考えておりますが、なかなか思い当たりませんで」
思惑ある顔で視線をやり、表向きはにこやかに腹の内で卑下する。
何を抜かす。いいとこ取りしようなんて見えみえだぞ。そんなお前のために、妙案なんか軽々しく教えるわけねえだろう。どっちみち将軍に報告する時は、さも己が考えた如く報告するに決まってら。俺がせっかく考え出したところで億尾にも出さずによ。平松、お前は何時もそうだ。そんなお前のために、妙案を教えるとでも思っているのか。馬鹿野郎、甘いぜ。
そして、笑みを絶やさず嘯く。
「そうですね。なかなかいい案が浮んでこないんですよ。ですからもう少し時間を下さい。そうしたら、あっと驚くような妙案をご報告しますから」
すると、にたりと平松が返す。
「そうか。こんな時ぐらい精々知恵を絞って貰らわにゃな。日頃面倒を見てやっているんだし、それでもし旨く行った時には、それなりに将軍に口添えしてやるからよ」
「ええ、そうですか。その節は宜しく頼みますよ。如何も将軍様は俺のことあまり目にかけてくれてないから、口添えして頂ければ助かります」
さらに、腹の中で虚仮下ろす。
何言ってんだか。心にもないことをほざきやがるぜ。そんな気なんぞこれっぽっちもないくせに、調子のいいこと抜かしやがって。まったくふざけた野郎だ。けれど馬鹿な上司を旨く利用して出世しなければな。そのために恩を売り、最大の効果が得られるような画策をせにゃならん。
嘘ぶく仲田の報告に、平松は腹の探り合いをする。
こ奴は悪知恵が働くから、用心せんといかん。そうは言え、悪知恵の宝庫だ。活用せんともったいない。この際、越冬用備蓄食料の強奪案を練らすとするか。妙案が出たら詳細を聞き、将軍へと提言する。さすれば我が身は安全だし、より信頼を得ることが出来るというもんだ。
煽てて使えば、俺に対する油断も生じよう。そうだ、こき使って用済みになった時は切り捨てればいい。この仲田と言う奴はその程度の男だ。
そのように見切り、つと俊介のことが気になりだし仲田の腹の内を探る。
それにしても、俊介の動きが気になるな。如何も近頃我が巣穴の周りで、奴の部下を見かけるぞ。さては俊介が指示して、我らを偵察しているのかも知れん。用心せんといかんな。
我らの攻撃準備の進み具合でも調べているのか。さすが俊介だ。奴らの巣穴に対し総攻撃することを察知し始めているのか。菊地には二週間程くれと言ってある。もし本格的な出撃となれば、やはり来年の春先にならねば無理だ。おそらく俊介は、それを目途に準備しているに違いない。
それにしても、ただ今策で人減らしは出来ても、備蓄食糧の備え量からすれば万全とは言えまい。本格的に冬が来る前に、纏まった量を確保しなければ越冬も難しくなる。こちらの策もここのところは、仲田を使ってでも妙案をひねり出さねばな。
そうだ、この際。こ奴に具体的に指示しておくか。さもないと、ねっ首を欠かれるかもしれんからな。先手を打ってガードしておくことが肝要だ。
そう詮索し、耳打ちするように小声で告げる。
「おい、仲田。ちょっと耳を貸せ。いいことを教えてやろう。この話は本来箝口令が引かれており口外出来ないのだが、特別にお前だけに教える。これから考える秘策のヒントになるものだ。いいか、よく聞け」
「そうですか、それは有り難い。私もいい知恵があればと、お伺いしようと考えていたところなんです」
平松に近寄り耳を傾ける。
「これは直々に将軍から下知があったものだが、冬が明けた来春に例の俊介らのいる巣穴に総攻撃をかける。その準備に入れという。ただ、それまで『秘密裏に準備しろ』との命令だ。『特別に分隊長であるお前に教える』とのことだった。それに総攻撃の先頭に立つのは、将軍自らだと申していた」
「ええっ、そうですか。これは一大事だ!」
慌て飛び出そうとするところを抑える。
「おい、おい、待て。今言ったばかりだぞ。絶対に口外してはならぬ。この重大なことが皆に知れ、万が一俊介らに悟られたら大変なことになる。洩れたことが将軍の耳にでも入ってみろ、俺の首どころかお前だって生きてはいられんぞ」
「はっ、その点は十分注意致します。平松さん」
「ただな、仲田。考えにもよるが…」
更に小声となる。
「最近、如何も俊介のところの間者が多くなっている。そこら辺を逆手に取ることも考えられるがな…」
「と、申しますと?」
意味深な言い回しが理解しかねるのか聞き直した。
「仲田、よく考えてみろ。今ここで功績を挙げられれば、この先如何なる」
「えっ、ここで功績を挙げるとは…、如何いうことです?まさか…」
「そうだ、そのまさかだ。この千載一隅のチャンスは二度とない。このチャンスをものにしなければ、お前自身大きな出世など望めるものか」
「はっ、はい…。でも…」
「でも、何だ。お前には、その勇気がないと言うのか、あるいは知恵がないか。それともそうか、決死隊となる仲間を集めることが出来ないか?」
「いいえ、そんなことはありません。いざとなれば何人か即座に集められますし、算段だって立てられます。ただ、まだしっくりと腹に落ちていないもので。すみません、平松さんの言われる意図が飲み込めないもので。それは如何言うことでしょうか?」
「何っ、俺の言っていることが分からないだと、何を聞いているんだ。ぼけっとしておるからそうなるんだ。しっかりしろ、仲田!」
怒りを込めて叱った。
「はあ、すいません。頭が悪いもので…」
「仕方がない奴だ。それじゃはっきり言ってやる。耳の穴でもかっぽじいて、よく聞け!」
「はい、申し訳ありません」
神妙な顔つきになる。
「実はな、最近の俊介らの動きだ。奴らの動きを見ていると、如何もおかしな行動をしている。俺の目から見ると、まさしく軍事訓練のようだ。何か我々のシークレット情報が、奴らに洩れているのではと憶測できる。我々の計画に供応する動きをしてきている。
今、奴らに先制攻撃されたら…。そうなったら如何なる、準備の整っていない我らは壊滅的な打撃を受ける。仲田、お前の出世どころではないぞ。勿論、俺だって無傷ではすまない。仲田、少しは言っていることが飲み込めたか?」
「ええ、おぼろげながら。そうですか、先にね…」
「そうだ、奴らが攻めくる前に先手を打つ」
「やはりそうですか。…奇襲ですね。そうしなければ奴らに勝てる道はないということですね」
まさかと思ったその答えと、納得するように口を結んだ。その仕草を見て促す。
「だからさっき言っただろ。お前の腕の見せどころだと。この奇策が旨くいけば、間違いなく我が軍隊の中枢部へ入ることが出来るし、出世も保証される。まあ、完全に制圧出来なくても、奴らが壊滅的ダメージを受け立ち直れなくなれば大きな成果となる。
越冬の備蓄食料を奪い、更に奴らを捕虜にして春先から奴隷の如く働かせれば、それこそ将軍様が喜ぶことだからな。それに生娘でもさらって来い。そして、恭しく献上するんだ。出世間違いないぞ」
「うむ、そうですか…」
仲田が唸り、闘志が沸き立つのか触角をしごく。
「分隊長、やらせて下さい。いい話を聞かせて頂きました。是非、私に任せて下さい。せっかくのチャンスですから。これは何としても成功させないと」
「そうか、やってくれるか。但しこの動き、誰にも悟られぬよう行動せねばならない。勿論、将軍にもな。成就したあかつきに、将軍様に報告申し上げる。だから仲田よ、秘密裏に動け。俺の意図するところが分かったな!」
「ええ、分かりました。私めが必ず成功させてご覧にいれます!」
胸を張った。
仲田の動きは早かった。翌日、すでに人知れず動き出していたのだ。まず人集めに走る。攻撃する仲間がいなければ行動などできない。一人では無理なのだ。いろいろ詮索し、やっと九人集めた。自身を含め十人の攻撃部隊を編成する。あまり多くなっては目立ち過ぎるため、少人数で攻撃しようと考えた。兵隊集めはまんまと平松の思惑に嵌まってだ。そこで仲田は忠実に実行した。そして更に、
ただ、単純に攻めたところで勝てない。奇襲にしても俊介らの巣穴を破壊するには、如何すればいいか。まず偵察に来ている間者を捕らえ拷問にかけ、俊介らの動きを吐かせ弱点を見つける。
そこから突破口を開こうとした。
さすれば妙案が浮かぶに違いない。そうだ奴らを倒すには、指導者を捕らえ殺せば巣穴は混乱し空中分解する。俊介を捕らえ見せしめに甚振り殺し、戦意を消失させる。そうすれば奴らは我が軍に堕ちるだろう。
と、踏んだのである。そこで多人数とせず、五人程度の小数精鋭部隊で大将の俊介を捕まえる作戦を大まかに立てた。
よし、この線でいこう。これしかない…。
仲田には自信があった。
まあ、こんなもんだ。他の奴らには考えられまい。あの平松にだってな。
すでに勝ち得たように、ほくそえみ目を細めていた。
一方、平松も抜け目なかった。仲田の動向を密かに偵察していたのだ。まさかそんなことは、仲田は予想だにしていない。だが、しっかりと監視されていた。動きが逐一平松へと届けられる。
うむ、うむ、なるほど。考えおって、抜け目のない奴だ。ちょいと餌をぶら下げれば、その気になり手際よく段取りを取っておる。まずまずだな。それにしても逆心はないようだ。その動きは、これまでの報告では見られんからな。
ただ、安心し切っては危ない。奴のことだ、何時裏切るか分かったものではないぞ。今のところ怪しい動きはないが、考えられることだからな。
まあ、それにしても、旨く焚きつけられた。仲田に責任をおっ被せ、失敗すれば奴の暴走と言うことで詰め腹を切らせる。逆に旨く行った時は、その成果を将軍に報告しいいとこ取りする。されば俺に対する評価も上がるというもんだ。まあ、仲田への褒美は少しばかり色をつけてやればそれでよい。
首尾よい状況の中、考えも用心深くなる。
ただ、気をつけなければならんのは、奴が欲を出し兵力が整わぬ状態で暴走しその結果跳ね返され、俊介らの防御が強固となり容易に越冬用獲物の強奪が難しくなることだ。奪ってこなければ、いくら仲田のせいだと釈明しても、菊地が納得しまいて。そうなっては、この計画も失敗に終わる。それだけで済めばよいが、将軍に対する申し開きが出来なくなり、俺の責任になってしまう。
それはまずい、本当にまずいぞ。そんなことになったら如何する。とにかく越冬用の食糧確保は最低限必要だ。それが出来なければ…。
如何にもならんではないか。それだけは何としても防がねば。やはり仲田に対する監視はもっと強化し、万が一の時はあ奴に責任をおっ被せる算段を考えておこう。何としても俺の詰め腹だけは避けなきゃならん。
そんな思惑など知らず仲田は、この時とばかりに手柄を立てようと奔走していた。
今がチャンスだ。確かに越冬するには、それなりの食料が必要になる。それが厳命となっている以上その確保手段として、俊介らの巣穴へ奇襲をかけ成功させねばならない。そのついでに、生娘でもかっさらて来られれば、なおよしだ。
最も手っ取り早い策略だと自負する。
奇襲の理由は後から何とでもつけられる。平松が教えてくれた。俊介らから放たれた間者の働き蟻が、我らの巣穴に攻撃を仕掛けて来たことにすれば、奴らへの攻撃の名目は成り立つ。それだけの理由があれば、後は奇襲をかけるために考えた戦略を具体的に組み立てればいいわけだ。
いや、待てよ。
奇襲による食糧確保だけでなく、どのように俊介を誘き出し、一挙に始末するかだ。平松の言うような、打撃を与えればそれでよいなどとそれでは生温い。この際、一網打尽にすれば衝撃的な戦勝報告として、将軍に伝えられるじゃねえか…。
よし、この線で行こう。たとえ平松が己の手柄だとほざいたところで、これだけのことをすれば、俺の名前が必然的に浮かび上がる。はっきり俺の成果としてアピールするには、中途半端では奴の手柄になるだけだ。平松の思う壺になろう。奴はここを狙っているんだ。そんな勝手な真似はされない。平松如きはその程度の狡っからいことしか考えまい。
奴の罠に嵌まる振りをして、最終的に俺の成果となるよう仕組んでみせる。それを後で知ったら、野郎も地団駄踏んで悔しがるだろうて。ざまあ見ろといいたいね、その時はもう後の祭りだからな。いいところ取りされたんじゃ立つ瀬がねえから、奴にはたっぷり苦汁を飲ませてやる。いずれあいつが分隊長を失脚すれば、その後釜に俺がなろうと言うものだ。そのための布石と位置づけて、今回の仕事をやらねばならん。
胸中で皮算用をしていた。そして、更に熟考する。
それでは何時決行するかだ。まずは奴らの間者を捕まえ吐かせねばならない。その理由など何でもいい。捕虜が偵察していたと言うことでいい。この計画も、それからだ。
そう思案し、集めた仲間九人と仔細に打ち合わせをしていた。ただ作戦の中身は、ほとんど仲田の考えで押し通した。
それから数日が経過した昼過ぎである。仲田の下に俊介らの雑兵が捕らえられ連れて来られた。その者が間者であるか否かは、この際如何でもいい。もし違えば間者に仕立てればよいからだ。いずれにしても、捕まえた働き蟻に激しく暴行を加え、瀕死の怪我を負わせ縛り上げる。そして、「我が巣穴を偵察し、攻撃を仕掛けてきたり。よって防衛のため相打った」と記した紙切れを首に下げ、俊介らの巣穴に送り返したのだ。それが、仲田が考えた攻撃の合図だった。その挑発に激怒したのが時雄だ。
「何と言う奴らだ。罪もない我らの仲間を、こんな目に合わせるとは。許せない!」
息巻いた。それに相応し、国分や木島らが気勢を上げたのである。そして、早急に軍勢を整え攻撃準備に入っていた。木島に至っては興奮し腕をぐるぐる廻し叫ぶ。
「こうなったら絶対に許せん。直ぐにでも奴らと戦ってめためたにしてやる!野口といい池田と、今度はこの有り様だ。何が攻撃を仕掛けて来ただ。とんでもない言いがかりじゃねえか。それを口実に攻めて来たとは承知千万。時雄さん、俺はもう我慢が出来ない。奴らのために多くの仲間が犠牲になっている。このまま泣き寝入りするんですか。そんなの嫌だ!」
「日のために今まで辛い訓練を重ねてきたんだ、初めて戦うが俺は負けない。絶対にやっつけてやる。くそっ、思い知らせてやらにゃ腹の虫が収まらねえや。直ぐに攻撃しようぜ!」
西田の目も木島と同様鋭くなり、興奮し触覚をしごいていた。時雄にしても同じ気持ちだった。ただ木島らと違うのは、一途に逆上せ上がらないことだ。すわ攻撃と思ったが、一呼吸し抑える。
「まあ、ちょっと待て。木島も西田も落ち着け!」
「これは、もしや挑発ではないのか。確か菊地らには軍師がいる。そう、平松と言った。こいつが何か企んでいる。そ奴の指令により部下が仕掛けているのか。それで浮き足立つ行動を誘発させようとしているのではないか?」
今一度、冷静に見つめ直すべきか。一時の高ぶりで動けば、奴らの思う壺だ。罠に嵌まるだけかもしれない…。
これは何かある。腹内で推測した。
そうだ、俊介さんに、ことの仔細を報告し相談しなければ。
即座にそう思った。高まる気持ちを抑え、軽はずみな行動を阻止すべく制する。
「皆には、これから俊介さんと相談してくる。そして何らかの策を持ってくる。それまで先走った行動をしてはならぬ!」
それでも木島辺りは納得せず、今にも飛び出しそうな気配を見せていた。
「木島!」
時雄が抑える。
「決して戻るまで勝手な行動をするな、分かったな!」
「ええ、でも時雄さん。こんな目に合わされているんですよ。それを、指を銜えて待てというんですか。俺はもう我慢出来ない。具体的に何時までと言って下さい。そうしないと身体が言うことを聞かなくなります」
頭に血が上ってか、激しく反論した。
更に抑制する。
「おい、そういきり立つな。俺だって、すぐに奴らのところへ殴り込んで行きたい。でもよく考えろ、それが罠だったら如何する。ただの勢いだけで仕掛けても、逆襲に合い犠牲者が出るかもしれんぞ。そうなったらすみませんでしたではすまなくなるんだ」
「木島、お前だって策略に嵌まり殺されるかもしれんぞ!」
「ええっ、反撃を喰って殺られる。まさか…」
「そのまさかがあるかもしれない。奴らを甘く見るな。卑怯な奴らばかりだ」
「狡賢い菊地だ、何を企んでいるか分からない。もし奇策を持ちその手立てとして今回のことをしたとしたら、まんまとその術中に嵌まることになる。それでもお前は振り切り行くというのか。その結果が、我が巣穴に壊滅的な被害を被るかもしれないと考えられてもよ」
「時雄さん、そうは言いますけれど、俺は…」
その後の言葉は口ごもった。
「もう一度言う。木島、勝手な行動は慎め、分かったな!」
「ええ、分かりました…」
横を向き、憤懣やるかたない気持ちを抑え応えた。そして、時雄が国分や西田らを見廻し巣穴の奥へと入っていった。皆、憮然とした表情で時雄の戻るのを待った。何時まで経っても戻る気配がない。痺れを切らした木島が叫ぶ。
「時雄さんは何をやってんだ。俊介さんにしたって、どこまで用心深くなっている。菊地らが罠を張っていようが、何も恐れることないんだ。そんなもの蹴散らしてしまえば突破できる。我々にはそれくらいの力がある。何のために苦しい訓練をしてきた。奴らと戦うためではなかったのか!」
「国分、そう思わないか!こんなことしていたのでは埒が明かない。誰か俊介さんのところへ行って様子を見てくる奴はいないか」
「まあ待てよ。はやる気持ちは分からぬでもないが、時雄さんにあれだけ言われたんだ。それを無視するわけにはいかんだろうが。落ち着け、俺だって一人で攻める勇気など持っていない。木島、お前だってそうだろう。一人で奴らに勝てる自信があるのか!」
「いや、そう言われると、一人でなんか行けない。俺が言っているのは、皆で総攻撃をかけると言うことだ。皆で攻撃すれば絶対に負けない。そう言っているんだ!」
「だから、時雄さんが待てと言っている。そうだろ、木島!」
「う、うん、分かったよ。待てばいいんだろ、待てば…」
また沈黙が皆を覆った。誰一人として声を上げる者がいない。じっと待った。すると巣穴の奥から俊介と時雄が一緒に出てきた。俊介が口火を切る。
「皆、待たせたな。いろいろ考えたが決めたぞ。よく聞いてくれ」
國分らが息を飲む。
「明日、早朝出陣する!」
意外な言葉が発せられた。息巻く彼らだが、意気込みだけで心の準備が出来ぬまま、出撃が現実のものとなったのだ。
「えっ、本当ですか、俊介さん!」
「…」
「いや、とうとう奴らをやっつける時が来たんですね。よし、やってやるぞ!」
木島一人、気を吐いた。
「待て、木島。話は最後まで聞け!」
「これから明日の出陣の手立てについて説明する」
「は、はい…」
「まずはだ。明日の早朝、全員でこの巣穴から出る。そして奴らの巣穴の見えるところで陣形を取り待機する。そこまで行なう、分かったか」
「えっ、それって…。わざわざそんなことしなくても、この際一気に攻めればいいじゃないですか!」
「いいや、突入はしない。陣形を取り戦う姿勢を示せば、それでいいんだ。いざとなったら打って出る。それまでで、後は奴らが如何動くかだ。奴らにしてみれば、考えもしないこの時期での我らの動きだ。攻撃を来春と読んでいるはずだ。その読みを覆す。陣形を見て予想外とばかりに、すわ動き出したかと身構えるだろう。その後の動きで奴らの軍備状況と、どのような作戦で動くか分かる。攻撃を仕掛けてくれば、なるべく引き付け迎え撃つ。いいか、皆、我らの行動を見て必ず動く。攻めてくれば木島、国分及び西田それに十名の仲間が迎い討て!」
「言っておくが、これは遊びでもゲームでもない。戦だ。本当の戦いだ。気を抜くな。今まで戦ったことのないお前らだ。奴らが攻めてき我らが繰り出した時、奴らが引いたら深追いしてはならぬ。我を忘れて誘いに乗るな。奴らは百戦錬磨の兵どもだ。術中に嵌まれば、間違いなく負ける。命を落とすかもしれない。くれぐれも言っておく、命が欲しければ勝手に動くな。俺が何を伝えているか、必ず聞きながら戦え。もし聞けなかったら、その時は死ぬと思え、分かったな。これはゲームではない実戦だ。本当の戦いだ!」
俊介の危機迫る言いように、木島は驚いた。まさか己の命を懸け戦うと言うことが、どれほどのものか初めて知った気がした。
これが、本当の戦なのか…。
攻撃を仕掛けるのはいいが、俺なんかつい夢中になって、他人の言っていることなど聞く余裕はない。そうだったのか、奴らの罠とは…。何も知らずに誘いに乗って攻め入ったら、何時の間にか囲まれ一人袋の鼠になっている。そうなればいくら訓練したとて、多勢に無勢だ。俺は殺される…。
そう実感すると、背中に冷たいものが走った。
俊介の言葉に木島らは、その怖さを実感したのか意気消沈し黙りこくってしまった。俊介が続ける。
「他の者たちは、国分らが攻めてもその場を離れるな、分かったな。国分らの分が悪くなったら、助っ人に打って出る。その部隊は時雄と他五名とする。それは芳川、前田それにお前と…伝々だ。いいか、これも俺が『進め!』と言ったら、後は時雄の指示に従い彼らの援護をしろ。形勢がこちらに向いたら国分らと共に戻れ。これも深追いしてはならぬ。それに俺と将隆らは後陣を張る。奴らが反撃してきて、手薄になったところに攻め込まれるかもしれないからだ。この陣地を落とされれば、お前らを孤立させ逃げ場がなくなると言うことだ。そうなったら、我々はお前らを助けに動かなければならない。奴らが相応して動き出せば全面戦争になるだろう。もしそれによって持ち応えられず陣形が崩れ、退却を余儀なくされれば我が軍は劣勢となる。ましてや、孤立した国分や木島らが敵軍に包囲され、集中攻撃を浴び死することになるかもしれない」
「更に奴らが勢いづき総攻撃に出て、我が軍が総崩れとなり空中分解すれば、我らの巣穴は奴らの手に落ちるのだ。従って時雄の判断で先陣たちが不利な状況になれば、この陣地を立ち退き、素早く巣穴辺りまで退却する。そこでは奴らに乱れを見せずに戻ることが肝要だ。後姿を見せれば勢いづく、そうさせないためには奴らの挑発に乗らぬことだ。気負いだけでは勝てぬ。勝手に判断し動くな。あくまでも冷静に行動すること。すなわち、常に聞き耳を立て、我らの指令を聞き逃さず団結することだ。このことを、充分心得ておけ!」
そして皆を睨み、
「俺の言うことに異を唱える者はいるか!」
大声で俊介が怒鳴った。
「…」
遊びやゲームでないことが身に染みた。そして単なる勢いだけでは戦えないことが、生々しい戦術の中に見い出していた。聞き入る木島を始め国分らは、言葉もなく唇を噛み締めていた。
身震いするほど研ぎ澄まされた俊介の言葉が、彼らを一致団結させていたのである。皆、異を唱える者などいない。張り詰めた緊張感の中で、言われる通りにしようと決めた。すると、落ち着き払う俊介が睨みを効かし告げる。
「皆、それでは明朝出陣する。今夜はゆっくりと休み英気を養っておけ!」
力強く叫んだ。
「おおっ!」
一斉に、気勢が挙がった。
そして、日が明けた。
朝早く一陣の風と共に俊介を先頭に、時雄、将隆、国分らが隊列を組み出陣して行ったのである。誰も喋ろうとしなかった。口を固く結び黙々と歩いた。そして作戦通り、菊地らの巣穴の見える丘に陣取った。
すると、そんなこととも知らず、寝ぼけ眼で立小便をしていた働き蟻が、その様に気づく。驚愕し己の目を疑った。俊介らの軍勢がいた。その黒山が今にも攻め来るように目に映ったのだ。
「ひえっ!奴らが攻めてきた!」
叫びながら、巣穴へとすっ飛んで逃げ込んだ。そのけたたましい悲鳴に、誰よりも驚いたのが仲田だった。
「な、なんだと。奴らが攻めて来ただと!」
「間、間違えありません。私がこの目で、確かに奴らの軍勢を見ました。それも黒山のようでした。嘘、嘘ではありません!」
「今、今にも攻めてきます!」
青ざめた顔で絶句しながら報告した。
仲田にしてみれば、まさかこんなに早く攻めてくるとは予想外だった。更に黒山の軍勢と聞いて動転した。
「わあっ、大変だ!如、如何する…」
うろたえ、頭が真っ白になっていた。ただ右往左往するばかりで、戦略を立て戦うどころではなかった。頭に描いていたのは、俊介らが先に攻め来るシナリオではない。自分たちが奇襲攻撃を仕掛け、混乱に乗じて俊介に止めを刺すという構想だった。
それがまったく逆になっては想定外である。ましてや、戦闘員もやっと九人集めたばかりで準備が出来ていなかった。一挙に攻められれば、いとも簡単に敗れる。むしろ戦う前から負けと等しい。仲田は如何にもならなかった。勿論、たった十人程度、それもにわか作りの雑兵で防御し反転攻撃するどころではない。さりとてこのままでいたら、己の夢など塵の如くすっ飛ぶ。
そうかと言って、平松に頼るか…、考える間もなかった。そうせざる得ないのだ。震えながら、巣穴の奥へ飛んで行った。この間にも、ぐずぐずしていれば俊介軍に攻め込めれてしまうのだ。それも黒山の軍勢で。仲田は怖気ずいていた。戦意を失うどころか、恐怖心すら湧き上がっていた。慌てふためき報告した。聞いた平松も寝耳に水だった。
「な、なんだと。仲田、お前。今、何といった!」
「ですから、俊介らが攻めて来ました。と…」
「ええっ!」
絶句した。一瞬、言葉が脳から飛んだ。動転する中でやっと発する。
「仲、仲田、如何して迎え撃ち攻めて行かない。な、なにをやってるんだ…」
へっぴり腰で叫んだが、下っ腹が緩み言葉が擦れていた。そして、弱々しく洩らす。
「…こ、こんなことがあるのか」
よもや俊介たちが、先に攻めてくるなど思いもよらなかった。それに、彼らに対する対応は全面的に仲田に任せてある。よって、平松自身の分隊の強化など、まったく手をつけていなかったのだ。
とんでもないことになった。このまま攻められたら、俺らは抵抗も出来ず惨敗するに違いない…。
「お、おい、仲田。そ、それで、如何手筈を取っている!」
動揺する己を落ち着かせようと、仲田に空放った。
「え、えっ、分隊長。俺、俺のところは…、何の準備も出来ていません。如、如何したらいいでしょうか?」
「何っ!な、なんの準備もしていないだと…。そ、そんな馬鹿な。お前の話では、何時でも攻撃出来ると言っていただろうが。それを今さら、何もしていないだと。この馬鹿者めが、如何するつもりだ!」
「如何すると言いわれましても、如何すればいいでしょうか…?」
「ああ、その言いぐさは何たることか…。それにしても、このまま攻め込まれては如何にもならん。…全滅する。俺、俺も破滅だ」
「わ、私だって…」
「何を、仲田。お前のせいでこんなことになったんだぞ!」
「そう言われましても」
「それで如何なんだ、俊介らの軍勢はどれ程いるんだ!」
「ええ…。部下の報告ですと、黒山のような軍勢と言っておりますが、それ以上詳しくは分かりません」
「何っ!そんな雑兵の報告など如何でもよい。仲田、貴様の目で確認して来たんだろうな!」
「えっ、いいえ、それは…」
「何と、自分の目で確かめてないのか…」
「はっ、はい。その通りでして…」
「馬、馬鹿な。うむむむ…」
平松は如何しようもなかった。あまりのお粗末さに、如何してよいのか言葉が詰まっていた。
「くそっ、こんな奴に頼ったのがいけなかった。ああ如何する。いや、そんなことは言ってられん。今にも攻めてくるではないか、黒山の軍勢が…。迎え撃つ手立てがない…」
動揺する中、ぬぼっとする様を見て檄を飛ばす。
「仲田、何をぼさっとしている。手勢を連れて直ぐに応戦しろ。このまま俊介らが攻めてくるのを、ただ指を銜えて眺めている心算か、少しでも奴らを抑えろ!」
「いいか、お前の命を張ってでも攻撃を遅らせろ!。な、なにをそんなところでぼさっと突っ立っている。この馬鹿者、早く行かんか!」
詰め腹を取らせるが如く怒鳴り散らした。
「ひいっ!俺はとても…。助、助けて下さい!」
「な、なにを寝ぼけている。貴様、怖じ気づいたのか。この阿呆が!」
「この役立たず。とにかく出撃しろ。お前が先頭に立ち迎え撃て。後方から援護してやる、分かったか!」
「うへえっ。分、分かりました!」
背中を無理押しされるように、仲田はのたのたと巣穴の出口へと向かった。反撃に出るどころか、あまりの恐ろしさに入口近くまで来てへたり込む。
「死にたくねよ。怖いよ、助けてくれ」
ぶるぶると震え頭を抱えた。すると、別の雑兵が仲田の下へ来て告げる。
「如何もおかしいんです。奴らは小高い丘で止まったままでいます。そして、そこで軍勢を整えているようです。整い次第、一気に攻めて来る気配であります…」
「うひゃっ、如何する。攻められたら如何するんだ!」
仲田はがたがたと震え出した。すでに戦意などなく、これ以上一歩も先へ足が動こうとしなかった。巣穴の外へ出る勇気などない。怖気づきその場にうずくまり、小便を漏らしていたのである。恥も外聞もなかった。あまりの恐ろしさに、前方の黒山がぐらぐらと揺れていた。
「なんまいだ。なんまいだ。死、死にたくねえよ…。神様、仏様。如何か私をお助け下さい!」
必死に祈った。限界だった。神仏にすがるように目を閉じ、懸命に乞うた。どれくらいの時間が過ぎたか分からなかった。恐怖心に凌駕され、震えが止らなかった。
次の伝令が来た。
「仲田さん、如何もおかしいんです。一向に奴らは攻めてきませんが…」
不可解な報告が耳に入った。
「ううん?何だと。今、何と言った!」
「はい、ですから。あそこの丘で止ったまま、こちらには進んで来ません。何やら様子を覗っているようです…」
「何っ、攻めて来ない。様子見だと?」
耳を疑った。頭が混乱する。聞き直そうと、恐る恐る目を開け問い返す。
「おい、本当か。攻めて来ないとは…」
「はい、間違いございません。如何いうわけか止ったまま動こうとしないのです」
信じられぬ報告を受け、瞬時に助かったと思った。九死に一生を得たように安堵する。
「ぷはっ、まずは助かった。とにかく攻めて来ない。しかし何故だろうか。如何して攻めて来ないのか?」
胸を撫ぜおろすが、直ぐに不吉な予感に襲われる。
いいや、おかしい。奴らが動かないからといって、攻め入らないという保証はない。もしや、仕掛けるタイミングを覗っているのかも知れん。これは…、まもなく攻撃してくるのか。
混乱していた。
そこへ、巣穴奥から状況を窺おうと平松が来る。
「おい、仲田。まだそんなところにいるのか。愚図ぐずせず早く攻めて行かんか!」
「は、はいっ…」
背中を押され、そろりと巣穴の出口に立ってみた。
「おお、伝令の通りだ。立ち止まったまま動かん。如何いうわけだ…」
後から窺う平松に、気負いしきりに触角を擦りながら告げる。
「分隊長、ほら見て下さい。奴らは攻めて来ませんぜ」
「何っ、攻めて来んだと。如何してそんなことが言える!」
「いや、如何いう訳だか分かりませんが、とにかくあそこで止ったまま、動こうとしないんです」
「ううん?俊介らは何を考えているのか…。確かに動かぬままでいる」
「いや待て、そんなことはない。攻めて来ないわけがなかろう。何かある。我らの想像を絶するような奇策を持って、攻め込もうとしているのだ。そうに違いない」
「これは何としたことか。それにしてもすごい数だ。今まで仕打ちした数々の遺恨で、俺らを根絶やしにすべく、画策しているに違いない。そうか、そのために加勢を待っているのか。それが整い次第、一斉に攻めてくる腹か。仲田、これは一大事だ。見える陣形だけでも多いのに、更に軍勢を増強しようとしている。それが揃ったら一気に攻め入る算段なんだ。これは大変なことになったぞ」
「おい、仲田。目の数でいいから、どれくらいの数かよく視てみろ!」
「は、はい!」
慌てて遠目になり、黒山の軍勢を眺めていた。
そして告げる。
「現状から見て更に増えるとなれば、おそらく百数十人規模になるのではないかと思われますが」
「うへっ!」
「な、なんと、百数十人とな…」
想像を絶する数に驚愕し、平松は腰が引けた。だが、危機感なくぽかんとする仲田を見て酷言する。
「お、お前、よくそんな暢気な顔していられるな。奴らが一気に攻めてきたら、俺らは如何なる!」
「…」
声を出せずにいた。戦うという前提が崩れているのである。二人にとって、一撃も与えることなく敗れることを意味するのだ。身体が震えてきた。戦意の問題ではなかった。数の多さに圧倒され、すでに慄き怖気づいていた。
「…」
平松も言葉が出ない。頭の中が激しく逆回転していた。
「何とする…。将軍へ報告に行きましょうか」
「いや待て…。如何報告すればいい。『俊介らが大軍で攻めてきた。我らの軍勢では勝てそうもありません…』と、でも言うのか」
「待、待て。そんなこと言えるわけがない。それでは、如何釈明したらいい…」
平松は逃げ道を塞がれた気持ちになっていた。結論など出ない。何と言い訳をしようか。如何していいのか分からなくなり、頭の中が錯乱していた。
と、そんな時である。
「あの…、それでは如何すれば宜しいでしょうか?」
すっとんきょにも、仲田の蚊の鳴く女々しい声がした。平松には応えようがない。
「うむむ…」
唸ったまま立ち尽くす。
そして意を決したのか、突如目をかっと開き命令する。
「仲田っ、死に行け!」
「如何せこうしていても敗れるんだ。どこで死のうが同じだ。そうだ、攻撃される前に俊介らの陣営に突っ込んで行け!。あわよくば、それで敵大将の首を獲ってから死ね。分かったな。仲田、討ち死に覚悟で突撃しろ!」
金切り声で怒鳴った。
「え、えっ!」
心臓が止るほど驚いた。
「…」
口が渇き言葉が出なかった。鋭い激が仲田の胸に強烈に突き刺さっていた。平松はあたかもそれが、唯一の手段であるが如く引導を渡す。
「それでは頼んだぞ…」
言い残し、さっさと巣穴の奥に引っ込んでしまった。仲田ら数人で突入するなど、無謀な行為である。黒山の軍勢に立ち向かうには、多勢に無勢のように思えた。特攻的攻撃は自らの命を捨てに行くようなものだ。それは即、死を意味する。
「そ、そんな。死にに行けなんて、殺生な…」
気持ちが萎縮していた。戦意など何処かに置き去りにした如く腑抜けになっていた。
しかし、仲田には退路が絶たれ、ここから攻め込む以外の選択技はなかったのだ。
目が廻り出した。急速に悪寒が込み上げ、吐き気をもよおす。
「うっ、うう…」
「くそっ。ああ、俺死にたくねえよ!」
恐怖心が全身を覆った。足が地につかない。平松に命じられたが、如何攻撃してよいか皆目分からず、泳ぐ眼で今にも迫ろうとする軍勢を見つめていた。不気味な巨大獣が、己を睨み飲み込もうとしている。少なくとも、仲田にはそう映った。息が詰まってきた。あまりの恐ろしさに血の気が引き、硬直する足と共に全身の震えが止まらなかった。
生唾をごくりと呑む。
忍び寄る死への恐怖が、更に増してきた。
それでもとにかく震えながら、俊介らの軍勢に向かいよろりと歩み出す。すると黒山が揺れ、国分らの先人隊が競り出して来た。目の玉が飛び出るほど驚いた。
「わっ!奴、奴らが動き出した!」
仲田の足が止った。それ以上前へ進むことが出来なかった。すると見透かすように、また一歩黒山が前進してきた。
「ぎゃあっ、攻めてきた!」
恐怖色の目玉がかっと開く。と同時に全身の毛が逆立ち、唇がわなわなと震え出した。
「お、俺は殺される…」
全身が硬直し、一歩も動き出ることが出来なかった。国分らの動きが、とてつもない巨大獣のように見え、恐怖心が仲田を覆い尽くす。喉が締め付けられ息が出来なくなっていた。これで最後かと固く目を閉じる。冷たい風が仲田の首筋を撫ぜた。
「ひえっ、助、助けてくれ!」
両手で頭を抱え込み、その場に突っ伏していた。
「殺される…。お願いだ。助、助けてくれ!」
懸命に命乞いをした。
どれだけの時間が過ぎたか分からなかった。恐る恐る顔を上げて覗った。すると、黒山も前進するのを止めていた。仲田がぜいぜいと息をつく。
「…ま、まだ生きている」
首筋の冷汗を拭い取った。
その時、足元が生温かくなっているのに気づく。失禁していたのである。恥ずかしさなど感じる余裕はない。それどころか、もしそのまま攻められていたら、簡単に殺されていると観念する。
ふらふら立ち上がってはみたものの、生きた心地がしなかった。
それでも、睨み合い対峙する格好となった。一時間、二時間と、暫らくその状態が続くかに見えた。黒山が揺れる都度、恐怖心が全身を蝕む。今までにない怖さだった。絶えられず、限界の頂点に達する。
その時だった。黒山の揺れに合わせ、一陣の風が仲田の首筋をなぞった。
「ひ、ひいっ!」
悲鳴を上げ踵を返し、一目散に巣穴へと逃げ帰る。もつれながら走った。無我夢中だった。恥も外聞もない。軍勢の雄叫びが背中を射ているようにさえ覚えた。直ぐに追いつき殺されるのではと観念する。やっとの思いで巣穴に辿り着き、振り返り窺がうが黒山は追いかけて来なかった。軍勢が揺れるだけで動こうとしない。それどころか、逆に陣地へと下がって行くではないか。仲田は如何してそうするのか、恐怖心が先に立ち考える余地などなかった。とにかく生きて戻れたことに安堵する。
そして、双方睨み合いが続いた。
それから対峙したまま三日間が過ぎて行ったのである。その間、この劣勢を菊地に告げられず、平松も仲田も生きた心地がしなかった。
巣穴の外で風が舞うと軍勢の雄叫びのように聞こえてくる。それが耳にこびり付き、巣穴内の雑音が雄叫びのように共鳴し響いてきた。
その度、恐怖心に苛まれた。
何時攻めてくるかと夜も寝れず疲労困憊し、更に恐怖心に駆られ不眠と共に食欲がすっかり落ち、げっそりと痩せてしまった。それでも恐怖心は彼らが眠ることを拒み、目の玉だけが異様に光っていたのだ。巣穴の奥で座り込み気力が萎え、憔悴しきっている時だった。一匹の雑兵が、彼らの下へ来て告げる。
「何時の間にか、居なくなっておりますが…」
「…」
二人は伝令を聞いた時、何を伝えているのか分からなかった。ただ、ぽかんと口を開けるだけで、瞬時に頭が回転しなかった。
雑兵が再度告げる。
「あの…、誰もいませんが」
「ううん?誰もいないとは、俊介らの軍勢がいないとでも言うのか?」
「は、はい。その通りです…」
「ええっ、居なくなっている?そんな馬鹿な。そんなことがあろうはずがない。間違いなく、奴らは攻めてくる。それを、居なくなったなんて信じられるか!」
仲田が目を丸くし否定して、巣穴の出口へと飛んで行った。そして恐る恐る外を窺がう。
「うんにゃ、誰もいない。奴らがいないぞ。どこにもいない。黒山の軍勢が居なくなっている。一体、如何いうことだ…」
余りの変貌に、腑抜けのようにへなへなと座り込んでいた。おっつけやって来た平松にしても同様である。
「居ないなんて、如何してだ…」
己の目を疑うように触角で擦る。
何故こうなったのか、皆目見当がつかなかった。予想だにしない事態の変化に、頭の中が錯乱しついて行けず、仲田と同様その場にへたり込んだ。あまりにも恐ろしかった。黒山の大軍が、いまだ残影として残っている。目論みとあまりにも違っていた。戦うどころか戦意を削がれ、抜け殻のようになって数日が経った。
それが、奴らの大軍が攻めて来なかった。そんなことがあろうか…。
錯乱した頭で、必死に結論を導こうとするが叶わない。
幾日も平松は考え続けた。何時の間にか受けた恐怖心が閉塞感へと変っていた。それが卑屈感に繋がる。
何でこんな目に遭わなきゃならんのだ。確かにあの時は危うかった。あのまま俊介らに攻められていたら、無抵抗のまま壊滅的な打撃を受けていただろう。如何いうことだか分からんが運良く攻め込まれず助かった。だから今がある…。
それを思い出すと、命の縮む思いがした。とは言え危機が去ったわけではない。何時攻められるかという恐怖心に苛まれ、追い詰められた状態に、その不満を菊地にぶつけるように呟く。
「それが如何なんだ、今の俺に何が与えられている。万が一、あの時攻められていたら如何なったか。考えるだけでぞっとする。こんな命拾いしていると言うのに、それが何の見返りもない。それどころか、菊地は激怒し罵声し責める。『何故、早く俊介らを倒し、備蓄食料を奪い取らないのか』と。それだけならまだしも、状況を顧みず『早く皆殺しにし、生娘を連れて来い』などとほざいている。それも己のことのみ考えるだけで、我らが如何なろうと考えもしない」
「そんな偽善者のために、この俺が犠牲になれというのか。くそっ、何とかならんのか、何とか。このままでいたら、俺の立場が危うくなるだけだ。いっそのこと転覆でもしてやろうか…」
危機的状況にあるにも係わらず、罵声を浴びせるだけの菊地に、その怨念を益々胸に刻み込んでいた。
それにもまして失意する仲田は、目論んだ夢が蜃気楼の如く消えたことに大いに焦りを感じていた。
怖かった。恐ろしかった。あの黒山の軍勢が、今もまだ夢に出ては俺を苦しめる。何時も決まってそうだ。奴らに襲われ俺の首が、噛み砕かれる瞬間に目が覚める。
何としたものか…。
このままでいれば、間違いなく悪夢に潰されてしまう。今の立場を維持することなど遠く及ばない。それどころか、いずれ平松辺りが己の無能さを押しつけ責任転嫁し、将軍の逆鱗に触れ命さえ危うくするだろう。
漫然と危惧していた。
それにしても、思いがけない攻撃に泡を食い、大いなる野望が崩れた。それどころか惨めな失態を曝け出す結果となったのだが、数日経つと惨めさも押しのけられ、その分憎しみが増していた。
くそっ、忌々しい。如何してくれるか、何としても名誉挽回しなくてはならない。そのためには如何すればいい…。まずは平松に取りなし、菊地の信頼を回復させねば、如何にもならん。俊介らめ俺をこんなめにあわせやがって、それにしても思い出すと吐き気がするわい。
何時ものように、狡賢い性格が幸いしてか、命からがら逃げ帰ったことなど忘れたように、開き直っていた。
それにしても奴らはすごい。あれほどの軍勢を繰り出してくるとは、予想だにしなかった。くそっ、俊介らを少々甘く見たかもしれんな。あの状況なら俺の考える戦略では、到底勝てそうもない。もう一度始めから練り直さなければ駄目だ…。ただ、これから兵力増強といっても時間がない。そうかと言って、今の戦力で戦わざろう得ないとなれば…。やはり以前から温めていた奇襲しかないか。ただ、よほど綿密に仕掛けないとやばい。
もし失敗したら、如何にもならん。返り討ちにあい、間違いなくぶち殺される。うむ…、それでは如何する。
自身の虚勢が影を潜め、おいそれと手が出せなくなっていたのである。
一方、平松には菊地から矢の催促だった。
「もう一週間経っているではないか。俊介らをやっつけたのか。越冬用の食料を奪い取ったてきたのか!」
呼び出されては逆鱗に触れていた。更に酷令される。
「即刻、生娘を連れて来い!」
その都度平松は平身低頭に繕い、その場を逃れていた。しかし、俊介らの軍勢を見て以来戦意が消失し、手立てなど考えられず、如何にもし難い状況に陥っていた。それ故、この窮地から逃れるため、平松は究極の選択をせざろう得ない状況になった。すなわち、二者択一である。
…どちらにしても結論は一つしかない。圧倒的な兵力の違いを見せつけられた以上、自ら討ち死に覚悟で攻め込み、針穴ほどの機会を狙って俊介を倒し、奴らの巣穴を混乱させ勝利に導くか。それが果たせねば、討ち死にし命を絶つか。今の地位を守るには、この二つ以外に選択の余地がない。
「…果たして」と、胸に手を当てる。それを誰のために成すのか。今までと同様、将軍のためとするならば、自身それで本望なのか…。
熟考の末、首を横に振った。
では、まったく違う選択技となれば…。うむ…、それは己のためであり、野望を実現する千歳一隅のチャンスと成すことではないのか。究極の選択として採ったとしたら、果たしてそれでいいのか。この選択に誤りはないのか。
今までの度重なる理不尽な仕打ちを回想していた。屈辱的であり受け入れ難いものばかりである。
果たして、このまま仕えることで報われるのか。己を犠牲にし、将軍に尽くすことで満足できるのか?いや、これ以上の屈辱に耐えることは出来ない。もう、奴についていくのは限界だ。
そうだ、奴には何の義理もない。あるのはただ一つ、怨念だけだ。そうだ、今こそ苦しめられた恨みを晴らさねばならない。それにより我が巣穴の仲間が助かるし、間違いなく賛同されるに違いない。そうだ、奴に葬られた多くの者らの恨みを晴らす時が来たのではないか。この時こそ、今なのだ。今をおいて果たす時期があろうか。何時、苦しむ仲間が賛同する時があろうか。
…やはり、今しかない。そして誰が、その責務を負うべきか…。
すくっと立ち腕を組む。ぐっと顎を引き触角をしごきながら、巣穴の一点を凝視する。その先に菊地の歪んだ奇相顔が浮かび上がっていた。
うむ、その役、この俺が引き受けねば…。
平松の胸に、決意が宿っていた。民の意向は如何であれ、勝手に己を選ぶことが、天命であるかの如く位置づけていたのである。
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