第五章抗争一



白み始めた巣穴の出口に佇み、外界を覗う国分の視線が輝いていた。早朝の冷気が身体を包む。身震いを一つして全霊をそばだてる。士気が高揚するにつれ、皆の目が一段と輝いてきた。ふと国分は思う。とにかくえらい目に遭ったと、一夜明けてみれば昨日の必死な思いが鮮やかに蘇ってくる。

確かにいい経験になった。今までこの方、外界などまともに見たこともなければ、出歩いたこともない中で貴重な体験をさせて貰った。けれど、無事に帰ってこられたからいいものを、今考えれば随分無茶なことをしたものだ。

あの時の決断が正しいかどうか定かでないが、無謀な咄嗟の閃きとそれに基づく実行計画、いずれにしても無事に戻って来られたのだ。結果として、俺の判断と取った行動が正しかったということか。

国分はそう推察した。

それにしても外敵に狙われることなく、二人ともよく帰れたものだ。

今さらながら安堵する。

ほんの少しの心の弾みが、思いがけない方向へと進む。それが結果として、とんでもない苦労に変わるのだ。元を質せば環境の変化に惑わされ、そこから生じた判断ミスにより思わぬ事態を受ける羽目となり、その対応を試されることになってしまった。

外界においては、常に起こり得るこの試練を乗り越えなければ、巣穴外での活動は許されない。むしろ外界の活動は、臨機応変の判断が求められ、即応した行動を取らなければ獲物の確保すらおぼつかなくなる。

ましてや、蟷螂などの外敵に狙われた時など、瞬時にその状況を読み取り身の安全を図ることが求められるのだ。躊躇し一瞬の遅れをとれば、餌食となり命を落としかねない。まさに巣穴外での活動は、結果の良し悪しが紙一重の差で成り立っていることを、身を持って経験出来た。これから時雄より学ぶ上で、そのことを知っただけでも得難い財産となった。

「いよいよ今日からだ。頑張るぞ!」

国分が胸を張った。

「おお、そうだ!」

木島が同調し、更に西田と将隆が加わり志願した数匹の仲間と、一同が巣穴前に集結した。まだ朝日が昇らぬ前に、意気高らかに胸張っていた。

そこで時雄が前に進み、おもむろに口火を切る。

「今日は早朝から、皆集まりご苦労様。これだけの人数が、訓練に参加してくれたことは、さぞかし野口や池田が草葉の陰で喜んでいると思う」

「そして、我が巣穴の行く末に阻害するものあるならば、それを排除して行かねばならない。いみじくも野口らがその犠牲となった。追悼する意味も含め、我らはこれから始める訓練を乗り切らねばならない」

檄に感極まるのか、皆唇を噛み締める。

「そこで、外界を知っている者たちにお願いしたい。今まで巣穴外に出たことのない国分や木島、西田らはまったく不慣れな素人同然だ。それらの者が、意気込みだけで弔い合戦を仕掛けたところで、強かな菊地軍には太刀打ち出来ないだろう。幸い経験者と未経験者がペアになるくらいの仲間が集まった。まずは外界に慣れることが大切だ。だからと言って導く者は、特別なことをやるわけではない。普段通り獲物を探しに行けばよい。そこにペアとなる国分らがついてゆき、パートナーがどのようなことをしているかを見て、外界での活動を身をもって経験し習得して貰いたい」

更に続ける。

「この計画を二週間ほど毎日続ける。それにより、身体で外界のことが勉強できるわけだ。そこで国分らにお願いしたい。獲物を取りに行く行為は、単純な労働の繰り返しだ。嫌になったり、二、三日帯同することで慣れたと勘違いしないで貰いたい。俺らの経験からすれば、そんな生易しいものでないことを知っている。我々だって気を抜けば必ず落とし穴に嵌まるのだ。今までだって、つい気を抜き油断して外敵に襲われ、命を落とした者も沢山いる。この俺だって、つい考えごとをしていたため、その隙を狙われ危うく命を落としそうになったことが幾度かあった。

更に、注意し行動すれば安全かというと、そうとも限らない。そういう時でさえ、狙われることがいくらでもある。だから仲間は、常に危険と隣り合わせで仕事に取り組んでいることを分かって欲しいのだ。

くどく言う。ここで心得て貰いたいのは、最終的には自分の命は自身で守らなければ、誰も助けてくれないということだ。そのことは肝に銘じて置くように。決して油断してはならない。命取りになるからな…」

次々に時雄が諭すことを、皆目を見開き聞いていた。己の命が掛かるとなれば、緊張し真剣になるのも当然である。昨日来の話で、未経験者らには外界の恐ろしさを、より強く感じたに違いない。

特に国分や木島は、昨日体験したことである。悪戦苦闘の末、何とか無事に戻れたが、一歩間違えれば如何なっていたか。考えれば、想像を絶するものであったに違いない。改めて己の力のなさに、木島にしても反省していたのである。

その経験がなければ、木島などは尻込みして加わらなかったように思われる。だからこそ決断し、目覚めたように参加したのだ。

うむ、やるしかないな。とにかくえらい経験をしたんだ。それを思えば、これからやろうとしていることは途方もないスケールだ。それを一人でやれと言われても無理だ。だから時雄さんが説くように、経験者と組んで体験すれば何とか習得できる。

時雄の話に共鳴し、訓練スケジュールに聞き入っていた。更に、詳しい手順や指示が続く。

「…伝々。と言うことで、説明はこれくらいにしておく。論より証拠だ。まずは一緒に付いて行き目で見て、耳で聞いて外界を知ることであり、経験してこそ次なる段階へと進むことが出来るのだ」

一同に向かって強調する。

「皆、分かったか。もし疑問に思う者がいたら何でもいい、聞いてくれ。納得した段階でペアになり出発して貰う。それでは組み合わせを発表する。国分と民雄、木島と裕太、それに西田と善一…伝々、以上の組み合わせとする。細心の注意を払い、しっかり学んで貰いたい」

出発前の心得を話し終えた。

一同が頷く。それを確認して時雄が励ます。

「それじゃ、二週間だ。早いと思う奴もいれば、遅いと感じる者も出よう。覚えが悪いからといって、人それぞれだ。それでいいんだ。多少、他の者に遅れを取ったからと諦めてはならないし、焦ってもいけない。じっくり外部環境に慣れることが必要だからな。覚えるより馴れろ。という諺を携え行動して貰いたい。

おっと、そうだ。言い忘れたが。今回の試みは俊介さんが指導してくれたものだ。彼の考えに従えば間違いない。そう思ってくれ」

「おおっ!」

一斉に声が上がった。すかさず、時雄が出発を促す。

「さあ、前置きはこれまでにする。早速、手順通りペアを組んで出発してくれ!」

「じゃあ、皆、行くぞ!」

伴走の民雄が掛け声をかけると、皆こぞって巣穴を後にし四方に散って行った。木島は盛んに触覚を擦り、ペアとなった裕太について歩く。

「ううん、なるほどな。ああやってすれ違う時、獲物の在り処を教えて貰うのか。しかし、触角を合わせるのは巣穴の中と同じだな。ところで教えて貰ったところに行けば、本当に獲物にありつけるのか。なあ、すまんが。今すれ違った働き蟻から、どんな獲物があるか教えて貰ったのか?それと何処へ行けばいいかも聞いたわけだよね」

「勿論さ。こうして帰り来る仲間から聞けば、効率よく確保できるからな。その通りに行けば、九分九厘獲物があるよ。今回は蜂の死骸がクスの木の下にあると聞いた。だけど急いで行かないと、他の奴らに持って行かれる。だから早く行こう」

「そんなもんか。他の奴に盗られるって、そんなことあるのかよ。だって他の奴には在り処を教えてないんだろ」

「いいや、そんなことない。俺らのようにすれ違った仲間に聞いているから。だから道草食っていると先を越され、持って行かれるんだ。それによ、獲物を探している蟻は他の一族だって同じだ。それぞれが触角で伝え合っている。だから早い者勝ちだ」

「それじゃ、早く行かないと駄目だな。急ごうぜ。なかったら頭にくるからよ」

木島はついて行く相棒を追い越して行こうとした。すると、

「おい、木島。俺を追い越して行くのはいいが、行き先は分かっているのか?」

「あっ、いけねえ。俺は聞いていなかったんだ。失敗した。よし、今度は俺が先頭を歩く。そうすれば帰り来る奴から、さっきの蜂の死骸情報を聞くことが出来る。いいだろ」

「ああ、いいよ。それじゃ任せた。しっかりやってくれ」

「任せておけ。この俺様にかかったら、間違いなく蜂の死骸を捕ることが出来るさ。しっかり付いて来てくんな」

木島は触覚をぴんと立て、すたすたと先を歩いて行った。途中まで勢いよく歩くが、そのうち自信がなくなったのか、速度が落ちる。

「おかしいな。ちっとも仲間と会わんぞ。これじゃ、どこへ行っていいか分からん。参ったな…」

すると、ついて歩く裕太が発破を掛ける。

「おい、木島。如何した。随分ゆっくりになったじゃねえか。のんびり歩いていたら、先を越され奪われてしまうぞ。急がんか!」

「くそっ、参ったな。おお来たぞ。助け舟だ」

ちょうど帰り来る仲間に出会った木島は、早速蜂の死骸がどこにあるのか、触角を合わせて聞いた。すると教えられた内容は、意外なものだった。

「蜂の死骸?そんなものないよ。俺が見つけたのは、人間の子供が落とした飴玉だ。舐めてみたがすごく甘いんだ。これはいいと持ち帰ろうとしたが重たい。懸命に動かそうと咬みついていたら、甘くて力が抜けてしまったよ。それで一人では持ち帰れないので、たらふく舐め腹一杯になったんで、この収めた分を巣穴に持ち帰るところだ」

「ええっ、蜂の死骸はない。甘い飴玉だって。如何なっている。話が違うじゃないか」

途方にくれた。思惑が外れ戸惑うだけで、如何していいのか分からない。すると裕太が、何やら触角で確認していたが、木島に告げる。

「蜂の死骸はもうないと言っている。それと分かったよ、如何してないのか」

「ええっ、如何してないんだ。俺には見当がつかねえや」

「それはな、さっき言っただろ。先人がいたのさ。案の定、そいつらに持って行かれちまった。残念だな」

「何と、俺らよりも先に行った奴らがいるのか。くそっ、許せねえ。誰だそんなことをする奴は。まったくもう、俺らが獲得すべき獲物だったのに…」

悔しそうに地団駄踏むと、相棒が意味深に問う。

「木島、悔しいか。誰だと思う?」

「そんなの分かるか。考えただけで忌々しくなる。一体誰だ盗人は!」

「それじゃ教えてやる。国分ペアだってよ」

「何、国分ペア?本当かよ。嘘だろ!」

「嘘じゃないさ。間違いなく俺らより先に、蜂の死骸のあるくすのきの下に行っているんだ。先を越されてしまったな」

「まじかよ。参ったな、国分に遅れを取ったなんて悔しいな。それじゃ、飴玉にしよう。甘い飴玉の方がいいと言うもんだ」

「そうするか。ところで木島、その飴玉の在り処は聞いているだろうな。さっきの仲間からよ」

「あっ、いけねえ。聞くの忘れた!…すまん」

相棒に頭を下げた。すると、

「そんなこともあろうかと、聞いておいたさ」

「本当か、さすがだな。俺なんか蜂の死骸のことしか頭になかったんで、ないといわれた時もうすでにパニクったから、そこまで頭が回らなかったよ。やっぱり未経験というのは辛いよな。さっき、時雄さんから言われたばかりなのに。臨機応変に考えなければ駄目だと。これが飴玉でよかったけど、外敵だったら俺なんか今ごろ殺られているぞ。くわばら、くわばら…」

「まあな、でもこれからだ。これから経験を積めば、上達していくさ。頑張れよ、木島。そのために俺がついているんじゃないか。とにかく、ここでぐずぐずしていられんぞ。急がねば、他の奴らに捕られてしまうからな」

「うん、お荷物にならないようにするから、裕太、みっちり教えてくれよ。それにしても国分に先を越されたのは残念だ。あいや、そんなこと言ってられねえ。飴玉まで捕られたら、俺の立つ瀬がなくなるぜ」

悔しそうにほざき、相棒と足早で歩き出した。今回参加した仲間たちは、真剣に向き合い経験者につき廻っていた。巣穴生活に馴れた国分らにとっては、予想をはるかに超える過酷な訓練だったが脱落する者はなく、皆歯を食いしばり外界での経験を積んでいったのである。



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