西田や国分らも昼過ぎに、野口が巣穴を出て行ったのは知っていた。声をかけなかった。ただ、後ろ姿を猜疑の眼差しで見送った。

「如何も、奴はおかしい。悪びれる様子もなく出て行ったじゃないか。我らの仕事柄、外出など簡単に出来ぬはずだ。それを物怖じせず行った。多分、菊地のところに違いない。この前貸した食料を猫糞したんじゃないか。それとも、それを菊地のところへ持って行き、法螺を吹き取り入ったんじゃないのか?」

「それなれば、二度目の行く方位も同じだ。態度だってああなるぞ」

国分が邪推し卑下した。西田が同調する。

「かも知れんな。そう言えば、この前帰ってきた時の悠然とした顔つき、考えればおかしなもんだ。だって本来なら、痛めつけられ不当な要求を受け、方々の態で帰ってくるはずだぞ。それがまったく違っていたからな」

「は、はん、そうか。そう言うことだったのか。俺の睨んだと通りだ」

国分が相槌を打つ。

「うん、そうだ。野口の奴、我々の前から断りもなく姿を消すということは、何か企んでいるに違いない。もしや、我らの巣穴ごと売る気でいるんじゃないか?」

「菊地にけしかけられたか、あるいはたぶらかされてよ。それにあや奴、『食料のことなら如何にでもなります』とか嘘ぶいてな」

「確かにそれも考えられる。俺らと同じ食料保管係だから、巣穴の状況から越冬用食料の保管状況もすべて知っている」

西田が邪推を告げ、頷き返す。

「ああ、そうだ。野郎、『この巣穴の食料関係はすべて俺が牛耳っている。だから何とでもなる。と、それに何年も暮らしてきた巣穴だ。攻略方法だってお手のもんだ。『任せてくれ』とか言って、媚を売りに行ったに違いない。そして機会を覗い、菊地のところへ鞍替えしようとしてな。それで俺たちに挨拶もせず、こそっと出て行ったんだ。まあ、そんなところだろうて…」

蔑むように国分が結論付けた。すると黙っていた木島が、身体を乗り出す。

「しかし、この前いなかったから要領得ず黙っていたが、野口の奴、そんな勝手なことやっているのか?」

更に憤る。

「もし、そうだとしたら許せんぞ。とんでもないことだ。そんなことしているなら、こっちにも考えがある。黙って見過ごすわけに行かん!この保管庫の食料は、これから厳しい冬を越すための大切なものだからな。奴の好き勝手にはさせない。それなら帰って来次第尋問し、本意を質そうじゃないか。もし裏切るような結果が出たら…」

「みんな、如何する?」

国分の顔を見て、周りの皆を見渡、結論を出して貰いたさそうに問いかけた。するとそこに、ちょうど時雄が戻り、異様な雰囲気で集まる皆に質す。

「おい、お前ら。そんなところで何してんだ。ほれ、獲物だ。持って来たぞ!」

大きな殿様バッタの死骸を投げ出した。

「苦労して捕ってきたんだ。大事に保管してくれよな。今日の獲物は、命が掛けだったんだからよ」

告げる傍から、木島が口を挿む。

「ええっ、時雄さん。それって、如何いうことですか?命が掛かっていると言いましたよね。具体的に聞かせてくれませんか。それによっちゃ、俺にも考えがありますから!」

興奮気味にまくし立てた。

「如何した、そんな真剣な顔をして。藪から棒によ」

「いや、如何しても、その時の状況が知りたいんです。俺らが経験出来ないことを、苦労し危険を犯して獲物を捕ってきた。その事実を聞きたいんです。それでないと…」

「まあ、俺も今言ったことは、ちょっと大袈裟かも知れんが、急に真顔で問われると少々照れるよな。話づらくなるじゃないか。それに、そんなこと俺たちには日常茶飯事だからな」

「おい、おい、時雄さん。それじゃ、あなたが言ったことは口から出まかせなんですか。獲物を捕るのは、簡単なことなのですか?」

「いや、そんなことはない。俺らは毎日獲物を探しに遠くまで行っている。簡単に見つかることなどない。足を棒にし一日中探しても、捕れないことは幾らでもある。そんなことはむしろ当たり前のことだ。やっと見つけても、他にも探しに来ている働き蟻がいて、奪い合いになることもしばしばだ。それに蟻仲間だけではない。他の昆虫たちも、そこに割り込んでくる。我らより強いものが現れれば、間違いなく横取りされる。そんなのしょっちゅうだ。それに捕った獲物を運んでいる時だって起きるぞ。だから持ち帰えるのも大変だったんだ」

聞き入る木島たちに、更に続ける。

「それにもっと恐ろしいのは、お前らには分からんだろうし、想像もつかないことだと思うが、我々は常に危険と隣り合わせにいることだ」

時雄が真顔で言う。

「へえ、俺には経験ないから分からないが、そんなもんですかね、今日持ってきた殿様バッタは、捕ってくるのにそんなに苦労しているんだ。それに危険と隣り合わせって、如何いうことですか?」

木島が不可解そうに尋ねた。応じ続ける。

「それは如何いうことかと言うと、この巣穴の外は敵が一杯いると言うことだ。つい、周りの様子を覗わず獲物探しに夢中なっていると、我々を狙い襲ってくる敵がいる。ほんの少しの油断が命取りになる。蟻喰いに遭ったらひとたまりもなく命を奪われる。また、獲物を運んで帰る途中に、横取りする奴が現れ攻撃を仕掛けてくる。運ぶことに夢中になり気づかず、防戦できなければ急所を狙われ一撃で倒される。もっと恐ろしいのは、人間どもだ。大きな乗り物に乗って我が物顔で走り回る。避けそこなえば、いや用心しても不可抗力で轢かれる。踏みつけられることだってあるぞ」

「今まで外敵に襲われ、仲間がどれだけ死んだか。人間どもの車に轢かれたり踏み潰されて、どれほど命を落とした仲間がいたことか…」

「分かるか、木島。俺の言っていることが!」

日頃の恐ろしさを投げた。すると、それを己に置き換え聞いていたのか、立ちすくみ、黙りこくってしまった。

「おい、返事がないな」

「…」

反論することが出来なかったのだ。初めて聞く話とはいえ、あまりにも衝撃的な内容に驚き圧倒されていた。

「木島、何とか言ったら如何だ。さっきの空元気はどこへやった!」

言うなり天井を窺い、ボソッと呟く。

「俺だって、毎日こうやって危険に晒されながら獲物探しに苦労しているんだ。まあ役柄、それは仕方ないかもしれんがよ。何たって俺の役目は、獲物を探し捕らえ持ち帰えることだからな。だから捕ってきた獲物は大切にしてくれ。大事な越冬用の食糧なんだから」

そう締めくくった。しんとした重い空気が漂う。だが、誰も反論する者なく口を塞ぐ。

「…」

「…」

それほど、皆にとり衝撃的な話だった。

少しの間、重苦しい雰囲気の中で間が空いた。そして、おずおずと国分が口を開く。

「時雄さん、そうだったのか。俺はこの方獲物を探しに出た経験がない。ましてや巣穴の外に出て、遠方へなど行ったこともない。そんな壮絶な戦いがあるなんて、想像だにしなかった。いや、できなかった。たまに他の働き蟻で、都度獲物を持ってきた者が、何時の間にか来なくなったことがある。その時は、別に気にも止めなかったし、何故姿を見せないのか、その詮索まで及ばなかった」

「そういうことがあるのか。俺には生涯与えられた役割が食料保管と整理だから、それ以外は関心ないし、そのように教育されたまま来ている。このことがいいことなのかは判断しかねるが、ただこのままでいいとは思っていない。それは俊介さんから教えて貰い学んだことだ。だから今、時雄さんの話を聞けば役目とはいえ、大変な役目に就いていると思う。だって、もし俺が獲得係になって、直ぐ捕って来いといわれて如何にもならんし、ましてや外界のことなどまったく知らないからな。

外敵からみれば、またとない餌食にしか見えないだろうな。無防備のまま出るわけだから。狙う相手として格好のターゲットになる」

時雄に向かい己の気持ちを訴えた。すると西田が同調する。

「その通りだ。俺だって国分と同じだ。そんなこと不可能に近い。それこそここから出た途端、外敵に食い引き裂かれるのが落ちだ」

すると、木島が真顔で頷く。

「まったくだ。時雄さんの話から想像すると、外界は恐ろしいところだ。俺なんか、もし今直ぐ外に出ろと言われたら如何にもならないよ。それこそうろうろするだけで、出た途端小便ちびって、前へ進めなくなるんじゃないかな」

怖気づく口調で吐露した。そして、蒸し返す。

「それでよ。さっきのことなんだけど。皆如何なんだ?」

「そうだったな、確かに野口の行動には、少し疑わしいところがあるが。まあ、あいつだって巣外で働いた経験がないのに、一度ならず二度までもよく出て菊地のところへ行けるよな。よっぽど勇気があると言うことか?」

「まあ、いろいろあるが。今の時雄さんの話からすれば、考え方によっちゃあ奴は命がけで出して行ったんだ。大したもんだよ」

感心し、一人納得するように頷いた。

「何、そこで感心してるんだ。話の論点がずれているじゃねえか。木島、お前が言い出しっぺなんだぞ。皆の意見を聞く前に、まずはお前の考えを聞こうじゃないか、さあ、言ってみろ!」

国分から振られ、木島は困惑気味に嘆く。

「けどな…。如何すればいいかって、困ったな。話の流れで、ついあんなことを言ったが、俺自身充分に整理出来ていないんだ。だから、如何していいのか分からん。すまない…」

詫びを入れるが、そこで話が途切れた。申し訳なさそうに皆の様子を覗い、挙句の果て、時雄に答えを求める。

「時雄さん、途中で入って来たんで分からないでしょうが、如何でしょう。時雄さんたちが苦労して捕ってきた獲物を横取りしている奴がいるとしたら、如何思うか聞かせて貰いませんか?」

すると、時雄の触角がぴくりと動く。

「紀男、如何いうことだ。大事な食料の横取りなどと、聞き捨てならないことを言うが。そんな奴がこの巣穴にいるのか!」

木島に尋ね返した。その目は決して穏やかな目ではなかった。ことによっては容赦せぬという、鋭い視線になっていた。

「ああ、そうだった。申し訳ない時雄さん。今の木島の話し方じゃ分からないと思うんで、それじゃかい摘んで説明させて貰います」

国分が口を挟む。

「ことの発端は、実はこういうことだったんです。と言うのも、つい先日野口が赫々云々…」

今まで取ってきた一連の行動を話し、自分ながら許せぬ行為と結論づけ終えた。

「時雄さん、如何だろうか?菊地に痛めつけられ脅かされて、当初は相談に乗り貴重な獲物を貸し、菊地のところに持って行かせた。そこまでは我々も納得できるし協力した。しかし、その後のことで如何も腑に落ちないことが多いんです。何があったにせよ、野口は更に脅かされたか、あるいは寝返ったか定かではないんですが、さっき巣穴から行き先も告げず出て行った。多分、菊地のところだろうと思っている。

このまま放置すれば、時雄さんらが苦労して捕ってきた備蓄食料は、根こそぎ菊地のところへと横流しされる。もしくは最悪のことを考えれば、奴が煽動し我らの巣穴に攻撃を仕掛け奪い取りに来るかもしれない。もし、そうなったとしたら我々の仲間に多くの死傷者が出るし、これから訪れる厳冬期は乗り切れなくなる。だから、何としても阻止しなければならないと思っているんですが」

「まあ、そんなことで、菊地のところへ行っているんじゃないかと思うんです。それも俺らには内緒で」

頷きつつ聞いていた時雄が視線を向ける。

「ところで、紀男。野口は何時戻ってくるんだ。それに出て行くとき備蓄用の獲物を持って行ったのか。それなれば在庫状況を調べたか?」

唐突に質問した。

「ええあの、ええと…」

返答に困っていると、横から国分が答える。

「いや、何時戻るか、あいつから聞いていない。と言うのも、今の木島の話でも分かるように、いろいろ不自然な動きをしていたので奴を突き放していたんだ。だからあいつが如何出るか様子を覗っているうち、何も言わずに出て行った。勿論、俺たちは奴に何もやらなかったし、黙って持って行かれてもいない。備蓄食料は確かめてある。紀男が言った通り奴の行き場所は、あくまでも推測だ。だから野口が今何をやっているかは、実は分からないんだ」

「この巣穴から出て行ったのは事実だが、戻る時間が分からない。おそらく菊地に媚を売り、渡りをつけてから戻ると思う。これも絶対とは言えないが」

意味深顔で、少し考え憶測して告げる。

「何も持っていかなかったところを見ると、もしかしたら時雄さんらの真似をし、獲物を探しに行っているかもしれないな。手ぶらで菊地のところへは行けんぞ。いくら図太いからとて、我らにまた貸してくれとは言えんだろう。まあ、それとて推測だから何とも言えないがよ。むしろ前にも俊介さんに相談したから、探しに行ったとも考えられる。そちらの線が当っているかも知れない。それに何時戻るかも定かでないし」

ひと呼吸おき続ける。

「野口にしても、俺らだって、今まで携わってきた仕事が保管係しか経験していないからな…。自分で獲物を捕ることなんか無理だ。だからこの窮地に、相談できる俊介さんを探しに出た線が強いと思いますがね」

「そうか、それじゃ何時帰ってくるか分からないか。まあ、俊介さんを探しに行ったのならいいが、もし先ほどの話が事実だとすれば、許すことは出来ない」

「それはそうですよ。皆さんが命がけで得た獲物ですからね」

木島が口を添えた。時雄が憶測する。

「…だが、そうではなく。迷惑をかけたと思い狩りに出たとしたら、これは皆の思い違いになる。危険だ。さっきも話した通り、素人が一人で行くことは非常に危ない。むざむざ命を晒しに行くようなもんだからな」

木島の相槌を無視し続ける。

「ああ、それとな。我々の危険というのは、昆虫ばかりではないんだ。それを付け加えるのを忘れていたよ」

「ええっ、まだ恐ろしいことがあるんですか!」

驚き気味に生唾を飲む。そんな木島に説く。

「そうだ、紀男。教えてやる」

「さっきもちょっと話したが、それはな。人間だ。奴らほど恐ろしいものはない。これはお前らだって無関係ではいられんぞ。俺らは巣穴の外に出るから、もっと危険な目には遭っているがな…」

先頃のことを思い出すように呟く。

「ついこの前だが、俺の見ている前で仲間が懸命に獲物を運んでいる時だった。偶然といえば聞こえがいいが、そいつは一瞬の出来事で死んでしまった。人間にしてみれば、奴らが作った乗り物で通り過ぎたに過ぎないが、それは自転車という乗り物だ。俺らのことなど視界にないから避けてくれない。タイミングが悪かったといえるが、獲物をくわえ運んでいる最中、そいつの上を通り過ぎて行った。ひとたまりもなかったよ。獲物共々踏み潰された。あれじゃ、如何にも避けようがない。あんな巨大なものが頭上を通ったんだ。哀れとしか言いようがない。もし、俺の上を通って行ったら、逆に俺が死んでいた」

「うへっ、そんなことがあるのか。外界に出て獲物を捕りに行くのは恐ろしいな!」

「その通りだ!まだあるぞ。その人間たちに踏み潰されることだってある。何人の仲間が犠牲になったことか。それにだ、恐ろしいことは他に山ほどある」

「ええ、まだあるのかよ。もっと恐ろしいことが、これ以上あるなんて信じられない」

木島が慄いた。

「紀男、こんなことで驚いていでは、これからの世の中、生きていけないぞ」

「まあ、そうだけれど…」

弱気になり言い訳する。

「だから俺は、この巣穴から外へ出たくないんだ。今携わっている役目だって嫌じゃないから、ずっと続けたい。時雄さんのような、巣穴の外に出て獲物を捕る仕事は、俺にはむかないんだ。今の仕事をこれからも頑張っていく心算だよ」

すると時雄が窘める。

「馬鹿だな、紀男は。今俺たちがいる巣穴が安全だと思っていちゃ、お門違いだぞ。分かってないな」

すると西田が口を挟む。

「時雄さん、如何してすか。この巣穴の中にさえ居れば、人間に踏み潰されたり自転車とかいうものに轢かれないし、他の昆虫たちが攻めて来ない限り一番安全じゃないですか」

「そうだろ。なあ皆、そう思うだろ!」

周りの仲間に同調して貰おうと振った。

「ああ、そうだ。この巣穴に居れば危険などない。安心して暮らすことが出来る。時雄さんたちには悪いが、これも定められた役割だ。その辺は理解して貰いたいよ」

国分、木島が同調し、頷きながら時雄に視線を投げた。時雄は黙って聞くが、やおら制する。

「確かに西田の言う通りかもしれない。今説明した範囲内の災難であれば、この巣穴にいる限り安全だ。そういう意味からすれば、皆安心していい。

だがな…。俺は一日のうち、夜以外または狩に出ている限りこの場にはいない。これから話すことは、それの方が安全だと言うことだが」

「待って下さい、時雄さん。お言葉ですが、今までの話では外界の方が危険じゃないんですか。その外界にいる方が安全だなんて、矛盾していますよね!」

国分が口を尖らせた。すると、木島も西田も「そうだ、そうだ」と、即応し口を揃えた。

不満気な国分らを抑え続ける。

「そうか。それじゃ話してやろう。確かに、お前らは巣穴の外のことを知らない。それは人間社会のことも無知だと言うことだ。俺は見てきた。人間たちの習性や生き方を。人間たちは俺らを同等と捉えてはいない。むしろ奴らの視界から消えている。それでもよく観ていると、更に驚くべきことが分かるんだ」

聞き入る皆を一別しながら説く。

「奴らの世界にも男と女がいる。この男の方は我々を無視する方に属する。ただ、大きな乗り物を乗り回す。従って直接我々に危害は加えない。問題は女の方だ。彼女らは、我々を毛嫌いする。これが恐ろしい。我らを見つけるや殺そうとするのだ。それも忌み嫌うように、奴らの作った殺虫剤といかうものを使い、俺らを見つけ次第に吹き掛けてくる。もしお前らがそのことを知らずに外に出て見つけられたら、間違いなくそれで殺られるだろう」

「そうでしょう、そうでしょう、時雄さん。だから俺らは一歩も出たくないんですよ。そうすれば人間にも見つからずに済みますからね。安心してこの巣穴で暮らせるというもんですよ」

安全だと分かったのか時雄を見返し、木島の顔が緩んでいた。

「なあ紀男、よく考えてみろ。お前が見つからなくても、俺たちのような働き蟻がこの巣穴を出入りするんだ。そこを見つけられたら如何する?」

「それは時雄さん。あなたが危険な目に遭うだけで、我々には何ら影響ないんじゃないですか。そうだよな、西田」

自信有り気に振った。西田が相槌を打つ。そんな二人を窘める。

「紀男、そういう考えは間違っているぞ。人間の大人の女、それに女の子供は昆虫を異常なほど嫌う。両者ともそれは変わりない。我々を見つけたら逃げてくれれば問題ないが、それでは終わらず恐る恐るでもついてこられ、奴らが我々の巣穴を見つけたら何をするかなんだ」

「それが如何したと言うんですか!」

木島が突っかかる。

「我らを毛嫌いする割には冷酷にも、発見されたら根こそぎ駆逐しようとする。万が一、毒薬の入ったスプレーを巣穴にねじ込まれ散布されたら、お前ら何とする。内にいる皆は、一瞬にして死に向かって走り出すことになるんだ。そのスプレーに塞がれてしまい、巣穴から逃げ出すことが出来るか。おまけにそれだけでは飽き足らず、大きなシャベルみたいなもので巣穴そのものを破壊してくる。巣穴もろとも消滅させてしてしまうんだ。人間の女どもは、我々が考える以上に冷酷で残忍なことを平気でやる」

「…」

「だから言っただろう。俺みたいに居なければ劇薬も受けないし、巣穴もろとも潰されることもないからな。言っていることが分かったか。それほど人間の女性というのは、怖がりやのくせに時々大胆なことをやる。我ら蟻や昆虫を生理的に受け入れないからだ。だから木島の言うように、巣穴の中が絶対安全だなんて言えない」

「…」

「…」

返す言葉がなかった。あまりにも衝撃的な話に圧倒され、一言も発することが出来ず、押し黙ってしまった。そして、言葉少なに国分が呟く。

「そんなことがあるのか?安全だと思っていた巣穴が危険だなんて…」

信じ難かった。

「しかし時雄さんの話を聞く限り、有り得ることなんだ」

疑うより、それが真実のように耳の中で響いていた。

「そんなことがあろうはずがない」などと、皆にとって反論出来るものではなかったし、知識もなかった。人間という生き物の恐ろしさは、今にもこの巣穴に迫り来るような恐怖感に満ちる現実味を帯び、不安が皆を包み込んでいた。

「そんな…」

国分たちは、それだけ言うのが精一杯だった。後は暫らく口をつぐんだ。

巣穴の内外共々が恐ろしいとは、頭の中が混乱していた。皆、時雄にすがる眼差しで、助けを乞うように唇を震わせ視線をさま迷わせる。

「だから俺は、先ほど木島が言っていた野口のことだが、悪く解釈すればとんでもないことだと思うが、しかし外界に出たことのない奴が、思い余りこの巣穴から出て行ったとなると。そんな邪まな考えで出来ることではないと思う。そうであれば、如何して野口が断りもなくこの巣穴から出たんだ。野口を含めたお前らの中で何があったか知らんが、最悪のことを考えざろう得ない。

どのような話し合いがされたか聞きはしない。結果的にお前らが、野口にそうさせたんだ。もし紀男、お前が奴の立場だったら如何する。皆から疑われ四面楚歌になった時、一人で何の知識もなく外に出て行く勇気があるか?」

「ええっ、とんでもない!そんな、時雄さん。そんな物騒なところへ行けませんよ。ましてや、一人でなんかとても…」

「そうだろう。それだったら単なる憶測で彼を見るのは、酷ではないのか。それと国分、お前が奴に言ったんだろう。帰ってきて結果を聞き、これからのことについて話し合った時に、お前自身の考えを持って来いと。

…冷たくあしらったわけだな。奴にしてみれば頼れる仲間から突き放されたんだ。そうされたら如何する。よくよく考えた末、止む無く行動に移したんじゃないのか?

俺は奴の考えが分からない。頼りにしていたお前らから突き放されたんだ。もしかしたら俊介さんに相談しようと、無謀にも捜し求めて出たのかもしれない。それに、何の手負いも受けず戻ってきたが、お前らの素っ気ない態度に面食らい、菊地のところへ行きお前らに打ち明けていない、法外な要求を断りに行ったのかもしれないぞ。これ以上、仲間に迷惑は掛けられないと悩んでな。

どちらにしても、危険極まりないところへと、自ら突き進んで行ったことになる。だから何時戻るか分からないが帰るまで待ち、戻ったところで本心を聞いて見なければ、俺は奴に制裁を加えることなど出来ないな」

国分を始め、皆、時雄の言い分に反論することが出来なかった。

そのように時雄から言われ、国分は改めて野口の立場に立ち、己が外に出て行く羽目になったと考えると、とても彼のような行動は出来ないと感じていた。

誰もが、如何したらいいのか分からなくなっていた。特に国分に至っては、時雄から指摘されたように、つい胆略的になり引導を渡すような形になったことに、自分ながら後悔していた。

浅はかにも俺がそんな恐ろしいところへ、野口を追いやってしまったのか…。もしかしたら、戻れなくなっているのではなかろうか。他の昆虫に襲われ喰われたり、人間らに踏み潰されているかもしれない。そんなことになったら、俺は如何すればいい。もしそうだとしたら、結果的に彼を殺したことになる。とんでもないことを言ってしまった…。ああ、野口。無事に戻ってきてくれ。そうでないと、一生後悔という十字架を背負って生きていかなければならなくなる。早く元気な姿を見せてくれ。

俯き、苦汁の顔に満ちた。

「…」

皆、押し黙っていた。静寂の中で時雄が口を開く。

「いずれにしても、俺はこれからまた獲物を探しに行かなくてはならない。とにかく野口が無事に戻ってくることを祈るよ」

そう告げ、皆の前から離れて行った。

現実味のある外界の恐ろしさをつぶさにした今、残された国分らはぽっかりと穴が開いたように気落ちし、多弁に野口への制裁を話し合っていたことが、嘘のように黙りこくった。無言のまま重苦しい空気に包まれる。勇気を持って先へ進める者はいなかった。

その時だった。

皆のいる巣穴に大きな衝撃が走った。

「どすん!」「ずしん!」と。二度、三度、この巣穴が壊れるような激震が見舞う。

「ひえっ!」

目の玉が飛び出るほど驚いた。今聞いたばかりの時雄の話が現実になったのかと、全員が身の毛をそばだてた。

「ぎゃあっ、助、助けてくれ!」

口々に叫び、慌てふためき右往左往するだけで、頭の中が真っ白になり物陰へと一目散に散った。

「わあっ、神様。助けて下さい!お、お願いです。お助けを!」

木島など物蔭に身を伏せぶるぶると震え、地面に頭を擦り付け祈るばかりだった。しかし巣穴は、その後何も起こらなかった。仰天した彼らは、野口の心配どころではなかった。時雄の予想外の話だっただけに、なお更恐ろしさが増幅し己の身の安全のことしか頭になかったのだ。結局、その後集まることはなく散りじりになっていた。

それから幾日か過ぎた。

それ以来、互いに野口のことを意識的に口にしなかった。何時ものように自分たちの役目を黙々とこなしていたが、そんなある日ぽつりと国分が心配そうに漏らす。

「野口を見かけないな。最近、奴の顔を見ないけどまだ戻らんのか…」

誰もその投げ掛けに答えない。と言うより応じる勇気が、あの日以来消えていたのだ。それどころではない。己自身に、何時危険が迫るかもしれないのだ。用心しなければと、誰もが消極的な行動になる。その面々の中で西田がポツリと呟く。

「それにしても、これだけ野口が帰って来ないのもおかしいよな」

それをきっかけに皆の視線が集まる。

「そうだ、奴のことだ。どこかで上手くやっているかも知れねえぞ!」

楽観視し、木島が希望的観測を述べた。だが、後が続かない。話はそれで終わる。皆、野口のことが気になるが話続ける者がないまま、己の仕事に視線を向けていた。それ以来、何時の間にか積極的に係わりを持とうとする雰囲気が消え、誰もがその話題を積極的に持ち出そうとしなかった。話し合うことが怖かった。そればかりか、最悪のことを考えると、己に非が及ぶことを恐れ、押し黙ったまま仕事に取り組んでいた。そのうち、誰もが他人事のように考え始めていた。

だが野口の戻らぬ日が続き、外敵が自分らに及ぶと思うと憂鬱な気分になる。それが続くと、累が及ぶのではと不安が前に立ち塞がった。国分たちは思い悩みながら黙々と仕事を続けていた。

そんなある日のこと。

獲物を持って時雄が巣穴に帰ってきた。獲物の保管場所にくるが、国分らは野口の話題を持ち出そうとしなかった。木島にいたっては、時雄を避ける素振りでいそいそと預かった獲物を保管場所へと運んでいた。皆、野口のことは貝になっていた。

「おい、紀男。如何したんだ。憂鬱そうな顔をしてよ。この前の話、衝撃がきつかったようだな。それとも下界の恐ろしさにおじ気づいたか?」

挑発的に尋ねた。

「ええ、まあ。別に何もないですよ」

曖昧な返事を返した。

「おい、国分。お前、野口の件は如何なった?」

国分に振る。

「ええ、特にあれ以来如何なったか知らないんです。あいつ如何したのかな、皆目見当がつかないんですよ…」

「おい、おい、知らないのか?国分!」

「ええ、何ですか?」

「野口のことだよ。野口が如何なったか、お前本当に知らないのか?」

「ええ、知りませんけど…。しかし、あいつも世話の焼ける奴だからな。皆に心配掛けさせやがって、たまには顔でも見せればいいのによ」

何か言いたげな顔で吐き捨てた。

「そうか、お前ら何も知らないんだな…」

「ええ、時雄さん。如何いうことですか。野口がまた、何かやらかしたんですか?」

国分が訝り尋ねると、木島も黙って頷く。

「それだったら教えてやる。野口は待っていても、もう戻って来ないぞ」

「ああそうですか。やはりそうか。あいつ、菊地のところに寝返ったのか。そうかと思ったよ。俺らに冷たくされたんで、この前持って行った貢物の恩を売り仲間にしてくれとでも、頼み込んだに違いない。思った通りだ。とんでもない裏切り者だな!」

勝手な憶測をし蔑んだ。

「おい待てよ、国分。話はまだ続きがある。よく聞け!」

「野口が帰って来ないと言ったのは、寝返りでも裏切りでもない。奴は確かに菊地のところへ行ったらしい。そこで断りか何かの交渉をしたんだろう、菊地の激高に触れ暴力を振るわれ、挙句の果てなぶり殺されてしまったらしい」

「ええっ!」

「…」

「野口がなぶり殺された…?」

言葉が詰まった。思いもよらぬことである。自身のまったく意に反する情報だった。

「野口が殺されたなんて…」

にわかに信じられなかった。

「本、本当ですか、時雄さん?」

傍にいる木島が聞き返した。

「ああ、そうだ。菊地に殺されたと言うことだ。何時ものように獲物を捕りに探し歩いている時、情報交換した際に入ってきた噂なんだ。それでその後も、何人かの仲間に尋ねたが、皆菊地になぶり殺されたと言う噂が立っているとのことだった」

「俺は、お前らから野口のことを聞いていたので、何故殺されたのか原因を調べようと聞き回った。そこで分かったことだが…」

時雄はそこで止めた。国分も木島も予想外の展開に仰天し、身を乗り出し聞き入る。そして、一言も逃すまいと目は異様に輝き、巣穴に緊張した空気が張り詰めていた。

「うほん!」

時雄が一つ咳払いをし、呆然とする國分らを前に更に続ける。

「それがだ。お前らが言ったように菊地に暴力を振るわれ脅かされて、この食料保管庫から、皆の相談の下に要求量の獲物を持って行ったことは知っての通りだ。その時はそれで済んだ。この話も野口から皆に伝わっているはずだ。その後のことは国分が説明したように、お前らが随分冷たく当たったみたいだな。奴は相当悩んだと思う。それで皆にこれ以上頼れないし迷惑をかけられないと考え、理不尽な要求がされても出来ない旨を断りに行ったんじゃないのか。案の定、奴に脅かされたがきっぱりと断ったらしい。そこで奴が激高し、殴る蹴るの暴力を振るわれた。その魔の手から逃れることも出来ず、されるがままに絶命したらしい」

「まあ、何人かに聞いた話を纏めるとこのようになる」

「…」

「…」

国分も木島も生唾を呑む。

野口が俺らにこれ以上迷惑を掛けられないと、自らを犠牲にして菊地の下に行き命を落とした…。

予想に反した結末に動転していた。

「…」

言葉が出なかった。

皆の胸に、何とも言い難い後悔の念が漂っていた。重たい空気が支配する。圧し掛かるその重圧に国分は耐え難く呻く。

「うむむむ。断りに行き、殴り殺されたなんて…」

漏らず顔が蒼白になり、唇が震えていた。

「俺、俺が悪かった。俺が奴を殺したようなものだ。あんなことを言わなければ、野口は追い詰められず死ぬこともなかったのに。それを…。奴を疑い、追い込んでしまった。彼にしてみれば相談する相手を失い、迷い悩んだに相違ない。頼る仲間もなく、結局菊地のところへ一人で行き断るしかなかったんだ」

「悪かった!許してくれ、野口…」

わなわなと肩を落とし泣き崩れてしまった。

その様子を見ていた木島は如何することも出来ず、ただおろおろするばかりだった。

「時雄さん。俺、如何したらいいんですか。国分さんが言うように、俺だっていい加減なことばかり言った。謝っても謝りきれないことをしてしまったんだ」

悔やむばかりだった。更に感極まる。

「これじゃ、野口が浮かばれない。申し訳が立たないよ。死んだことも知らず罵倒するようなことを言って恥ずかしい…。俺、何て詫びたらいいんだ」

木島の目から後悔する大粒の涙が溢れ、国分と同様にがっくりと肩を落とした。

「確かに、お前らにも一端の責任があるように思う。あれこれ憶測するのは勝手だが、やはり相手のことも考えてやらなければ罪になるよな。でも、だからと言って後悔しようと反省しようと、もう野口は戻ってこないんだ。お前らがいくら詫びたとて、奴は生き帰りはしない。要はこれから如何するかだ。如何償うか。が、これからやるべきことではないのか。そう思わないか、国分。それに木島!」

泣き崩れる二人に、きっぱりと告げた。二人とも涙を拭い、ただ頷くだけで返す言葉がなかった。

「まさか、あの野口が撲殺されるなんて考えもしなかった。池田に続いて、彼までもが菊地の毒牙にかかったことになる。それも長い間、一緒に仕事をしてきた仲間だ。俺たちの安易な考えの過ちで、命を落としめてしまった。それも軽率な配慮のなさで。野口を死に追いやったんだ。くそっ、何と言うことだ!」

詫びる気持ちで、自身の愚かさをなじった。そして得も知れぬ怒りが込み上げる。

「以前は同じ巣穴に住む仲間だというのに、二人を虫けらのように殺しやがって」

国分の詫びる思いが、菊地に対する憎しみと大きな怒りへと変わっていた。

俺のせいでこうなった以上、このままむざむざと引き下がっては、死んだ二人に申し訳が立たない。もしこのまま放っておけば、それこそ無責任の烙印を押されてしまう。いな、己自身を許せなくなる。俺は何としても二人の死を追悼すべく、憎っくき菊地に一撃を加えてやる。

そう、心の中で誓った。そして涙を拭い、時雄に意を決するように訴える。

「時雄さん、あなたの言う通りだ。無責任にも彼を追い詰めてしまった。今さら詫びても許されないが、本当に許して貰いたいと思っている。そこでですが、俺は菊地に挑戦して行きたい。出来得るならば、二人の仇を取りたいのです!」

「俺も同じです。時雄さん、力を貸して下さい。何としても二人の仇を取らなければ、俺たちはこれから大手を振って生きてはいけない。そんな気持ちなんです」

木島が続いた。すると、思いを汲み取り応える。

「うむ、そうか。お前ら、自分らのしたことを反省しているのか。それで俺に力を貸せと。一緒に戦ってくれというんだな」

「ええ、いいえ。そ、そうなんですが。けれど時雄さんにとっては、迷惑な話ではないかと。俺たちの問題なんで、知恵だけでも貸してくれたら助かるんですが…」

木島が返した。

そして、更に切望する。

「そこでお願いしたいことがあるんです。ご存知のように俺たちは巣穴外のことはまったく知らないし、外敵と遭遇したこともない。そうなんです、時雄さんのように戦う技術や知識がないんです。そこで俺たちにそれを叩き込んで欲しいんです」

「そうすれば、時雄さんに迷惑を掛けることがないので…」

「そうだよな」

木島は同調して貰おうと、隣にいる国分と西田に求めた。

すると、黙っていた西田が意を決する。

「ああ、そうだ。時雄さん、そうなんです。是非力を貸して下さい。とにかく野口らの仇を取るには、時雄さんに頼るしかないもんだから…」

「うむ…。実は、お前らに会う前に菊地のことを調べて見たが、随分悪どいことをやっているようだ。このまま奴の勝手な考えで動かれでは、この先我が巣穴に悪影響を及ぼすことになるかもしれない。それに暴力を盾に、好き勝手に己の勢力を拡大しようとしているみたいだ」

「このまま放置すれば、我らの巣穴が甚大な被害を被る可能性があるかや知れない。今のうちに阻止しなければ手遅れになるやも知れぬ。お前らがその気なら訓練してやってもいい。死んだ池田や野口の仇を取るという決意が本物なら、俺はお前らを徹底的に鍛えてやる。如何だ、耐えられるか?」

「やる勇気はあるのか!」

時雄が吠えた。

応じ國分が返す。

「ええ、何としても仇を取りたい。そのための訓練なら、たとえ厳しくても耐えてみせます。時雄さん、お願いです。鍛えて欲しい。それじゃなければ、彼らに顔向けが出来ない。俺は決めたんだ。何があろうと立ち向かって行こうと。万が一、菊地に逆襲され命を落としても悔いはない」

それくらいの決意だと腹を決め、きっぱりと断言した。それを見て木島も、少々戸惑い気味に告げる。

「俺だってそうだ。時雄さんが味方になってくれれば、菊地に一泡吹かせてやる!」

目を輝かせ同調した。すると、西田も口を固く結び頷いた。

「そうか、そこまで言うんだったら、俺も一緒に戦ってやる。徹底的に仕込んでやろう。訓練は生半可ではない。これからいろいろ辛いことが待っているが頑張ってくれ!」

「はい!俺たちは何としても奴を倒す。野口や池田の無念を晴らしてやるんだ!」

木島が気勢を上げた。そして、

「こうなったら、二人の弔い合戦だ。やったるぞ!」

雄叫びの如く叫んだ。

「おい、おい、今から意気込むのはいいが、奴は強いぞ。よっぽど戦いの技を身につけ、立ち向かわないと一撃で倒される。そこでだ、俺は実は前もって俊介さんに相談したんだ。彼は我々のリーダーだ。結束して戦わなければ必ず負ける。彼の下に一致団結し、対応策を練りことに当たらなければ、強かな菊地には勝てん」

「この戦略も長引いては奴の術中に嵌まり、決して有利には働かない。そこでだ、お前らにも言っておくが、もはや菊地と話し合って改心させることは難しい。従って奴の首を取り、野口らの恨みを晴らす。ただ、我らはそれのみの目的で行動するのではないことを、肝に命じなければならない」

「あくまでも野口らの無念を晴らすのは過程であって、奴が攻撃を仕掛けこの巣穴を破壊されることを防ぐのが、我らの主たる目的だ。それを忘れてはならん。ところで今日は、俊介さんが来られない。それでこのことを充分、皆に伝えて欲しいとのことだった。それに将隆も手助けしてくれることになった」

「えっ、そうですか。俊介さんが我々に力を貸してくれるのか。それに将隆さんも加勢してくれる。勇気百倍だな。これで野口たちの仇が取れる」

国分はしみじみと感謝の気持ちを胸に秘めた。

「時雄さんだけでなく将隆さん、それに俊介さんまでもが俺らに手助けしてくれるというんだ。あんな奴、怖くもない。一撃で倒してやる!」

横で木島が気負った。

「木島、待てよ。今言っただろ。俊介さんや将隆はあくまでも、我が社会を守るために立ち上がってくれるんだ。勘違いしてはならぬ。それに俺たちが加勢するからといって、外界で戦うための訓練を疎かにしてはいかん。巣穴を出たら、まずは己が一人で動けるようにならねばならない。他人を頼っては自立できない。巣穴の中とて同じだろう。食料保管の仕事だって、互いに協力するが各自が自立してこそ成り立っているではないか。そうだろ、分かるな」

「は、はい。分かります。つい力んでしまいました。時雄さんらが指導してくれるんで、自分も相応の戦いが出来ると勘違いしちゃって」

木島が触角を盛んに動かし、頭を下げた。

「皆、まずは外界での行動の仕方から習得してくれ。やることが山ほどあるぞ。それらをすべてクリアしてからでないと攻撃方法の習得へは進めない。それに実践訓練だ。身につけてからでなければ攻撃は仕掛けられない」

「うへえっ、そんなにやることがあるんですか。外界に出るというのは大変なことなんだな。こんなに覚えなければ一人前になれないのか!」

木島は驚嘆した。

「そうだ、相手は悪どい菊地だ。それに奴一人ではない。今でも凶暴な仲間が増えていると聞く。だから、生半可な鍛錬では間違いなく逆襲される。一度仕掛けたら後には引けない。だから、それだけは避けなければならない。それ故菊地らの体制が整うまでに、その芽を摘み取っておかなければならんのだ。更に我が方としての、これからについて話すと、まずは皆の勇気と戦力を…、伝々」

時雄は菊地らの現状を分析しながら、今後の対策と訓練方法などを詳細に説明した。国分らも真剣に聞き、気持ちを新たにする。

「ええ、それらの点についてはよく分かりました。俺らとしても、この巣穴が崩壊するのを、黙って見てはいられません。我らの生活圏を壊されたのでは、たまったものではありませんからね」

「そうだ、我々には夢がある。この巣穴社会を改革し、住みよい世界を作る。菊地がその夢を阻止するなら、立ち向わなければならない!」

時雄が力強く発すると、それに応じ、木島が人一倍大きく叫ぶ。

「はい、私も賛成です。とにかく一刻も早く外界での戦い方を教えて下さい。こうなったら徹底的に奴らと戦ってやる。うむっ…、何だか力が湧いてきたぞ!」

「分かった。木島、そう意気込むな。まずは、外界に慣れることが重要だ。お前らはこの巣穴から本格的に出たことがない。巣穴の中では思うがままに行動できようが、外界ではそうは行かない。行動方法がまったく違う。一筋縄ではいかないだろう。だから、最初は慣れることが絶対条件なんだ」

「ほおっ、そんなに違うもんですかね?まあ、時雄さんが言うんだからそうでしょう。時たま入口から眺めることがあるけれど、あまり気にしなかったからなあ。でも、恐ろしいことが沢山あるみたいだから、用心しつつ頑張らないといけないな」

木島が買い被るように触角を動かした。

すると、時雄が告げる。

「とりあえず明日からでも一緒に獲物捕りに出掛ける。それと平行して皆には外界に慣れて貰う。それと、さっき言ったように、外界というのは決して安全ではない。常に危険と隣り合わせだ。まず覚えて欲しいのは自分の身は自分で守るということだ。これを決して忘れたり、疎かにしてはならない。他人に頼るな。誰かが助けてくれるなどと、甘えた考えは捨てろ。

もし、そんな気持ちで外に出たら、たちまち外敵に狙われる。弱い奴や隙のある奴は、最も先に襲われる。たとえ俺と一緒にいても、決して油断するな。同じことだからな。外界に出たら、たとえ数人でいようと一人でいると思え。それが鉄則だ」

時雄が皆に告げた後、木島に視線を向ける。

「それでは確認しよう。万が一、訓練中に外敵に襲われたとする。その時如何するか。木島、答えてみろ!」

「えっ、俺が。急にそんなこと言われたって…」

咄嗟のことといえ、急に振られ返事のしようがなかった。

「如何だ。巣穴の中の出来事なら咄嗟とはいえ、応じられる俊敏な判断で行動が出来るだろう。なあ、木島」

「でも、未経験の外界では立ち往生せざろう得まい。考えが及ばないからな。迷い立ち止まり、逃げることも出来ず襲われ殺られてしまう。いいかお前ら、現状ではそういうことだ。不慣れだからといっても敵は目溢しなどしない。むしろその逆だ。格好のターゲットとして目をつけ牙を剥くんだ」

「いいか、そうなったらとにかく落ち着け。難しいと思うが、無用に騒いだりしても駄目だ。一人ひとりが、まず己に責任を持つ。そして次に、協力して仲間を助け合う。そのことに尽きる。一致団結することが大切なんだ」

「ここで忘れてならないのは、経験豊富な仲間と一緒だからと気を抜くな。他人に頼って隙を見せてはいけない。夫々が注意し一つに纏まる。これが大切だ。隙のある奴は、人間に踏み潰されたり、鬼やんまや蟷螂らに最も狙われやすいからな」

つい時雄らと一緒であれば安全と勘違いしていたのか、皆現実の恐ろしさを聞き、厳しい状況であることを改めて認識した。更に追い込む口調になる。

「自信がないと言うなれば、今回のメンバーから外れて貰う。如何だ、お前ら自分に責任を持てるか!」

時雄が告げると、皆押し黙ってしまった。

「…」

「何だ、元気なのは空返事だけか。いざ己の身に危険が及ぶとなると黙り込む。怖気づいたか。それとも、臆病風に吹かれたのか!」

「いいえ、そんなことはありません…」

国分がおずおずと応えた。

「それじゃ、如何なんだ。外界に出るのは、常に危険が隣り合わせになるんだぞ。それでも一緒に行くか。次の段階になれば、一人で出なければならない。それが出来ずに、野口らの恨みを晴らすことなど出来ない。ましてや、菊地らの暴挙に対抗など出来ようものか。それで諦めるとでも言うのか!」

「…」

想像を絶する厳しさに、返事がなかった。いや、返事すら出来ずにいたと言ってよい。

「返事がないな!」

時雄が怒鳴った。

「…」

それでも返らない。

「そうか、それならこの話はなかったことにしよう。…それでいいな」

間が空いた。重たい空気に包まれる。息詰まりながら西田が口を開く。

「いいえ、それは困ります…」

「じゃあ覚悟して出て行くか。まあ、俺も最善の方法で誘導して行くつもりだ。その中で徐々に知識をつけて貰うが、最初の心構えが重要なんだ。生半可な気持ちで臨まれては、我々の日頃の苦労は分かって貰えまい。それに我らが気を取られ、外敵の餌食になるやも知れんと思ってな。少々きつめに言ったまでのことだ」

皆、俯き加減に視線を落としていた。

「…」

一斉に立ち上がろうという気勢は聞けなかった。沈黙がその場を覆う。するとゆっくりとした口調で時雄が指名する。

「国分、お前の本意を聞かせろ」

「はい、私は覚悟を決めています。何としても、野口らの仇を取らなければなりません。彼を死に追いやった原因は、少なからず俺も係わった。奴がどれだけ怖かったか、何の経験も知識もなくこの巣穴を出て行ったんだ。どれだけ悔しい思いをして死んでいったか、無念でならない。それを思うと、これしきの覚悟が出来ずに奴らとは戦えない。だから時雄さん、俺を鍛えて下さい。一生懸命習得しますから!」

感極まってか、懸命に己の気概を訴えた。それに応えるように目が光る。

「そうか、そういう決意なら徹底的に教え込んでやる!」

「ええ、お願いします!」

「それで、木島は如何なんだ?」

俯く木島に尋ねた。

「えっ、俺ですか。俺は…」

言葉が途切れる。

「そうか、木島にはそんな勇気はないか…」

「いいえ、そんなことはありません!俺だって…、国分と同じように野口らの仇を取りたい。でも…」

「でも、何だ。足が震えているじゃないか」

「いいえ、これは武者震いです。俺も参加します。今さら参加出来ないなんて言えませんよ。そんなこと言ったら、男がすたりますから」

訳の分からぬ釈明をした。それでも一呼吸し続ける。

「時雄さん、俺も国分と同じように連れて行って下さい。足手纏いにならないよう頑張りますから。それで改めて私には特別なご指導をお願いしたいんです。何せ肝っ玉が小さいもんで」

すると横から国分が割り込む。

「俺らの他にも野口たちの弔い合戦に参加したいという者がいます。明日の朝、それらの者も集めますので、我らと同様にご指導下さい」

「おお、そうか。でもあまり多くなっても統制が取れなくなる。一体どれくらいの数になりそうかな?」

国分に尋ねた。指で数える。

「多くて、五、六名になります。意気盛んでますが、いざ外界に出るとなれば尻込みする者も出るかもしれません。ただ、今はいない誠二や康夫も間違いなく参加します」

「まあ、それくらいの数なら如何にかなるだろう。ただ、近い将来には三十名程度の体勢にしたいがな」

「それじゃ、そうと決まったら、俺はまた獲物を捕りに行かなければならんので、後は国分賛同する仲間を集め主旨を理解させておいてくれ。くれぐれも言っておくが、菊地を倒すのは本来の目的ではない。あくまでそれは過程であって、主たる目的は巣穴改革により、豊かな社会を築くことだとな。宜しく頼むぞ」

国分らに約束する。

「明日、朝。日の出と共に巣穴入り口で落ち合おう。俺の方も将隆も含め指導する働き蟻を集めておく。その時グループ分けしよう」

「はい、分かりました。宜しくお願い致します!」

皆が頭を下げた。

「それじゃ、明日朝会おう。それと、そうだ。日没まで時間がある。これからでも、試験的に巣穴の外近くへでも出てみろ。明日からの参考になるかもしれない」

「はい、分かりました!」

国分らの返事を背に受け、時雄はその場を後にした。その後国分と木島を残し、他の皆は同志を集めるため散って行った。


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