美智子から、「丘の向こうのしいの木の下に行けば会えるかも」と教えられ、密かに期待する。それとなく聞いてよかったと思う。

さもなければ、こんな情報はめったに入らない。この胸の内を、何としても彼に伝えたい。そのために会って、今の気持ちを素直に打ち明けなければ。でも、それを聞き俊介さんは、如何思うだろうか。

…もしかしたら、一笑に伏されるかもしれない。

躊躇いがよぎる。

俊介さんにしてみれば、打ち明けられたとしてもそれどころではなく、入る隙間がないかもしれない。それに個人的なことなれば、なお更だ…。

でも私だって募る想いが消し去れないし、如何しても彼の気持ちが知りたい。ほんの少しでいい。一言でもいいの。このことが私にとって、とても大切なことだから。それで、もし嫌われても…、気持ちを伝えることが出来たなら、それで構わない。

今まで経験したことのない切ない胸の時めきと、とにかく会って打ち明けたいと願う気持ちが、益々強くなるかりだった。

あの丘の向こうの、しいの木の下に行けば会える。でも、もし「そんな唐突なこと言われても考えていないし、それどころではない」と敬遠されたらなんする。

そう思うと、また悩むのだった。

ああ、もしそんな風にあしらわれたら…。私、如何応えればいいの?

すると切羽詰り、如何することも出来ず涙が溢れてきた。それでも気持ちを抑え、胸の内で願う。

でも、会いたい。そして彼の胸に飛び込みたい…。

頭の中が一杯になっていた。ただひたすら叶えたいという望みだけが胸の高鳴りと絡み合い、打ち震える彼女を苦しめていた。

以前は、考える必要などなかった。勿論、そのようなことは日常活動で不要だった。何故なら、考えることが躾られていなかったからだ。今思い悩む異性のことなど考えもしなかったし、それが当たり前だった。けれど今は違う。彼のことが浮かんでは頭の中を覆い尽くす。そのことで、ついと思い出す。

そう言えば、先日もそうだった…。獲物探しの途中、木陰でたたずみ彼のことを考えている時、美智子に肩を叩かれた。心の内を見透かされそうになり何とか言い逃れ、切り抜けることが出来た。

女の直感は鋭い。こと、恋愛のことになるとなお更だ。ちょっとした言葉使いや不釣合いな行動で、直ぐ見破られる。

自身に置き換える。

美智子の誘いに乗り、危うく胸中の苦しみを話していたら、あっというまに仲間に知れ渡っていただろう。その噂が彼の耳に届けば誤解されるかもしれない。

そう思うと、身震いするほど動揺した。そして、更に空ろう。

噂に尾ひれがつき、抱いている想いと違っていたらそれこそ誤解を受ける。そのことが原因で、胸の内を告げられなくなったら何とする…。

悶々と一人悩む。

それでも、ほっとし呟く。

「でも、あの時、彼女には知られずにすんだ」

切り抜けられたことがせめてもの救いとなるが、このまま安寧としていられる心理状態ではなかった。

何としても会いたい。なれば、如何すればいいの?それも気負い会って、素直に打ち明けられるの?。いや、改革の話や行動報告だけになってしまうかもしれない。

後ろ向きな考えが浮かんでは、言い訳の如く過去を懐かしむように振り返る。

あの頃は何でも話すことが出来たし、尽きることはなかった。それこそ、喜怒哀楽を気兼ねなく伝えることが出来た。それが楽しかったし、明日を見る目とて互いに輝いていたように思う。

でも今は違う。心の中でくすぶるものはそうではない。昔と違うのだ。だから、悩んでいるんじゃないか。以前とは違い、何故だか分からないが俊介さんを別人のように感じる。 

如何してこんな風になるのだろうか…。

そのことを感じてからは、まるで違っていた。

想い悩む気持ちは、己が意識せずとも異性として認めるものであり、また慕う気持ちは女として男を愛すると言うものになる。しかし、久美子の募る想いは、明確に愛すると表現できるものでなく、自身が気づかぬ本能として働く出来事なのだ。

それ故、胸の高鳴りや募る想いは漠然として、具体的に好きと表現できるものではなかった。ただ、その想いは日増しに強くなり、そこで悩み抜いた結論は何も考えず彼と会うことだった。

余計な邪推が心を惑わし、要らぬことまで考えてしまう。それで悩むなら、いっそ無垢の気持ちに返る。それが一番いいと思った。そして、先日教えられた丘の向こうのしいの木の下へ行こうと決めた。

ただ想い悩むだけでは先へは進めない。思うことや考えたことは行動に移す。今まで悩んだことは別にして、決めたことを実行しよう。

そう思った。

試行錯誤し一歩でも前進する。そう、俊介さんが教えてくれたことではないか。それを実行してみよう。そうすれば今の想いが何らかの形になり、変わるに違いない。勇気を持って一歩前へ出よう。とにかく明日、あの木の下へ行ってみる。俊介さんに会えるかもしれない。

…だけど美智子が言っていた。必ずしも会えるとは限らないと。だから、会えなくても気長に待てばいいんだよね。

久美子は思い定めた。

それでいいんだわ。もし、明日会えなければ次の日がある。何度でも木の下へ行こう。そうすれば何時しか会える。とにかく会えずにいたら、この気持ちを伝えられない。それで如何なるかは分からないが、このままくすぶり続けていることなど私には出来ない。

そして、意を新たにする。

そう、自分が決めたんだ。一度決めたら会えるまで試してみよう。彼に会って伝え、彼の気持ちを確かめる。どのような結果になるか分からないがそうしたい。たとえ返事がそぐわなくても、それはそれでいい。でも、もし伝えられず、彼が「もっと大切な我が種族の改革について二人して考えよう。そして、力を合わせ仲間の輪を広げていこう」と言われ、促されたら何と返事をすればいいのか…?

ただ頷いて、想いを断ち切り共に活動して行けるだろうか…。

結局、堂々巡りし、そこへ辿り着く。

果たして、そのように割り切れるの?久美子はまた考え込んでいた。と言うより、この問いに答えることが怖かった。

私、怖い…。もしこのことで、嫌われたら何とする…。

気持ちが揺らいでいた。今しがた行くと決めたのに、もう決心が鈍る。

こんな苦しい思いをするのなら…。いっそ会わず、このまま諦めようか。そうすれば彼の思いに副えるし、苦しみだって湧かずにすむ。

そう悩やみだすと、心の中に強気の彼女が現れる。

「あなた、それでいいの!」

「会いに行かず、そして気持ちも伝えず諦めて、本当に納得できるのかしら。後悔しない?じっくり考えて結論出したら?」

如何したらいいのかと、久美子は迷った。暫らく考え込む。そして、やおらすくっと顔を上げた。

そうだわ、迷うことなどないんだ…。いろんな不安が渦巻くけど、それは単なる勝手な思い込みだけではないか。つい悪い方に及ぶだけで、そんな風に考えていたら何も出来ない。

やっぱり明日、勇気を出して会いに行こう。そう切り替えると気持ちが楽になり、目の前が明るくなるのだった。

よし、俊介さんに想いをぶっつけるぞ!

大きな声で叫びたかった。と同時に、如何してこうなるのかと問い質す。

こんなに胸が熱くなり、何とも言い難い胸の高鳴り、これは一体何なのか。獲物探しに行く道すがらでも、何時の間にか彼のことで頭の中が埋め尽くされる。そうなると、他のことが手につかず、静めようとするほど乱れ、如何にもならなくなる。

そうなると、苦しさだけが覆い尽くし身動き出来なくなるの。焦りが生じ、ただ会いたさばかりが募る。こんな気持ちは始めて、今まで味わったことがなかったわ。でも、もう決めたんだ…。

改めて行こうと決意した。

そして、その日がやってくる。

けれど、昨夜は一睡も出来なかった。高ぶる気持ちが邪魔をし、反って目が冴えた。眠ろうと焦るほど、頭が余計冴えていた。

苛々しながら寝返りを繰り返す。それでもやっと眠りに就くと、直ぐに悪夢が久美子を苦しめる。そして悲鳴と共に飛び起きた。

「ああ、嫌な夢を…」

正夢でないことを祈りつつ眠りに就くが、焦るほど目が冴えた。そして熟睡できぬまま夜明けを迎えた。とは言っても、巣穴の中が明るくなるわけではない。朝を感じるのは、触角により僅かな風の動きから読み取るのだ。このこと自体、大したことではない。この巣穴では皆が同じ方法で知る。

ああ、もう夜が明けたのか…。いよいよ会いに行く日だ。丘の向こうの大きなしいの木の下へと向うんだ。

そう思うと、寝不足でも頭が冴えていた。が夜が明けたからとて、出掛けるにはまだ早い時間である。でも我慢出来ず、そわそわし起きた。部屋の中でじっとしていられず、そろりと巣穴の入り口まできては様子を覗う。

夜明けとはいえ、まだ朝日が昇るには早く、白みかけた空には無数の星が惜しむように煌いていた。

まだこんな時間か、早すぎるかしら。

しきりに触角を動かし、夜露の富む早朝の気配を感じ取る。そして、そっと呟く。

「今日行けば会えるかしら、初めに何と言おう。いや、想い極まり何も言えなくなるかも知れない」

洩らすと、直ぐに胸が高鳴り息苦しくなっていた。

もし、そうなったら如何しよう…。

不安になり、身体が震え気持ちが萎えてくる。すると立っていられず、部屋へ引き返しベッドにうつ伏せ、怯えるように涙を一杯溜めていた。

そうなったら如何しよう…。とても、素直に伝えられない。それで、黙っていれば訝り、「如何した元気でいるか。改革の方は進んでいるのか?」と、尋ねるに違いない。それより先に、「何故ここにいるんだ?」と問うだろうか…。

涙が溢れるのを必死に耐える。

私は何と答えたらいい。いいや、何も答えられずにいるに違いない。だってそんなことを言われるために行くのではないから。まともに目を合わせられず、ただ俯いているだけか。

すると彼は、なお更不可解に思うだろう。「如何したんだ、久美子。黙っていては分からないじゃないか。何か用でもあるのか。ははんそうか、改革の悩みがあってここに来たわけだな。図星だろう!」と、本意とは異なる方に向けられるに違いない。

それでも、私が答えずにいたら、「何だ、如何も変だな。そうじやないのか、俺も忙しいんだ、他の話なら聞く時間はない」と、あしらわれるかもしれない。そうなった時、強引に打ち明けられるだろうか?

俊介さんにとって、頭の中は巣穴社会の改革のことで一杯なんだ。だから他のことには耳を貸さないだろう。もし打ち明けようとしても、おそらく「勘弁してくれ」と断るに違いない。そうだ、そうに決まっている。如何しよう。やはり諦めるしかないのか。この想いを伝えられないなら、諦めるしか…。

彼にとり、改革の方が大切なことは分かっている。だから他のことが迷惑なら、それは許されることではない。この時期にそれも次元の違う私の想いなど、話すことではないのかもしれない。

沈む思いに駆られる。

…いいや、今日会おう。せっかく決意したんだ。それを止めるわけにはいかない。とにかく会って、何と言われようと自分の気持ちを伝えよう。断られたっていいじゃないか。叱られたって構わない。もし今、話さず諦めたら後で後悔する。後の日に、何故勇気を出して伝えなかったのかと悔やんでも、もう過去には戻れない。だから、決めたことは何があっても成し遂げよう。そうしなければ、一生悔いが残る。

悩んだ末の結論だった。

この気持ち、大切にしなければね。

そう吹っ切ると胸のもやもやが消え、目の前が明るくなるのがはっきりと分かるのだった。

「よし、頑張るぞ!」

姿勢を正し、両手にぐっと力を込めた。すると何を思ったのか、すっとんきょな声で叫ぶ。

「ああ、そうだ。そう言えば、今日会うと約束したわけではないんだ。会えるか如何か分からないのに、もう会える心算でいる。私っておっちょこちょいね。一途に考え過ぎて周りが見えなくなっているみたい。まったく、気負い過ぎだわ。だって、しいの木の下へ行けば、俊介さんがいるとは限らないいんだもの!」

更に、

美紀子に聞いただけで、空振りに終わるかもしれない。今日会えなければ明日会えると言うものでもないのよね。こんなことじゃ、空回りするだけ。でも、それでいい。とにかく会えるまで、木の下へ行けばいいんだから。

改めて心で決め直した。一呼吸置くと、その姿は何時もの彼女に戻っていた。

ああ、何だか考え過ぎて馬鹿みたい。何時もの調子でいいのよ。そうすれば、彼とは躊躇いなく話が出来るじゃない。そう思ったら、何だかお腹が空いちゃった。これから、長丁場になるかもしれないし、今日は沢山ご飯を食べとかなくっちゃね。俊介さんに会えた時、お腹に力が入らなかったら大変だからさ。

いそいそと食料保管場所へ歩き出していた。勿論、一抹の不安が消えたわけではなかったが、割り切った。




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